第三十一話
「一人二役の精霊王さま」第三十一話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
ハーリー男爵夫妻がチェスナス地区へ移って三か月後、冬の二の月。セルヴィッジ侯爵家息女アリッサは、一歳の誕生日を迎えた。
貴族の子女は一歳の誕生日を迎えると、次の誕生日までに大勢の招待客を招いて誕生日会を開く。
ウィスタリアで『ファースト・アニバーサリー』と呼ばれるこの誕生日会は、貴族の子女にとって、初めて公の場に姿を見せる最初の記念行事でもある。
王都に住む王族貴族だけでなく、地方に散らばる一族縁者も全員招く。かなり規模が大きなパーティーとなるため、大抵の上級貴族は、千人規模で収容可能な王宮の舞踏会場を借りることから始める。親たちは我が子をお披露目するためだけに、会場を豪華に飾り立てるだけでなく、料理に楽団、手土産のセレクトに至るまで吟味に吟味を重ね、最高のもてなしを準備する。
セルヴィッジ家も例外ではなく、今回侯爵家は息女のために、王宮内の第七宮殿、別名『真珠宮』をその会場に選んだ。
真珠宮という名の通り、第七宮殿はその柱や壁に乳白色の希少な鉱石が使われ、天井には真珠と白色系の貴石で飾られた大きなシャンデリアが輝いている、美しく壮麗な城だった。
現国王の祖母であるマデリン王太后が、当時国王だった夫、つまり現国王の祖父を亡くしてから建てた宮殿で、彼女は百四十三歳で亡くなるまでの五十年間を、この第七宮殿で過ごした。
これは有沙がオスティアに転生してから知ったことだが、地球人に比べ、オスティア人は長命だった。一般人ですら百歳越えがごろごろおり、魔力値の高い王侯貴族は百五十歳を越える者もいる。さらに神聖力や魔力を多く有する神官や魔導士では、二百歳越えの者もいるらしい。
さすがに精霊並みに長生きはできないが、伝説の大賢者モーリス・ブレアムに至っては、五百歳まで生きたという話だ。
百四十三歳まで生きたマデリン王太后も、地球ならばギネス記録並みの長寿だが、オスティアではせいぜい「大往生」と呼ばれるレベルだ。逆に九十歳で亡くなった先々代の国王は、オスティアの常識では早世扱いになるらしい。
夫を早くに亡くした気の毒なはずの王太后は、しかし大勢の愛人を囲い画家や音楽家などのパトロンも務め、なかなか派手で賑やかな隠居生活を満喫していたらしい。
真珠宮には彼女の肖像画が多く飾られ、ゲームを楽しむための娯楽室や屋内庭園、美術館のような展示室に音楽ホール、オペラハウスまであった。
ことに舞踏会を開くための大広間は、絢爛豪華な内装もその大きさも、現王室が使う第一離宮の『黄金の間』にひけを取らない壮麗さだ。
ゆえにこの真珠宮の大広間を、我が子のファースト・アニバーサリーの会場に、と望む貴族は多い。多いゆえに競争率も高く、またその使用料も他の会場に比べて格段に高い。
普段派手を嫌うセルヴィッジ侯爵が、愛娘のためにこの真珠宮を会場に選んだことは、それだけで他の貴族たちの話題になった。
会場だけでなく、宝石を飾った豪華な招待状に、王立楽団の出張演奏、料理も飲み物も装飾品も、何もかもが王都で有名な店のものを用意していると聞き、トマス・セルヴィッジが娘を溺愛し、娘のためならば多額の出費もいとわないことを、王都の貴族全員が知った。
また娘本人、アリッサ・セルヴィッジ侯爵令嬢も、噂のネタに事欠かない存在だった。
侯爵夫人の懐妊百日を祝う席で、現王妃から“特別な”ベビードレスが贈られたことは周知の事実で、すでにアリッサは生まれる前から、「王太子妃候補」として有名だ。また誕生後に受けた魔法属性と魔力測定の検査でも、魔法属性が貴重で稀な光属性の上、魔力値も王太子に次ぐ高い数値だったという。
いったいどこから漏れるのか知らないが、本来秘匿されるべきそれら情報も、アリッサが一歳になる頃には貴族のみならず平民までが知る事実となっていた。
そんな話題満載の侯爵令嬢はさらに、実際に彼女に会った、という貴族のご婦人方により、より話題性の高い存在にと押し上げられていた。
