第四十二話
「一人二役の精霊王さま」第四十二話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
夏の一の月。
アリッサは午睡の後で、ラスキン家へ向かう馬車の中にいた。
夏らしく明るいレモンイエローのドレスを着て、ラスキン男爵夫人から贈られたチャイルドシートに座ったアリッサ(有沙IN)は、隣に腰掛けるクラリスを見て、次に向かいに座る二人を見た。
一人は長年クラリスに仕えているベテラン侍女で、ニーナという名前だ。夫はアディソン子爵で、彼女もれっきとした貴族だ。すでに二人の子を持つ母親で、奉公に出る義務も理由もないのだが、クラリスを慕うがゆえにいまだ侍女を務めている。
もう一人は、同じく侍女としてアリッサに付き添うセシリアだった。いつもは騎士の制服を着ている彼女も、今日は髪を結い、侍女らしいシンプルなドレス姿である。しきりに足元を気にしているのは、裾の長いドレスに体が慣れていないせいだろう。
現在アリッサには、エイミーにセシリアという二人の護衛騎士がいるが、侍女はいない。それでクラリスとバーサが話し合い、護衛騎士の二人に、日替わりで侍女を務めてもらうことにしたのだ。
セシリアもエイミーも淑女教育を受けた子爵家の令嬢であるため、侍女になる資格は充分ある。日替わりなので、昨日はエイミーが侍女を務めドレスを着た。そのエイミーは、今日は騎士の服を着て馬に乗り、この馬車と並走している。
騎士としての訓練は積んでいても、侍女の経験は皆無のセシリアは、先輩侍女にあれこれ質問してはメモを取っていた。
「お屋敷に到着したら、奥様とお嬢様はあちらの案内でゲストルームへ向かいます。私たちは馬車から下りてお見送り、その場で待機です」
二十年近くクラリスに仕えているニーナは、新人侍女に丁寧に説明していた。
「滞在時間が短い場合は馬車の中で待つこともありますが、大抵は侍女用の待合室に通されます。奥様とお嬢様はサロンでお茶会をされ、そのすぐ隣に侍女が待機する部屋もあります。今日もおそらく、私たちはそちらへ通されるでしょう」
「えっと、そういう部屋に案内してもらえなかった場合は、やっぱり馬車の中で待つんですか?」
「そうですね。そのために私はいつも、刺繍道具や小さな本など、時間が潰せるものを用意しています」
「えっ……、私、何も持ってきていません……」
「なら、私のお勧めの本を貸してあげるわ。ただね、今日は私たちだけだけど、大勢の夫人が集まる時は侍女同士の交流を優先しなさいね。情報収集は侍女に必須の仕事ですよ」
「あっ、なるほど……。勉強になります!」
真面目なセシリアは、そんなアドバイスまで「情報収集……必須……」と声に出してメモに取っている。
「護衛のエイミーはどうするんでしょう」
「エイミーさんは、サロンの入り口で待機ね。それを考えると、やっぱり騎士は体力勝負ね。ずーっと立っていないといけないんだから」
「そうですね……」
「あら」
それまで二人の会話を黙って聞いていたクラリスが、いきなり声を上げた。
「そんなことないわよ。大抵の訪問先では、騎士の方たち用に別テーブルが用意されて、ちゃんとお茶やお茶請けも出されるのよ?」
「えっ、そうなんですか!?」
侍女二人の声が重なり、新米騎士のセシリアは、「そうだったんだ……知らなかった……」と呟いた。何しろ赤子のアリッサの護衛だから、彼女もこれまで騎士として外出したのは先日のアニバーサリー・パーティーが初めてだった。騎士の実情を知らなくても無理はない。
だがベテラン侍女であるニーナも、「ラッセルさんったら、そんなことは今まで一度も言わなかったわ……」とくやしそうに窓の外を見た。
