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一人二役の精霊王さま  作者: I*ri.S
28/51

第二十八話

「一人二役の精霊王さま」第二十八話です。

本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。

 セルヴィッジ侯爵との面談を終えて職場に戻ったバイロンは、部下たちの消えた無人の室内で、自分の机に置かれたメモを見つけた。

 メモにはこの棟を管理する事務官の筆跡で、『ランズベリー伯爵家から使いあり。業務終了時の午後四時に迎えの馬車を送るとのことです』とあった。

 その簡潔な伝言を読み、バイロンはゴクリと喉を鳴らした。

(いよいよ、来たな……)

 ウェッバーが言っていた。おそらく伯爵は彼を自宅へ招き、愛妻の病に悩む友人を慰める態で、取引を持ちかけてくるだろうと。

 じつは最近、万病に効くという高価な薬を手に入れた、だが大変貴重な薬なのでタダでは譲れない、男爵家でもっとも価値のあるモーリスの書と交換ならば薬を譲ってもいい、薬が偽物であったなら賢者の書はお返しする、とでも言って。

 ウェッバーはそう言っていた。

 伯爵からその取引を持ちかけられたら、即答はせずに、「しばらく考えさせて欲しい」と答えなさいとも。


 約束の時間。

 バイロンは伯爵家が用意した馬車に乗り、そのままランズベリー家へ行った。むろん彼にとって、初めての伯爵家訪問だ。

 ブライアン・ランズベリーは男爵を笑顔で迎え、彼を応接室でなく自分の書斎に連れて行った。そこで彼は客に秘蔵の酒を勧めたが、バイロンは丁重にそのもてなしを辞退した。

 はたして、その後の伯爵は、ウェッバーが予言した通りの行動をとった。

 伯爵曰く、「男爵夫人が重篤な病に苦しんでいると聞き、自分も非常に心配している」。曰く、「同じ貴族として家庭を持つ夫として、男爵の心痛はいかばかりかと同情を禁じ得ない」。曰く、「このタイミングで神の采配とばかり、自分は外国の取引先から、ホシミの国の高名な薬師が調合したという、効果絶大と言われる万能薬を手に入れた」。曰く、「この薬を、必要としている男爵に譲ることはやぶさかではないが、あまりに高価な薬だったため、ただというわけにはいかない」。

「そこで、どうだろう」

 膝が当たりそうなほど近づいて、ランズベリー伯爵はハーリー男爵の顔を覗き込んだ。

「以前、私が金貨五百枚で買い取らせて欲しいと言った、例のモーリス・ブレアムの自叙伝だが。今回の薬も、ちょうど金貨五百枚だったんだよ。だから薬を譲る対価として、あの本を私に譲ってもらえないだろうか」

 それまで黙って話を聞いていたバイロンは、唖然として口を半開きにした。

(本当に、ウェッバーが言った通りだ……)

 それを単純な驚きの表情と解釈した伯爵は、「戸惑うのも無理はない」と神妙な口調で言った。

「だが考えてみてほしい。愛する妻の命とただの写本。どちらの価値がより重く大きいかを」

「それはもちろん、妻の命です」

 バイロンは即答した。これは本心だった。

「しかし、妻が病気になってまだ十日ほどで、今すぐどうこうという病状ではありません。今現在も、知り合いの司祭に継続して治療をお願いしております。高価な薬を使わずとも、妻の病気が治る可能性もあります」

 自分でも意外なほど冷静にすらすらと、バイロンはあらかじめ決めておいた台詞を口にすることができた。

 ランズベリー伯爵は「ああ、そうかもしれないね」と含みのある表情で言った。

「そうなったら、もちろん、それが一番最良の結果だ」

 だが、と彼は続けた。

「このままずっと奥方の病は改善しないかもしれない。この先、もっと病状が重くなる可能性もある。今回の場合、奥方の命が脅かされる前に手を打つ方が、賢明な選択に思えるのだが……。どうだろう」

