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一人二役の精霊王さま  作者: I*ri.S
30/51

第三十話

「一人二役の精霊王さま」第三十話です。

本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。

 明るくにぎやかな歓迎会が終わり、新領主夫妻は、あらためて邸内を見て回ることになった。案内役は、ウェッバー改めカミールと、そして有沙(リディア)だ。

 ウェッバーはまず、屋敷中央に設けられたメイン通路となる廊下に出ると、太い柱のすぐ近くの扉の前に立った。

「こちらの扉は、“エレベェタァ”なる箱に入るためのものです」

 そう言って彼は、扉横の壁に付けられたパネルに触れた。パネルには1から5までの数字と、開く閉じるという意味の記号が書かれていた。

 ウェッバーが「開く」ボタンを押すと、すぐに入り口が開いた。この国では珍しい、壁に戸板が収納される引き戸スタイルの扉だ。

「この屋敷は地下一階、地上五階の建物でございます。そしてこのエレベェタァは、リディア様がお作りになった上下移動用の魔道具でございます。屋敷にはもちろん階段もございますが、足腰が弱ってきている領主ご夫妻に階段の上り下りは辛かろうとの、リディア様のご配慮です。さぁ、どうぞお入りください」

 カミールに促され、先に有沙が中に入った。男爵夫妻も恐る恐る後に続く。中は三メートル四方の殺風景な部屋で、窓も家具もない。外と同じく、扉横には同じ操作パネルが付いていた。

 ウェッバーは自分も入って扉の前に立つと、内側からパネルの5という数字を押した。扉は自動で閉じ、シュウゥン……という、これまで聞いたことのない空気音がわずかに部屋の外から聞こえた。

 ガコン、と音がして小さな衝撃とともに、扉が勝手に開く。

「どうぞ、外へ」

 カミールに言われ、夫妻はまた恐る恐る箱から出た。

「えっ……」

 ふたたび廊下に立った夫妻は、周囲の景色が変わったことに気づいて戸惑った。

「屋敷の五階に到着致しました」

 カミールがどや顔で告げる。

「ええっ!?」

 夫妻は思わず、外へ通じる観音開きの扉に向かった。扉からテラスに出て、そこからの光景に目を疑う。

「さ、さっきの一瞬で、この一階から五階まで上がってきたと言うのか……」

 手すりから身を乗り出すように階下を見つめ、バイロンは茫然と呟いた。

 カミールは「左様でございます」と鼻高高に答えた。

「さきほどの箱を使えば、瞬時にどの階にも移動できます。あの指示板に触れるだけで操作可能なので、奥様お一人でも使えます」

「まぁ、信じられない……」

 驚きのあまり言葉を失う男爵夫妻に、カミールはさらにどや顔で続けた。

「エレベェタァだけではございません。この屋敷の調理場には巨大な保管庫がございますが、そこにあるレイゾウコなる箱の中は北方の冬と同じ温度が保たれており、入れた物を冷やして保管することが可能です。さらに調理場には、凍った物を瞬時に解凍したり、常温の飲み物を瞬時に温める機能を持ったレンジなる魔道具に、薪を使わずパンや肉を焼けるデンキオーブンもございます。全て、リディア様が考案なされた特別な魔道具です」

「まぁ、すごいわ……。薪を使わずパンが焼けるなんて……」

 料理好きな男爵夫人が目を輝かせたが、バイロンの顔つきは冴えなかった。

 邸宅内の案内が終わると、四人は外に出た。

 正門から屋敷前までのアプローチは、石造りの噴水と植木と芝、控えめな季節の花で整えられていた。そこから右回りに第一庭園、第二庭園と、趣向を凝らした美しい花園が続く。この庭だけで、花好きのベリンダ夫人は感激しきりの様子だった。

 庭園を過ぎると橋のかかった大きな池があり、そこから屋敷側に温室、裏山と湖に繋がる薬草園、さらに内庭として花壇と果樹園、その奥に使用人専用の住居と厩などが並ぶ。

「じつはここにね、王都のセルヴィッジ家と繋いだポータルを作る予定なの」

 内庭の、一部だけ不自然に空間が拓けた場所で、有沙が言った。

「池のそばに東屋があったでしょ。あれに似た屋根付きの建物をここに作って、その中で、あっちとこっちの行き来を自由にできたら便利だと思わない?」

「思います。思いますが、そんなことが可能なのですか? (いにしえ)の魔法陣の中に、人を転移させる目的のものがあったと記憶していますが、今では廃れた魔法と聞いております」

