第四十三話
前回更新から間が空いて申し訳ありません。
「一人二役の精霊王さま」第四十三話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
ファースト・アニバーサリー・パーティーから四年が過ぎ、アリッサは五歳の誕生日を迎えた。有沙にとっては、オスティアに転生して百十四年が経ったことになる。
精霊たちからは精霊王様と呼ばれ、リディア村の村民たちからはリディア様と呼ばれ、セルヴィッジ家ではアリッサ様と呼ばれ、もう前世の名で呼ばれることはなくなった。だが彼女は変わらず、有沙という名だった頃のアイデンティティーを持ち続けていた。
人は皆、人生の中でいくつもの役割をこなして生きている。
誰かの子として生まれ、誰かの兄弟、友人となり、誰かの夫、妻、誰かの父親、母親となる。
今の有沙もそうだった。精霊王として敬われ、時にリディアとして誰かの友となり、時にアリッサとしてセルヴィッジ家の令嬢を務めている。それらは有沙にとって“義務”“立場”“役目”ではあっても、けっして等身大の自分ではない。オスティア一の力を持ちながらも、中身は平凡な女子高生のままだと、そう思っている。そういう意味では、精霊王や侯爵令嬢という肩書のない“ただのリディア”でいることは、一番素の自分に近いようで気が楽だった。
桁違いの魔力を持つ不思議な少女、とリディア村の村民たちから思われている時点で、やはり日比原有沙だった頃とは別の存在だが、リディアとして村民たちと農作業をしたり食事したりしていると、普通の女の子に戻れたような気がするのだ。
だがアリッサとしての役目をおろそかにもできないために、リディア村を訪れることも滅多になくなった。今回、クラリスがリディア村を夏の避暑地に決めたことで、アリッサ・セルヴィッジとしてだが、有沙も二年ぶりにリディア村へ行くことが叶った。
夏の一の月。
アリッサは母親のクラリス、家政婦長兼乳母のバーサと息子のノアに、侍女兼護衛騎士のエイミー、セシリア、加えて十名の護衛兵士とともに、リディア村へと出立した。
さらに今回は、すっかりクラリスと仲良くなったラスキン男爵夫人と息子のクライヴ、アドキンズ侯爵夫人と息子のリアムなど、セルヴィッジ家と懇意にしている貴族の婦人方も同行するため、それぞれがまた使用人と護衛を伴い、かなりの大所帯での移動となった。
これは有沙が意図した展開だ。
この四年でリディア村は大きく成長し、村民の数も百を越えた。手伝う精霊の数は減り、村の運営をほぼ人の手で賄えるようになったのだ。
有沙が前世の知識から考案した、電気の力で動くさまざまな魔道具により、すでに村の生活は王都よりも便利で豊かになっている。精霊の加護を受け、ダグラスが見たこともない魔道具を生み出しているという奇跡の村の噂は、すでに王都にも届いており、秋には王宮から視察団も来る予定だ。
そのため急遽、来賓用の迎賓館を領主屋敷と隣接する土地に建てた。華美な装飾は避けつつも、客室二十と大ホールにサロン、会議も開けるダイニングルームなどを備えた重厚感ある建物だ。随行する使用人たちの宿舎に厩舎や倉庫も併設したため、大きさも広さも領主屋敷を上回る。
さらに今回、この迎賓館には王都にない特別な施設も作った。これも有沙の案で、現代人には馴染みの“スパ”である。
二年前。有沙は精霊王の力で地熱を使った温泉を作り、それを大浴場の形で村民に解放した。精霊の加護を受けた温泉にはさまざまな健康効果が付与され、疲労回復に健康増進、冷え性改善に皮膚病の治療、高血圧や動脈硬化の予防など、温泉のメリットを網羅したスーパー温泉が誕生した。