「……はい」

 まっすぐに相手の目を見て、バイロンは答えた。

「ですが、話は我が男爵家の家宝に関わること。今この場で即決はできません」

「……ふむ。まあそうだろうね」

 伯爵はいきなり興味を失くした顔つきで、自分が手にした酒のグラスを空にした。

 そして、「まあ、今のところその薬を使う予定はない。誰かに譲る予定も。だがいつまでも私の手元にある保証もない。できれば近日中に、もう一度正式な返事をもらえるとありがたいね」と言った。


 ―― 三日後。

 バイロンはふたたびランズベリー伯爵家を訪れ、家宝である賢者の書(偽物)と万能薬(偽物)を交換した。

 ハーリー男爵家から家宝を騙し取ることに成功したランズベリー伯爵は、さっそくお抱えの学者たちにその本を渡し、魔神が封印された場所を特定するよう指示した。

 しかしモーリスの時代の言葉は今は廃れた古語であり、その解読には相応の時間がかかると思われた。

 しかもこの本は有沙が魔法で複製した偽物であり、ところどころ意味不明の記号(主に画数の多い漢字や日本独自の温泉マークなど、オスティアでは絶対に見かけないものたち)を混ぜて、解読をより難解にしている。世界一優秀な言語学者であっても、おそらく全てを解読することは不可能だろう。


       ***


 男爵が伯爵家を再訪した翌日。今度は執事のウェッバーが、秘密裏に伯爵の許を訪れた。

 ただし彼が向かったのは伯爵邸ではなく、商業地区に構えた伯爵の個人オフィスだった。裏の仕事を担ってきたウェッバーは、これまでも伯爵の自宅を訪れたことはない。

 事前に連絡を受けていた伯爵は、いかつい体つきの護衛とともに、オフィス自室でウェッバーと会った。

「ご無沙汰しております、伯爵」

 病み上がりでいくぶん痩せたウェッバーは、杖に上半身を預けた体で、雇用主に向かってぎこちなく頭を下げた。

 顔色の悪い部下を見て、伯爵は「ふん」と軽く鼻を鳴らし、「いきなり私に会いたいなどと、いったい何の用だ」とつっけんどんに訊ねた。

「男爵家での目的は達した。お前もそろそろ、男爵家を出る用意をしろ」

「それが……、誠に申し上げにくいのですが、先日大病を患って以降体調がすぐれませんので、ここらでお暇をいただけたらと思いまして……」

 以前と変わらぬへりくだった笑みと態度で、ウェッバーは言った。

「私のような下賤の者を拾い、仕事を与えてくださった大恩ある伯爵様に、ろくに恩返しもできずこのようなお願いをするのは、非常に心苦しくあるのですが……。御覧の通り、日常生活もままならぬ体になりまして……。この体では、今後、到底お役に立てるとも思えませんので……」

「……フン」

 伯爵はまた鼻を鳴らしたが、今度はすこし勢いがなかった。

「まあお前には、これまでよく働いてもらった。体を悪くしたのなら仕方ない。暖かい土地に移り、静養するのがいいだろう」

「はい。ぜひそうさせていただけたら、と」

「……それで?」

「はい?」

 小首を傾げるウェッバーを、伯爵は鋭い目つきでじろりと睨んだ。

「退職金はいくら欲しいんだ」

「えっ!」

 ウェッバーは明らかに驚き、「め、滅相もございません!」と杖を持っていない方の手を大きく振った。

「退職金だなんて、そんな! これまでいただいた報酬で十分でございます!」

「本当にいらんのか?」

 疑いの目で自分を見つめる元雇い主に、ウェッバーは焦りながら「いりません! いえ、いただけません!」と必死に訴えた。

 伯爵は鋭い目つきのままで、「……お前」と低い声で言った。

「まさか金を受け取ったら、私に殺されるとでも思っているのか?」

「えっ! いやっ、そんなまさか……!」

「……ふっ」

 そこで初めて、伯爵は口元を緩め笑った。

「心配するな、殺しなどせん。お前には強力な誓約の魔法をかけている。それが効いている限り、お前は知り得た秘密を話すことも文字に書き記すこともできん。おまけに病人だ。そんな弱者を虐げる趣味は、私にはない」

