第十五話
「一人二役の精霊王さま」第十五話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
季節は秋から冬に移り、クラリスのお腹も目に見えて大きくなった。精霊王に見守られ、最近のセルヴィッジ家はいたって平和で落ち着いている。
例のブローチを依頼してきた謎の人物は、あれからロイたちの村に現れていない。ゆえに有沙たちの捜査も、そこで行き詰っている。
エドガーは、別の方向から調査を進める、と言っていた。セルヴィッジ家を敵視しているような家門を探し、そこから今回の件との繋がりを見つける、という考えらしい。
(まぁその辺りは、エドガーに任せておけばいいよね……)
いつものシマエナガ姿で、有沙は夫人の寝室を窓から覗いていた。
侯爵夫人は窓際の揺り椅子に腰かけ、乳児用の靴下を編んでいた。彼女の足元にはソルもいて、毛糸玉にじゃれて遊んでいる。その姿は完全に普通の家猫だ。
「平和だなぁ~……」
晴れた冬の陽射しは柔らかく暖かで、睡眠欲がないはずの精霊王も、思わずうとうとしてしまうような陽気だった。
「あとひと月ほどで、いよいよアリッサが誕生するのかぁ……。感慨深いなぁ~……」
見た目は鳥、頭脳は女子高生、の有沙だが、さすがに百年も精霊王として生活したおかげで、精神年齢はかなり成熟してきた。
ゆえにアリッサに対しても、以前より穏やかで落ち着いた、まるで幼い姪っ子を見る、親戚のオバチャンのような心持ちでいた。
(あー、このまま何事もなく、アリッサが生まれてきてくれるといいなぁ~……)
***
こうして毎日毎日侯爵家に通い、アリッサの誕生を待ち続けた有沙だったが、冬の二の月が来ても、クラリスは一向に産気づく気配がなかった。
「おっかしぃなー。そろそろ生まれるはずなのに……。もうすぐ冬の月が終わっちゃうよ……」
我慢できずに、有沙は透明な人型、リディアの姿で夫人の部屋に入った。すぐにソルが反応し、ピンと耳を立て、見えない侵入者をじっと見つめる。有沙は人差し指を立て、「シーッ」と静かにしているよう命じた。ソルはふさふさの尾を振りつつ、何をするつもりかと、有沙の姿をじっと目だけで追った。
今日も夫人は編み物に勤しんでいた。すでにソックスは完成し、今は赤ん坊用のポンチョを編んでいる。
有沙は、今にも産まれそうなほどに膨らんだ夫人のお腹を見つめ、「おーい。聞こえるー?」と、胎児に向かって声をかけた。
「そろそろお外に出てこないー? ウィンタースウィートの花が満開で、お庭からすごくいい香りがしているよー。もうすぐ春が来るよー。侯爵夫妻も私たちも、みんなが、あなたに会いたがっているんだよー」
お腹の中の命に話しかけながら、有沙は夫人の中に宿る命の、その心の声を聞こうと耳を澄ました。だが返事はない。まったくの無音で、完全な静寂がそこにあった。
「…………」
有沙はじっと、夫人の動かないお腹を見つめた。
嫌な予感がした。たまらなく嫌な予感が。
「ねえ、赤ちゃん。そこにいるんでしょう?」
我慢できず、有沙は夫人の膨らんだ腹部にそっと触れた。
直後、まばゆい光が二人を包んだ。
「きゃあっ!」
思わず有沙は、短い悲鳴を上げて目を閉じた。
***
ソルから緊急の呼び出しを受け、エレノアはすぐにセルヴィッジ邸に向かった。すると屋敷の上空で、闇の精霊と鉢合わせた。
「まぁ、エドガー」
「エレノア」
エドガーは懸念顔で、「妙な胸騒ぎがして、様子を見にきたんだ」と言った。
「わたくしはソルに呼ばれたの。精霊王様はどちらにいらっしゃるの」
「それが、お姿が見えない。見えない壁に阻まれて、探知もうまくいかない」
「そんな……」
