第三十四話
「一人二役の精霊王さま」第三十四話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
翌日。
ラスキン男爵夫人からの手紙を受け取ったクラリスは、娘の部屋で家政婦長を顧みて言った。
「バーサ。急なのだけど、明日、ラスキン男爵夫人から詩の朗読会に誘われているの。明日もアリッサをお願いできるかしら」
「ええ、もちろんでございます」
アリッサをあやしていたバーサは、いつもの頼りがいのある笑顔で応じた。
「衣装はいかがなさいますか? 先日仕上がったばかりの、ラベンダーカラーのドレスはいかがです?」
「ええ、ドレスはそれにするわ。昼食会も兼ねているから、ここを十時には出るわね」
「かしこまりました」
赤ん坊を腕に抱えたまま、バーサは控えていたメイドたちに、さっそく明日のための準備を命じた。
「あら、ラスキン男爵夫人といえば……、今朝プレゼントが届いたばかりですよ?」
「えっ?」
バーサに命じられ、メイドが二人がかりで大きな箱を運んできて、それをテーブルの上に置いた。
「中身は貴重な水鳥の羽根を詰めた、馬車用の座椅子です。アリッサお嬢様へのお誕生日プレゼントだと聞いております」
「まぁ、本当に?」
クラリスは立ち上がり、箱から出てきたそれを見て、目を見張った。しっかりした作りの座椅子は、手すりや背もたれの木に見事な彫刻が施され、クッション部分も繊細な刺繍があしらわれていた。試しにクッション部分を押してみると、それは柔らかな弾力を持ってクラリスの手を押し返してきた。
「まぁ、フカフカね」
クラリスは家政婦長の腕に抱かれた娘に向かって、「アリッサ。ちょっと座ってみない?」と話しかけた。一歳になったばかりのアリッサだが、中身はルーチェであるため、大人の言葉も全て理解できる。
赤子は「うう」と同意の意を伝え、自分から進んで座椅子に乗った。
「おお、すごい」
隣で見守っていた有沙も、思わず身を乗り出した。
現代人の有沙から見て、馬車用とは言え、どこからどう見てもチャイルドシートなその座椅子は、小さな体をクッションがすっぽりと包み、手すりの下から足を出すことで、より安定する仕組みになっていた。椅子をベルトで固定すれば、馬車が揺れても問題なさそうだ。
「まぁ、すごいわ。ぴったりね。この馬車用座椅子は最近発売されたものらしいけれど、これなら安心して子ども同伴で馬車移動ができるわね」
「本当に、ずいぶんと便利な物ができたものですね。私たちは子供が小さいうちは、馬車の床に毛布を敷いて座らせていましたが、さすがに貴族のおぼっちゃまやお嬢様を、床に座らせるわけにはいきませんからね」
「ええ。だからこれまでは、乳母や侍女が腕に抱いていたのよ。だけど馬車が急停車した時などに乳児が怪我をする事故が多かったの」
クラリスはご機嫌で椅子に座る我が子を見て、自身も嬉しそうに目を細めた。
「今度の領地視察には、私も同行したいと思っていたから……。アリッサを連れて行こうか迷っていたけれど、この座椅子があればきっと大丈夫ね」
「はい。さすが、ご自身も同じ年頃のお子さんをお持ちなだけあって、ラスキン男爵様はこの月齢の子に必要なものをよく分かっておいでです」
ニコニコと和やかに、そんな会話を交わす侯爵夫人と家政婦長の間で、アリッサ(ルーチェ)は、大人しく椅子の上にいた。実際に座り心地が良いようで、有沙は念話で、「どう? ルーチェ」と光の精霊に話しかけた。
「はい、精霊王様。とても座り心地がいいです。これに座って馬車で旅ができたら、きっと素敵な経験になることでしょう」
「そうだねー。目線が高くなるから、窓から外が眺められるしねー」
「頭の後ろまでクッションがあって、お昼寝もできそうです」
「そっかー。そんなの聞いたら、私もちょっと座ってみたくなったよ」
「でしたら、今から交代しましょうか?」
言うなり、ルーチェはアリッサの中に入ったまま、人の目には見えない精霊王の腕に触れた。その触れた箇所を通路に、精霊王と光の精霊の立ち位置が瞬時に入れ替わる。これはつい最近発見した入れ替わり法で、こうすることでアリッサの肉体が空になる時間をゼロにできる。
アリッサと同化した有沙は、小さな乳児の体で温かく柔らかなクッションに包まれ、思わず「おおぉ~……」と感嘆の声を上げた。
「あら、アリッサったら。おかしな声を出して」
「よほどお気に召したようですね」
クラリスとバーサの視線を受けながら、しかし有沙は、ウィスタリア式チャイルドシートの座り心地の良さに感動し、一人、目を輝かせた。
(えーっ、これって完全にチャイルドシートだよねぇ~? でも普通は、物心ついた年にはもうチャイルドシートになんて座らないから、これってある意味、すごく貴重な経験かも~~~)
