表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一人二役の精霊王さま  作者: I*ri.S
22/51

第二十二話

「一人二役の精霊王さま」第二十二話です。

本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。

 三日三晩がすぎた夕刻。

 ダグラスが儀式を終えたという知らせを受け、有沙は王都の上空でエドガーと会った。

「もうすぐ例の雇われ傭兵たちが、指輪を受け取りに現れるはずです」

「そう」

「いかがなさいますか」

「……とりあえず、連中にそのまま指輪を渡そう。ハーリー男爵夫妻の結婚記念日は明後日だよね」

「はい」

「ウェッバーは今どうしてる?」

「ハーリー家で床に伏しています」

「ふぅん……」

「あれから丸三日、ろくに食事もとれないほど病状は重く、医者からはもってあと数日の命と言われたそうです」

 裏切り者の家臣を、自身の忠実な部下と信じて疑わないハーリー男爵は、厳しい家計から大金をかけて、王都の高名な治癒師を呼んで治療を試みたが、何しろ病の原因は精霊王の魔法だ。ただの人間に治せるはずもなかった。

「本当の雇い主である、ランズベリー伯爵は? 自分の部下が病気に罹ったことは、もう彼も知っているんでしょう?」

「はい」

 そちらにも闇の精霊獣を送り込んでいたエドガーは、有沙の問いに即座に答えた。

「ランズベリー伯爵は、ウェッバーが死ねば彼の仕事を引き継ぐ人間が必要になるため、後任をハーリー家に送るよう指示しました」

「それだけ?」

「それだけです」

「ふぅん……」

 有沙は顔色一つ変えず、「伯爵にとってウェッバーは、いくらでも替えが利く存在ってことね」と呟いた。

「……精霊王様」

 エドガーはそこで、思いきって口を開いた。

「このまま、ウェッバーを見殺しになさるのですか」

「え?」

 思いがけない闇の精霊の言葉に、有沙は目を瞬いた。

「その……。僕がこのような発言をすることは、不敬に値することと重々承知しております。ですが、あの者にも更生のチャンスを与えるべきではと……」

 視線を下に向けたまま、エドガーは必死に訴えた。

「あれから、あのウェッバーなる者について調べたのですが、彼は少年時代、故郷の村で魔物に襲われております。あの顔の痣は瘴気に侵されたためで、そのせいで彼はあのような性格に……」