 意外なその言葉に驚くウェッバーを、伯爵は余裕の表情で見返した。

「それに、解雇するたびに部下を殺していては、私の下で新たに働こうと思う者がいなくなる。そんな愚行は犯さん」

「伯爵様……」

「それで、これが最後の問いだ。本当に退職金はいらんのか? お前は身寄りも友人もなく、弱った体では新たな働き口を見つけるのも難しいだろう」

 伯爵はそう言って、机の引き出しから重そうな巾着袋を取り出した。

「銀貨が百枚ほど入っている。このくらいは受け取っておけ」

「はぁ……。では、遠慮なく……」

「ああ。達者でな」

「はい……。失礼いたします……」

 来た時とは対照的な気の抜けた顔で、ウェッバーは伯爵のオフィスを出た。


「意外な展開だったね」

 表通りに出たとたんに声を掛けられて、ウェッバーは「わぁっ」と小さく叫んだ。そこで声の主を見て、「ああ、あなた様でしたか……」と声のトーンを落とす。

 有沙はいつものリディアの姿で、ランズベリー商会のビルから出てきたウェッバーに、ニッコリと笑みを向けた。

「どうやら伯爵は本当に、あなたを殺すつもりはないみたい。むしろ呪物のせいで病気にしてしまったと考えて、申し訳なさすら感じていたよ。退職金の銀貨は、きっと伯爵なりのお詫びの気持ちだね」

「なぜ、そんなことがお分かりになるのですか」

「私には分かるの」

 有沙はそこで、ウェッバーの目の周囲にある黒い痣を見て、ニヤリと笑った。

「その顔の痣、エドガーに魔法で描いてもらったんでしょう。元々あった痣は全部消えたの?」

「あ、はぁ……」

 いきなり話題を変えられて、ウェッバーは戸惑いながら同意した。

「そうなんです。初めてリディア様にお会いした日から、日を追うごとに痣が薄くなっていき……。今はほとんど、普通の皮膚と変わらない色になりました。しかし、いきなり痣が消えたら伯爵様に不審がられると思い、エドガー様にご相談し、魔法で痣を作っていただいたんです」

「良かった。だいぶ瘴気が浄化されたんだね」

 すっかり人が変わった元間者を、有沙は気さくな笑顔で見つめた。

「どちらにしろ、ウェッバーという人間は今日これからいなくなるよ。あなたには名前と姿を変えて、チェスナス地区でハーリー男爵の補佐についてもらうね」

「名前はいいのですが、姿まで変えるのですか? 魔法でそんなことができるのですか」

「魔法じゃないよ、ダイエットするんだよ」

「えっ……」

“ダイエット”と聞いてウェッバーは顔色を変えた。食べることと呑むことを生きがいにしているため、これまでの人生、減量や節制という行為とは無縁に生きてきた。ゆえに、困惑と不安からの「えっ……」だった。

「見た目を変える魔道具はあるけど、あなたの場合、目立つ顔の痣も消えたし、これでダイエットして体型を変えたら、もう完全な別人になれると思うの。あ、新しい身分証は私が用意するから、名前と国籍の希望があれば教えてね」

「あの、リディア様……。しかし私は、運動や減量は大の苦手でして……」

「知ってる。でも大丈夫だよ。ニンファレアの森にあなたがダイエットするための専用小屋を作ったし、筋骨隆々なお兄さんたちが、付きっきりで指導してくれるから。どんなに意志薄弱な人でも、絶対減量できると思うよ」