すぐさまエレノアも精霊王の気配を探ろうとしたが、やはりうまくいかなかった。精霊王と自分たちを繋ぐ光の道の途中に、正体不明の靄がかかって阻害しているようだ。
「どういうこと……?」
そこへ空間移動を行って、ソルフェレスが二人の前に現れた。
「エレノア様ぁ……」
「ソル。いったい何があったのです」
「それが、それが……、僕にもよく分からないの」
猫型の精霊獣は困り顔で、しどろもどろに説明した。
「あのね、あのね。さっきね、精霊王様がお部屋にやってきて、クラリス様のお腹の子に話しかけていたの。それから、夫人のお腹に触れようとして……、そうしたら周囲が真っ白になって、眩しくて僕は目を閉じちゃって……。目を開けたら、精霊王様がいなくなっちゃったの」
「えっ……」
「消えた?」
驚く闇の精霊と光の精霊に、ソルは「それで、精霊王様が消えた直後に、クラリス様がいきなり苦しみだして、今、屋敷の中は大騒ぎなの」と続けた。
「……どういうこと」
「ひとまず、夫人の様子を見に行こう」
二精霊は姿を消したまま、侯爵夫人の寝室に行った。
部屋に入ると、そこは戦場のような有り様だった。
「早く、新しいお湯を! タオルも足りないわ!」
「うぅっ……、うううっ……」
侯爵夫人はベッドの上で激しく苦しみ、傍らでは家政婦長のバーサ指示の下、屋敷中の侍女が集結し、忙しなく動き回っている。
「ラッセル! 司祭様は、まだお着きにならないの!」
バーサの怒声に、廊下にいる護衛兵士長のラッセルが、「もうすぐだ!」と声を張り上げる。
「ただ今の時間は馬車で道が混み合う! 予定より遅れるやもしれん!」
「そんな……、こんなに苦しんでらっしゃるのに、回復魔法をかける者がいないのは……」
バーサが小さく呟いた声に、エドガーとエレノアは顔を見合わせた。
「どうやら、いよいよアリッサが生まれるようですね」
「そうね。だけど、おかしいわ。お産でこんなに苦しむなんて……」
「エレノア。夫人に回復の魔法をかけてあげてください。精霊王様がいらっしゃれば、同じようになさったはずだ」
「そうね」
エレノアは難産に苦しむクラリスの枕元へ行き、すぐに回復魔法の【祝福】を彼女にかけた。
直後、「うぅうっ!」と、夫人が激しく呻いた。
「あっ、バーサさん! 産まれそうです!」
侍女の一人が叫び、バーサが慌てて夫人に駆け寄る。
「奥様、もう少しの辛抱です! 頑張ってください!」
バーサが励ましの声をかけたのと、クラリスが「ああっ!」と大きく叫んだのは、ほぼ同時だった。
その直後、「オギャァーッ!」と、けたたましい産声が室内に響き渡った。
「奥様、産まれました! 女の子です!」
家政婦長のバーサが感極まった声で言い、クラリスはうっすらと目を開け、汗だくの顔で微笑んだ。
「そう……女の子……」
「はい、とても美しいお嬢様ですよ! さぁ、あなたたちは産湯の用意をして!」
バーサの指示が飛び、控えていた侍女たちが、慌てて隣のバスルームに走る。
「おおっ、産まれたぞ!」
「御子の誕生だ!」
まるで伝言ゲームのように、室内にいた侍女たちの歓声は廊下にいた男性使用人たちに伝播した。
執務室で苛つきながら吉報を待っていたトマスは、バートからの「旦那様! 生まれました!」という報告に、弾かれたように椅子から立ち上がった。
すぐに寝室に直行したトマスは、ベッドに横たわる妻の元へ駆け寄り、「クラリス!」とその名を呼んだ。
「あなた……」
夫人は力なく微笑み、夫からの抱擁を受け入れた。
「よく耐えてくれた……。本当に頑張ったね」
「はい」
愛する夫に抱きしめられ、クラリスは高山に咲く花のような、儚げで美しい笑みを見せた。
「本当に大変でしたわ。何度も、もうだめかと……。でも、今は嘘のように体が楽ですの」
「本当かい?」