アリッサとの対面が叶ったのは、皆クラリスと親しい高位貴族の夫人や令嬢で、面会場所は当然セルヴィッジ侯爵家であったが、彼女たちは皆が一様に、幼き令嬢の愛らしさ、その美しい容姿と魅力について熱く語り、その話を聞いた者たちがまた他の者に広め、という風に、アリッサを称える声は日を追うごとに広がっていった。
そんな噂の的であるセルヴィッジ侯爵令嬢の、記念すべきファースト・アニバーサリー・パーティーである。招待状が届いた家の者たちは喜び期待に胸膨らませ、届かなかった家の者たちは意気消沈し、どうにかパーティーに参加できないかと画策した。中には侯爵に直接、招待状をくれないかと打診してくる者までいた。だが広い会場にも収容人数には限りがあり、八百人招待したその後で、さらに追加で、どうにか二百人の参加が認められた。
黄金の間で開かれたジェイデン王太子の招待客が、国内外併せて千二百人だったが、アリッサの誕生祭はそれに次ぐ規模となった。
春の月、三の月の十日が、アリッサのファースト・アニバーサリー・パーティーの開催日である。
春の一の月。
すでに社交界は、この侯爵家主催のパーティーの話題でもちきりだった。招待された者はそれとなく、または堂々と自慢し、選に漏れた者は参加者の幸運を羨み、自身の不運を嘆いた。
そんな中で一人、招待されなかったことではなく、別の理由で腹を立てている人間がいた。イザベル・ラスキン男爵夫人である。
イザベル・ラスキンはウィスタリアでめずらしく、貴族位を得た女男爵だった。未婚の母であり、現国王カーティス二世の公妾である。息子のクライヴは国王の息子だが、王位継承順位は異母兄のジェイデンに比べてずっと低い。
だがイザベルは、息子を国王にする夢を諦めていなかった。ジェイデン以外の候補者は全員高齢で、一番若い大公でも六十近い。ゆえにイザベルは、息子の実質的なライバルは王太子一人だと思っている。事実それは、他の貴族たちも心中では同じ意見だった。
息子のクライヴは二歳になったばかりで、ジェイデン王太子も三歳。王位について語るのは早すぎると言われるだろうが、イザベルの中ではすでにレースは始まっている。
―― 王位を継ぐために必要な要素は何か?
血筋は、国王の息子であるから問題ない。
家柄も、祖父が伯爵家であるため問題ない。
本人の素養は、これからの成長を見る必要はあるが、王太子のジェイデンが地味な土属性であるのに対し、息子の魔法属性は火であり、戦闘系魔法では一番攻撃力が高いとされる。貴族であれば、武に秀でた者が尊敬されるのが常識だ。この点は息子の方が優位と言えるだろう。
しかし魔塔での魔力測定値は、ジェイデンの方がはるかに勝っていた。正妃も王家の血筋である公爵家の出であるがゆえに、そこはさすがに王族の血と言うべきか。
では、血統、家格、素養と、その全てを両者が備えているとしたら、四つ目の条件は何だろう。
「それは“後ろ盾”だ」とイザベルは考える。
たとえば、王都一の金持ちと言われる、ランズベリー伯爵家。この家の後ろ盾を得れば、ラスキン家はさらに王宮での影響力を強めることができる。
すでにランズベリー伯爵とラスキン伯爵家は懇意にしており、イザベル自身もランズベリー商会の上客ではあるものの、この程度の結びつきでは弱い。一番手っ取り早いのは婚姻によって身内になることだが、残念ながら両家とも年の合う未婚の男女はおらず、目を付けていたランズベリー伯爵の義妹は、つい先日カルバート伯爵家の男と婚約してしまった。
次にイザベルが目をつけたのが、トマス・セルヴィッジである。セルヴィッジ侯爵家は名門貴族であり、当主のトマスは王国軍総司令部の参謀長という名誉な職に就いている。トマスの上官である最高司令官のソーウェル公爵は、正妃の親類であるため当然王太子の味方だ。副司令官も同じ公爵家の者で、軍で三番目の地位にあるのがトマスだった。
おまけに侯爵夫人が妊娠し、生まれる子は息子の一歳下。男児であれば友人に、女児であればカップルになれて尚良い、とイザベルは思った。
ゆえにクラリスの懐妊百日を祝う会にも出席し、プレゼントも奮発した。侯爵夫妻とにこやかに挨拶を交わし、息子が一学年差であることも話題に出した。
「生まれてくるお子さんとうちの子は、きっと良いお友達になれますわね」