「エドガー」

 一瞬驚いた有沙だったが、彼女はすぐにクスリと笑い、言った。

「うん、そうだね」

 今度はエドガーが驚いた。

 有沙はいつもの屈託のない笑顔で、「ごめんね、内緒にしてて」と小さく舌を出した。

「じつはもうね、手は打ってるの」

「え?」

「とりあえず、ハーリー男爵家に行こう」

 精霊王の言葉に、闇の精霊は事態を飲み込めないままうなずいた。


       ***


「ウェッバー……。ウェッバー……」

 ハーリー男爵の呼びかけに、男はゆっくりと目を開けた。

「ウェッバー……。気分はどうだい……?」

「だん……な……さま……」

 老紳士の柔和な瞳を見つめ返し、この三日で体重が一〇キロ以上落ちたウェッバーは、今にも消え入りそうな声で答えた。

「私は、いったい……」

「ああ、まだ起きなくて良い。寝ていなさい」

 上体を起こそうと身動ぎしたウェッバーを、男爵は慌てて片手で制した。

「ここは私の部屋ではないようですが……。もしかすると、客間ですか……」

「お前の部屋は、雷で大穴が空いてしまったんだよ。落雷の後、お前は三日三晩、ずっと意識不明のまま苦しんでいたんだよ」

「はい、それは覚えております……。そうですか……あれから三日も経ったのですか……」

 まだ頭が茫としているウェッバーは、それでも本来の任務を忘れていないのか、「今は何時ですか」と時間を気にした。

「午後四時を過ぎたところだね」

「私に客人はありませんでしたか」

「いや、誰も訪ねてきてはいないよ。それよりも、ウェッバー。気分はどうだね」

「はい。あの……かなり楽になりました」

 まだ顔は青ざめ呼吸も荒かったが、その言葉に嘘はなかった。全身を絶え間なく襲っていた痛みが消え、手足の震えや耳鳴りも治まっている。

「おお……。良かった、薬が効いたのだね……!」

 こちらも睡眠不足らしい顔色で、ハーリー男爵は感極まった声で言った。彼は涙ぐみながら、ベッドに横たわる部下の手を取った。

 そこに、男爵夫人の案内で治癒師の司祭が現れた。

「まさか、目が覚めたのですか……!」

 彼はベッド上の患者を見て、驚嘆の声を上げた。

「信じられない……。奇跡だ……」

 司祭は患者の傍らに跪くと、その手を取って光魔法の【発現】をかけた。この魔法は、一見異常がないのに痛みや不調を訴える患者に対し、怪我や病の原因がどこにあるかを見つけるための補助魔法だ。これは瘴気や毒の発見にも使える魔法で、有沙や精霊たちは無意識に使っている能力でもあった。

「すごい。内臓を中心にして、全身に広がっていた病魔が、すべて消えている……。我々があれほど治療しても治らなかったのに……」

「司祭様。ではウェッバーは、彼はもう大丈夫でしょうか」

 男爵の問いに、彼と同じ世代と思われるベテラン司祭は、「ええ」とためらいがちに答えた。

「本当に不思議ですが……、彼の体を蝕んでいた病魔は消え去りました。まだ体が弱っていますから無理は禁物ですが、しっかり療養すれば大丈夫です」

「それは良かった。本当にありがとうございます。おい、お前。ここまで往診に来てくださった司祭様に、治療費をお渡ししてくれ。それと、ウェッバーに温かいスープか粥を」

「はい」

 貞淑な男爵夫人は笑顔でうなずき、「司祭様、どうぞこちらへ。お茶をご用意しますわ」と彼を別室に案内した。

 貧乏な男爵家では使用人が少なく、執事のウェッバーと女中に下男が一人ずつ。コックや庭師すらいない。ゆえに来客のもてなしは、常に夫人自ら行う。

 二人が消えて部屋にはまた、男爵と病人の執事だけになった。

「旦那様……」

 意識がしっかりしてきたウェッバーは、青ざめながら主に問うた。

「あの、さきほど薬と仰いましたが……。まさか私の治療のために、教会の司祭を呼んだのですか?」

 オスティアには薬師や治癒師など、怪我や病を治す職が複数存在したが、精霊教会の司祭は、それらヒーラーの最高位に位置する。お抱えのヒーラーを雇っている貴族もいるが、大抵の貴族は病気に罹ると教会の司祭を頼る。

 しかし治癒師は希少な光魔法の使い手で、彼らの魔力にも限界があり、一日に診られる患者の数は限られ、自然と治療費は高額となった。ゆえに貧しい平民は、病に罹っても自力で治すか、せいぜい町の薬師を頼るしか手がない。当然平民のウェッバーも、これまでの病気や怪我は薬と自宅療養に頼ってきた。

 何しろ高位のヒーラーを雇えば、一度の依頼で半年分の給金が飛ぶのだ。そんな贅沢は許されない。

 戸惑い顔の家臣に、男爵は「そうだよ」と笑顔で答えた。

「何しろ大変な苦しみようだったからね。事は一刻を争うと思い、聖教会の司祭をお願いしたんだ」

「そんな……」

 思いがけない男爵の言葉に、ウェッバーは青ざめた。

「だが教会の司祭も魔塔の魔導士も、誰もがお前の病を治すことはできないと匙を投げたのだ」

「えっ……」

「でもね、私はどうしてもお前を治してやりたかった。そうしたら今朝、見知らぬ老婆が我が家を訪れ、我が家の家宝と、どんな病にも効く万能薬を交換してやる、と言ったんだ。私は藁をも掴む思いで、その薬をお前に飲ませた。そうしたら本当に、お前の呼吸が落ち着いて、こうして話ができるほどに回復した。薬が本当に効いたんだよ。あの老婆はきっと、女神が遣わした精霊の使者に違いない」