「えっ、ニンファレア? あの、リディア様……。もしかして、私をからかってらっしゃるのですか……?」

「ううん、真面目に言ってるよ。超~真面目!」

 そこで有沙はウェッバーの腕を掴むと、人気ひとけのない裏路地に入った。そしてそのまま有無を言わさず、ニンファレア国の大森林へと飛んだ。

「えっ、えっ……」

 温暖な気候のウィスタリアから、いきなり寒さが厳しい北方の地に運ばれて、ウェッバーは思わず両手で自身の体を包むように抱いた。

「り、リディア様……、もしやここは……」

「ニンファレアの大森林だよ」

 有沙は目の前の質素な丸太小屋を指し、「今日からあそこが、あなたが寝泊まりする場所ね」と言った。

「そんな……」

 寒さとショックで青ざめたウェッバーは、その小屋の中から現れた二人の人物に、また顔色を変えた。

「おお、この者が例の、瘴気によって心も体も腐りかけていたところを、リディア様の御業によって救われたという、幸運な悪党ですか!」

 雷鳴のような野太い声が、深い森の中で木霊する。

「今日から我々が、この者を性根から鍛え直してやるということですな! 腕が鳴りますなぁ!」

 燃えるように熱い口調で、もう一人の人物が言った。

 有沙は肉体を与えた二人の精霊、ローガンとマーカスを見て、満足げな顔でニッコリと笑った。

「そういうわけで、二人とも。死なない程度によろしくね」

「かしこまりました!」

「必ずや、ご期待に応えてみせましょうぞ!」

「な……、なん……」

 突然現れた筋骨隆々な巨躯の男二人を前に、ウェッバーは失神寸前の状態だった。有沙はそんな顔面蒼白の元間者に向かい、「じゃ、頑張ってね」と手を振り、そのまま消えた。

「あっ!」

 ウェッバーはとっさに手を伸ばしたが、その手はただ虚空を掴んだ。

「……さて。まずは腹ごなしに、軽く腹筋千回といこうか!」

 ローガンが言った。

「いやいや、先に走り込みだ。この小屋を中心に半径二〇キロほど結界を張った。結界内を何周か走れば、いい具合に体も温まるだろう」

 マーカスが反論した。

 だが当のウェッバーには、彼らが何を言っているのか理解できなかった。いや、言葉は理解できたが、あまりに心の許容量を越えた内容だったために、頭が理解することを拒んだのだ。

「これは夢だ……。そうだ、夢に違いない……」

 寒さと恐怖でガタガタ震えながら、哀れな小男は必死に悪夢から目覚めようとした。

 しかし精霊王の命に忠実な二精霊にとって、一人の矮小な人間の祈りなど、路傍の石ほどの意味も持たなかった。

「まあ、どちらが先でも良い」

「そうだ。両方こなせば済む話だ! 早くせんと日が暮れてしまうわ!」

「人間は飯を食わねば死ぬ生き物だからな! 結界の外にはこの土地特有の獣もわんさかおる。それらを狩って調理する時間も必要だからな!」

「そうだ! だからまずは、走り込みからだ!」

「何を言っておる! 先に腹筋をして走り込みをして、そのまま結界の外で狩りをする方が効率が良いだろう!」

「む……。仕方ないな。ではまず腹筋からか」

「そうだ、腹筋千回だ!」

「その後で走り込みと狩りだな!」

「ああ……夢だ、これは夢だ……。早く目よ覚めてくれ……」

「おい、こら、何を一人で騒いでいる!」

 見えない神に祈りながら、ブツブツと呪文のように独り言をつぶやくウェッバーの襟を、マーカスがその大きな手でグイと掴んだ。

「うひゃあっ!」

 身長一五〇センチのウェッバーを、二メートルを越す巨躯のマーカスが片手で持ち上げ、ローガンが即席のトレーニングマット(木製なのでとても堅い)を作り、顔面蒼白の彼を仰向けに寝かせた。

「よし、始めろ!」

 火の精霊の怒号が辺りに響く。

「きっちり千回だぞ! 一回でもさぼったらただではおかんぞ!」

 雷の精霊が追い打ちをかけるように言った。

「ひぃいっ。わ、分かりましたぁ……」

 二人の巨人に挟まれ、ウェッバーはやけくそのように腹筋を始めた。

 そして今、この瞬間から。

 彼にとって、地獄の百日間が始まった。


 第二十九話につづく

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

次回の更新をお待ちくださいませ。

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