そんな話をして、イザベルはまず、クラリスの友人ポジションを狙って近づいた。そのたくらみは成功し、それから何度も、イザベルはセルヴィッジ侯爵家の茶会に招かれるようになった。
だがいつからか。
セルヴィッジ家に近づこうとすると、激しい頭痛や腹痛、めまいや吐き気に襲われるようになった。そんな謎の体調不良のせいで、せっかくの侯爵夫人の誘いを、直前になって何度も断る日が続いた。
ある日など、無理やり茶会に参加しようと頑張って、侯爵家の門をくぐったところで意識を失い、そのまま王立病院に運ばれ、しばらく入院する羽目になった。
侯爵家の庭に怪しい植物が自生しているとか、屋敷自体に強い呪いでもかけられているかと思ったが、他の客は普通に侯爵家に入り、快適な時間を過ごしている。むしろ「侯爵家に行くと気分がいい」「体調が良くなった」などと逆の感想を言う者の方が多く、あの家が鬼門なのはイザベル一人なのだった。
イザベルが侯爵家に入れないのは、それはもちろん、精霊王がかけた強力な守護結界が理由である。
呪いのブローチの事件があってのち、有沙はさらに結界の強化を行った。
その結果、息子のためならば平気で他者を利用し害することも厭わない、悪意の塊のようなイザベルは、精霊王の結界魔法に「邸内持ち込み禁止」な危険物扱いされたのだ。
もちろん、イザベル自身はそんな裏事情を知らない。精霊王の結界ゆえに、魔塔主レベルの魔導士でなければ、侯爵家に結界が張ってあることすら気づけない。普通の貴族である彼女が分かるはずもない。
理由が分からない、理屈も理解できない事象にぶつかった時、人はどういう判断を下すか。
はっきりした原因が分かるまで探究する者、偶然で片づける者、目に見えない力のせいと畏怖する者、人によって答えは変わる。
イザベルの場合は、原因を第三者のせいにした。リネット王妃である。
王妃はセルヴィッジ侯爵家に、自分が使用していたベビードレスを贈った。それはすなわち、生まれてくる子が女児であったなら、息子ジェイデンの妃候補として考えている、という彼女の意思表示に他ならない。
イザベルがクライヴの嫁候補にと考えたように、王妃もまた、セルヴィッジ家の娘を息子の嫁にと考えた。
イザベルのその解釈は間違っていない。
だが彼女は、そこからさらに想像を膨らませた。
セルヴィッジ家の娘を狙う王妃にとって、自分は邪魔者だ。だからあの女はきっと、自分だけ立ち入れないよう、侯爵家に特殊な魔法をかけたに違いない。イザベルはそう考えた。
それで彼女は、セルヴィッジ侯爵夫人と屋敷の外で会うことにした。産前産後、クラリスは公の場に姿を見せることはなかったが、親しい友人からの茶会の誘いには快く応じていた。ゆえにイザベルも自宅で茶会を開き、クラリスに招待状を送った。
はたして、クラリスはラスキン男爵家に現れた。イザベルは大喜びし、侯爵夫人を歓待した。
しかしクラリスは、この日もいつものように女神の腕輪を嵌めていた。それは精霊王の魔法ほどではないにしろ、光の精霊魔法の結晶とも言うべき強力な神具である。
下心を抱いてクラリスに近づこうとしたイザベルは、彼女の手を取ったとたん雷に打たれたようなショックを受け、思わず夫人の手を振り払ってしまった。
クラリスも周囲の招待客も驚いたが、一番驚いたのはイザベル自身だ。慌てて弁明しようとクラリスに手を伸ばしたが、見えない壁に阻まれてそれ以上近づくことは叶わなかった。
けっきょくその日の茶会は、招待主であるイザベルの急な体調不良により、開始早々中止となった。
この件でクラリスの中では、「ラスキン男爵夫人=病弱」というイメージが完全に固定され、直接会うことは叶わない中、彼女は事ある毎にイザベルへ滋養効果のあるものを贈るようになった。
だがそんな侯爵夫人の気遣いは、勝気なイザベルにとって逆効果でしかなかった。夫人の優しさを自分への憐れみ、蔑みだと曲解し、届いた贈り物と手紙も歪んだ視点でしか見ることができなかった。
そしていつしかその鬱屈した感情は、クラリスへの明らかな悪意へと変貌した。
(あの女も、王宮にいる女狐と同じ。表面上は人の良いふりをして、裏では常に、競争相手を貶めることを画策している)
