第十七話
「一人二役の精霊王さま」第十七話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
「この子にしましょう。知能は幼児並みですが、愛情深くて明るい性格の子です」
光の女神に呼ばれた手の平サイズの光の精霊は、小さな歓声を上げながら、有沙たちの周囲をクルクルと舞った。
有沙は手の平に乗った光の精霊を見つめ、「わぁ、可愛い……」と呟いた。
「お気に召したようで何よりですわ」
「うん。とても愛らしい子だね」
「では精霊王様。この子に命じてください。赤子の中に入りなさい、と」
「うん。でも、狭い檻に閉じ込めるようで、何だか可哀想……」
うつむく有沙に、エドガーが「大丈夫ですよ」と優しく声をかける。
「精霊王様の生命エネルギーに包まれることは、この者にとって幸福以外の何ものでもありません」
「ええ。代われるものなら、わたくしが入っていたいほどですわ」
「本当に? 大丈夫?」
「はい」
エレノアの言葉に後押しされて、有沙は決心した。
手の平に乗せた精霊に向かって、静かに祈るように命じる。
(精霊さん。お願いします。私が外に出ている間、このアリッサの体の中に入っていてください。羽もついていない体で、このベッドからも自由に出られないけれど、私が留守の間、アリッサの体を守ってあげてください)
有沙が無言で念じると、光の精霊は「きゃー」と歓声を上げ、光の粒子となって赤ん坊の体に吸い込まれていった。
小さな精霊が消えると、閉じていたアリッサの目が開いた。
「あっ、目を開けた!」
有沙が小声で叫ぶと、赤ん坊は彼女の方を向いて、ニコォとあどけない笑顔を見せた。
「はぅっ!」
その愛らしい笑みの破壊力に、有沙は声を失くして赤面した。
精霊の魂を宿した赤ん坊は、ベッドの上でごろりと仰向けになり宙に向かって両手を伸ばすと、キャッキャ、キャッキャと歓声を上げた。
「や……っば。何この、とてつもなく愛らしい生き物……。赤ちゃんって、こんなに可愛い生き物だっけ?」
ベビーベッドを覗き込んで感極まる有沙とは対照的に、二人の精霊の顔つきは冷めていた。
「それは、精霊王様の加護が満載な、特別な赤子ですし……」
「中身は光の精霊ですから、軽く魅了効果も出ていますし……」
「精霊王様の生命エネルギーを纏っているせいで、そばにいるだけで心地良い波動を感じますし……」
「見た目も美しい上に、神がかった純粋なオーラを放っているのですから、愛らしいのも当然かと……」
冷静な部下たちのツッコミを受け、有沙は「と、とにかくっ」と、軽く咳払いをした。
「これでひとまず、私がいなくても、アリッサの体は大丈夫ってことだね」
有沙はそこで自身のステータス画面を開き、再度能力値の確認をした。それらはみな、以前の精霊王の数値を示した。最上級魔法もオールコンプリートしている。
「あーっ、良かった。外に出たら、ちゃんと能力も元に戻ったよ」
「当然ですわ」
「精霊王様は全能ですから」
「うん。全知ではないのが残念だけど……。でも全知全能フルコンプだと、逆に生きていてつまんないかもね」
そんな感想を口にして、有沙はふと、神は今、どんな思いでこの世界を眺めているんだろう、と思った。
自分よりもはるかに劣って脆弱な存在が、悩んだり失敗したり、色んな壁にぶつかって右往左往する姿は、彼にとって滑稽だろうか、それとも、出来の悪い子を見る親や祖父母のように、しょうがない奴らだと、温かい目で見守ってくれているのだろうか。
(後者であったらいいな……。だって精霊王をやっている私も、この世界が大好きだから。神様も好いてくれてると信じたいよ……)
「ところで」と有沙はエドガーの方を向いた。
「このアリッサの体なんだけど、闇属性と相性が悪いみたいなの。それって、このアリッサには闇の精霊の加護が施されていないからかな」
「え、僕の加護ですか?」
有沙の言葉に、エドガーは意外そうな顔をした。