静かにはしゃぐ有沙を見て、ルーチェも笑顔で、「精霊王様も気に入りましたか?」と言った。
「先日、侯爵と夫人が寝室で話していたのですが、近々侯爵は教会の代表とともに、チェスナス地区へ視察に行く予定だそうです。おそらく夫人が仰っていたのは、その視察旅行についてだと思います。アリッサのアニバーサリー・パーティーが済んだら、すぐに出発するそうです」
「あー、まだポータル作ってないからねー。ここからチェスナス地区まで、普通は馬車で十日はかかるもんねぇ」
「ええ。ですがゆっくりと観光旅行できると思えば、その十日も楽しめるでしょう」
「そーだねー。どうせ私も同行するし、観光と思って楽しめばいいかもねー。せっかくだから私も旅行の半分くらいは、アリッサの中に入っていようかなぁ」
精霊王と貴族令嬢、その二足の草鞋を履くことにも慣れてきた有沙は、そんな会話を交わしながらヘラヘラと笑った。
「さぁさぁ、お嬢様。いい加減降りましょうね」
ご機嫌のアリッサ(精霊王)の体を抱いて、バーサは入り口に立っていた護衛騎士、セシリアを呼んだ。
「こちらの座椅子を、家令のところまで持っていってくれる? 今度の視察旅行に使うと言えば、それで伝わるはずだから。重ければ二人で運んでも……あら、エイミーはどこ?」
いつも二人一組なのに、今日はセシリア一人なのを見て、バーサは首を傾げた。
セシリアは真面目な顔つきで、「エイミーは午前中に体調不良を訴え、今は自室で休んでいます」と答えた。
「あら、めずらしいわね。どうしたのかしら」
「軽い風邪のようです。薬師に調合してもらった薬を飲んで休んでいれば、すぐに治ると本人は言っていました」
「そう。じゃあセシリア。申し訳ないけれど、他の騎士を呼んでこれを運ばせてくれるかしら」
「承知いたしました」
しっかりしたお辞儀をして部屋を出て行くセシリアを、有沙はじっと見つめた。
(この座椅子を受け取りにいったのは、セルヴィッジ家の下男と護衛騎士二名。そのうちの一人がエイミーだった……)
ラスキン家へ行った直後に体調不良で欠勤。これは偶然だろうか?
「ルーチェ。私ちょっとここを離れるね」
有沙はルーチェと交代し霊体に戻ると、騎士専用の宿舎へ向かった。女性騎士の部屋は管理人夫妻の隣の部屋だ。
しかし有沙がエイミーの部屋に入ると、そこは無人だった。
(えっ、どこへ行ったの?)
そこで有沙は、セルヴィッジ家を警備している光の精霊たちに話しかけた。
「ねぇ、みんな。この部屋に住んでいるエイミーが、今どこにいるか分かる?」
すると、一年前のルーチェに良く似た、指人形サイズの精霊たちが現れた。
―― エイミーは出ていったよー。
―― 窓からこっそり外に出たよー。
「どこに行ったか分かる?」
有沙の問いに、三人の光の精霊はコソコソと話し、全員で同じ方向を指差した。
―― 港に行ったよー。
―― ついていったコがひとりいるよー。
―― そのコを呼べばいいよー。
―― 精霊王さまが行ってもいいよー。
「そっか。ありがとう」
有沙は短く礼を言うと、エイミーについて行ったという光の精霊の位置を確認した。次の瞬間にはもう、有沙はエイミーのいる港の宿場町に来ていた。全ての精霊と繋がっている精霊王のみに可能な技だ。
二人はすぐに見つかった。
―― 精霊王さまー。
エイミーについていた光の精霊が、小さな手をひらひら振って有沙に合図する。
―― あのねー。エイミーの様子がおかしいのー。いつもは春の陽射しみたいな匂いがするのに、今日のエイミーは嫌な匂いがするのー。
精霊の指摘で、有沙も気づいた。
(……これは、瘴気の放つ臭気だ)
今朝ラスキン家を訪問した際に、あの香水を使われたのだろう。まだ香水の効果が続いているらしく、エイミーは虚ろな表情でふらふらと裏路地を進んでいく。
(とりあえずこれで一つハッキリした。あのシモンっていう商人がイザベルに売りつけたのは、錬金術師が作った魔道具なんかじゃない。あれは、魔族が作った呪物の一つだ)
ここで有沙は、ある可能性に気づいた。
あのシモンはもしかすると、ランズベリー伯爵に絵画を売りつけた画商と同一人物なのではないか。
利用された人間と手段は違うが、どちらも呪物が関わっており、標的がアリッサであることは一致している。
(あのシモンて商人……。徹底的に調べる必要があるわね)
だが今一番大事なのは、エイミーだ。
有沙は光の精霊とともに、黒いマントに身を包んだエイミーの後をつけた。
***
黄昏時。
王都外れの木こり小屋で、ラスキン男爵夫人は“駒”が現れるのを待っていた。あの香水の効果が本物ならば、指定の時刻に“彼女”はここへ来るはずだ。
傍らに控える下男とともに、人目を避けて自身も地味なマント姿のイザベルは、手の中の懐中時計をじっと見つめた。
