第四十話
「一人二役の精霊王さま」第四十話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
「次にお越しは、ロビン・モーラン士爵様。そしてモーラン士爵様の教え子であるジュリアン様と、ジュリアン様のお父君です」
「おお」
「まぁ」
案内係の言葉に、セルヴィッジ侯爵夫妻は喜色満面立ち上がった。
三人がテーブルの前まで来る前に、先にトマスが歩み寄る。
「ようこそ、モーラン士爵。そしてはじめまして、ジュリアンくんとお父さん。私はトマス・セルヴィッジです」
「えっ!」
「うひゃ!」
いきなり高位貴族から握手を求められ、ジュリアンも父親も仰天して固まった。トマスはまず父親の手を両手で固く握り、ジュリアン少年の小さな手とも優しく握手を交わした。
「会えてうれしいよ、ジュリアンくん。長く待たせてしまってすまないね。もう料理は食べたかな? 君のお父さんが捕る魚ほどではないだろうけれど、ここの魚料理もなかなかの味なんだよ?」
「えっ……、あっ、はい、あの……きょ、恐縮です……」
緊張のあまり顔を青くしたり赤くしたりと忙しいジュリアンを見て、クラリスはフフッと柔らかく笑った。
「はじめまして、ジュリアンくん。トマスの妻のクラリスです。お会いできて嬉しいわ。この子は私たちの娘のアリッサです。この子ともご挨拶をしてくださる?」
侯爵夫人はそう言って、少年の目線に合わせて腰を落とした。
クラリスの腕に抱かれたアリッサ(=有沙)は、目の前のジュリアン少年をその紅い瞳でじっと見つめた。
まだ八歳の彼は、自分が知っている歴史教師とは髪と瞳の色こそ同じだったが、そのあどけない顔つきも引っ込み思案な態度も、まるで違う人間に見えた。有沙が知っている大人のジュリアンは、ぶっきらぼうで近寄り難く、勉強に熱心でないアリッサにはかなり冷たかった。ただ真面目なエミリアには比較的優しく、彼の助手を務めるイベントまで漕ぎつけたら、その後の攻略は難しくない。
「あう」
(……久しぶり、ジュリアン先生)
有沙はあえて、自分から手を差し出した。
「あら」
「なんと」
アリッサの思いがけない行動に、ジュリアンだけでなく侯爵夫妻も驚いた。
「あ……」
差し出された小さな手に、ジュリアンは恐る恐る触れた。子どもの自分の手よりさらに小さく、すこし力をこめれば壊れてしまいそうな幼女の手は、けれどどんな光より強い光を放ち、触れた箇所から見えない力が流れ込むのを感じた。
(……不安がらないで。大丈夫だよ……)
「えっ?」
突然、女性の声が頭の中で響いた。目の前の侯爵夫人の声ではない。初めて聞くその声は、優しく柔らかな響きをともなってジュリアンに語りかけてきた。
(安心して。彼らはあなたの味方だよ……)
「え……」
驚きに目を見開くジュリアンの顔を、有沙はじっと見つめた。そして慈しみの心を込めて、彼に微笑みかけた。
「まぁ。アリッサはジュリアンくんのことが好きなのね。この子が自分から触れようとしたのは、家人以外ではあなたが初めてよ」
「えっ、そ、そうなんですか……?」
侯爵夫人の言葉に、ジュリアンは驚きつつも嬉しそうに顔を赤らめた。そして自分の手をしっかり掴む幼女の顔を、すこし照れながら見つめた。
侯爵夫妻がわざわざ席を立って挨拶したことで、周囲の視線も自然と見慣れぬ父子に向けられた。
トマスはすでに顔見知りのロビンに向かい、「今日は彼らを連れて来てくれてありがとう」と礼を言った。
「いいえ。このような機会をいただけて、私こそとても感謝しております」
これから何が起きるのか承知しているロビンは、明るい笑顔で自分の横に立つジュリアン少年を見つめた。
皆の視線が集まったタイミングで、トマスは広い会場全体に響く力強い声で、「皆も聞いてほしい」と言った。
「現在、国の中枢である王宮は混乱を極めている。大勢の貴族や役人が不正に手を染めていることが発覚し、連日弾劾裁判が行われている上、深刻な人手不足も起きている」
ざわめいていた大広間で、トマスの男らしい深みのある声は、その場にいた者全てを沈黙させる力があった。
「だがこれは、このウィスタリアがより良い国へ至るための、必要な道程でもある。人の体と同じだ。患部の膿を出し、消毒し、薬を塗り、回復を待つ。現在のウィスタリアは、膿を出して消毒している最中だ」
この会場に来ている貴族や平民は、皆セルヴィッジ家と志を同じくする良識派で、愛国心に満ち、この国を良くしたいという思いは同じだった。
だからこそ、誰もが真剣にトマスの言葉に耳を傾けた。
「間違いなく、これからこの国はもっと良くなる。だが国をより良くするためには、優秀な人材の登用と育成が急務となる。私はこのたび、娘アリッサの名を冠した奨学金制度を作った。王国民である子どもの中から、身分問わず才覚ある者を見つけ、しかるべき教育を受けさせるための制度だ」