(私はまんまと侯爵夫人の罠にはまってしまった。私の体調不良の原因は王妃ではなく、侯爵夫人自らがかけた呪いによるものだ。だから彼女に会うたびに、原因不明の体調不良に陥るのだ)
(侯爵夫人はすでに、王妃と王太子の味方なのだ。王妃とひそかに、自分の娘を王太子妃にする約束を交わし、代わりに王太子のライバルであるクライヴと私を排除するよう、王妃に命令されているのだ)
驚いたことにイザベルはここまで妄想し、それを事実だと確信した。自身が悪意に満ちた人間は、自分以外の人間も悪意を持っていると感じる、投影という心の働きだ。
そんな短絡的思考の持ち主であるイザベルは、しかし処世術には長けていた。高位の名門貴族であり、社交界で人望も人気もあるセルヴィッジ侯爵家に表立って敵対することは、自身にとって損だとちゃんと理解していた。
ゆえにアリッサ誕生後も彼女は、表面上はクラリスとの友好関係を維持していた。令嬢誕生時には豪華な贈り物をし、季節の挨拶状も欠かさなかった。だが体調不良を理由に、侯爵家からの招きは毎回辞退し、自身が開く茶会にクラリスを招くこともしなかった。
そうして丸一年、イザベルはクラリスと直接対面しないまま、友人としての立場は保ってきた。
冬の三の月。
そんなイザベルのところにも、セルヴィッジ侯爵家からファースト・アニバーサリー・パーティーの招待状が届いた。
巷で話題のパーティーの招待状は、現在王都の貴族間でプラチナ・チケットの扱いで、入手した者は喜び浮かれるものだが、イザベルにとっては地獄への招待状だった。
まず、また原因不明の体調不良に陥るかもしれない、という不安。自分を招待した侯爵夫人が、何か罠を用意しているかもしれない、という不安。会場が王宮内ということで、大嫌いなリネット王妃と会うかもしれない、という不安。
さらに、噂によると侯爵令嬢は相当秀でた赤ん坊らしく、そんな娘のお披露目を自慢げにするだろう、憎き侯爵夫人を目の当たりにしなければならない、という屈辱と怒り。
(ああ、行きたくない……。あんな女の娘なんて、見たくない。パーティーを欠席したい……。けれど欠席したらまた、会場でどんな噂をされるか分からない……。あの女のせいで私は、社交界で持病持ちのレッテルを貼られてしまった。多くの貴族が出席する話題のパーティーを欠席したら、ますます噂が広がってしまう……それはだめだ。絶対に欠席はできない……)
どうすればパーティーを欠席できるか、と悩み続けたイザベルはついに、「パーティーそのものが中止になればいい」という答えに辿りついた。
本来ならば必ず開催されるアニバーサリー・パーティーだが、つい最近、特別な理由で取りやめになった例がある。
会の主役である某貴族の子息が、世話係のメイドの過失により亡くなってしまったのだ。
原因は、あまりに些細なことだった。
その侍女はかなりの甘い物好きで、ポケットにいつもおやつの飴をしのばせていた。その飴を一つ、赤子のベッドに落としてしまった。好奇心旺盛な赤子は、手にした物は何でも口に入れる習性がある。大きな飴玉を口に入れた赤ん坊は、それを喉に詰まらせて窒息死した。侍女が目を離した、わずかな時間の出来事だった。
数日後に控えていたパーティーは中止となり、代わりに王都郊外の墓地にて、悲しみに満ちた葬儀がひそやかに執り行われた。
我が子を失くした夫妻は田舎の領地に引っ越し、誤って赤子を殺してしまった侍女は、罪を悔いて北方の修道院へ行き尼になったそうだ。
悪意ある者などいない。善人のちょっとした油断が招いた、とても不幸な事故だった。
(……その不幸が、セルヴィッジ家にも起こらないとは限らない)
侯爵家への憎しみが、イザベルの狂気を加速させた。
だが、どうやって事故を起こさせるか。
自身はセルヴィッジ家に入れないし、貴族の子女は、ファースト・アニバーサリーを迎えるまで屋敷の外に出ることはない。アリッサが外出したのも、教会の洗礼式と魔塔での魔力測定、その二回だけだ。
(やはり、刺客を送るしかない……)
そこらのチンピラではだめだ。侯爵家の警備は厳重で、騎士たちはよく訓練されている。使用人たちも有能だと聞く。ならばやはり、プロの殺し屋を使うしかない。
