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一人二役の精霊王さま  作者: I*ri.S
24/51

第二十四話

「一人二役の精霊王さま」第二十四話です。

本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。

 王都に戻った有沙は、男爵家の庭でエドガーと合流した。

「指輪はどうなった?」

「はい。例の男たちがダグラスの部屋から持ち出しましたが、ウェッバーが動けない状態なので、彼の友人を装って直接ハーリー男爵に渡しました。指輪の細工に納得が行かなかったので、すこし手を加えさせてもらった、と適当な言い訳をつけて」

「ふぅん。じゃああの部屋に入って、ダグラスの遺体を見つけたんだね。そっちは?」

「どうやら宿の主人と仲間らしく、金を渡して死体の処分を命じていました」

「宿の主人はどうしたの?」

「町の教会にいる司祭に、客が急死したので埋葬したいと頼んでいました。どうやらあの地区では、身元不明の死体はあまりめずらしくないようです。司祭の簡単な検分のあとで、棺桶に入れて馬車で運んでいました。そのまま国営の無縁墓地に埋葬するようです」

「ふぅん……」

 有沙はそこで、また何事かを考えるように口を閉じた。

 エドガーは懸念顔で、「ダグラスは、例の村へ連れて行ったのですか」と訊ねた。

「うん。ついでに彼の家族もね。村の代表はドルフさんに頼むつもりだけど、技術指導係には元研究者だった彼が適任だと思うの」

「そうですね。あれほど完璧な呪術を完成させた男ですから、かなり優秀でしょう」

「エドガーは、私のやり方を甘いって思う?」

「えっ……」

「呪術を行ったダグラスは、もっと厳しく罰するべきだと思う?」

 有沙のまっすぐな視線を受け、エドガーはにっこりと笑った。

「いいえ。そのようなことは思いませんでした」

 無言の精霊王に、闇の精霊は柔らかな表情で言った。

「もし人族同士の裁きであれば、呪術を行った彼は極刑に処せられたでしょう。しかし人が人を罰する行為は本来、同じ罪を犯す者が出ないようにという、見せしめの意味がありました。今回の件は公になっておらず、彼を人が罰する必要はありません。また彼はすでに魂に穢れを負い、神罰は受けています。であれば残りの人生、他者への献身と奉仕を行うことで、その穢れを少しでも浄化していく、それが彼に許された最良の道だと思います」

「うん、そうだね。彼は罪を犯したけど、良心までは失っていない。救出された今、もう二度と悪事に手を染めることはない。だから私はダグラスを助けたの」

「はい。以前と変わらずお優しい精霊王様で、僕もホッとしました。ウェッバーのことも、彼が改心することを見越して病気にしたのでしょう?」

「うん、まぁね」

 人間に姿を見えなくしたまま、有沙は男爵家に侵入した。

「あのハーリー男爵は、すっごくいい人みたいだったから。ウェッバーが病気になったら、きっと必死で助けようとしてくれるだろうなって思ったの。男爵家が貧乏になったのも、困っている友人や使用人にお金を貸したり、寄付をたくさんしたのが理由みたいだし」