そこでセルヴィッジ家の家紋を組み込んだ、奨学金制度の象徴となるデザイン画が披露され、皆がそのシンボルマークを見た。二頭の馬が向き合い、中心の見開かれた本の中に『アリッサ奨学会』と書いてある。
「奨学金対象の少年少女は六歳から十二歳で、給付対象に選ばれた子どもは卒業するまでの学費と生活費の一切を、セルヴィッジ家が責任持って面倒見ることを約束する。卒業後は、王都のしかるべき機関で働いてもらう。王都内であれば、就職先は王宮でも教会でも、魔塔でも学校でもかまわない。その才が一番活かされる場所であることが大事だ。奨学生は毎年十名ほど選ぶ予定だが、基準に達していなければ十人未満の年もあるし、才能豊かな人材が多く見つかった年は、十人を越える年もあるだろう」
皆が無言でトマスの話を聞き、広い会場では彼一人の声が響いていた。
「さっそく今年から、奨学生を選出し制度の運用を始める。私はこの取り組みが、国を発展させる一助になると信じている」
トマスはそう締め括ると、隣に立つ少年の肩に手を置いた。
「そして今ここにいるジュリアン少年も、アリッサ奨学会の対象者だ」
ここで大きなどよめきが起こった。名前を呼ばれたジュリアン自身も、信じられない、という顔をした。
「彼は今年八歳になる。王都近くの小島出身で、実家は漁業を営んでいる。島に学校はなく、独学で読み書きを覚えた。彼に勉強を教えたモーラン士爵の話によると、ジュリアンくんは勉強を始めて一年でウィスタリア語の読み書きをマスターし、今は古語にもかなり詳しいそうだ。歴史に興味があるらしく、ウィスタリア語に翻訳された有名な歴史書はほぼ読み尽くし、五大歴史書に至っては内容をほぼ暗記しているという」
「五大歴史書を、全部!?」
「まさか……あんな幼い少年が!」
トマスの紹介に、会場にいた貴族たちから驚きの声が上がった。
オスティアの歴史を記した書物の中で、五大歴史書と呼ばれる有名なタイトルが五つあるが、どれも何十巻もある大作で、大人どころか学校教師ですら、その内容を全て把握している者はいない。それを十にも満たない年の少年が暗記していると聞けば、誰だって驚くだろう。
「私はモーラン士爵の話を聞いて、裏づけ調査も行った。そして士爵の話が誇張でなく真実だと確信した。それで今回、記念すべき第一回、第一号の奨学生として表彰したいと思い、彼とお父上にわざわざ王都まで出向いていただいたのだ」
皆への説明を終え、トマスは、今度はジュリアン少年に向き合った。
「ジュリアンくん。ろくな説明もせずにいきなり呼びつけ、驚かせたことをお詫びする。だが、君は我がアリッサ奨学会の支援を受けるにふさわしい人材だ。ぜひ、奨学生一号になってほしい」
「え、あ、……」
侯爵の口から奨学金の話が出たとき、ジュリアンは、もしかしてという予感があった。だがそれでも、こんな夢のような話はありえない、という思いがあった。
「奨学会に入ることが決まったら、君には王都の学校へ通ってもらう。生徒のほとんどが貴族の子女ゆえに、とまどうことも多いだろう。だから新学期が始まる秋までは、我がセルヴィッジ家にて生活面でのマナーやルールを学んでもらう。十二歳までは中等部に在学するため、自宅から通う必要がある。君が我が家に逗留中に、奨学生専用の宿舎を建てる予定だ。十三歳からは高等部に進学し、寮生活になる。もちろん、学校を卒業するまでの学費と生活費の面倒はうちが見るし、学用品など必要な品も用意する。奨学金は返済の必要はない。君は今日からでも、その身一つで来てくれたらいい」
「…………」
侯爵の話にあいまいな点はなく、簡潔明瞭だった。だがそれでも、ジュリアンはその言葉の半分も理解できなかった。
「貴族の私からの要請だが、もちろん、君には断る権利もある。急な話で驚いただろうし、考える時間もあげよう。だが秋の一の月には新学期が始まる。夏を準備期間と考えれば、なるべく早く決めてもらいたい。一年遅れての入学は君にとっても時間のロスにしかならないだろう」
「ええと……、僕……」
(どうしよう……。どうしたらいいんだろう……)
近くにいる有沙にも、ジュリアン少年の戸惑いと焦燥が伝わった。思いがけない幸運がもたらされたことへの驚きと、学校に通えるかもしれない、という期待。勉強できる、という喜び。
だがそれ以上に少年の心を占めていたのは、慣れ親しんだ故郷を離れ、見知らぬ環境に飛び込むことへの不安と恐怖だった。
(どうしよう……、すごく、嘘みたいにいいお話だけど……。まさか僕に、こんな幸運が巡ってくるなんて……。でも、本当にいいのかな……。侯爵家の支援を受けて学校に通って、そこでいい成績が残せなかったら、きっと侯爵様をがっかりさせてしまうし……。貴族に恥をかかせたって、罰せられてしまうんじゃ……)
あまりに大きなジュリアンの心の声は、読心術が苦手な有沙の耳にもダイレクトに届いた。
(どうしよう……断るなら今しかない……。僕には無理ですって、今ここではっきり言わないと……)
(えええ~っ!?)