「古の魔法はよく知らないけど、とりあえずそういう魔道具なら作れるよ。王都からここまで、馬車だと十日はかかるでしょ。でも人と荷物と馬車と、丸ごとセルヴィッジ家の敷地に一瞬で移動できたら、時間も経費も節約できるじゃない」

「もしそれが可能でしたら、まさしく至れり尽くせりな屋敷になりますね」

(王宮にさえ、ここまでの設備はない……)

 最後の一言は口に出さず、バイロンは心の中で呟いた。

「まぁ、侯爵にも相談してからね」

「そうですね」

 曖昧に答えた後で、バイロンは「リディア様。少し二人だけでお話できますか」と言った。


       ***


 夫人の相手をカミールに任せて、二人は内庭のベンチに腰を下ろした。

「……リディア様」

 控えめな口調で、バイロンは言った。

「私はもう、ここチェスナス地区の領主の気持ちでおります。ですから領主としてお訊ねしたい。あなた様はこの領地を、どのように育てるおつもりですか」

「え?」

「私はすでに、あなた様の正体に気づいているつもりです。ゆえにあなた様にとって、一国の王家が、何の意味も持たないことは理解できます。しかしセルヴィッジ家も我がハーリー家も、またこの村に住む人間たちも、皆、ウィスタリアの王国民です。王家は我々国民の頂点にあり、どこにいようとけっして無視できない存在なのです。毎年王宮から視察団が各地区に派遣されており、このチェスナス地区も国の監視の目からは逃れられない」

「…………」

「こちらにある、王都でも見たことがない希少で高性能な魔道具は、所有しているだけで王室への背信ととられかねません。また肥沃な土地に広大な農地を所有していながら領民税をとらないことは、セルヴィッジ家がここの富を占有しようとしていると疑われ、これもまた国家反逆の罪に問われる危険性をはらんでおります」

「…………」

「まさか、王室の意向など知ったことではない、とお考えですか?」

「ううん」

 有沙も真面目に答えた。

「その懸念はよく分かるよ。確かに視察団がこの村の設備を見たら、見たことのない魔道具ばかりでびっくりするだろうね。だけどそれは、私の魔法でどうにでもできるから、心配しなくていいよ。そもそも働いている精霊たちはノーカウントだし、たった九人しか村人のいない土地なら、しばらく視察もないと思う」

「今年はそうかもしれませんが、この村で作られた農作物や加工品が市場に出れば、国から必ず調査が入ります」

「そうだね。だから次の視察が入るまでに、領民を増やすつもりだよ」

「それはつまり、人間の領民をですか?」

「うん。今ね、光の精霊に人集めを頼んでるの」

「光の精霊に?」

「うん」

 有沙は真顔でうなずいた。

「ダグラスやウェッバーを見て、思ったんだよね。じつは今も、瘴気に侵されて苦しんでいる人って、けっこういるんじゃないかな、って」

 現在のチェスナス村周辺は、魔物はもちろん、悪意ある人間も入れない精霊王の魔法がかかっている。同様に、瘴気に侵された人間も結界にはじかれ、この土地には近づけない。

「瘴気の影響を受けた人間は重症になると、精神に異常をきたしたり、重い病に罹って死んじゃったりするんでしょ。牙や角が生えて魔物みたいな見た目になる人もいるんでしょ。とりあえずオスティア全土から、そういう瘴気による被害を受けた人を探して治療してるんだけど、迫害されて住んでいた場所に戻れなくなった人もいるみたいだから、そういう人を村に迎えようと思ってるの」

「それは……」

 バイロンは一瞬言葉を途切れさせ、言いにくそうに口を開いた。

「リディア様のお考えは大変ご立派で、人道的には素晴らしい活動だと思います……」

 しかし、と彼は続けた。

「領民が病人ばかりでは、たちまち村が困窮します。またオスティア全土からとなると、言葉や文化の壁があり、こちらも村の運営としてはマイナスにしかならないでしょう」

 この指摘はもっともだった。

 有沙はクスと笑い、「善意の塊みたいな男爵でも、領主になったらそういう発想になっちゃうんだ……」とつぶやくように言った。

「そうだよね。普通はそう思うよね。病人は社会のお荷物。厄介者。周りに迷惑なだけの存在……」

「リディア様……」

「でもね、男爵」

 有沙は相手の顔を見ないまま言った。

「弱者に厳しい世界は、けっきょく全ての人に厳しい世界なの。どうしてそうなるか分かる? 一見強者な人たちも、他人を思いやる余裕がないほど追い詰められているから。毎日必死に働いて、自分の生活を守るのに精いっぱいで、崖っぷち状態で生きてる。それが“強者たち”の現実」