時計の針が午後六時を指した直後、ノックもなしに入口の扉が開いた。
現れたのは、黒マントに身を包んだエイミーだった。
「……言いつけたものは、手に入ったかしら?」
イザベルの問いに、エイミーは無言で麻袋を掲げてみせた。袋は“中にいるもの”の重みにより、底が深く沈んでいた。
「……中身を確認してちょうだい」
主の指示に下男が動く。
彼は麻袋の口から中を覗き込み、「はい。間違いありません。今は薬で眠っているようです」とイザベルに言った。
「じゃあ、二人ともこちらへいらっしゃい」
イザベルはエイミーと下男を自分の前に立たせると、自身の鼻と口をハンカチで覆ってから、例の香水を二人に向けて吹きかけた。
元々術にかかっていたエイミーの表情は変わらずだったが、下男も彼女同様にトロンと蕩けた表情に変わった。
「いい? お前はこれからセルヴィッジ家に戻り、今夜誰にも見つからないよう、侯爵令嬢のベッドにその蛇を放ちなさい。そして令嬢が蛇に噛まれた後で、蛇を始末しなさい。それから、今日一日起きたことは、全て忘れなさい」
イザベルがそう命じると、エイミーはコクリと頷き、小屋を出て行った。
次にイザベルは下男に向かい、「お前も、今日ここで見聞きしたことは全て忘れなさい。私は明日の朗読会のための詩集を探しに、王立図書館へ行っていたの。私を屋敷に送った後は、いつも通りに過ごしなさい」と命じた。
下男は茫とした顔つきのまま、「かしこまりました、奥様」と答えた。
事が順調に進んでいることに、イザベルは満足げな笑みを浮かべた。
事の一部始終を見ていた有沙は、「……なるほど」と神妙な顔で頷いた。
エイミーが港町の怪しげな店で手に入れたのは、生きた毒蛇だった。彼女はそれを銀貨一枚で買った。
イザベルはエイミーに違法な店で毒蛇を買わせて、それを使ってアリッサを殺そうと考えたのだ。
「……まったく。いたいけな赤子に何してくれてんのよ」
無論、毒蛇がアリッサを襲うことはない。人間以外の全ての生き物は、精霊に対して非常に従順だ。それは毒蛇だろうが毒蜘蛛だろうが、人喰いの猛獣だろうが変わらない。
だが、たとえアリッサが無事だとしても、ラスキン男爵夫人が私欲のみで、無垢な赤子を殺害しようとした罪は消えない。
「……どうしたらいいと思う?」
すでに無人となった木こり小屋で、有沙は隣で浮かぶ光の精霊に言った。ルーチェよりはるかに幼い精霊は、小さな首を傾げて不思議そうな顔をした。
―― 精霊王さまは、どうしたい?
「えー……。私は正直言って、どうでもいいかなぁ……」
強大な力を持つがゆえの余裕か。正直言って有沙にとって、イザベルが向けてくる殺意など、蚊に刺されるほどの影響もない。
だがしかし、自分の欲を満たすために、何の罪もない善人を利用するのは許せないとも思う。
今回の被害者はエイミーだ。たとえ全て忘れたとしても、護衛対象であるアリッサが死ねば、彼女は心に深い傷を負う。ここでは起こり得ないことだが、アリッサが普通の赤ん坊ならそんな最悪の結末が待っていただろう。
「精霊王様」
「わぁ、びっくりしたぁ!」
いきなり第三者の声がして、有沙は驚いて振り向いた。
「エレノア! いつ来たの!?」
「たった今です。驚かせて申し訳ございません」
「いいよぉ。ちょっと考え込んでたから気づかなかったの」
「他の精霊に聞きました。あのエイミーという騎士はどうなったのですか?」
そこで有沙は、ここまでの経緯を簡単に説明した。
「……なるほど。ラスキン男爵夫人の罪は、エドガーが言っていた通り、万死に値しますね」
光の女神らしからぬ険しい顔つきになって、エレノアはそう呟いた。
「アリッサ様に刺客を送るなど……。当人のみならず、一族郎党滅ぼされても文句は言えない所業です」
「えー、そこまで言う?」
ヘラヘラ笑っていた有沙はしかし、エレノアの口にした「一族郎党」というキーワードにピクリと反応した。
「そうか……これならアリかも……。だけどそうすると……」
エレノアの言葉から一つアイデアを思いついた有沙だったが、しかしこの計画を実行に移すか否かについては、まだ熟考が必要だった。
「精霊王様?」
―― さまー?
一人ブツブツと独り言をつぶやきながら考えに耽る有沙を、エレノアとミニ精霊が見つめる。
考えることに疲れた有沙は、「んー」と軽く伸びをし、二人を振り返った。
「とりあえずセルヴィッジ家に帰ろう。罪のない者が犠牲になる前に、助けてあげないとね」
「罪のない者とは、エイミーという騎士のことですか」
「うん、それと、罪のない毒蛇がね」
そう言って、有沙は器用にウインクしてみせた。
第三十五話につづく
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