思いがけないジュリアンの心の声に、有沙は慌てた。ここで彼に断られたら、今日までの下準備がすべて無駄になる。
「あ、僕……」
(ちょっ、ジュリアン、待って……!)
少年が断りの言葉を言うべく口を開きかけ、慌てた有沙が、思わずアリッサの姿で右手を前に伸ばした、次の瞬間。
「侯爵様っ!」
突然、ジュリアンの父親がその場で跪き、トマスに向かって土下座姿勢で頭を下げた。
「ありがとうございますっ、侯爵様……!」
海の男は、もともと声量が半端ない。晴れた日でも荒れた日でも、仲間同士声を掛け合って仕事しているため、声の大きさは漁師にとって必須の条件だ。そんな彼の声は広い会場でも大きく響き、ジュリアンと有沙のみならず、その場にいた全員を硬直させるだけの威力があった。
「むっ、息子のジュリアンはっ、俺……いやっ、わたしのようなボンクラから生まれたなんてぇ信じられないほど、頭の良い子どもです。し、しかし、貧しい漁師のわたしには、そんな出来のいい息子を、本土の学校に通わせてやるほどの甲斐性はぁ、ありません」
なまりの強い嗚咽混じりの独白だったが、父親の声は会場の端にいる者にも十分届いた。
「そ、そこにいらっしゃる、ロビン先生がぁ、息子に読み書きを教え、本もたくさん与えてくださいましたがぁ、ロビン先生がぁ本土に戻ってからは、むすっ、息子もすっかり、勉強をあきらめてしまって……。本当は、勉強したいはずなのに、い、家の手伝いばっかり押しつけしまってぇ、俺はっ、自分はなんて、なんて不甲斐ない父親なんだと……、そう思ってぇいました……」
会場は静まり返り、皆が彼の話を神妙な顔で聞いていた。ジュリアンも茫然と、目の前の父親の丸まった背中と日に焼けたつむじを見つめていた。
「ロビン先生から、て、手紙をいただいて、これは、息子にとってチャンスだと思いました。じつは以前、ロビン先生に聞いてぇ、セルヴィッジ侯爵様という、素晴らしい貴族様が王都にいらしゃることはぁ、知っていました。なので、その侯爵様のお嬢様の誕生日会ならぁ、きっと息子にとって良いご縁がいただけるだろうと、そう期待してぇ、こ、ここまで来ました。それがぁ……、まさか……」
父親は大粒の涙を流しながら、侯爵に向け両手をこすり合わせた。
「まさか、うちの息子を、奨学生にしていただけて、王都の学校に通わせていただけるなんてぇ……。まさか、ここまで良いお話をいただけるなんてぇ、俺も息子も、ぜ、ぜんぜんっ、想像すらしていなくて……っ」
父親は膝を擦るように這ってトマスの近くまで行くと、その手を両手でしっかり掴み、言った。
「本当にぃ、本当にぃ、ありがとうございますぅ……。こ、侯爵様は、わたしら親子の、救世主ですぅ……。ああり、あり、がとうございます……。この御恩は、一生、一生忘れません……!」
「お父さん……」
隠された父親の思いを聞いて、ジュリアンは跪く彼に駆け寄り、その腕に手をかけた。
「お父さん、そんな風に思っていたの……。僕のことをそんな風に、思ってくれていたの……?」
「ジュリアン……。ごめんなぁ、不甲斐ない父親で……。賢いお前にろくに勉強もさせてやれず……、ごめんなぁ……」
「お父さん……」
思いがけず美しい父子愛の場面を目撃し、その場にいた貴族たちも皆が感傷的な気持ちになっていた。婦人方にはハンカチを取り出し涙を拭う者もおり、有沙はというと、上げた右手をそのままに固まっていた。
「……お父上殿」
トマスは自分も片膝を突き、ジュリアンの父親の手を自らも握り返した。
「子を思う気持ちは、貴族も平民も同じ。あなたも立派にジュリアンくんの父親だ。だが平民では難しいこともある。その手助けをするのが、我ら貴族の役目。あなたはなんら引け目を感じることなどない。どうか安心して息子さんを任せて欲しい」
「こっ、侯爵様っ……!」
あとはもう言葉にならず、父親はその場で泣き崩れた。
そしてジュリアンが、アリッサ奨学会の名誉ある第一回第一号の生徒になることが決まった。