思わずトマスは、妻の顔を覗き込んだ。
たしかに、辛いお産の直後とは思えないほど夫人の顔色は良く、呼吸にも乱れがなかった。
「そうだね。いつもと同じ美しさだ。……いや、これまでで一番綺麗だよ」
トマスは妻への愛情を惜しみなくその言葉と表情で示し、白い頬に優しく口づけた。
「ありがとう。私は世界一の果報者だ」
「あなた……。わたくしも、幸せですわ」
仲睦まじい夫妻の姿に、皆が「ホゥ……」と感嘆の息を洩らす。
そこへバーサが戻ってきて、「さぁ、奥様。お嬢様を抱いてさしあげてください」と、白いおくるみに包まれた赤ん坊を、夫人の腕に戻した。
「髪色は紫がかった黒……、君のお祖母様と同じだ。そして瞳の色は……赤だ。ということは、これは私の血か」
まだ視線もあやふやな赤子を見つめ、トマスはその白く柔らかな肌に触れた。
「だが、とても美しい子だ。この美貌は、間違いなく母親譲りだな」
クラリスは可笑しそうにフフッと笑い、「もう親馬鹿ですか?」と夫をからかった。
「いや、妻馬鹿だよ」
トマスも柔らかく笑い、彼は妻の手を取りその甲に口づけた。
「生まれた子が女児であったら、君が名をつける約束だったな。もう名前は決めているのかい?」
多少疲れた顔を見せながらも、美しい侯爵夫人は夫の言葉に嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、もう決めていますわ。この子の名前は、アリッサです」
「ほう、良い名だ。そう言えば君は、以前から我が子にその名をつけたがっていたね」
「ええ。女の子が生まれたら、絶対にこの名前にしようと決めていましたの」
「うむ。アリッサ……アリッサ・セルヴィッジか。美しい、良い名だ」
「ええ」
トマスの言葉に、夫人も心底幸せそうな笑みを浮かべた。
そんな仲睦まじい侯爵夫妻を、使用人たちが温かい眼差しで見つめていた。
そして有沙も、夫人のお産が無事に終わったことに、安堵の息をついていた。
(あー・良かったー。無事にアリッサが生まれて、侯爵夫人も元気そうで……)
だが、さっきから気になることがあった。
自分はリディアに変身していたはずなのに、気がつくと体が縮んでいる。さらに気になることには、夫人の腕に抱かれているのは自分で、皆が自分の顔を見ながら、「お嬢様」と呼んでいる気がするのだ。
もっともっと気になることには、侯爵と夫人の顔が至近距離にあり、彼らもこちらを見て、「アリッサ」と呼びかけている気がするのだ。
(まさか……、まさか、だよね……)
そこで有沙は、二つの視線に気づいた。
夫人の天蓋付きベッドの天井部分から、透明化したエレノアとエドガーが、必死にこちらへ向けて何事かを訴えかけてきていた。
「精霊王様っ! これはいったい、どうしたことですか!」
「いったい何が起こったのですか!? 我々はどうすればよろしいのでしょうか!」
いつも冷静な二人にしては、めずらしいほど慌てている。
驚いた有沙は、念でメッセージを送ってきた側近二名に対し、こちらも念話で答えを送った。
「私も、何がどうしてこうなったのか、わけが分かんないよ! そもそも、どうして私が赤ちゃんになってるの! 本物のアリッサはどこなの!?」
有沙の疑問に対し、二人の精霊は真顔で顔を見合わせた。
「いえ、その体は間違いなく、この家の侯爵令嬢、アリッサ・セルヴィッジのものです」
「しかし中に入っているのは精霊王様で、アリッサの魂は存在しません」
「ええっ!」
その言葉に、有沙は仰天した。
「じゃあ、本物のアリッサは、いったいどこへ消えちゃったの!?」
第十六話につづく
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