第二十三話
「一人二役の精霊王さま」第二十三話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
はたして、ダグラスの希望は有沙に聞き入れられた。
「それならちょうど、あなたに任せたい仕事があるんだよね」
そう言って有沙は、可愛らしいシマエナガから、旅人の扮装をしたリディアへと姿を変えた。
「えっ!」
「あ、驚かないで。今からはこの姿の方が都合がいいから、こっちに変身しただけなの」
「あの、さきほどの小鳥と、同じ精霊様なのですか?」
「うん。あ、私のことはリディアって呼んでね」
「わかりました。……リディア様」
(様はいらないんだけどなぁ……)
これは心の中だけでつぶやき、有沙はダグラスと共にまた場所を移動した。
そこはウィスタリアの西に位置し、王都からかなり離れた辺境地だった。かつては貴重な鉱石が採れた場所だが、それらも掘り尽くされ今は荒れた森と廃鉱山しかない。セルヴィッジ侯爵領ではあるものの、領民もいない見捨てられた土地である。
「ここは……」
周囲を見回すダグラスに、有沙は「チェスナス山の麓だよ」と教えた。
「えっ。バーウィッチの森から、一瞬でチェスナス山へ飛んだということですか!?」
馬車を使っても半月はかかる距離だ。ダグラスが驚くのも無理はない。
「うん。エド……仲間たちと相談して、ここが一番安全かなってことで」
勝手知ったる土地を行く足取りで、有沙はダグラスの数歩前を歩いた。
森を出ると均された道が現れ、「こんな人里離れた場所に……」とダグラスは戸惑った。
さらに驚いたことに、道の先に人家が現れた。頑丈な木材を使って建てられた立派な家が複数。家の傍らには綺麗な水を湛えた小川が流れ、畑や果樹園もある。
「こんな所に村が……」
「うん。私が作ったの」
「えっ!」
「ここはもともと、鉱山で働いていた人たちの集落があった場所なんだけど、家も畑も荒れ放題だったから、それをちょっと手直しして、ついでに井戸を掘って川も作って、住みやすい環境に変えたの」
驚くダグラスを連れ、有沙は村の入り口に一番近い家のドアを叩いた。
「こんばんはー。ドルフさーん。リディアでーす」
有沙の呼びかけに、すぐに中からドアが開く。
「おう、嬢ちゃんか。いつもながら突然だな」
「こんな夜遅くにごめんなさい」
「いやいや、かまわんよ。あんたならいつ来ても大歓迎だ」と言って、ドルフは深夜の訪問者を室内に招き入れた。
「ところで、この初めて見る兄ちゃんは? いつも一緒のエドガーはどうしたんだい」
「うん、今日はエドガーとは別行動なの」
「ロイたちにはもう会ったか?」
「ううん、今、着いたばかりだから。ドルフさん家族もロイさん家族も、いきなり見知らぬ土地に連れて来られて、戸惑ってるでしょう? いちおう家や畑は用意したけど、不便はない?」
「まさか」
ポーラは屈託なく笑い、「むしろ、以前より良い場所に家を貰って、リディアちゃんにはとても感謝しているのよ」と言った。
「三日前、あんたにしばらく身を隠して欲しいと頼まれた時は驚いたが。立派な家も用意してもらった上に、ここは驚くほど食べ物が豊富で気候も温暖だ。前の家と比べても住み心地は雲泥の差だよ。むしろ一生ここに住みたいくらいだ」
「本当に? あーっ、良かったぁ……」
有沙はホッと胸を撫で下ろした。
「ドルフさんだけでなくロイさんも命を狙われたから、あのまま村に住むのは危険な気がしたの。それとここは、私が将来、ウィスタリアの最大農業生産地にしようと考えている場所なの。そのためには人手がいるし、これから移住者を増やすつもりなんだけど、村長役をドルフさんに任せられたらなぁって思って」
「えっ、俺を村長に!?」
「うん。まあその計画はまだ先の話なんだけどね。ウィスタリアは貴重な鉱石が採れて貿易で潤っているけど、食料自給率が低いでしょう? この高原地で麦と米と大豆を育てる二年三作農法ができたら、国の慢性的な食料不足を解消できる気がするんだよね」
「麦は分かるが、米と大豆ってのは何だい」