また意図せぬ感動的なパフォーマンスを披露できたことで、その後、貴族たちの間で独自の平民救済制度を設けることが流行し、徐々に慣習化しウィスタリア貴族のしきたりとなったことは、この国にとって大きな転機でもあった。
***
アリッサ奨学会の発表から一時間。
今回のパーティーの主役であるアリッサは、お昼寝の時間ということで今は控え室に引っ込んだ。
自然と皆の関心は、二番目の主役であるジュリアンへと集中した。
アリッサ役をルーチェとバトンタッチし、有沙は霊体となって会場に残ったが、こちらも心配することはなく、ロビンがしっかり父子をサポートしてくれていた。
「はーあ……」
新鮮な空気を求め、有沙は真珠宮の外で一息ついた。人の体を持たない空気は関係ないと思われるだろうが、新鮮な空気や水、陽光等の影響は精霊にもある。むしろ人間より敏感に、彼らはこれら自然の清浄さに癒やされている。
「とりあえず、ジュリアンが無事に教師になれそうで安心した……」
誰にともなく、有沙はそう呟いた。
話は二か月前に戻る。
王都の主要な貴族の屋敷に、精霊王の結界を張ったその日。
有沙はラビサーの攻略対象の一人である、ジュリアン・シーウェルについて思い出した。
ラビサーでは学園の歴史教師をしていたジュリアンは、元は平民の出で、出身は地方の小さな島だと聞いた。エマに頼んで彼の現在の居所を聞き、有沙は自ら彼の家に赴き、そこにも結界を張った。
そこで思いがけない事実が判明する。
村が興って以来の神童と名高いジュリアン少年だったが、村に学校はなく、ジュリアンの親には、息子を王都の学校に通わせられるような余裕はなかった。
だが島に派遣されていたある役人が彼の秀でた才を知り、自身の閑な時間を使っては勉強を教えてくれていた。その男性のおかげで、ジュリアンは五歳で読み書きを覚え、村にあった書物は全て読破し、特に歴史書に関しては完全に暗記していた。この恩人男性が、先にも登場したロビン・モーラン士爵である。
ロビンはジュリアンの聡明さ勤勉さを見込み、いずれ王都の学校へ入学できるよう便宜を図るつもりでいた。
ところが、そんな彼に急な異動命令が出た。王宮の政治中枢部で汚職役人が次々と摘発される事件が起こり、人手不足に陥った省庁が慌てて地方の役人を呼び戻したのだ。島を離れた彼は日々の仕事に忙殺されて、ジュリアン少年のことを思い出す時間もなかった。
じつはこの汚職摘発事件も、精霊王の命で働いた精霊たちの仕業なのだが、王宮内の不正が正されたことにより、思いがけずジュリアン少年の運命を狂わせてしまった。
今回この事実を知った有沙は、かなり焦った。
ジュリアンが平民の出であること、ある恩人のおかげで王都の学校に入ることができ、そこでナブ卿というあだ名で読書家として有名なシーウェル准男爵の養子となり、それから魔導学園の歴史教師の職に就いたことは知っている。スピンオフアニメで見た。
そしておそらく自分が何もしなければ、この世界のジュリアンもアニメで見た通りの人生を歩んでいたはずだ。
だが最初のキーパーソンである恩人のロビンがいなくなってしまったことで、ジュリアンのその後の人生も大きく変わってしまった。このまま行けばジュリアンは、ずっと島暮らしを続け親の跡を継いで漁師になってしまう。そう思った。
それはまずい。大変よろしくない。
焦った有沙は、信頼できる参謀にこの件について相談した。
精霊王のこの相談に、素晴らしいアイデアを提供してくれたのは、エマだった。
いっそセルヴィッジ家が彼の後ろ盾になってはどうか、と彼女は言った。そのためにトマスには奨学金制度を作ってもらい、その制度の恩恵をジュリアンにも受けさせる。
有沙はこの案に乗った。
ここでエレノアにも協力してもらい、トマスに新たな神託が下された。国内の子どもたちが、身分問わず希望の職に就けるような制度を設けよ、と。