そこには、エミリーの反対側で馬車と並走する護衛兵士長の姿があった。ラッセルはセルヴィッジ家の警備責任者であると同時に、クラリスの護衛を任されており、彼女の外出にはこうして付き添っている。
「じつは私たち侍女よりも、いい物を飲み食いしてたんじゃないの……」
ニーナの恨みがましい視線を感じたのか、ラッセルはビクリと肩を揺らし、不審そうな顔つきでこちらを見た。
「とりあえず、今日のお茶会は私とアリッサだけ招待されたようだから、あなたもあまり緊張しなくていいのよ、セシリア」
優しい侯爵夫人はそう言って新米侍女を励まし、チャイルドシートの上でじっと無言の愛娘を見た。
「アリッサ。今日はずいぶんと静かね。もしかしてどこか具合が悪いの?」
母親の気づかわしげな視線を受け、アリッサ、もとい有沙は、慌てて「あうー、まぁまー」と両手を上げて「元気ですよ」アピールをした。
精神年齢女子高生の有沙としては、この幼児パフォーマンスはかなり気恥ずかしいものだったが、最近ではかなり慣れてきた。
天下の精霊王が、なぜこのような涙ぐましい努力をしているかと言うと、それはもちろん、アリッサのためだった。
この一年、アリッサの中にはほとんどルーチェが入っていたのだが、光の精霊の影響で、アリッサの肉体に徐々に変化が起き始めた。
本来のアリッサは赤い瞳に黒に近い紫の髪色だったが、その目の色が赤から金に、濃い紫の髪色が明るいピンクに染まってきたのだ。
それにいち早く気づいたのは、乳母を務めるバーサである。
「あら、アリッサ様。最近髪色が明るくなってきましたね」
その彼女の指摘に、有沙たち精霊も慌ててアリッサの容姿を詳細にチェックした。
「これは……、間違いなく、光の精霊の影響ですわ。このままずっとルーチェが中にいると、アリッサ様は金髪金眼になってしまうかもしれません」
エレノアの指摘で、有沙は慌ててルーチェとバトンタッチし、ふたたびアリッサの髪色と瞳を元に戻した。
人間の場合、持って生まれた髪や瞳の色はそう大きく変化しない。成長とともに金髪が茶髪に、茶色かった瞳が黒になったりのわずかな変化はあるが、黒い髪や赤い瞳が金色に変わることはない。だが精霊の影響を受けた人間には、大きな変化が起こりうる。今のアリッサがそうだった。ルーチェ自身には、その変化を止める力はない。
精霊王の場合はその意志が肉体に影響を与えるため、とりあえずアリッサが成長期を終えるまでは、有沙が中に入っておくのが良いだろう、と精霊たちと話し合って決めた。ただ不測の事態に備えて、ルーチェには常に傍についていてもらっている。今日も可愛らしい光の精霊は、赤ん坊のアリッサの隣に付き添っていた。
キラキラと陽の気を振り撒くアリッサは、屋敷の中でも外でも愛された。誰もが彼女を見ると笑顔になり、優しい表情と声で語りかけてきた。
学校ではいてもいなくても良い空気のような扱いで、自宅療養中はお手伝いさんと必要最低限の会話しかなく、病室では大抵一人。
そんな前世を経験した有沙だが今は、精霊たちに囲まれ寂しさを感じる暇もなく、侯爵令嬢の二足の草鞋を履きだしてからは大勢の人間に構われと、孤独とは無縁の生活を送っている。
だからこそ、今の有沙は他人の孤独に敏感だった。
ジュリアンに土の精を遣わしたのも、家族と離れた彼が孤独に陥らないようにとの配慮からだ。
この気遣いは功を奏し、セルヴィッジ家へ来てひと月になるが、今のところジュリアンはとても元気にしている。屋敷の者たちともすぐに馴染み、特にバートたち家族とはまるで親戚のように仲良くしているらしい。
また、彼がヴィットと名付けた土の精ともいい友だちになれたようで、毎日一緒に勉強やお喋りをしているそうだ。名をもらったことで、ヴィットはジュリアンの守護精霊となった。この契約は精霊王でも破棄できない強固なもので、これから一生、ヴィットはジュリアンの味方であり続ける。