「えっと、米はホシミの国やロータナシアで主食にされてる穀物で、大豆はアクアカリスで沢山採れる豆の種類だよ。米も大豆も栄養豊富で色んな料理に使えるから、ここウィスタリアでも育てたいなって思って。そこはフレイヤっていう土地の専門家と、オリビアっていう植物の専門家に相談中なんだけどね。外の畑で育ててるトウモロコシやサツマイモも、ここの環境に合うように仲間たちと品種改良したものなの」
「はぁ、何だかすごい話だなぁ……」
「私には、リディアちゃんの言っていることの、半分も理解できないんだけど……」
戸惑い顔のドルフとポーラを見て、リディアは「そこで、このダグラスだよ」と、ようやく魔導士を紹介した。
「この人は元、魔塔の魔導士でね。研究者でもあるの」
「ほぅ?」
そこでダグラスは慌てて、「ダグラスと申します」と頭を下げて挨拶した。
「このダグラスもね、ドルフさんたちと同じ悪い貴族にひどい目に遭わされたの」
「えっ、そりゃ本当かい?」
「まぁ……お気の毒に」
いきなり夫妻の視線に同情が混じり、ダグラスは恐縮しながら「いえ、私は……」と口ごもった。
「魔塔にも故郷にも帰れなくなって、彼がこれから私の力になりたいって言ってくれたから、ここへ来てもらったの」
有沙の簡単な説明で、ドルフとポーラの警戒はすぐに解けた。ドルフは魔導士の手を両手で掴み、「あんたも苦労したんだなぁ……」としみじみした口調で言った。
「まぁまぁ、とりあえず立ち話も何ですから、こちらへどうぞ」
ポーラに促され、有沙とダグラスは夫妻と向かい合ってダイニングテーブルに着いた。
席に着くなり有沙は、「あのね、急なお願いなんだけど、今日一晩、この人をここに泊めてあげてほしいの」と頼んだ。
「えっ」と声を上げたのは、夫妻ではなくダグラスの方だった。
「ダグラスにもこの村に住んでもらおうと思ってるけど、使っていない家にはまだ布団や生活用品がないから……」
「ああ、なるほど」
ドルフとポーラも驚きはしたが、有沙に大恩を感じている二人は、すぐに気さくな笑顔を見せた。
「いいよ、部屋は余ってるしな」
「リディアちゃんの知り合いなら、私らにとっても大事な客人だからね。それに同じ村に住むのなら、家族も同然ですよ」
「よろしいのですか……?」
意外な夫妻の反応に、ダグラスは目を丸くして驚いた。
「いいよ、いいよ。あんたの家の支度が済むまで、何日でもここにいたらいい」
初対面のダグラスに、ドルフは打ち解けた笑顔で言った。
「それより二人とも、お腹は空いていない? 残り物で悪いけど、夕飯の鴨鍋があるの」
「わぁ、嬉しい。いただきまーす」
有沙の返事に、ポーラはいそいそと立ち上がった。
「じゃあすぐに温め直すわね。ちょっと待っててね」
竈の火を入れ直すポーラの背中を見つめ、有沙は「どの世界でもどの国でも、お母さんってこんな感じで世話焼きなのかなぁ」と思った。
残念ながら有沙には、前世でもこちらの世界でも母親の思い出はない。だが世話焼きの八精霊がいるおかげで、こちらの世界では寂しさを感じる暇はなかった。そしてそんなお節介な精霊たちの影響で、有沙もいつの間にか、困っている者の世話を焼くことが、当たり前だと思うようになった。
「ダグラス。さっきの私の話で、だいたい理解できたと思うんだけど。あなたにはこの村に住んで、住民たちのアドバイザーになってほしいの」
「アドバイザー……」
「そう。相談役って言うの? 世話役はドルフさんとポーラさんが適役だと思うの。あなたには技術的、学術的な面で彼らを補佐してほしいの。家は複数余っているから、好きな所を使って。家具は一通り揃っているし、寝具や食器とか必要な物もすぐ準備するわ」
「私が村の相談役、ですか……」
「そう」
有沙は真面目な顔でうなずいた。
「ウィスタリアは豊かな国だし国政も安定している。国民の大半は幸せに暮らしていて、とてもいい国だと思う。だけど、どんな場所にも弱者が存在する。不当に迫害されている人、悪人に苦しめられている人、行き場を失くして困っている人。私はこの村を、そういう人たちのシェルター……避難場所にしたいの」
そう語りながらも有沙は、精霊王という立場でここまで人族に介在しても良いものか、という迷いがあった。しかし何か行動しなければ、自分の心が参ってしまう。そう思った。
自分には理想を叶えるだけの力があり、全世界の精霊が味方だ。凶暴な魔物ですら、精霊王が加護を授けたこの土地には入って来ない。
悪人を倒すのは簡単だ。だがそういう人間はばい菌やウィルスと同じで、世界から完全に消し去ることは不可能だ。