「…………」

 リディアの横顔は何の感情も映していなかったが、バイロンは恥じるようにうつむいた。

「……私ね、オスティアへ来る前は、こことは別の世界にいたの」

 うつむいたバイロンは、またすぐに顔を上げた。そして“精霊王”と思われる少女の横顔を見た。

「その世界の私は、魔法も使えない重病人で、人生の大半をベッドの上で過ごしてた。自分はこの世界で何の役にも立たない、不要な存在なんだって、思ってた」

 隣の男爵の顔を見ずに、有沙は淡々と話した。もう百年以上この世界で精霊王として暮らしているが、日比原有沙として地球で生きた十七年は、今も彼女の心と魂に深く刻まれている。

「他の人が普通にできることができなくて、毎日苦い薬を飲んで痛い注射を受けて、苦しい思いをたくさんして……。私って、どうしてこんな体に生まれちゃったのかな、前世でよっぽど悪いことしたのかな、ってずっと疑問だったし、こんな運命を課した神様を恨んでた。今だから言えるけど……、自殺を考えたこともあったよ。だって発作が起きると、本当に辛いんだもん。まるで、見えない悪魔に拷問されている気分なの」

「リディア様……」

「……だけど」

 有沙はそこで、柔らかく笑った。

「あの辛い日々があったから、今の私があるの。あの人生がなければ、今、私はここにいない。何より、今は毎日が虹色に輝いて、いろんな人に会っていろんなことができる、それがとてもとても、嬉しいの。だからこの世界で、病気や怪我が原因で辛い思いをしている人たちを、できるだけたくさん元気にしたいの。そして、教えたいの。あなたはいらない存在じゃない。健康でも健康じゃなくても、あなたは世界に愛されているんだよ、って……」

「リディア様……」

「そのためには、周りの元気な人たちが衣食住に困らず健康的な生活を送れるよう、“力ある者たち”が彼らを助けてあげるの。そうやって弱者を強者が、強者をより強い者が守っていく。私がこの村を作ったのはね、そんな社会を実現するための第一歩なんだ。もちろん男爵。領主代行を務めるあなたは“こっち側の人間”だよ」

 青い宝石を思わせる、深く澄んだ美しい瞳が、今日就任したばかりの領主を見つめた。

「こっちの世界にもあるよね? “ノブレス・オブリージュ”って言葉」

「……はい」

 精霊王に見つめられ、バイロンは茫然とした顔で答えた。

「あなたはついこの前まで、弱者の立場にあった。だけど領主代行人となって、いきなり強者になった。それは私が助けたから。私はこの世界で、“絶対的強者”なの。そしてこの力を使って私は、正しい人が正しく力を振るえる世界にしたいの。そうすることで結果的に、強者も弱者もなく、国民全員が幸せに暮らせる社会を作れると思っているから」

「おぉ……」

 思わず感動の声を上げたバイロンに、有沙は「あっ、もちろん、元気になったらみんな働いてもらうよ?」と明るい笑顔で言った。

「それに、大抵の病気は私が治せるし」

「まさか。リディア様は、どんな重病人でも治せるのですか?」

「多少の瘴気なら光魔法で治療できるし、重症の人は私が治療するから。今のところ、全員治ってるよ」

「全員?」

「うん。これまで見つけたのは百八十人くらいだけど、全員元気になったよ」

「ひゃ、百八十人ですか……?」

「うん。瘴気被害を知ってから、見つけた人数ね。ただほとんどの人は、治療後は自分の故郷に戻ったりしてるから、この村への移住希望者は、今のところ二十人くらいだね」

「その者たちは、今どこに……」

「セルヴィッジ侯爵家にいるよ」

「なぜ……」

「彼らは他国の人たちだから、ウィスタリアの文化とか風習を知らないでしょ。それを今、セルヴィッジ家で勉強中なの。この村には今、そういう教育をできる人がいないから。セルヴィッジ家なら使用人も多いし、教えられる人が沢山いるからね」