「お人好しも、あそこまで行けば病気だと思いますが」

 辛口な闇の精霊の言葉に、有沙はクスリと笑った。

「そうだね。まるで童話の幸福の王子みたい」

「チキュウには、ハーリー男爵のようなお人好しの王子がいたのですか?」

「うん。王子とツバメがね」

 有沙はそこで、眠っているウェッバーの枕元に立ち、耳元でパチリと指を鳴らした。

 直後、ウェッバーは目を覚まし、驚いた顔で起き上がった。

「あっ、旦那様は……、指輪は……!」

 寝巻姿のまま、ウェッバーは慌てて部屋を飛び出していった。

 彼が向かったのは男爵の書斎だった。その書き物机に置かれた箱を見て、ウェッバーは顔色を変えた。

「ウェッバー! 起き上がって大丈夫なのか? まだ寝ていないとダメじゃないか」

 男爵の注意の言葉も耳に入らない様子で、ウェッバーは半死人の顔色で箱を手に取った。蓋を開けて中身を確認した彼は、それを手に部屋から出て行こうとした。

 しかし見えない透明な壁に阻まれ、箱を持ったまま大きく尻餅をつく。

「ウェッバー!?」

 家臣の思いがけない行動に、男爵は目を丸くして驚いた。

 だが、もっと驚いたのはウェッバーの方だ。彼はドアに向かって手を伸ばし、そこに現れた透明の壁を撫でた。

「これはいったい……」

 茫然とする二人の男は、その場にいきなり二人の男女が現れて、さらに仰天した。

 初めて見る、黒髪の美青年と金髪の美少女を前に、先に口を開いたのはハーリー男爵だった。

「なっ、何だね、君たちは! いったいどこから……!」

「黙れ」

 騒ぎかけた男爵の口を、エドガーが魔法で封じる。彼はそのまま、男爵とウェッバーを強引に床に跪かせた。

「こちらにおわす方をどなたと心得る。本来ならばお前たちのような人族は、そのお姿を目にすることも叶わぬ、この世界においてもっとも高貴でもっとも尊きお方だぞ。頭が高い。平伏せよ」

 エドガーの言葉に従って、二人は抗うこともできず床に額を擦りつけた。

(え……。何このすごい既視感……。私、昔こういうのをテレビで見たよ……。助さんと格さんがいて、印籠を掲げて「ひかえおろ~っ」って言うやつ……)

 自分が黄門様役なのだと自覚し、有沙は思わず顔を赤らめた。

「あー……、えー……。とりあえず、エドガー。あの指輪を持ってきて」

「はい」

 エドガーはウェッバーの手から箱を取ると、有沙の前で片膝を突いて「どうぞ」とそれを両手で掲げた。

「……ありがと」

 有沙が箱から指輪を取り出すと、ウェッバーが思わず「あっ、それは……!」と声を上げる。

「呪いの指輪、でしょう?」

 有沙の指摘に、ウェッバーの顔色が変わる。

「いいんだよ。全部知ってるから」

「呪いの指輪……?」

 事情が分からず戸惑い顔の男爵に、有沙は「そうなの」と笑顔で答えた。

「今この指輪にはね、けっこう強力な呪術がかけられてるのね。おまけに高位の魔導士や司祭でも見つけられないほど、巧妙に隠蔽の術もかかっていてね。指輪の持ち主は原因不明で治療法もなく、徐々に体が弱っていくっていう、怖い呪いの指輪なの」

「え……」

 有沙の説明を聞いても、男爵はただポカンとするばかりだった。

「あのね、ハーリー男爵。じつはこのウェッバーは、ランズベリー伯爵の部下だったの。そして伯爵の命令で、この家の家宝である賢者の書を手に入れるために、この屋敷に入り込んだの。つまり、スパイだね。間者って言った方が分かるかな」

「ウェッバーが、ランズベリー伯爵の……間者……」

「そう。伯爵は、呪いの指輪を使って男爵夫人を病気にして、その治療薬と引き換えに賢者の書を手に入れる計画を立てていたの。だけど夫人より先にウェッバーが病気になって、あなたは彼の治療薬と賢者の書を交換した。これはまだ、伯爵は知らないことだけどね」

 何もかも承知らしい有沙の言葉に、ウェッバーは土下座したままただ黙っていた。男爵は男爵で、初めて聞かされた事実にショックを受け、言葉も出ない様子だった。

「でもね、ウェッバーはたしかにあなたを裏切ったけれど、回復してすぐに真実を告げようとしたんだよ。誓約の魔法のせいで言えなかったけどね。あと今は、指輪を持って逃げようとしたでしょう? これもね、呪いの指輪を男爵家から遠ざけようとした行動なんだよ」

「…………」

 有沙の説明を聞いても、男爵は黙っていた。その顔はすでに落ち着きを取り戻していたが、顔をうつむけているウェッバーには見えない。

「あ、ちなみに誓約の魔法は、もう私が無効にしておいたから」

「えっ!」

 そこで初めてウェッバーが顔を上げた。

「本当だよ。試してみて」

 有沙に促され、ウェッバーは隣に座る男爵を見つめた。

「だ、男爵様……。まことに、申し訳ございませんでした……」

 伯爵家のスパイは後悔の涙を浮かべ、男爵に向かって深々と頭を下げた。

「この少女の申していることは、すべて真実でございます……。私はランズベリー伯爵家に雇われた間者でございます。私は伯爵の命で、男爵家の家宝である賢者の書を奪おうと画策しておりました……。あの指輪も、そのために用意した呪物です。お優しい旦那様と奥様を、今までずっと騙しておりました。……申し訳ありません」

