第十六話
「一人二役の精霊王さま」第十六話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
昼間の喧騒が嘘のような、皆が寝静まった深夜。
空は雲が出て月を隠し、灯のない室内は完全な闇に包まれていた。
出産で疲れた侯爵夫人は、ぐっすりと眠り込んでいる。
その隣の小さな乳児用ベッドで横になっていた有沙は、赤ん坊の姿でムクリと起き上がった。
「ハァ……」
本来、生後一日の乳児ならば、こうして座ることはもちろん、体を起こすことさえ叶わない。だが精霊王の魂が入り込んだアリッサにはできる。
ただし、人の肉体という制約があるせいだろうか。試しにステータス画面を確認してみたところ、無限大マークがついていた体力と魔力は、軒並み数値が下がっていた。
一般の人間では考えられない、膨大な魔力量と体力ではあったが、今の自分はけっして万能ではないと有沙は思った。
さらに扱える魔法にも制限がついた。
どうやらこのアリッサの肉体は、光と土、水と森との属性相性が良いらしい。それらの魔法は最上級レベルまで扱えた。だが闇と風、火と雷の属性とは相性が悪いらしく、どれも初級レベルのものしか名前が残っておらず、他の中級から上の魔法はグレーアウトして選択できなかった。
だがしかし、問題はそこではない。
(本物のアリッサは、いったいどこにいるの?)
「精霊王様……」
ずっとそばにいたエレノアとエドガーが、心配そうな顔で赤ん坊の主を見つめる。
「エドガー、エレノア……。もしかして本物のアリッサは、死んでしまったの?」
有沙の問いかけに、二人は気まずそうに顔を見合わせ、二人同時に「はい」と答えた。
「アリッサの魂がいつ消滅したのかは定かではありませんが、夫人のお腹にいるうちに死亡したのだと思われます」
「じゃあ本当なら、夫人は死産するはずだったってこと?」
「そうです。そうならなかったのは、精霊王様が毎日夫人の様子を見に来られていたからでしょう。精霊王様の生命エネルギーは膨大で、この屋敷全体を包んでいます。夫人の胎内にいる子にもエネルギーの余波が及び、魂のない肉体を成長させたのだと思います」
「え、ちょっと待って」
思いがけない話を聞いて、有沙は大きく動揺した。
「私が夫人の様子を見に来るだけで、そんな影響を与えていたの? つまり私の生命エネルギーが、死亡した赤ちゃんを、魂のないまま生き永らえさせたってこと?」
「そういうことになります」
エドガーの答えに、有沙は絶望的な気持ちになった。
「じゃあ、いつ赤ちゃん……本物のアリッサが亡くなったかは、分からないの……。そもそもアリッサの魂は、今どこにいるの」
「胎児が死亡した時期は不明です。しかし肉体から離れた魂は、例外なく神の御許へ還ります。精霊王様ご自身、チキュウで一度亡くなられているのですから、ご存知ですよね」
「私は、死んだ時の記憶は曖昧なの。気がついたらガイドのマリリンさんの所にいて、その次はもう、オスティアに飛ばされていたから……。神様と会った記憶はないよ」
「そうですか……」
「それで、もしアリッサが夫人のお腹の中で亡くなって、魂が神様の所へ行ってしまったのだとしたら、そこからもう一度魂をこの体に戻す方法は……」
「ありません」
死を司る闇の精霊であるエドガーが、無慈悲にそう言い放った。
「魂の扱いは我々の管轄外なのです。ゆえに、胎児に魂がないことにも気づけなかったのです」
「エレノア。本当に、アリッサは死んじゃったの? ここに彼女の体はあるのに?」
精霊王の悲痛な訴えに、光の精霊はいつもの輝きを弱め、「それは……」と細い声を途切れさせた。
「……申し訳ございません。わたくしにも、一度離れた魂を元の肉体に戻す術は分かりません。蘇生術は神に禁じられた禁忌の魔法ですし、それで蘇った肉体は魂のない抜け殻であり、もうその者とは別の存在です」
「地球で言うところの、ゾンビみたいな化け物になっちゃうってこと?」
「……左様です」
「じゃあ、私がこの体から外に出たら、残された体はどうなるの」
「それは……臓器は動きを止め、完全な死体に戻るかと……」
「そうなんだ……」
そこで会話は途切れ、三人は沈鬱な表情で黙り込んだ。
この事実に一番ショックを受けたのは、やはり有沙だった。
せっかくオスティアに転生し、アリッサの誕生を百年も待った。それなのに、肝心のアリッサは母親の胎内で死亡し、その魂はもう、この世界には存在しないという。
(こんな……、こんなのって、ないよ……。ひどいよ、あんまりだよ……。ゲームのシナリオより最悪だよ……)
堪えきれず、有沙はボロボロと涙を流した。
精霊王の悲しみに呼応して、外ではしとしとと雨が降り始めた。
「じゃあ、私はもう、この体から出られないよ……」
静かに涙を流しながら、有沙は言った。
「なぜアリッサが死んでしまったのか、その原因を突き止めたいし、納得いくまで、アリッサを死なせられない……」
自分がこの肉体を出れば、アリッサは死亡する。この家の者たちは嘆き悲しむだろうが、いずれ夫人が次の子を妊娠すれば、生まれてすぐに亡くなったアリッサのことも、徐々に忘れてしまうだろう。
それは有沙にとって、考えられないことだった。
自分が精霊王になったのも、オスティアに転生したのも、全てはアリッサに会うがため、彼女を幸せにするためだった。
それなのに、アリッサはもうここにはいない。一足早く、神様のところへ行ってしまった。きっと彼女も、いずれは新しい生を得ることだろう。だがその転生先が、ここオスティアとは限らない。