「……なるほど。あの、言葉はどうしているのでしょう。他国の者ならば、それが一番の壁では……」

「私が翻訳機を作ったから、問題ないよ。あ、男爵にも一つあげようか?」

 有沙はそう言って、何もない空間からシンプルな革紐のペンダントを出現させた。

「これ、王都のお土産屋さんで売ってるペンダントなんだけど、これに翻訳機能を付けてみたの」

「これが……?」

「うん。使い方は簡単だよ」

 有沙はまず、ペンダントを手に持ったまま、他国の言葉を話した。

『今、私、ロータナシアの言葉で話しているんだけど、何て言っているか分かる? えーと、猿も木から落ちる。ローマは一日にしてならず』

「えっ……」

 バイロンは一瞬戸惑った顔をし、「もしかして、今話されたのは……ロータナシアの古語ですか?」と言った。

「わぁ、さすが男爵。うん、そう。で、私が今、何て言ったか分かった?」

「いえ……。ロータナシアの言葉ということは分かりましたが、何と仰ったかまでは……」

「じゃあ、このペンダントを使うね」

 有沙はそれを、男爵の首にかけた。

 そしてまたロータナシアの言葉で、『猿も木から落ちる。ローマは一日にして成らず』と言った。

「ええと……サルも木から落ちる、ローマは一日にして成らず、とはどういう意味ですか?」

「おーっ、ちゃんと伝わった! これはねぇ、私が以前いた世界のことわざだよー」

「……なるほど。はい、確かにウィスタリア語として聞こえました。では逆に、私がウィスタリア語でロータナシアの者に話しかけたとして、その者にもちゃんと伝わるのでしょうか」

「相手もこのペンダントを着けていたら伝わるよ」

「ああ、なるほど。うん……」

 バイロンは納得したように、何度も「うん、うん」とうなずいた。

「それならば、他国の者が村に来ても問題ないでしょう。ただペンダントよりも、腕輪の方が仕事の邪魔にならず良いかもしれません。もしくは指輪か耳飾り……」

「それはねぇ、どんなアクセサリーでも付与可能だから、好きなのを選んで身に着けてもらえばいいと思うよ。あとできれば、ウィスタリアの民として言葉も覚えてもらいたいから、ここへ来てからも、領民には全員、勉強の時間を作ってあげてほしいんだ。言葉だけじゃなくて、読み書き計算、希望する人には、もっと高度な教育も受けさせてあげてほしいの」

 有沙の提案に、バイロンは明るい表情で「それは良いですね」と同意した。

「領民の成長は領地の成長に繋がります。多すぎる財産は人間を駄目にするが、知識はいくらあっても害にはならない。私の祖父の教えです」

「お祖父さんも賢い人だったんだね」

「はい。学者としても貴族としても、立派な方でした」

 いきなり活き活きとした表情になり、バイロンは「何だか急に、やる気が湧いてきました」と言った。

「領地の運営方針については、リディア様とセルヴィッジ侯爵様にお任せ致します。私は領民が平等に平和に暮らせるよう、先住の者たちと協力して、いろいろと決まりを作っていこうと思います」

「うん、ありがとう、期待してるよ」

「その移住希望の者たちは、いつこちらへ来るのでしょうか」

「それは、セルヴィッジ家から連絡があると思う。とりあえずポータル作るから、来るのはその後だね」

 そこで有沙は立ち上がり、「うーん」と大きく伸びをした。

「じゃあ、私はそろそろ帰るね」

「えっ、今からお帰りになるのですか?」

「うん、こう見えて、けっこう忙しいんだよ、私。他の精霊たちも、使用人として置いてる子たち以外は、たぶん勝手に来たり帰ったりするから、そこは慣れてね。でも用があれば、呼んでくれたらすぐに来るよ」

「どうやってお呼びすればよろしいのでしょう」

「リディア様~、って呼べばいいよ」

「えっ……、それだけで、よろしいのですか?」

「他の精霊に呼んでもらってもいいけど、私、こことは常に繋がっているから、たぶん呼べば聞こえると思う」

 どこまで規格外な能力なんだ、と思いつつ、しかしバイロンは黙っていた。

 そして「分かりました。今日はありがとうございました。領主代行人のお役目、しっかりと務めさせていただきます」と深く頭を下げた。



第三十一話につづく

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

次回の更新をお待ちくださいませ。

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