この女神の新たな命令により、トマスが思いついたのがアリッサ奨学会だった。もともと彼も、もっと中央に優秀な人材が欲しいと考えていたため、この答えに行きつくのに時間はかからなかった。
仕事の早いトマスはすぐに制度の骨子を作り、発表の場をアリッサのアニバーサリー・パーティーに決めた。
次に対象となる子どもを探しはじめたところ、ロビンからジュリアンの話を聞くことができた。もちろんこれは陰で働いたエドガーやエマの助力あってのことだが、とにかくこれで準備は整った。
そして、現在に至る。
「精霊王様」
いつの間にか現れた風の精霊が、王宮の庭園でまどろむ有沙に声をかける。
「ジュリアンのこと、うまく運んだようで安心いたしました」
「うん」
やはり自分が発案者のため、エマも今回の件は気になっていたようだ。
「ジュリアンはいったん自宅に戻り、一週間後にまた王都に来るそうです」
「そっかー。これからしばらく、ジュリアンもセルヴィッジ家で過ごすんだよね。なんか不思議な感じー」
「今回は、攻略対象三名とお会いになったんですよね」
すでにラビサーのキャラデータがしっかり頭に入っているエマは、「残りは、まだ生まれていないジェフ・カルバートにレイモンド・フェアクロフ。この二名が加われば、攻略対象が全員揃うことになりますね」と言った。
「うん。まぁ、彼らと会うのは学園に入ってからだろうけど」
整えられた芝の上に寝転び、有沙は西に傾き始めた頭上の太陽を見上げた。
面白いことに、ここオスティアでも太陽は東から昇り西に沈む。それ以外にも地球との共通点は多く、もしかするとオスティアと地球を作った神は同じかもしれない、と思った。
「とりあえず、ジュリアンが王都に来られるようになってホッとしたよ。ラビサーのジュリアン先生は歴史に命を懸けてたから、きっとリアルのジュリアンも歴史が大好きなはずだし」
「本当に、精霊王様はお優しいですね」
めずらしく寛いだ表情で、エマが言った。
だが有沙は、「ううん」とその言葉を否定した。
「私はめちゃくちゃ利己的だよ。ただ、自分の好きなキャラを守りたいだけ。アリッサのことは守れなかったから、せめて他のキャラたちには幸せになってほしいだけ」
今もアリッサのことを思うと胸が痛む。ヒロインのエミリアも生まれてくるかすら不明だ。クラリスの命を守った結果だが、自分が関わったことで、この世界のシナリオから大きく外れてしまったという思いは消えない。
だがそれでも自分は、その時その時、自分が正しいと思う道を選ぶしかない。
神に等しい力を得ながらも、今の有沙は人間だった頃より手探りで生きていた。
日比原有沙だった頃は、与えられた生をただ必死に生きていた。来るかどうかも分からない明日のことなど考えなかった。今は、永遠に続く明日のことなど考えたくない、と思っている。だが精霊王ゆえに、考えざるを得ない。
それが今の有沙には、ただひたすらに苦痛だった。
原因は分かっている。
この世界で出会った者たち。アリッサも、アリッサの両親も、攻略対象たちも、みな、人間だ。
地球人よりは長生きだが、オスティア人もいずれ皆死ぬ。
だが彼らが全員亡くなった後も、精霊王である有沙の人生は続く。
だから辛い。
「……エマ」
「はい」
「精霊は、死なないんだよね。天変地異でも起こらない限り、消えることはないんだよね」
「はい。左様です」
「……良かった」
傍らで片膝を突く風の精霊を見て、有沙はゆっくり体を起こした。そして言った。
「精霊のみんなは、ずっと私のそばにいてね。絶対にいなくならないでね」
有沙のその言葉に、エマは一瞬戸惑ったように言葉を失くしたが、賢明な彼女はすぐに気づき、ふっと目を細めて微笑んだ。
「はい、精霊王様。ずっとおそばにおります」
「……うん」
希望通りの返事をもらい、有沙は満足げにうなずき、また仰向けに寝転んだ。
優しい春の風が、頭上の木の葉をサラサラと撫でていった。
第四十一話につづく
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