「それは例の、チキュウという世界でのお話ですか? ゲームの中のアリッサが、闇魔法の使い手だったとは聞きましたが……。レイヴンの加護もあったと?」
「うん。ラビサーではそうだったよ」
エドガーは困ったように眉根を寄せ、「しかし僕は、人族に加護を与えたことはありません。これからもするつもりはありません」と言った。
「えっ!」
「当然ですわ」
エドガーの代わりにエレノアが答えた。
「闇の精霊の力は、精神や病、死を司るもの。そんな力を人族に与えれば、かならず悪影響を及ぼします。そもそも精霊の加護とは、めったに与えられるものではございません。わたくしが人族に加護を施したのも、もう何百年も昔になりますわ」
「えーっ。じゃあラビサーで、キャラそれぞれに“〇〇の精霊の加護”って紹介があったのはどうして? ゲームのオリジナル設定ってこと?」
「おそらく、そうでしょう」
「じゃあ、アリッサが闇魔法の使い手だったのも、ゲームの都合ってこと?」
すると、それまで何かを考え込んでいたエドガーが、「精霊王様」と真顔で言った。
「ゲームのアリッサが、どういう魔法を使えたか覚えていらっしゃいますか」
「もちろん、覚えているよ。えーっとね、基本的に状態異常を起こす魔法が多かったよ。睡眠とか混乱とか、毒と麻痺もあった。後は、黒い霧を発生させて幻影を見せるとか。他には……うーんと……」
「即死魔法もありましたか」
「え? ないよ、ないない! あ、でもたしかに、私たちは即死魔法を持ってるね!」
一度も行使したことのない魔法だったが、「精霊はこんなこともできるのか」と、軽く戦慄したことは覚えている。
「でもアリッサは、そんな魔法は持ってなかったよ! 闇属性魔法の中に、即死魔法自体が存在しなかったもん」
「……そうでしょうね。人族の扱う魔法ならば、短時間の麻痺や毒状態がせいぜいでしょう。ですが加護を与えられた人族は、精霊族と同じ強力な魔法も使えるようになります。しかし闇の精霊の魔法はあまりに殺傷力が高いので、僕は人族には加護を与えないと決めています。そもそも、闇属性の人族はとても稀です」
「そうよね。だから精霊王様にアリッサの魔法属性を聞いた時、わたくしは何かの間違いではと思ったの」
エドガーの弁にエレノアも同意した。
「もしかすると、あの呪いのブローチが原因かもしれません」
「え?」
戸惑う有沙に、エドガーは真剣な表情で告げた。
「あの日、侯爵夫人に贈られた呪いのブローチが、胎児に影響を与えたとしたら。呪物の放つ瘴気の影響でアリッサの光属性が消え、魔族と近い体質になったせいで闇属性と勘違いされた……。この考えは、的外れでしょうか」
エドガーの推理は突拍子のないものだった。だが筋は通っている。有沙自身、暗黒魔法について学んだ際に、闇属性魔法とよく似ているな、という印象を持った。
「えっ、ちょっと待って。じゃあゲームの中の侯爵夫人も、出産の時に呪われていたってこと?」
「ええ。彼女は、アリッサを産んで間もなく亡くなっているんですよね。この世界では、お産はそんなに危険なものではありません。まして命を落とすなど。しかし呪いのせいであれば、夫人が徐々に弱って亡くなったことの説明がつきます」
「……もし、生まれた子が魔族と同じ体質だったら、教会の水晶で検査するとどういう風になるの?」
自身が亡くなる寸前に見ていたOVAの場面を思い出し、有沙は訊ねた。
「光の属性なら金色に、風の属性なら白にって色が決まっているんだよね? 複数属性なら、それぞれの色が出現するんでしょう?」
「僕が記憶する限り、闇属性の子どもが生まれて、教会の鑑定を受けたという記録はありません。その代わり、魔族と関わって生まれた特殊な体質の子どもならいました」
「えっ! つまり、魔族と人間のハーフってこと?」
「いえ、人と人の間に生まれた子です。しかし胎児の間に瘴気を浴びて、魔族と同じ体質になってしまったのです」
「その子たちが教会で検査を受けたら、水晶はどうなるの」