「…………。……え?」

 さらに信じ難い話を聞いて、ウェッバーはポカンとした。

「だ、旦那様……。まさか、その薬と、男爵家の家宝を、交換されたの、ですか……?」

「ああ、そうだよ。だが、家宝と言ってもただの本だ。人一人の命に比べたら、手放しても惜しくはないよ」

「ほ、本とは……、まさか……」

 さっきまでとは違う理由で青ざめるウェッバーに、ハーリー男爵は笑顔で答えた。

「ああ、モーリスの賢者の書だよ」

「なっ……!」

 あまりの衝撃に体の不調も忘れ、ウェッバーはガバと身を起こした。

「そんなっ! そんな貴重な物を! あなたはっ、私なんかのためにっ……!」

 演技することも忘れて、ウェッバーは叫んだ。

「何という……、あなたは、何と愚かなことをなさったのです! 私の命はいくらでも替えが利くものですが、あの本は世界に数冊しかない、非常に貴重な書物なのですよ!」

「だが、世界に一つしかない物ではない。原本は王国の宝物庫に保管されているし、私が持っていたのはただの写本だ」

「それでもっ! それ一冊で城一つ建つほどに、貴重な品ではないですか!」

 自分でも気がつかないうちに、ウェッバーは泣いていた。泣きながら、彼は訴えた。

「私は知っておりますよ! あなたは、あの本は先祖代々大事に受け継がれてきたハーリー家の宝だから、たとえどれほどの大金を積まれても手放す気はないと、そう仰ったでしょう! ランズベリー伯爵から、金貨五百枚で買い取らせてくれと頼まれた時も、頑なにその申し出を拒まれたでしょう!」

 ―― いい年をした大人の男が人前で泣くなど、末代までの恥だ。

 そんな強気な台詞を口にしていた彼は、両目から滂沱の涙を流して言った。

「金貨五百枚と言えば、ハーリー家の予算十年分に値するのですよ! 税や使用人の給金を払うのにも困窮し、旦那様も奥様も我々と同じ食事をとり、いっさいの贅沢をせずに暮らしていらっしゃる。それでも売らなかった本ですよ! そんな大切な物を、貴重な本を、なぜ私なんかのために……ためにぃいいい……」

 最後は嗚咽混じりで言葉にならなかった。ウェッバーはその場でうずくまり、オイオイと声を上げて泣きだした。

「なんか、なんかと、そんなに自分を卑下するものではないよ、ウェッバー」

 号泣する使用人の丸い背を、男爵は骨ばった手でゆっくりとさすってやった。

「この一年、うちの安い給金で、お前は本当によく働いてくれた。ランズベリー伯爵からの話を持ってきてくれたのも、うちの窮状を見かねてのことだったのだろう? だがあの貴重な本を、我が家の家宝を、ただ金と交換するのは、私の良心が許さなかったのだよ。貧乏貴族と見下されても、毎日質素な食事しかとれなくても、私の矜持は傷つかない。だが、大切な家族の命とただの本を天秤にかけて本の方を選んだなら、私はこの先ずっと、胸を張って生きることができない」

