第十八話
「一人二役の精霊王さま」第十八話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
華美なまでに装飾が施された豪奢な教会の、高い尖塔を抱く礼拝堂。その中央にある聖壇で、白地に金の刺繍が施された美しい祭服を身につけた司教は、腕に抱いた赤子を見つめて驚愕の表情を浮かべた。
司教の傍らに立ち、手に大きな水晶玉を持っていた司祭も、畏怖の表情で目の前の赤子を見ていた。
「司教様……」
若い司祭は震えながら、この国の聖教会最高責任者である、オルグレン司教の顔を見た。
「この色は、いったい……」
彼が黄金の台座越しに掲げた水晶玉は、本来無色透明であるはずが、今は色とりどりのカラフルな色彩に満たされていた。
「金に青、緑……、その他にも多くの色が渾然一体となり、神々しいまでに輝いております……」
「……うむ」
部下の言葉にうなずきながら、司教は重々しい口調で、「ネイト司祭」と、まだ二十代と若い司祭の名を呼んだ。
「そなたは司祭になってまだ日が浅いが、信仰心厚く賢明な若者だ。口も堅い。その人柄を見込んで、そなたにだけ打ち明けよう」
司教は腕の中の赤子……、セルヴィッジ侯爵息女、アリッサ・セルヴィッジを見つめ、言った。
「この方は聖女様だ」
「え!」
「間違いない。昨日の夜、私の枕元に女神ルミナスが現れ、そう告げられた。明日洗礼式に来るセルヴィッジ家の息女は、精霊に愛されし神の子だと」
「女神様が!?」
「そうだ。最初は私も夢かと思った。だが、この洗礼の儀式ではっきりした。この御子は間違いなく、精霊に愛されし神の子……聖女様だ。見たまえ、八つの色、全てを発現させたこの水晶を。つまりこの小さな体には、全属性が内包されているのだ」
「あ、ありえません……」
震える手で水晶台を抱えながら、ネイト司祭は虹色の水晶玉を見つめた。
「人が全ての属性をその身に宿すなど……」
「そうだ、ありえない。だが現実だ。つまりこの方は、全ての精霊から加護を受けているのだ。ルミナス様お一人でなく、火、水、風、土、森、雷、闇、全てだ」
「で、では、聖女様はこれから、教会で保護してお育てするのですか」
「いや」
司教は難しい顔で、残念そうに首を振った。
「それはできない。それどころか、この方が聖女であることすら口外はできない」
「えっ!」
「ルミナス様からのお言葉なのだ。聖女はこのまま、侯爵家で普通の令嬢として育てよと。この禁を破れば、この教会のみならず、ウィスタリア全土に大いなる災いがもたらされる」
「そんな……。ですがこんな重大な秘密、隠し通せるはずがありません」
「私もそう思う。だがどちらにしろ、我々は沈黙するしかない」
「お、王室への報告は、どのように……」
「それは、セルヴィッジ侯爵と相談して決める。あの方も聖女様が生まれる前に、ルミナス様から神勅を拝命したそうだ」
「なんと……」
「だが逆に考えれば、我々教会が聖女様のお力になれば、ルミナス様もお喜びになる。この世界の守護者たる女神がお望みなのだ。王室に秘密を抱えることになっても、我々は聖女様をお守りせねばならない」
「おお……。司教様の仰る通りです。我々信徒の務めは、創造神様と精霊様に忠誠を誓い、その手足となって働くことです。この聖女様をお守りすることこそ、我々に課せられた最大の使命と言えるでしょう」
大きな畏敬の念に打たれたネイト司祭は、水晶玉を片手に抱え、左手の丸めた指先で、額、唇、お腹に触れる祈りのジェスチャーを取った。
「うむ。我々はただ静かに、聖女様の成長を見守ろうではないか」
オルグレン司教の言葉に、ネイト司祭は「はい!」と力強く答えた。
***
どこかで見たような光景でありながら、結果はまったく違っていた教会での洗礼式。
聖女アリッサ、もとい有沙は、お爺ちゃん司教の腕に抱かれ寝たふりをしながら、二人の会話をしっかりと盗み聞いていた。
(ああ、良かった。この二人は、ちゃんとアリッサの秘密を守ってくれそう)
春の一の月。
アリッサ・セルヴィッジが誕生して、早いものでひと月余の日が過ぎた。
―― 三日前。
アリッサの洗礼式が目前に迫ったことを知った有沙は、ルーチェと名づけた光の精霊に留守番を頼み、自身はいつものニンファレアの大森林にて、緊急の精霊会議を開いた。