「魔族と同じく黒い煙が発生します。魔力が強い子であれば、水晶は漆黒に染まるでしょう」
「それって……」
(アニメで見たアリッサの時と、まったく同じ……)
「ちょっと……待って……」
半分混乱した頭で、有沙は必死に状況を整理した。
「つまりゲームのアリッサは、本当は闇属性じゃないのに、呪いのせいで魔族と同じ体質になって、それで闇魔法に似た暗黒魔法が使えて、闇属性だと勘違いされた……。そして侯爵夫人が亡くなったのも、あの呪いのブローチが原因で……。私が解呪しなければ、こっちの世界のアリッサと侯爵夫人も、同じ運命を辿っていた……そういうこと?」
有沙の言葉に、「その通り」と言わんばかりに、エドガーはうなずいた。
「ちなみに、魔族と同じ体質になった子って、どうなるの」
恐る恐る有沙が問うと、エドガーは「皆、早世しています」と言った。
「そもそも魔族の出す瘴気に、普通の人間は耐えられません。大抵の者が病に罹って死にます。万一瘴気耐性が高かったとしても、影響は免れません。赤子の時から魔族特有の陰鬱な空気を纏い、徐々に攻撃性の高い性格になります。肉体も精神も侵されて、最終的に理性を失い、獰猛で凶暴な獣のようになります。そして死に至ります」
「さ、最悪……」
「ええ。とても悲惨な末路です」
「もし、ラビサーのアリッサがそうなら……、他者に攻撃的だったのも、その瘴気のせいだったってこと?」
「ええ。どんな清廉な魂を持っていても、瘴気に侵されていたのならば、徐々に人格は崩壊していったはずです」
有沙は息を飲み、ゲーム内でのアリッサの言動を思い出した。
あれが全て、魔族の瘴気に侵された結果だとすれば、またその体質が原因で周囲から疎んじられ、最終的に魔神の憑代とされたのなら……、なんて痛ましく、悲しい話だろう。
「つまりあのブローチを贈った時点で、犯人はアリッサをターゲットにしていたってこと?」
「いえ、当初の目的は侯爵夫人の命を奪うことでしょう。ですが胎児の命も狙っていたと思われます。わざわざ妊娠中の夫人に呪物を贈ったのですから」
「そうね。黒幕は成長したアリッサを見て、彼女が瘴気の影響を受けていることも知ったはず。それで今度は彼女を、魔神の憑代にしようと計画したのでしょう」
エドガーの弁をエレノアが補足した。
「そんな……。ひどい……」
この瞬間有沙は、これまで生きてきて感じたことのないほどの怒りを覚えた。
精霊王として感情を制御する訓練を積んできたが、今回に限っては自身の立場も忘れて心底怒った。
精霊王の怒りに、大地が共鳴する。
屋敷全体が鳴動し、慌ててエレノアとエドガーが結界を張って周囲への影響を抑える。
「せ、精霊王様! どうか落ち着いてください!」
「このままでは、屋敷ごと地中に埋まってしまいます!」
エレノアとエドガーが懸命に呼びかける。だが、有沙には届かない。
「ううん……」
その時、ベッドに横になっていたクラリスが小さく呻いた。その声に、有沙はハッと我に返った。
地鳴りが治まり、表の道に小さな亀裂は入ったものの、地面が割れるまでには至らなかった。
「ごめん……」
周辺を騒がしたことを有沙が詫びると、エドガーとエレノアはホーッと肩を落とした。
「……いえ。精霊王様がお怒りになるのも、無理のないことです」
「ええ。ですが、本当にお怒りになるのは、今ではありませんわ」
「……うん」
どちらにしろ、魔族と結託してセルヴィッジ家を陥れようとしている人族がいることは間違いなく、それが誰なのかを突き止めなくてはいけない。
そこへ、闇の精霊獣であるアイトヴァラスが現れた。
「エドガー様」
蝙蝠に似た翼を持つ黒猫の姿で、アイトヴァラスは言った。
「ロイの家の窓に、暗幕がかかったよ」
その報告に有沙たちは顔色を変え、互いの顔を見た。
「ようやく敵が動きだしたようです」
エドガーの言葉に、有沙は大きくうなずいた。
第十八話につづく
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