現在リディア村の者たちは、毎日無料でこの温泉施設を利用している。聖教会から派遣された司祭やシスターたちも、すっかりこの温泉のファンである。あまりに好評なため村民の自宅にも温泉水を引いて、この時代では珍しい家風呂も作った。ゆえにリディア村では、夕方の入浴時間帯になるとあちこちの家から湯けむりが立ち昇るという、日本の温泉地のような光景が見られた。
これは絶対に王都の貴族たちにもウケる、と考えた有沙は、村の女性たちと協議を重ね、迎賓館の敷地内に貴族向け高級スパを作った。村民の女性たちの中で料理の才能がある者に調理を、接客スキルの高い者はエステやメイク、コーディネートの勉強を受けさせた。外観も内装も女性に人気のラグジュアリーホテルのようなデザインにし、至る所に花や絵画を飾って、名物になるドリンクやスイーツも開発し、いよいよプレオープンできるところまで漕ぎつけた。
今回、高位の貴族婦人を大勢招待したのは、彼女たちにこのスパを実体験してもらい、その評判を王都で広めてもらうのが目的だった。
すでにクラリスの紹介で、婦人たちには村に特別な温泉施設があることは伝えてある。火山を有しないウィスタリアに温泉はなく、入浴が贅沢であるこの国において、無尽蔵にお湯が使える環境はそれだけで特別な価値を持つ。彼女たちの期待値は否応にも高まり、馬車の中でも話題はもっぱら“スパ”なる未知の存在に向けられた。
「本当に、楽しみですわ」
「我が国で温泉を利用したことがある女性など、わたくしたちが初めてではありませんか?」
「ロータナシアを訪問したわたくしの伯父が、かの国で屋外浴場を利用したことがあるそうです。しかしその浴場はただの岩を組んで作られた天然の温泉で、目隠しになるものもなく、貴族の婦人が使うことは難しいと申しておりました」
「今日向かう村の、スパ、ですか? そちらの浴場はどういうスタイルなのでしょう?」
「クラリス様にお伺いしたところ、平らに磨いた石を組み合わせた、巨大な噴水のような形の浴場のようです。村民用の大浴場は男女二つの部屋に分けられて、みな裸で入っているそうですが、わたくしたちには入浴用の衣装が用意されているそうです」
「私、その衣装の見本をクラリス様から見せていただきましたの。私たちが普段着用するナイトドレスを、とても薄い生地に変えたものでした。さらに吸水機能が高いという、変わった生地のローブもいただけるそうです。どちらもサラサラした手触りで、とても快適そうでした」
「まぁ、色やデザインはどんな感じでした?」
「生地は同じですが、色やデザインは複数種類あるようです。それは最初に自分で選ばせてもらえるようです」
「ですが、裸同然の格好になるのでしょう? わたくしちょっと、抵抗がありますわ……」
「わたくしも、ちょっと……」
「あら、私はとても楽しにしておりますわ。スパは男子禁制で、働いている者も全員女性だそうです。体を締め付けないゆったりした衣装を着て、殿方の視線を気にすることなくのんびり過ごせるのですよ。私たち貴族の女性にとっては、まるで天国のような場所ではございませんか」
「……それは、たしかに」
「一理ありますわ……」
コルセットで締め付けられた腰に無意識に触れて、一人の意見に皆がうなずく。
「おまけに、その施設は料理も素晴らしいそうですよ。村の特産品であるフルーツをふんだんに使ったフレッシュジュースや、ヘルシーで美容に良いスイーツを沢山用意してくれているとか……」
「まぁ、スイーツを?」
「美容に良い?」
婦人たちの話は尽きることなく、あちこちの馬車でお喋りの花が咲いた。六人乗りの馬車の中で、クラリスやバーサと同乗する有沙は、他の馬車のそんな会話をこっそり盗み聞きしていた。
(うん、狙い通り!)