 淡々と、静かに穏やかに、男爵は言った。

「だからね、ウェッバー。本と薬を交換したことは、私が私のためにしたことなんだ。お前は何も気に病むことなく、今は体を回復させることに専念しなさい」

「だ、旦那様……。こんな私を、家族と言ってくださるのですか……。こんな醜い、薄汚れた人間を、……私なぞを……」

 涙と鼻水でグシャグシャになった顔で、ウェッバーは言った。

「私がどんなつもりで、この家に奉公に来たかもご存知ないのに……。私は……私は、本当は、……」

 そこまで言いかけ、ウェッバーは「ぐぅっ!」と口を押さえた。

 彼の首の周りで黒い霧が蛇のようにとぐろを巻き、その喉を締め上げるのを、同じ部屋にいた有沙とエドガーは無言で見つめた。

「ゴホッ、ゴホッ……!」

 大きな咳をして、ウェッバーはいきなり喉から血を吐いた。

「ウェッバー!」

 驚く男爵に、ウェッバーは唇から血を流しながらも、懸命に訴えかけた。

「だ、旦那様……。どうか、お許しください……。私は、ランズベリー伯しゃ……で……あな、た……う……ぎ……、た……。ゆび……、奥様に……で……くだ……」

 ウェッバーは、どうにかして男爵に真実を告げようとしたが、喉にかけられた誓約の術により、それ以上の言葉を口にすることは叶わなかった。

「……精霊王様」

「うん」

 有沙がそこで手を翳すと、ウェッバーはいきなり意識を失い、その場に崩れるように倒れた。

「ウェッバー!」

 男爵の叫び声を聞いて、夫人と司祭が慌てて戻ってきた。

 司祭は気を失った患者の額に手を置くと、「……大丈夫です」と低い声で告げた。

「起きてすぐに興奮したせいでしょう。気を失っただけです」

 その言葉を聞いて、男爵夫妻はホッと息をついた。

「あの、ひどく血を吐きましたが、それは……」

「乾燥した喉をいきなり使って、中の皮膚が切れたのだと思います。これは私の治癒魔法ですぐに治せます」

「ああ、そうですか……。良かった……」

 あくまで善良な男爵は、安堵に肩を落とし、隣に立つ夫人と微笑みあった。

「エドガー」

 その様子を茫然と見守っていた闇の精霊に、有沙が声をかける。

「ウェッバーはしばらく目を覚まさないよ。今度はダグラスの所に行こう」

「あ、はい……」

 気づかわしげな視線を病人に向けつつ、エドガーはその命に従った。


       ***


 うらぶれた安宿の地下室。仕事を終えたばかりの哀れな術師は、硬いベッドの上に横たわっていた。

 呪いのかかかった指輪は簡素な机の上に置かれていた。三日前まで無害な宝飾品だったそれは、今は禍々しいオーラと臭気を放つ呪物へと姿を変えていた。高位の魔術師でなければ見破れないほど、高度な隠蔽の術がかかったそれを見て、エドガーは「もったいない」と呟いた。

「このダグラスという男、自身を平凡な人間と言っていましたが、それは誤りですね。これほど巧妙な術をかけられるのであれば、魔塔でも上位の魔導士だったことでしょう」

「古代魔術の研究をしてたって言ってたから、自分で魔法をかける機会は少なかったんじゃないかな」

 有沙はベッドの傍らに立ち、ゼィゼィと荒い息を吐く魔導士の顔を見下ろした。

 呪術は術師にとって諸刃の剣だ。まず呪いの対象者の毛髪や爪など体の一部を手に入れ、自身の血で緻密な魔法陣を描き、呪物とともに魔法陣の中に置く。それから月や星のない夜を狙って、途切れることなく呪文を唱え続ける。術が成功すれば魔法陣と呪具は消失する。