「ウェッバー……。まさか……本当に?」

「……はい。いくら命令とは言え、聖人がごとき善良な男爵様と奥様を危険にさらし……、私めの命をもって償っても償いきれない、深い罪を犯しました……」

「あ、懺悔は後にしてくれる?」

 深刻きわまる空気の中、有沙はあっけらかんと水をかけた。

「とりあえずこの呪いの指輪は、石も細工もすごくいい物だから、解呪して普通の指輪にするね」

 左手に指輪を持ち、右手をそこにかざして、有沙は一瞬で解呪を終えた。

「はい、これでもうこの指輪は無害だよ。あと祝福の効果もつけておいたから、奥さんへの結婚記念日のプレゼントには最適だと思う。じゃ、返すね」

 有沙は指輪を箱に仕舞うと、男爵に手渡した。

 思いがけない言葉を聞いて、男爵とウェッバーは同時に「えっ」と声を上げた。

「あの……解呪したって……本当に……?」

「うん。ついでに祝福の効果もあるから、これを身につけていると体調も良くなると思うよ」

 返却された指輪を、男爵とウェッバーは茫然と見つめた。

 さらに有沙は一冊の本を手元に出して、「あとね」と、その本を男爵に差し出した。

「この本も男爵家に返すね」

「こっ、これはっ……!」

 通称『賢者の書』、モーリス・ブレアムの自叙伝がふたたび現れて、男爵とウェッバーは驚くのを通り越し、完全に呆けた顔つきになった。

「ごめんね。ウェッバーを改心させるために、男爵を試すような真似をしちゃって」

 有沙はウィンクをして男爵に詫びた。

「ただね、この本を持ったままだと、男爵家はずっと伯爵家に狙われると思うの。だから、こっちの本物そっくりのフェイク本も、男爵に預けるね」

 いつもの万能魔法で作成した賢者の書の偽書を、有沙は本物の上に載せて男爵に渡した。

「これ、見た目はそっくりだけど、中身は別物だから。間違って本物を渡さないでね」

「え……、な……」

「とりあえず奥さんには仮病を装ってもらって、しばらく寝込んでもらうの。で、ウェッバーは伯爵に、こっちの偽物の方を渡して。それで仕事を終えたら、あなたには死んでもらうね」

「えっ!」

 叫んだのは男爵の方だった。

「あの、お嬢さん!」

「私のことはリディアって呼んで」

「り、リディア嬢……」

 二冊の本と指輪の箱を手に抱え、男爵は戸惑い顔で言った。

「私は、ウェッバーのことは、とくに恨んでおりません。ランズベリー伯爵の命であれば、彼に断る選択肢は与えられなかったでしょう。ですから、彼を死なせる必要は……」

「旦那様……」

 男爵の言葉にウェッバーが瞳を潤ませる。

 ふたたび有沙は、「はい、ストップ!」と、またシリアスな空気を止めた。

「和解は後にして。あと、二人とも勘違いしないでね。私は、ウェッバーを本当に死なせるとは言ってないよ。ただどうせ今回の仕事が終わったら、彼は伯爵に殺されると思うの。だから彼にはいったん死んでもらって、別の場所で別人として生きてもらおうと思ってるの」

「そ、そんなことが可能なのですか……」

「うん。ほとんどのことは可能だね」

「あなた様は、いったい……」

「そこは詮索しないで」

 有沙はピシャリと言い捨て、「とりあえず、ウェッバー。あなたにはこれまで通り、伯爵のスパイのふりをしてもらうよ。ダブルスパイってやつね。で、伯爵には体調不良を理由に退職を申し出て。そうしたらきっと、刺客が送られてくると思うから、いったん殺されて。それからある場所に移住して、そこで別の仕事に就いてほしい」

「…………」

 あまりの急展開に心が追いつかないウェッバーは、しかし頭の方はしっかり回転させたようで、控えめな声で「はい」と答えた。

「……ですが」

 変わらず床に両膝を突いたまま、伯爵家の間者だった彼はうなだれ言った。

「ここを離れたら私は、男爵様にお詫びする機会を永遠に失ってしまいます……。それがあまりに心残りで……」

「うん、それも大丈夫」

「え……」

 呆気にとられるウェッバーを無視し、有沙は今度は男爵に向かって告げた。

「ハーリー男爵。あなたは今、王都で隠居同然の生活を送ってるよね。いちおう宮廷内での職はあるみたいだけど、すごく閑な部署でお給料も安いんだよね?」

「は、まぁ……」

 あまりに不躾で直球な指摘だったが、完全な事実であるために、男爵は渋々うなずいた。

「だからその仕事は辞めて、新しい仕事をしない?」

「新しい仕事とは……」

「セルヴィッジ侯爵領チェスナス地区の、領主代行の仕事だよ」

「は……」

 ふたたび飛び出した衝撃発言に、もう男爵もウェッバーも驚く気力すらなかった。

「まあ、侯爵には今から話を通すんだけどね。私の計画では、これからチェスナス地区を大穀倉地帯にしていくつもりなの。チェスナス山の麓から王都までの、セルヴィッジ侯爵領全体で、ウィスタリアの全国民の食を支えられるくらいに」