すでにエドガーとエレノア以外の精霊たちも、有沙がアリッサとしてセルヴィッジ家に留まることは了承済みだ。
熱血な火の精霊のマーカスや、直情傾向な雷の精霊のローガンに反対されるのではと危惧したが、意外にも、この決定事項に異を唱える者は一人もいなかった。
精霊たちに言わせれば、有沙がアリッサとしてウィスタリアにいる期間は、せいぜい数十年のこと。それは彼らにしてみれば、精霊王が昼寝をするのと同様の、束の間の時でしかないらしい。
「赤ん坊の姿であっても、精霊王様の魔力量は桁違いです。また、全属性を有していることも隠しようがないでしょう。であれば、その日だけ水晶を偽物に変え、両親どちらかの、風か水の属性を発現させてはどうでしょう」
「そうだねぇ……」
アオイの意見に有沙が同意しかけたところで、エマとエドガーが同時に、「いや」と声を上げた。
「それでは一時しのぎにしかなりません。それよりも、教会を味方につける方が得策でしょう」
「僕もエマと同じ意見です」
エドガーが、「僕は王都の聖教会についても調べました」と、めずらしく積極的に発言した。
「現在のウィスタリア国精霊聖教会は、オルグレン司教という人物が最高位の教区司教を務めています。この者は信仰心厚く徳の高い人物です。他国の聖教会にも影響力があり、彼に協力を頼めば、今後、アリッサとセルヴィッジ家の心強い味方となってくれるはずです」
「それでは、またわたくしの出番ですわね!」
エドガーのこの発言に、俄然、エレノアが張り切りだした。
「今夜にでもさっそく、オルグレン司教に神託を下して参りますわ!」
「そうだな。だが神託は、洗礼式前日の夜がいいと思う」
エマの一言に、エレノアはがっくり肩を落としつつ、「まぁ、その方がより効果的ですわね……」と納得した。
そして昨晩、作戦は実行された。
有沙としては、はたして狙い通りの展開になるか不安だったが、エドガーの言葉通り、オルグレン司教の信仰心は本物らしく、期待以上の答えを出してくれた。
これでひとまず教会については安心だ。王宮への報告もうまく処理してくれるだろう。
(問題は、この後だよね……)
残る課題は、魔塔で受ける検査である。
教会での洗礼式を終えた赤子は、今度は魔塔にて精細な魔力の測定検査を受ける。
王族貴族平民、身分関係なく検査は施行される。結果は魔塔と王宮にしか知らされないが、その後の子の進路によっておのずと周囲も知ることとなる。
魔力値が低い場合、平民はそのまま普通学校へ、貴族の子は王立学校へ進む。そして魔力値が一定以上の値を出した子は魔導学校に入り、魔導士や聖職者、魔剣士や王宮官僚を目指す。
教会と違い魔塔に特別な信仰はない。魔導士たちにあるのは、魔法や神聖力への信仰に近い探究心だけだ。ゆえにエレノアの神託は効果が見込めない。
「現在の魔塔のトップは、ダリル・ファーカーという男です。年齢は九十を越えているはずですが、見た目は二十歳そこそこに見える魔導士です」
三日前の会議では、この魔塔への対策も話し合われた。
「げっ、見た目は若者、中身は老人ってこと?」
エドガーの説明に、有沙は思いきり顔をしかめた。
「やだぁ、不気味すぎるぅ~」
「そう仰られても、我々も似たようなものですが……」
「あ、そっか。よく考えたら、私ももう百歳だ」
有沙はそう呟き、「アハハッ」と照れ隠しに笑った。
「だけど精霊でもないのに、人でそれってやばくない? どれだけすごい魔導士なの」
「仰る通りです」
有沙の素朴な疑問に、エドガーは深刻な表情で答えた。
「ファーカーは人としてあまりに異質です。出自は平民でありながら、魔力もウィスタリア随一の強大さを誇り、有力貴族の後ろ盾を得て魔塔のトップに就きました」
「えっ。それってすごく……怪しい」
「ええ」
そこで土の精霊であるフレイヤが、懸念顔で進言した。
「ファーカーは土属性です。そして、全ての土魔法を使えるそうです。ですが私は、彼に加護を与えていません。これは、ありえないことです」
「土のみならず、ファーカーは他属性の魔法も使えます。そして本人は秘密にしていますが、闇魔法もかなりの腕のようです」
「それってまさか……」
エドガーは深刻な顔つきのまま、コクリとうなずいた。
「ファーカーが魔族と繋がっている可能性は高いです。であれば、セルヴィッジ家に呪いのブローチを贈ったのも彼かもしれません」