 ダグラスは三日三晩、呪いの儀式を続けた。不眠不休で魔力を消費し続け、その肉体も精神も疲弊しきっている。

 有沙は無言で手をかざし、自身の魔力を彼に分けてやった。

 あっと言う間に体力も魔力も満タン状態で回復したダグラスは、違和感に目を覚まし、上体を起こした。

 そこで彼は、部屋にいるのが自分一人でないことに気づいた。

 初めて見るその白い小鳥は、小さな毛玉のような体に真っ黒いつぶらな瞳を持ち、びっくりするほど愛らしい見た目をしていた。

 その鳥が、彼に言った。

「目が覚めた?」

「とっ、鳥が喋った!」

 ベッドの上でお尻が浮くほど驚いた魔導士に、シマエナガ姿の有沙は「あ、怖がらないで~」と優しい声で話しかけた。

「言っておくけど、これは仮の姿だから~。ただ鳥に変身しているだけだから~」

「鳥に変身……? ではあなたは、魔導士か?」

「鳥に変身できる魔導士がいるの?」

「いや、私は聞いたことがない」

「だよね~。さすがに人族に、ここまでの変身は無理だよね~。髪や目の色を変えたりとか、別人の顔になったりは可能だろうけど~~~」

「……確かに。では、君は人族ではないのか? まさか、魔族……」

「魔族がこんな、可愛い鳥に変身すると思う?」

「……いや、思わない」

「だよね~~~」

(何だかずいぶんと、面白い会話をしていらっしゃる……)

 自身はダグラスに見えないよう姿を消して、エドガーは精霊王と魔導士の会話を黙って聞いていた。

「人族でも魔族でもないのなら……。もしや君は、精霊なのか……?」

「うん、せいかーい。でも何の精霊かは聞かないでね。秘密だから」

「あ、ああ……」

 器用にホバリングしながら目の前でお喋りする鳥を、ダグラスは柔らかな眼差しで見つめた。

「本当に、精霊なのか……。実物を見たのは、初めてだ……」

 そう呟き、小鳥に向かって手を伸ばしかけた彼は、しかし自身の長く鋭い爪に気づき、ハッと手を引っ込めた。

 今、彼の爪や犬歯は長く伸び、耳は尖って額には角まで生えていた。澄んだ青空のように綺麗だった瞳は不吉な赤に染まり、瘴気はその肉体を確実に蝕み続けていた。

(……エドガーが言ってたな。ダグラスほど瘴気に侵された体で、人としての理性を保ち続けていることは驚異的だって。ここまで魔物化が進んでしまったら、普通の人間ならとっくに理性を失っているはずだって……)