この百年、有沙はオスティアの創造神とコンタクトを取ろうと何度か試みたが、あちらからは何の反応も返ってこなかった。地球の神とも精霊王とも、繋がれなかった。
マリリンも言っていた。神は世界を創った後はもう、その世界には干渉しないと。
だから神に、「アリッサの魂をオスティアに転生させてくれ」という要望を送ってはみるが、あまり期待はしていない。
「私がこの姿のまま、アリッサとして生きることは可能なのかな……」
予想できたその質問に、エレノアとエドガーは顔を見合わせ、同時に「はい」と答えた。
「それはもちろん、可能です。そもそも精霊は物質的な肉体を持たない霊体なので、魂の抜けた肉体の中に留まることの弊害は起こりません」
補足するようにエレノアが言った。
「まして中に入られたのが精霊王様ですから、肉体の方が精霊王様のお力に呼応し、相応しい体へと成長することでしょう」
「それは、本来のアリッサの見た目とは、違う姿になるってこと? 髪の色や瞳の色も変わってしまうの?」
「いいえ、精霊王様の望む形に変化する、ということです。精霊王様が本来のアリッサの姿が良いと思われていれば、自然とそのイメージに沿った容姿に育つはずです」
「そっか。それを聞いて安心したよ……。それと……、私がアリッサになったら、精霊界はどうなるの?」
「と、申しますと……」
「精霊王が消えたことで、精霊界に悪影響を及ぼすとか……」
「精霊王様は消えてなどおられません。今もわたくしどもの目の前におられます」
「だけど人間の赤ちゃんだから、自由に動き回ったりはできないよね」
「どうでしょう」
エレノアは首を捻って、ベッドの上にお座りした精霊王を見つめた。
「すでにこの赤子の体は、精霊王様のお力によって、普通ではありません。意外と早く、立って歩くことは可能になるのでは」
「だけどさすがに、姿を消したり空を飛んだりは無理でしょ? 別の姿に変身することも」
「それは……今は無理でしょうね。人の体は、空を飛ぶようにできてはおりませんので。風魔法を使っての飛行術がございますが、アリッサに風魔法の適性はないようなので、やはり難しいと思います。姿を消すのも、闇属性の適性がないと難しいでしょう」
「やっぱり……」
アリッサの中に入ったことで、かなりの制約が起きることは覚悟していたが、この百年、あまりにも自由自在に世界を飛び回っていたため、この落差は大きかった。
「その点なのですが」
今度はエドガーが口を開いた。
「赤子の肉体を離れれば、また本来の力は使えるはずです。力を使いたい時だけ、赤子の体から出てはいかがですか」
「えっ!」
有沙とエレノアの声が重なり、有沙は「そんなこと、可能なの!?」とエドガーに訊ねた。
「ええ」
エドガーは顎に手を当て、考えながら答えた。
「長い時間は難しいかもしれませんが、一時であれば、我々精霊が、生命を持たない物にかける技が使えるのではないかと……」
そこでエドガーは、ベビーベッドに置かれたぬいぐるみの一つを見つめ、それに小さな魔法をかけた。
すると、フワフワしたペガサス型のぬいぐるみは、意志を持った生き物のように立ち上がり、羽を動かして空中にふわりと浮き上がった。
「これは我々が持つ霊力を物体の中に込めて、こちらの意志に沿って動かす魔法です。精霊王様ならばこの技術を応用して、外からでも生かすことが可能だと思われます」
「そんなことが可能なの?」
「論より証拠。やってみましょう」
エドガーに促され、有沙はいったんアリッサの体から外に出た。そしていつものリディアの姿に戻り、ふぅと息をつく。
魂を失った赤子はぱたりとその場に倒れ、ネジの切れた人形のように動かなくなった。
「ここにまず、生命エネルギーを入れます。光魔法の【生命の泉】の要領で、生命エネルギーの玉を赤子の体に入れてください。注ぎ入れたら、蓋をして外に出ないイメージで……」
「うん……」
有沙は言われた通りのイメージを頭に思い浮かべ、両手を重ねて赤ん坊の上にかざした。手の平から淡い光の玉が生まれ、それは真っ直ぐ赤子の体に吸い込まれていった。
(えーっと、これでいいのかな……。それから外に洩れないよう蓋をする、っと)
「はい、完璧です」
エドガーが合図し、エレノアも隣でうなずいた。
「これでこの体は、放っておいても勝手に成長し、半永久的に生き続けます」
「これだけで?」
「精霊王様の生命エネルギーを流し込み、強力な魔法で保護したのです。神様以外の存在に、この魔法を外すことは不可能です」
「うわぁ、相変わらず、精霊王ってチートだわ……」
有沙は両の手を開き、病室にいた時と変わらない、その小さな手の平を見つめた。
「しかしこのままでは、ただ眠って成長を続けるだけの存在です。赤ん坊らしく、泣いたり笑ったりさせるべきでしょう」
「それはどうすればいいの」
「精霊を使いましょう。エレノア、君の従えている光の精霊の中で、大人しくて性格の良い者を一人呼んで欲しい」
「いいわ」
エレノアは軽く目を閉じ、小さな光の精霊を一人召喚した。
「この子にしましょう。知能は幼児並みですが、愛情深くて明るい性格の子です」
光の女神に呼ばれた手の平サイズの光の精霊は、小さな歓声を上げながら、有沙たちの周囲をクルクルと舞った。
第十七話につづく
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