サイズアップしたチャイルドシートに腰掛け、有沙は心の中でガッツポーズをした。このスパ事業が当たれば、リディア村はいずれ、ウィスタリア一の観光名所(特に貴族婦人の)となるだろう。
廃鉱山であるチェスナス山には、観光資源となるものは何もない。今後もリディア村を育てていきたい有沙としては、貴族の人気保養地にすることで道の整備や人口の増加などを目論んでいる。招待客を限定二十人としたのは、村民の負担を考慮し、さらにスパに、高級で貴重な施設という印象を持ってもらうためだった。
年中貴族が訪れる土地になれば、職を求めて移住を希望する平民も増えるだろう。妻や娘が観光施設で働き、男性には農作業に従事してもらう。そうやって、今の十倍、百倍と住人を増やしていきたい。有沙はそう考えていた。
精霊王の結界効果で、悪人はこの土地に入って来れない。善良な村民が真面目に働き豊かに幸せになれる。精霊王としての有沙は今、リディア村を最初のモデルケースにし、いずれはウィスタリア全体に似た町を作っていくつもりだった。四年前に汚職貴族を一掃したのも、この計画のための下準備だ。
「アリッサ様は、おいくつになっても大人しいですわね」
窓外を見つめ無言のアリッサを見て、隣に座るバーサがしみじみした口調で言った。
「赤ん坊の頃から手のかからないお子様でしたが、歩けるようになっても本当にお行儀がよろしくて、乳母としてとても助かりますわ」
バーサはそこで、「でも……」と表情を曇らせた。
「今回は他の貴族の令息令嬢も同伴しておりますし、アリッサお嬢様は一番年下でございましょう? 大人しすぎて苛められるのではと、バーサは心配ですわ」
「大丈夫よ、バーサ」
憂い顔の乳母に、クラリスが笑顔で語りかけた。
「今回はクライヴくんにリアムくんと、アリッサと仲良しの二人も一緒なのだし、ノアもいてくれるじゃない。何も問題はないわ」
「そうですよ、お母さん」
バーサの隣に座るノアが言った。
「僕と、エミリーさんとセシリアさんも付き添うのですから、アリッサ様のお世話は我々に任せてください」
「まぁ、いつもながら頼もしいわね」
利発な瞳をキラキラ輝かせる少年を見て、クラリスは扇で口元を隠しながら軽やかに笑った。
アリッサの二歳上で彼女の従僕となったノア少年は、まだ七歳と幼いがその落ち着きと賢さは屋敷でも有名で、皆からはちびっこ家令と呼ばれている。父親の頭の良さと母親の面倒見の良さを受け継いだ、真正お兄ちゃんキャラだ。
「うん。私には、ノアお兄ちゃんとエミリーとセシリアがついてるから。お母様はお友達とスパを楽しんで」
有沙のこの発言に、クラリスはまた「まぁ」と楽し気に笑った。
「ありがとう、そうさせてもらうわね」
「バーサも心配しないで。私は大丈夫だよ」
有沙はそう言って、ここ数年ですっかり心配性になった乳母を見て笑った。大抵の大人は、彼女のこの笑顔で静かになる。
バーサも例外ではない。
「まぁ、そうですわね……」と、彼女はホッと肩を落とした。
ちなみに今回、六人乗りの馬車には四人が乗車し、エミリーとセシリアは別の馬車だった。しかしクラリスが一人で座席を占領しているわけではない。彼女の隣には、セルヴィッジ家の守り神であるソルフェレスがいた。妻と娘を案じるトマスが、ソルも連れて行けと言ったのだ。もちろんアリッサの傍には光の精霊であるルーチェもいる。
だがじつはこの馬車には、さらにもう一体、精霊が同乗していた。風の精霊獣、フェンリルである。
ゲームやファンタジー好きなら、一度や二度ならずその名を目にしたことがあるだろう有名な幻獣だ。ソル同様に今は普通の犬の姿になり、飼い主の足元で大人しくうずくまっている。
名前は「アルバ」。彼はノアの守護聖獣だった。
――話は四年前に遡る。
場所はラスキン邸。初めてアリッサが男爵夫人の屋敷を訪れた日のことだ。
「いったいどういうこと? あのミアって仔猫は火の精霊獣だよね? それがなんで、クライヴのペットになってるの?」
クライヴからミアと名付けた仔猫を見せられた有沙は、瞬時に猫の正体を見抜いた。驚いた彼女は事情を聞くために、男爵邸に火の精霊と闇の精霊を呼び出した。
驚きは小さな憤りを生み、有沙はつい問い詰める口調になった。