「そんな……魔塔主が、今回の事件の黒幕かもしれないの?」
「はい」
ここまで黙って話を聞いていたローガンとマーカスが、やおら立ち上がって吠えた。
「ならば話は早い! 今から魔塔へ行き、そのファーカーなる男を我らで締め上げれば良い!」
「左様、左様。精霊界のトップに君臨する我らが迫れば、さしもの魔塔主も幼子のごとく怯え、ただちに己の罪を告白するに違いない!」
「うーん……」
血気盛んな二精霊の主張に、有沙の心もわずかに揺れた。
だがしかし、話はそんな単純なことだろうか。
すると有沙の思いを代弁するように、エドガーが「僕は、そのやり方には反対です」と言った。
「ファーカーをこらしめることは、いつでもできます。しかし重要なのは、彼がなぜそんなことをしたのか、そしていつ魔族と繋がったのか、そういった裏の真相を突き止めることだと思います」
「ファーカーを締めれば、そういった事実も明るみに出るだろう」
「それに、彼には協力者がいると思われます。魔導士は呪術に詳しくとも、俗世の事情には疎い。政治や権力争いにもさほど関心がないはず。なぜセルヴィッジ侯爵家を標的にしたのか。アドキンズ侯爵家を利用したのはなぜか。今回の悪事の裏には、必ず貴族がいるはずです」
「ならば、その貴族ごと締め上げれば良い」
「だめよ」
雷の精霊の弁に、今度はエレノアが反対した。
「確実な証拠もなしに、容疑者の証言のみで人を罰することは、暴君と変わりない蛮行です。我々精霊は人族に対し、常に等しく公正であらねばなりません」
「私が例の、マインド・リーディングを使うのはどうかな?」
黙って皆の話を聞いていた有沙が提案すると、エドガーが残念そうに首を振った。
「じつは僕もすでに、魔塔主に読心術をかけてみたのです……」
「え、そうなんだ」
「それで、どうだったの?」
エレノアが問うと、闇の精霊は暗い顔でかぶりを振った。
「……できませんでした」
「え?」
目を瞬く有沙に、エドガーは目を伏せて答えた。
「読めなかったのです。あの者の心が、僕には聞こえませんでした……」
「そ、それは、どういうこと……」
「稀にいるのです」
黙ったエドガーに代わり、今度はエマが答えた。
「精霊魔法が効きづらい体質の者が。物理魔法は効きますが、幻惑や魅了など、精神に働きかける魔法が通じない者が、数百万に一人という稀な確率で存在するのです」
「えーと、それはつまり、ファーカーには私の魔法も通用しないってこと?」
「試してみても良いですが、エドガーでダメだったのなら、精霊王様の魔法も通じないかもしれません」
「そ、そんな……」
思いがけない話を聞いて茫然とする有沙を見て、「ならば、どうすると言うのだ!」とローガンが怒鳴った。
「もしアリッサが常識では計り知れない能力の持ち主と知れれば、魔塔の連中が何を仕掛けてくるか分かったものではない。その結果、精霊王様の計画が台無しになりかねん!」
「そんな厄介な人間なぞ、早めに始末しておくべきだろう!」
「たしかに、ファーカーはかなり危険な存在ではあるが……」
「精霊王様の計画の邪魔になるのなら、処分も致し方ないかもしれませんね……」
雷の精霊の弁に、火の精霊のみならず、他の精霊も同調した空気になった。
「あー……、うん」
有沙は曖昧な顔でうなずき、「でもねー……」と誰にともなく言った。
「やっぱり、ただ怪しいってだけで殺しちゃうのは、私はやりたくないなぁ……」
それに、たとえ精神魔法が効かずとも、その魔塔主も精霊王相手では幼子同然の存在だ。有沙に弱い者苛めの趣味はなかった。
「何か打開策はないかなぁ……。とりあえず、アリッサが特別なことがばれなきゃいいんだよ。私の魔力量を百分の一くらいに抑えることができたらいいんだけど……って。ちょっと待って!」
有沙はいきなり何かを思いつき、「私ちょっと、侯爵家に行って確認してくる!」と声を上げるなり、その場から消えた。
後に残された八人の精霊たちは、いったい何が起きたのか理解できないまま、ただその場でポカンと立ち尽くした。
***
精霊たちを大森林に放置して有沙が屋敷に戻ると、アリッサはちょうどお昼寝中だった。
夫人は席を外しており、見張り役の兵士と子守り役のメイドが、戸口で楽しげにお喋りしていた。
(グッドタイミング!)