「…………」

 有沙の一大構想に、しかし男爵と執事は無言だった。どう反応したらいいのか分からなかったのだ。

「……まぁ、今は村民九人の小さい村しかないけど。領民が増えて村の規模も大きくなったら、領主は絶対いるの。だけどトマスパパ……セルヴィッジ侯爵は王都を離れられないでしょう。だから現地に住んで侯爵家と領地民の橋渡しをする、領主代行人が必要なの。その役には、男爵みたいに良心的な貴族がぴったりなんだよね。それでウェッバーには男爵の補佐として、領地管財人をやってもらいたいの。男爵は実務が苦手みたいだから、ウェッバーみたいにしっかり者で知恵が働いて、裏社会にも精通した補佐がいると最高なわけよ」

「…………」

 有沙の弁を聞いても、二人は押し黙っていた。

 見かねてエドガーが、「お前たち、返事をしないか」と命じる。

「……お話は分かりました」

 静かな声で男爵が言った。

「ですが現在の職を辞するにも時間がかかりますし、本当にセルヴィッジ侯爵家が代理の領主を必要としているかも不明です。そしてランズベリー伯爵に偽の書を渡すことで、私や家内や、ウェッバーに危険が及ぶ可能性はないでしょうか」

「ない」

 有沙の代わりにエドガーが答えた。

「リディア様の計画に、ランズベリー伯爵ごときが歯向かうことなど不可能だ。我々がそれを許さない」

「しかし……」

「うん」

 まだ何事かを言いかけた男爵の言葉を、有沙は一言で封じた。

「いろいろ心配なのも分かるよ。とりあえず男爵はこのまま普段通りに過ごしてもらってかまわないし、ウェッバーも伯爵のスパイを続行して。ただランズベリー伯爵の悪だくみは阻止させてほしい。だから男爵夫人には病気になってもらう必要があるし、伯爵に渡す本は偽物の方じゃないと困るの」

 有沙は右手の人差し指をピンと立て、「ウェッバー。あなたはもう経験したから、本当の病気がどれだけ苦しいか知っているでしょう」と言った。

「あなたを病気にしたのは私だし、治したのも私。薬を売りにきた老婆も私。私には色んな力がある。だけどスパイだったあなたはともかく、善良な男爵夫人を魔法で病気にはしたくない」

(これは脅迫だ)

 そのことを自覚しながら、有沙は冷徹な表情で続けた。

「男爵、もうすぐ来る結婚記念日には、予定通り奥様にその指輪を渡してください。そして翌日から、奥様には病気のふりをしてもらってください」

「リディア嬢……。もしその要求を断ったら、妻は本当に重い病に罹ることになるのですか」

「そう。表面上、伯爵には計画が上手くいっている、と思わせたいから。それにその方が、男爵家に危険が及ぶ可能性が低くなるから」

「…………」

 それまで黙っていたウェッバーが、「旦那様」と強い口調で言った。

「とにかくここは、リディア様の言う通りにしてみましょう」

「ウェッバー……」

 やつれて少し精悍な顔つきになったウェッバーは、これまでとは違う色の光を瞳に灯し、真の主となった男爵の顔を見つめた。

「私はこれまでずっと、社会の落伍者でした。ランズベリー家に雇われてからも、今回のような間者や密偵といった、裏の仕事ばかり命じられました。いつも孤独で、常に周囲に蔑まれて生きてきました。それが自分だと諦めておりました。身も心も醜い自分には、そういう人生がお似合いだと……」

 大きな痣が目立つ顔を悲痛に歪め、ウェッバーは独白した。

「しかしあなた様のおかげで、私は今日、生まれ変わりました。この先の残された人生は、男爵様と奥様の幸せを守るためだけに捧げたいと思っております。もし許されるのでしたら、あなた様に一生の忠誠を誓わせてください」