「ねえ、ダグラス。もし私が、あなたにかけられた呪いを解いて、家族の元へ帰してあげるって言ったら、どうする?」

「えっ……」

 思いがけない質問に、ダグラスは言葉を失った。

「そんなことが可能なのか?」

「うん、まぁね。たとえばここに、あなたにそっくりの死体を作って置いておけば、あなたを誘拐した連中は、あなたは死んでしまったと信じるでしょ」

 そう言って有沙は実際に、黒板を作った要領で魔導士そっくりの人形を作ってみせた。

 いきなり目の前の床に、自分と同じ見た目のリアルな人形が出現し、ダグラスは「なっ……!」と声を上げ、絶句した。

「こ、これは……」

 彼はベッドから下りると、自分と瓜二つの、しかしぴくとも動かないそれの手首を手に取った。……脈はない。だが質感といい重みといい、どう見ても本物の人間のそれだ。

「出来はどう~?」

「……悪い夢を見ているようだ。この死体は、まるきり私自身じゃないか」

「本物の死体じゃないよ。私が作った人形だよ」

「……そう言われても、本物の死体にしか見えない」

「じゃあ成功だね。とりあえず、これをこのまま部屋に置いておけば、連中はもう、あなたを死んだものと思って追いかけてもこないよね」

「そう、だな……」

「じゃ、場所を変えようか。エドガー」

 有沙に名を呼ばれ、エドガーは「はい」と答えた。

「これからは私だけで行動するから。あなたは指輪の見張りをお願い。解呪はしなくていいよ」

「かしこまりました」

 エドガーは恭しく頭を下げた。

「誰と話しているんだ?」

「あなたには見えない人と」

 有沙はそう答え、転移の魔法を自分とダグラスにかけた。二人は一瞬で、王都から遠く離れた北の森に移動した。

「なんっ……。……ここは、どこだ」

 鬱蒼と生い茂る木々に囲まれ、ダグラスはフードを被ることも忘れて辺りを見回した。

「北の森だよ。この森を西に抜けたところに、あなたの生まれ故郷があるんでしょう?」

 有沙の言葉に、ダグラスはハッと表情を変えた。

「ではここは……、まさか、バーウィッチの森か……」

「うん」

 有沙は即答し、「で、ここからが本番ね」と新たな魔法を彼にかけた。それは解呪の魔法と同じで、だが人に施すのは初めての術でもあった。

 見る間にダグラスの肉体から、瘴気がどす黒い煙となって流れ出てくる。それはやがて空中で、小さな光の粒子に変わって消えた。

「あ、あぁ……。あぁあ……」

 柔らかな温かい光に包まれて、ダグラスは茫然と自身の両手を見つめていた。

 尖った鋭い爪がスルスルと引っ込んでいき、土気色にひび割れていた皮膚が、張りのある健康的な肌色へと変化していく。

「ああ、こんな、まさか……。神よ……」

 立っていることができず、ダグラスはその場で膝をついた。膝をついたまま、彼は自分の歯や額に触れた。醜悪な魔物の特徴は消えて、懐かしいかつての自分が蘇った。

「ふーっ……」

 シマエナガ姿のまま額の汗を拭い、有沙はパタパタと羽ばたいて、跪くダグラスの目の前に降り立った。

「これでもう、あなたは元の体に戻れたよ。それで、どうする? 今から故郷に帰る? それとも魔塔に帰る?」

「精霊様……」

 以前の姿に戻ったダグラスは、端正な顔をクシャリと歪め、その場で祈りのポーズをとったまま深く体を折った。

「なんと、なんと感謝を述べたらよろしいのでしょう……。私はもう、自分の人生は終わってしまったと思っていました。それなのに、まさか……。本当に、本当にありがとうございます……。心より感謝致します。ありがとうございます。ありがとうございます……」

 綺麗な涙を幾筋も流して、ダグラスは繰り返し感謝の言葉を口にした。

「うん、お礼はもういいよ。それで私は、あなたがこれからどうしたいかを聞きたいんだけど」

 有沙は冷静な口調で訊ねた。

 ダグラスは正座したまま身を起こし、手の平サイズの小鳥を真摯な瞳で見つめた。

「精霊様は、どうすべきだと思われますか?」

 ダグラスのこの問いには、言外に別の問いが隠されていた。

「犯した罪をあがなうには、私はどうすればよろしいでしょうか」

 彼はそう問うているのだ。

 有沙から見て、不運な魔導士の身の上には同情しかない。だがそれでも、いくら脅されていたとは言え、他人を害する禁忌の魔法に手を出した時点で、彼自身の罪も増えた。自分が呪いをかけた相手がどうなるか、賢い彼が分からないはずがない。

「私には答えられないよ。あなたが自分で考えて、決めることだと思う」

「……では、私をあなたの(しもべ)にしていただけませんか」

「えっ!」

 驚く有沙に、ダグラスは決意を秘めた眼差しで告げた。

「私は一度死んだ身です。もう帰る場所はございません。ならば残りの人生全て、私を地獄から救ってくださった、偉大な精霊様に捧げたいと思います」

「えーっ、そう来たかぁ~~~」

 予想外のその申し出に、有沙は空を仰いだ。

 頭上には月が出ていたが、新月から間がない今、その姿はか細く光も弱かった。その姿はそのまま、目の前の寄る辺ない青年と重なった。

「うーん……」

 しばらく無言で考えていた有沙は、「あ、そうだ」と声を上げた。


 第二十三話につづく

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

次回の更新をお待ちくださいませ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