だがイザベルには、そんな腕の立つ殺し屋の知り合いなどいなかった。何より、その命令を下したのが自分だとばれるわけにはいかない。
ここでふたたび、イザベルは袋小路に入った。
悩む男爵夫人の部屋に、侍女が来客を告げに入った。
「奥様。ランズベリー商会の方がいらしてますが、お会いになりますか」
「ランズベリー商会? 今日は約束はしていないはずだけど」
「はい。ですが、めずらしい品が手に入ったので、ぜひ奥様にも御覧いただきたいと申しております」
「めずらしい品……」
“希少”、“特別”、“高価”、これらはイザベルのみならず、贅沢を好む貴族の婦人なら聞き逃せないワードだ。“めずらしい”も、もちろんこれに含まれる。
「……会うわ」
気分が落ちている時は、心浮き立つ物を見るのだが一番だ。美しいジュエリー、高価な工芸品、希少な魔道具などは、イザベルにとって自身を慰めるのに最適な物だった。
来客用のドレスに着替え、イザベルは客間へ行った。
一時間近く待たされたにも関わらず、商人は愛想の良い笑顔で立ち上がり、「お初にお目にかかります。シモンと申します。お忙しいなか、貴重なお時間をいただき心より感謝いたします」と丁寧なお辞儀をした。
流行りの色スーツを着た店員は、まだ二十代後半と若く見えた。けして醜い顔立ちというわけではないが、顔にはりつけた笑顔がどことなく不気味だ。さらにこの国では珍しい、真っ白な髪色と白磁を思わせる肌色をしていた。
「……初めて見る顔ね。いつもうちに来ている彼はどうしたの」
向かいのソファに腰かけ、イザベルは胡散臭そうに男を見た。
男は腰を屈めたまま、「はい、カールさんはですね、今日は体調が優れないとのことで、代理としてわたくしが参りました。何しろ今回こちらへお持ちした品は非常に希少な上に、値段も張る品でございますから。買いつけたわたくし自身がお持ちするのが一番だと考えまして」と流暢なウィスタリア語で答えた。
だが男の説明にも、イザベルのしかめ面は変わらなかった。
「その赤味を帯びた金の瞳に白い髪……。カトゥーレ国北方の小島に住む、少数民族の特徴ね。深い森で小さな集落を作って暮らし、怪しげな儀式を行い、精霊様でなく独自の神を信仰しているとか。そんな胡散臭い出自の人間でも、ランズベリー商会で働くことが可能なの?」
「おお」
白髪の男はイザベルの指摘を受け、腹を立てるどころか嬉しそうに口角を持ち上げた。
「仰る通り、わたくしは北方の少数民族、アーソナの出でございます。しかし島で暮らしていたのは二歳までで、幼少期からカトゥーレ国にて神学を学んでおりました。神聖力が低かったため聖職者の道は諦め、語学の才を生かして貿易商になりました。あ、こちら、わたくしの名刺でございます」
男はそう言って、白い紙片を両手で差し出した。
「サントス商会会長、シモン・サントス・ソウザ……。ランズベリー商会の人間ではないの」
「はい」
シモンは愛想笑いを浮かべたまま、揉み手をして答えた。
「自分で商会を立ち上げたものの、なかなか商売が軌道に乗らず困っていたところ、旅先でランズベリー伯爵様と知り合えたのです。現在はランズベリー商会で働きながら、経営学を学ばせていただているところです」
「そう。まあ、身元が確かなら問題はないわ」
「はい。ではさっそく、商品を紹介させていただきます」
シモンは腰を下ろすと、傍らの小ぶりなトランクケースを開けた。客人への警戒を解いたイザベルは、行儀が悪いと知りながら思わず身を乗り出した。
「それは……」
シモンが鞄から取り出したのは、赤い香水瓶だった。瓶自体の装飾は美しかったが、このような瓶、イザベルはすでに売るほど持っている。
「何よ。めずらしい品だと聞いたから期待していたのに、ただの香水なの?」
「いえいえ。これはただの香水ではございません。れっきとした魔道具でございます」
「魔道具?」
「はい」
そこでシモンはニヤリと笑った。彼が初めて見せた心からの笑顔だったが、それはひやりとした冷気を伴う笑いだった。
「男爵様。メイドを一人お借りできますか?」
第三十二話につづく
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