「ウェッバー……、お前……」

 ウェッバーは男爵の正面を向いて、床に両手を突き深々と頭を下げた。

「その上で進言申し上げます。我が国で領主代行人には、その家の家令か当主の子息、兄弟などが就くのが通例。もしその常識から外れ、セルヴィッジ侯爵が旦那様に代行職を依頼なさったならば、こちらにおいでのリディア様のお言葉が真実ということの証となります。セルヴィッジ侯爵家はランズベリー伯爵家よりも高位貴族であり、侯爵様は清廉潔白な人柄の上、立派な武人です。あの御方の後ろ盾を得ることができれば、ハーリー男爵家にとってこれほど心強いことはございません」

「それはそうだが……」

 どうもこと自身の問題となると、いきなり決断力が削がれるらしい。渋る男爵の態度に、有沙は「ハァ」と短く息をついた。

 とたんに二人の男たちは、怯えた顔でビクッと肩を竦ませた。

「まあ、私の言いたいことは全部伝えたし。とりあえずランズベリー伯爵に本を渡したら、あらためてセルヴィッジ侯爵家から連絡が入ると思うから。……エドガー」

「はい」

「私は家に帰るから、あとはお願いしていい?」

「かしこまりました」

 エドガーが深く腰を落として礼をすると、有沙は「じゃあ男爵。またね」と男爵にだけ手を振って姿を消した。

 突然現れ突然消えた謎の少女に、男爵もウェッバーも呆然としていたが、一人だけ残ったエドガーがそこで黒い猫に変身したのを見て、「うわぁっ!」とふたたび腰を抜かすほど驚いた。

「いちいち騒ぐな」

 黒猫の姿になって、エドガーは二人の男に命令口調で告げた。

「とにかくお前たちは、さきほどリディア様が仰った通り、ランズベリー伯爵を騙すことに専念せよ。計画が無事完遂されるまで、僕が近くで見張らせてもらうからな」

「そ、その猫の姿で、ですか……?」

 ウェッバーの問いに、エドガーは「猫が気に入らなければ、犬でも鳥でも蛇でもかまわないが、これが一番、屋敷内をうろついても違和感のない姿だろう」と答えた。

「た、確かに……」

 ウェッバーが大人しくなると、今度は男爵が「あの……」と声を上げた。

「さきほどのお嬢さんがリディア様で、あなた様のお名前はエドガー様でよろしいでしょうか」

「ああ」

「あの、もしかしてエドガー様は、闇の精霊でいらっしゃるのでは……」

 さすがに博識な男爵は、短い時間に得た情報でエドガーの正体に気づいた。

 黒猫の姿のまま、エドガーは「だとしたらどうだと言うのだ」と冷たい声で答えた。

「闇の精霊は精霊界でも光の精霊と並ぶ最強最上位の精霊と聞きます。そんな高位精霊であるあなた様が、あのリディア様にかしずかれている。もしかしてリディア様の正体はせいれ……」

「黙れ」

 エドガーが命じたとたん、男爵は強引に声を封じられた。

 しかしそれで、男爵は全てを察した。同時に、自分がとても強大な存在に直に触れたことに気づき、「おお……」と驚嘆の声を上げる。

「何ということだ……」

「旦那様。どうなさったのです?」

 二人の会話をよく聞いていなかった執事に、男爵は「ウェッバー!」と勢い込んで言った。

「こうしてはおれん! 今から妻を呼んで、これからの計画を三人で話し合うぞ!」

「はっ、はい……?」

「リディア様やエドガー様のことは、妻には話せん。だからそこは、お前がうまいこと言ってくれ。私は嘘がつけん!」

「えっ、えっ……。どうされたのですか、いきなり……」

「リディア様の計画に乗れ、と言ったのはお前だろう。私もそうするのが良いと思ったのだ」

「さ、左様で……。ではあの、エドガー様のことは、奥様には何とご説明を……」

「それもお前が考えよ」

「ま、丸投げですね……」

「そうだ、丸投げだ。だが人には適材適所というものがある。お前は口が巧いのが特技なのだろう。今日からはそれを、ハーリー男爵家のためだけに使いなさい」

 男爵のその言葉を聞いたウェッバーは、彼の言外の意志を感じ取り、喜びに頬を紅潮させた。

 そして感極まった表情で、「ははぁっ!」と深く頭を下げた。


第二十五話につづく

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

次回の更新をお待ちくださいませ。

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