空気を読むのが得意なエドガーは、「申し訳ありません……」と顔を伏せた。が、火の精霊マーカスはいつもの自信満々な表情で、「さすが精霊王様!」と声を上げた。
「よくぞ、あの者が我の精霊獣とお気づきになられました! さよう、さよう。あれは間違いなく、我が火の精霊の仲間である、ケット・シーの子どもです!」
「さよう、さようって……。私が知りたいのは、何でそのケット・シーがここにいるの、ってことなんだけど」と、有沙は悪びれる様子もない火の精霊を呆れ顔で見た。
「それは、我が気を利かしたのです、精霊王様!」
「えっ」
「先日、例のジュリアンという子に、土の精霊をあてがわれたでしょう。その時にフレイヤが言っておったのです。精霊王様は攻略対象の子ども全員に守護精霊をつけるおつもりだ、と」
「それは……」
そこで有沙は自分の発言を思い出し、うっと下唇を噛んだ。
「確かにそんなことを、言ったかも、……しれない……」
「ですので我輩も、火の精霊獣を火属性と相性の良いクライヴに与えたのです。クライヴもケット・シーの子を気に入り、さっそく名を付けておりました。残念ながら攻略対象の中で火属性なのはクライヴのみですが、これであの者は火の精霊の加護を受けたことになり、今後は向かう所敵なしとなるでしょう!」
「あーーー……」
返す言葉を失くし、有沙は片手で額を覆った。
同じ部屋の中では、ルーチェにバトンタッチしたアリッサが、クライヴと一緒に仔猫と戯れている。楽しげなクライヴ少年の笑顔を見つめ、有沙は「ハァ」とため息をついた。
(まさか私が指示する前に、攻略対象に精霊を与えちゃうとか……)
前回の教訓からすこしは学んでくれたかと期待したが、反省したのはエレノアとエドガーだけで、他の精霊には伝わらなかったようだ。
「あげちゃったものは仕方ない……。だけど、マーカス。精霊の加護は与えすぎだよ。ミアには見守りだけしてもらって、クライヴ自身の魔力は上げないで」
「なぜです? 我の加護さえあれば、あの者はこの国随一の火魔法の使い手になれますぞ」
「だけど、クライヴはまだ二歳だよっ! そんな幼い子に強い魔力を与えたら、きっと悪い影響が出ると思う」
「うぅむ……」
マーカスは腕組みをし、「ですが、もう与えてしまいました」と答えた。
「えーーーっ、それって取り消しきかないの!?」
「……精霊王様」
それまで黙っていたエドガーが、ここでようやく口を開いた。
「一度与えてしまった加護を、我々が取り消すことはできません。ですので、精霊王様が作られた、例の魔力を抑える魔道具。あれをクライヴに着けてはいかがでしょう」
「どうやって着けるの?」
「あの者が今着けているピアスに魔力放出制限の魔法をかければ、外に魔力が漏れることはありません」
「そうか! さすがエドガー!」
「さらに、あの者が身に着ける装身具全てに魔法を付与し、ミアにもその魔法が使えるようにしておけば今後も安心です」
「えっ、ミアに魔法をあげるってこと? そんなことできるの?」
「精霊王様ならば可能です」
「え~……。精霊王ってできないことないのぉ?」
自分のことなのに完全に他人事の顔で、有沙は半信半疑ながら、愛らしい黒猫に自分と同じ魔法が使えるよう力を分け与えた。魔法の授与は成功し、新たな魔法を覚えたミアはさっそく、クライヴの装身具全てに、魔力隠蔽の魔法を施していった。
これでひとまず、クライヴについては安心できた。
それから有沙はついでにと、他の攻略対象たちにも相性が良い守護精霊を与えることにした。
土属性の王太子ジェイデンには、ジュリアンと同じく小人のザントマンを守護精霊にした。いきなり枕元に現れた精霊を彼はすんなり受け入れ、「エルマー」と名付けてすぐ仲良くなった。
水属性と相性が良いアドキンズ侯爵家のリアムには、アオイの使役獣を一匹用意した。ホシミの国で生まれたその精霊獣は、かの地ではミズチと呼ばれている。地上では雉に似た鳥の姿だが、水の中に入ると龍そっくりの姿になる。
リアムはこの“たまたま自宅の庭で拾った綺麗な羽の鳥”に「オリー」と名を付け、自分に懐いたその子を両親に頼んでペットにした。
ちなみにクライヴもリアムも、今回の旅行にそれぞれの守護聖獣を連れて来ている。ミアもオリーも自分が守護する主人の傍を片時も離れず、息子たちも手放さないため、親たちもペットの同伴を仕方なく許した。