有沙は姿を消したまま、そっと夫妻の寝室に入った。
窓辺で日向ぼっこをしていたソルが、有沙の気配を察しパッと目を開ける。同時に、アリッサの中にいたルーチェも目を覚ました。
有沙はいつかのように、二人に向かって人差し指を唇に当て、「シーッ」と静かにするようジェスチャーで伝えた。精霊同士なのだからその必要はなかったが、いまだに人間らしい振る舞いが出てしまう。
有沙はさっそく、「ステータス、オープン」と、ベビーベッドのアリッサに鑑定を行った。そこに現れた数字を見て、「やっぱり!」と小さな歓声を上げる。
「エレノアとエドガー、ちょっと来て!」
精霊王の号令に、すぐに二人の精霊が現れる。
「お呼びですか」
「急に姿を消されたので、どうされたのかと思いました」
戸惑い顔の二精霊に、有沙は「ごめーん」と友だちに謝るように詫びた。
「どうしても確認したくなっちゃって。あのね、今、ルーチェが入っているアリッサに、鑑定魔法をかけてみたの」
有沙のこの一言で、賢明な二人はすぐにピンと来た。
「なるほど」
「その手がありましたね」
「うん」
有沙は満足げな笑みでうなずいた。
「二人は数値が見られないから一応言っておくね。えっと、私が入っている時は体力が一万くらいで、魔力は二万なのね。それで、今ルーチェが入っている時のアリッサの体力は五〇〇ちょっとで、魔力は二〇〇なの。これは一般的には大きい数字だと思うけど、私が入っている時よりはずっと低いから、魔塔ではルーチェにテストを受けてもらおうかと思うんだ。どう思う? エレノア」
「ええ、良い案だと思います」
そこでエドガーが、「しかし、一つ問題があります」と声を上げた。
「え、何?」
「ルーチェではどうしても、光属性のみになります。光属性の人間は珍しいので、そちらで注目されるのでは」
エドガーの指摘に、有沙は「ああ、そうだね」と真顔でうなずいた。
「だけど、私が入っている時のアリッサは、全属性持ちでしょう。それはいずれ、何らかの形で公になると思うの。だから属性に関しては、どの属性が出ても気にしない方がいいと思うの」
「そうですわね。それに、光属性ならば教会管轄になります。むしろ魔塔と距離が取れて良いのでは」
エレノアの言葉に、有沙は「だよね」と同意した。
「それとね、魔塔には私も付いていくつもり。やっぱり心配だし。それで良ければ、エドガーにも付き添って欲しいんだけど……」
「あら、わたくしではご不満ですか?」
「エレノアには、いっぱい頼み事をしているし。それにチラッと聞いたんだけど、エレノアは魔塔が苦手なんだよね?」
図星を指され、エレノアは「うっ」と言葉に詰まった。
「苦手というか……、あそこの空気と魔導士たちが、あまり好きではないのです」
「それを苦手と言うんじゃ……」
精霊王に突っ込まれ、光の精霊は渋々と、「まぁ、たしかに苦手ですわ」と認めた。
「だからエドガーに頼みたくて」
「……分かりました」
少し考える顔をし、エドガーは静かな声で答えた。
「ただ、例のロイに来た新たな依頼ですが。頼まれた指輪が昨日完成しました。それで、近日中に依頼人があの村に現れるはずです。もし魔塔に行く日とその件が重なったら、僕は後者を優先しようと思うのですが」
「あ、そうか。ロイの方も重要だもんね。うん、その時は、エマかアオイに付き添ってもらうことにする」
「はい。申し訳ございません」
「ううん、いいよー。調査を頼んだのは私だもん」
有沙はそう言って笑った。
それが三日前の出来事だ。
***
無事に洗礼式を終えたアリッサを司教が大事に腕に抱いて、同じ建物の中にある待合室へと連れて行った。
「お待たせいたしました」
ネイト司祭が扉を開き、オルグレン司教が中に入ると、あまり広くない待合室で、セルヴィッジ侯爵夫妻が待っていた。