ならば、連中のターゲットとなる罪なき者たちに、餌食にされないだけの力を持たせるしかない。一人一人の力は弱く小さくとも、人は集団になることで大きな力を得る。
いつの間にか芽生えたその志を実現すべく、有沙は八精霊と協力して拠点となる土地を探し、開墾し、土壌改良を行い、侵略を受けないための結界も張った。小川を引き、畑を作り、丈夫な家も建てた。
だが、最初に誰をここへ住まわせるか、という一点において長く迷っていた。
弱者を庇護するのは簡単だが、コミュニティを維持するには、心が強く公平な統率者と、それを補佐する知恵者と、健康な働き手が必要だ。精霊の加護を受けた土地でも、人の手で世話しなければ作物は育たない。
「まずはこの国で、ここを始まりの村にしたいの。そのためには村の代表となる人間が必要だし、知恵を授ける人間も必要なの」
かつて古代魔術を研究していたダグラスにとって、はたしてこの申し出はどうなのか、と提案者である有沙自身疑問だった。
古文書を解き明かす代わり、米や豆の育て方を研究しろ、とまるで専門外の仕事を押しつけている。だからもし彼が、「それはちょっと……」と難色を示したならば、また別の人材を探そう、と考えていた。
だがダグラスは嬉しそうな笑顔を見せ、「それは素晴らしいです」と言った。
「そんな責任ある仕事を任せていただけるなんて……、こんなに嬉しいことはありません」
「いいの?」
「はい」
ダグラスは笑顔のままうなずいた。
「ですがここは、どこかの貴族の領地なのでは? もしくは国有地で……。そうすると、勝手に村を作るとのちのち問題が起きるのではないでしょうか」
「わぁ、さっすがダグラス。鋭いね」
あくまで軽い有沙の答えに、ダグラスは目を丸くした。
「でも大丈夫。ここはセルヴィッジ侯爵領で、侯爵と私はとっても仲がいいの。だから、ここの土地は自由に使わせてもらえるんだよ」
これは半分正しく、半分嘘だった。
領民のいない忘れられた土地だが、さすがに村ができればいずれ誰かがその存在に気づく。だから事前にエレノアからトマスに、侯爵領のこの場所を私の民に使わせろ、と命じたのだ。さらに将来は、アリッサ個人の領地にすることも約束させた。
「そうだ。ドルフさんやダグラスには、今度侯爵とも会ってもらうね」
「えっ!」
有沙のこの言葉に、ダグラスだけでなくドルフとポーラも声を上げて驚いた。
「そんな、我々が侯爵様にお会いするなんて……」
「なんて怖れ多い……」
「でも一応ここの領主だから、挨拶くらいはしておいた方がいいと思うよ。あ、あと、この村から税はとらないって約束もしたから。そこは安心してね」
「え!!」
また三人の声が重なった。
「領民税がないのですか……?」
「うん。トマスさんはそう言ってたよ」
「…………」
今度は三人とも沈黙し、三人ともが狐につままれたような顔つきになった。
「ま、まぁいいか……。とりあえずこれまでは、嬢ちゃんの言う通りにしておけば間違いはなかったんだし……」
「そ、そうね……。リディアちゃんがそう言うのなら、そうなんでしょう……」
ドルフとポーラはそう言って、無理やり自分を納得させた。
「私もリディア様がそう仰るなら、信じます」
ダグラスはそこで表情を変え、「それと、一つお願いがございます」と真剣な表情で言った。
「え、何なに?」
「ここで稼げるようになったら、故郷の家族に仕送りしてもよろしいでしょうか」
「ダグラスの家族?」
「はい」
ダグラスは神妙な顔でうなずいた。
「私の故郷の村は近くに鉱山も海もなく、男たちは獣を狩って、その皮や肉を加工して売り、女たちは小さな畑を世話して暮らしています。毎日どれだけ働いても暮らしは一向に楽にならず、皆が助け合って必死に生きています。魔法の才があったことで、私は奨学金を貰って王都の学校に通い、魔塔所属の魔導士になれました。魔塔では衣食住が保証されておりましたので、私は給金の大半を実家に仕送りしていました」
「そうなんだ」
「はい」
ダグラスは懸念顔で、わずかにうつむいた。
「ですが攫われてからずっと、家族と連絡が取れていません。母と妹が今どうしているか、とても心配なのです」
「お母さんと、妹さん?」