ちなみにセルヴィッジ家にいる他の精霊、ルーチェやソルは命名の契約を結んでいないため、有沙やエレノアの従属下にある。本来はそれが正しい精霊の在り方だが、一人くらい絶対的な自分の味方がいてもいいじゃないか、と有沙は思っている。
(いっそのこと攻略対象全員に、適性属性の精霊を一人、友だちとして護衛につけるっていうのもアリかも……)
ちなみに今日会うクライヴは、火属性との相性が良い。
(でも火属性の精霊で、友だちになってくれそうな子っていたっけ……。フェニックスは目立つし力が強すぎるし、イフリートは大きすぎて怖がらせそうだし……)
急に思いついたアイデアに、有沙が一人うんうん唸っている間に、侯爵家の馬車はラスキン邸に到着した。
***
侯爵家の馬車が玄関前に着くと、そこにはすでに、イザベルとクライヴが迎えに出ていた。
「クラリス様。本日はようこそおいでくださいました」
イザベルは美しいカテーシーで敬意を示し、恭しくクラリスの手を取った。以前の彼女なら考えられない態度だ。
クラリスはその礼を笑顔で受け取り、すぐに彼女を立たせると、両手でイザベルの手を包むように握手した。
「こちらこそ、お招きありがとう。今日はとても楽しみにしておりましたのよ」
クラリスは男爵夫人の令息にも顔を向け、「こんにちは、クライヴ」と挨拶した。
クライヴは「いらっしゃいませ!」と元気に挨拶を返すと、セシリアの腕に抱かれたアリッサを見て、「アリッサもよく来たな!」と言った。
「クライヴ! 口のきき方には気をつけなさいとあれほど……!」
「あら、よろしいのよ、イザベル様」
クラリスは「子どもらしく、元気がよろしくて結構だわ」とニコニコ笑った。
「母上! アリッサにミアを見せてあげて良いですか!」
「えっ……」
「あら」
キラキラと目を輝かせるクライヴを見て、二人の母親は互いの侍女に視線を送った。
一番ベテランのニーナが、「わたくしとセシリアがお供いたします」と言うと、クライヴの従僕である少年も、「ぼ、僕も、おそばについております」と声を上げた。
「……そうね」
どうせ元気な息子はお茶の席でじっとしていないだろう、と考えたイザベルは、「ではよろしく頼むわね。特にアリッサ様がお怪我などなさらないよう、しっかり見ていてさしあげて」と、ニーナの方を見て言った。
ニーナは優雅にお辞儀し、「かしこまりました」と言った。
子爵家と男爵家では子爵家の方が位は高い。普通の男爵夫人と子爵夫人という関係ならば、イザベルの方がニーナにかしずくべきだった。
しかしイザベルは王の公妾で、クライヴは王位継承権を持つ王の実子だ。さらに実家は裕福な伯爵家であり、彼女自身は爵位を持たないため、特別に王室から男爵位を賜った。それらの理由が加味され、イザベルは肩書以上の権力を持っている。実質、高位貴族のクラリスと変わらない立場だ。
他国なら側妃という立場もあり得たが、ウィスタリアでは王の妃は一人しかいない。昔、正妃と側妃の間で互いの家門も巻き込んだ、血で血を洗う大抗争が起きたせいで、この国での側妃の位は廃止された。代わりに王は、公妾という立場の女性を三人まで持てる。
現代日本の価値観を持つ有沙からすれば、それもじゅうぶん火種になりうるのでは、と思っている。
事実、イザベルも以前は自分たち親子への待遇に不満を抱え、息子を王にするという野望を抱いていた。
だが今の彼女は憑き物が落ちたようにおとなしくなった。息子の死の危機に直面したことで、「王にならずとも、元気に幸せに生きてくれたらいい」と考えを改めたらしい。
その代わり、セルヴィッジ家に心酔している今は、息子とアリッサの婚約を次の目標に据えたそうだ。セルヴィッジ家は現王室が興って以来の古い家門で、名実ともに国トップの名門だ。権力欲の強いイザベルとしては、これ以上ない縁談である。