ラビサーの攻略対象は、全部で八人いる。
フェアクロフ伯爵家の嫡男で、教会司祭となるレイモンドはアリッサの一歳下。
カルバート伯爵家次男のジェフは、アリッサの二歳下でエミリアの同級生となる。
最後の一人、キース・ベインズはアリッサの二歳上。彼は庶民の生まれながら類稀なる魔法の素質があり、魔塔所属の魔導士となるはずだが、今はまだ、地方の農村で苗字もないただの「キース」として暮らしている。
彼ら三人にも、有沙はそれぞれと相性の良い属性の守護精霊を付けた。
レイモンドには光の精霊ソルフェレスの仔猫を遣わし、森属性と相性が良いジェフには、ラタトスクというリスに似た精霊獣を与えた。
キースには、雷の精霊獣アンズー。
魔力が強い彼には変なごまかしはせず、ローガンが直接赴き、彼に守護聖獣として与えた。いきなり高位精霊から聖獣を与えられ、キースはとても驚いていたが、自分に特別な能力があることは気づいていたようで、戸惑いつつもそのプレゼントを有り難く受け取った。
アンズーは翼を持ったライオンに似た姿の精霊獣で、その体は巨牛のように大きく、見るからに獰猛な恐ろしい見た目をしている。咆哮を上げて雷雲を呼び、鋭い牙と爪は大地も切り裂く、精霊獣の中でも最強の力を誇る。
あえて、この恐ろしげな見た目の精霊獣をキースにあてがったのには、理由がある。小さな村で、魔力量が高く魔法が得意なキースはむしろ、村人から必要以上に警戒されており、体の弱い祖父母しか家族がいないこともあって、村で孤立していた。
故郷の村で苛めに近い扱いを受けた彼は、魔導士になって王都へ来てからも、他人と打ち解けない頑なな性格になった。ゲームの中では中盤から登場するという条件も相まって、攻略が最高難度のキャラでもある。
そんな彼の子ども時代に、有沙は、最高に頼りになる相棒を作ってあげたかった。それでローガンに頼み、見た目も強そうなアンズーを彼の守護聖獣に選んだ。
さすがに元々の姿では問題があるため、普段は小型の肉食獣、地球のヒョウに似た見た目に変えた。さらにローガンは村長の夢枕にも立ち、キースという青年に自分の加護と、特別に精霊獣を与えたと伝えた。精霊信仰の根強い土地ゆえに、キースは一晩で村の英雄扱いとなり、いずれ評判を聞いて王宮から迎えが来るだろう。
ジュリアンとは逆に、キースは王都へ来る時期を早めてしまったが、村で迫害され続けるよりはいいだろう、と有沙は判断した。
こうして去年までに、有沙は攻略対象全員に守護精霊を付ることができた。
だがその過程で、有沙にとってショックな出来事があった。
ヒロイン、エミリアの母であるケイラは、無事にエミリアの実父であるダレン・カルバートと結婚した。だが二年後、彼らの間に生まれたのは、エミリアとはまったく似ていない、赤毛の男児だった。
エリスと名付けられたその男児は、瞳の色こそエミリアと同じ緑色だが、性別も違えば魔法属性も違っていた。エミリアは光属性持ちだったが、エリスは火属性の持ち主だった。
(エミリアは、この世界に誕生しない……)
この事実に、有沙は激しく打ちのめされた。わずかな希望が消えて、アリッサもヒロインのエミリアもいないこの世界に対し、絶望さえ抱いた。
さらにある一つの可能性が芽生えて、その予感に彼女は震えた。
(もし、私という異物がこの世界に入り込んだことで、本来生まれるはずだったアリッサやエミリアがいない世界に変わってしまったとしたら……。いったい私は、何のためにここへ来たの……)
その予感はいまだ消えることなく、有沙の心の中に留まり続けた。
だがエミリアの代わりに生まれたエリスには、何の罪もない。
だから有沙は念のため、エリスがいるカルバート家も精霊に守らせることにした。ただ守護精霊を付けることまではしなかった。
エミリアであれば迷わず光の精霊を守護に付けたが、エリスにはそこまでする気になれなかった。
そしてその判断は、今回の場合間違っていなかった。
第四十四話につづく
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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