「はい。三年前に父が流行り病で亡くなり、一家の主な収入源は私が仕送りする金だけです。それが途切れたことで、二人が今どうしているか……」
「ええっ!」
そこまで聞いて、有沙は思わず立ち上がった。
「なんでそんな大事なことを、今まで黙ってたのよ!」
勢い良く立ち上がった有沙は、「ちょっとここで待ってて!」と言い残し、すごい勢いでドルフ家から出て行った。
***
しばらくもしない内。ふたたびドルフの家に戻ってきた有沙は、二人の人物を伴っていた。
戸口から現れた二人の顔を見て、ダグラスは驚愕の表情になった。
「か、母さん! チェルシー……!」
「ダグラス!」
「お兄ちゃん……!」
突然再会を果たした三人は、驚愕の表情を浮かべた後で、すぐに固く抱き合った。
「ああ、信じられない……。本当に、母さんとチェルシーだ……」
家族との再会に喜びの涙を流すダグラスを見て、有沙は「はぁ」と肩を落として元の席についた。
「嬢ちゃん、あんたまさかこの短い時間で、ダグラスさんの村まで行って帰ってきたってのかい?」
ドルフの問いに、有沙は「うん」と素直に答えた。
「私、魔法が得意だから」
「得意だから、って……。俺たちも、目隠しされてよく分からないままここへ連れて来られたが……。あんたのこの力は魔法の次元を越えているよ。まるきり奇跡だよ……」
茫然とするドルフとポーラに、有沙は「そこは気にしないで」と無茶を言った。
(とりあえず、間一髪だったわ……)
フゥと安堵の息をつき、有沙はポーラの淹れてくれたお茶を啜った。
有沙が村を訪れた時。
ダグラスの母ヘレンと妹のチェルシーは、火も焚かれていない暗い自宅で、飢えと寒さに震えていた。
ダグラスの仕送りは母親の薬代と生活費に消え、最近はろくに食べられずにいたらしく、二人ともかなり痩せていた。あのまま放置されていたら、餓死か凍死していたかもしれない。
まだ小学校低学年くらいの年のチェルシーが、いきなり現れた自分を見て騒ぐ元気もなく、ベッドの上で母親と薄い毛布にくるまって茫としている姿を見て、有沙は思わず涙ぐんだ。
そしてすぐに二人に回復魔法をかけ、ダグラスのいる村まで一緒に来てくれないか、と告げた。ヘレンもチェルシーも一も二もなく同意し、有沙はその場で二人を連れて村に戻ったのだ。
ハンサムなダグラスの家族だけあって、ヘレンもチェルシーも美しい見た目をしていた。だが栄養不足でかなり痩せており、再会の感動も冷めやらぬうちに、全員がポーラ手製の鴨鍋をご馳走になった。
「とりあえず今晩は、三人ともうちの客間で休むといいわ。リディアちゃんが建ててくれたこの家は部屋数も多いし、何なら生活が落ち着くまでいてくれて構わないから」
「ポーラさん……」
「ありがとうございます……」
人の良いポーラの提案に、ダグラスとヘレンはまた涙を流して感謝した。
特にダグラスの感激はひとしおだった。彼はその場で土下座しかねない勢いで、「リディア様。この御恩は、一生忘れません。この先の私の人生、全てあなた様に捧げます」と泣きながら誓った。
「うん、ありがとう」
こういう展開に慣れてきた有沙は、笑顔でうなずいた。
「でも無理しなくていいから。とりあえずお母さんと妹さんに回復してもらうのが優先だから。あと村の空き家から自宅を選んで、あなたの仕事部屋を作ろう。専門書とか必要な物があったら教えて。今度来る時に持ってくるから」
「はい……。ありがとうございます……」
「ドルフさん家族とロイさん家族、そしてダグラスの家族。まだ九人しか村民がいないけれど、そのうちどんどん人が増えると思うから。みんなで協力していい村にしてくれるとありがたいよ」
「はい。精一杯務めさせていただきます」
「ありがとう」
そこで有沙は立ち上がり、「うーん」と軽く伸びをした。
「じゃあ、私はまだやることがあるから、またね」
「えっ!」
この言葉に、また全員が驚く。
「まさか、今から帰るのかい? 今夜はうちに泊まっていけばいいのに……」
ポーラの言葉に、有沙は「ごめんなさい」と詫びた。
「じつはもう一人、この村に連れてきたい人がいるんだよね」
有沙はそう言って、「次は村の金庫番を連れてくるよ」と笑った。
第二十四話へつづく
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