これは全てエドガーから聞いた話だが、ゲームでは犬猿の仲だったアリッサとクライヴが婚約だなんて、あまりに自分が知っている世界観と違いすぎて、有沙は思わず頭を抱えた。
さらにゲーム同様、こちらの世界でも王太子ジェイデンとの婚約の可能性もあり、そうすると今度は、アリッサを巡って王室とラスキン家が敵対することになり、これは有沙としては非常に悩ましい問題だった。
だが悩んだところでしかたがない。
(まぁ、なるようにしかならないよね……)
百歳越えの余裕か、有沙はそう結論づけた。
***
「僕の部屋はこっちだよ、アリッサ!」
サロンへ向かう母親二人と玄関ホールで分かれ、クライヴはさっそく、アリッサを抱くセシリアの手を掴んで言った。
「僕の部屋は三階にあるんだ! 階段をたくさん上がらないといけないけど、足腰が鍛えられるからその方がいいんだよ?」
まるでアリッサ自身と手をつないでいるかのように、クライヴはセシリアの手を引いて、二歳児とは思えないスピードで階段を上がっていった。
「ちょっ、クライヴ様、もう少しゆっくりでお願いします……!」
普段騎士として鍛錬しているセシリアは、さすがの筋力で片腕にアリッサを抱きながらクライヴの後をついていったが、慣れないヒールとドレスのせいで歩きづらそうなのは間違いなかった。見かねて有沙は、彼女にスピードアップの魔法を軽くかけてやった。
そんな二人の後を従僕が慌てて追いかけ、一番走ることに慣れないニーナが、そのかなり後ろを死にそうな顔で追う。
ラスキン邸はさすがに広かったが、幸いクライヴの自室は三階に上がってすぐの場所にあった。
魔法に助けられて息も切らさず部屋に到着したセシリアは、「ここがクライヴ様のお部屋ですか?」と観音開きの大きな扉を見た。
「うん。ミアが乳離れしたから、今は僕の部屋で一緒に寝起きしてるんだ」
クライヴは従僕に命じて扉を開かせ、またセシリアの手を引いて部屋の中に入った。
クライヴの自室は、ちょうどアリッサの部屋と同じくらいの広さ、間取りだった。大きなベッドにチェスト、書き物机に書棚、そして木馬や人形など、子ども用の遊具が部屋の一角を占めている。
「ミア! ミア、どこだい!」
クライヴが声を張り上げ呼ぶ。
するとベッドの陰から「ミァ~……」と小さな鳴き声がして、両掌サイズの黒猫が姿を現した。
「ミア! こんなところにいた!」
クライヴは慣れた手つきで仔猫を抱き上げると、「見て、この子がミアだよ!」と、セシリアとアリッサに向けてみせた。
「わぁ……すっごく可愛いですね~……」
動物好きのセシリアは、目を輝かせて小さな仔猫を見つめた。ビロードのように輝く黒い毛並みに、瞳はガーネットのように赤い。首には赤いリボンをつけ、猫はまた「ミァ」と可愛い声で鳴いた。
ようやく追いついたニーナはフゥフゥ息を切らして、従僕の勧めてくれた椅子に座り休憩していた。とても猫を鑑賞するどころではない。従僕の少年も扇いだり水を注いでやったりと、かいがいしくニーナの世話を焼いていた。
「ねっ、アリッサに似てるでしょ!」
「本当に、綺麗な毛並みをしていますねぇ。それに、赤い目の猫って初めて見ました」
クライヴとセシリアは仔猫を間に盛り上がり、ゆえに誰もアリッサの表情に気づかなかった。
セシリアに抱っこされながら、もちろん有沙もミアを至近距離で見た。そして精霊王の彼女は、すぐにミアが普通の猫でないことに気づいた。
大声で叫びだしそうになる自分を堪え、有沙は心の声で部下を呼んだ。
「マーカス! エドガー! 説明してーーーっ!」
第四十三話につづく
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