ゲームの中では乳母と家令しか付き添わなかった教会訪問だが、今回は外に大勢の家臣たちも待機している。
「おお」
「アリッサ……!」
待ちかねたように夫妻は椅子から立ち上がり、クラリスは司教の腕から我が子を受け取った。
「アリッサ。いい子にしていた?」
「ええ。とても大人しいお嬢様でした」
オルグレン司教は深い皺の刻まれた目元を和ませて、宝玉のような光を放つアリッサの赤い瞳を見つめた。
「本当に、素晴らしい御子を授かられましたね、侯爵様」
司教はそっと手を伸ばし、母親の腕に抱かれたアリッサの頭を優しく撫でた。
「アリッサ様には、八つ全ての属性が発現しました。特に光、土、水、森、この四つの属性の適性が高いようです。魔力量も相当なもので、我々聖職者や魔導士が束になっても敵わない力をお持ちです」
「えっ!」
「そんな、まさか……!」
喜ぶよりも動揺する夫妻を見て、司教は「ご心配なさるな」と好々爺の口ぶりで言った。
「このことは、私とネイト司祭、我々二人の心の内にのみ留めておきます。王宮への報告書には、貴族子女の平均値を書いてお出しします。属性に関しては、我々の管轄である光属性にいたします」
司教は侯爵の手を取り、「トマス様」と親愛を込めた声で言った。
「じつは昨晩、私の寝所に、女神ルミナスがいらしたのです」
「えっ……」
「女神は仰いました。ご父君である侯爵様にも、聖女様を守るように命じたと。そして私にも、聖女様が普通のご令嬢として平穏な日常を送れるように、陰ながらお力添えするようお命じになられました」
「まぁ……」
クラリスが驚嘆の声を上げ、トマスも思わず、「おぉ」と感銘の声を洩らした。
「司教様、では……」
「はい。それが女神様の御意志であるならば、我々はそのお心に従うのみ……」
「なんと有り難い、女神様のご配慮でしょうか。我が娘が精霊に愛されているというお言葉は、本当なのですね。まさか司教様にまで力を貸していただけるとは。これほど心強いことはございません」
信仰心厚い二人、使命感に燃えた侯爵と司教は、古い友人同士のように互いの手を固く握りあった。
「どうぞ、我々の協力が必要な折は、ご遠慮なくお申し付けください。聖女様のためとあらば、何をさておき駆けつけます。連絡係には、このネイト司祭をお使いください。女神様から推薦された、信頼の置ける青年です」
「では我が家からは、家令のバートか護衛兵士長のラッセルをお呼びください。彼らも信頼できる部下たちですので」
「分かりました。バート様とラッセル様ですね」
そこで二人は視線を重ね、笑みを交わした。
そんな二人を見て、クラリスは感涙を堪えきれずにいた。
「ああ、アリッサ。わたくしたちは、なんて幸運なのでしょう。女神様のご加護を受け、過分な厚遇に戸惑っていましたが、あなたという宝を守るためならば、この母も、もっと強くならなければいけませんね……」
柔らかな娘の頬に頬ずりし、クラリスは涙ながらに言った。有沙はそんな夫人の泣き顔を、困った顔で見つめるしかなかった。
自分は彼らの娘ではない。アリッサはもうこの世にいない。
だがこんなに善良で愛情深い彼らから、生まれたばかりの愛娘を奪うことはできない。騙していることへの罪悪感よりも、娘を失って嘆く彼らを見る方が、よほど辛い。
(ごめんね、アリッサママ、アリッサパパ。私は本当の娘じゃないけれど……。本物のアリッサの代わりに、みんなに愛される良い子を目指すよ。そして必ず、アリッサの死の真相を突き止めてみせるよ)
娘を囲んで結束を固める大人たちを眺めながら、有沙は改めてそう誓った。
第十九話につづく
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