第十二話
「一人二役の精霊王さま」第十二話です。
本作は毎週火曜日の更新を目標にしています。
件の宝石店は、王都の商業地区内で高級店ばかりが軒を並べるショッピング街の、一等地にあたる場所に店を構えていた。
大きな噴水がある広場に面し、重厚な外観の建物は六階建てだ。高さだけなら王城並みである。
有沙はお忍びで街に下りた貴族令嬢に見えるよう、いつものリディアの服を高価なドレスに変え、髪型もそれらしく整えて、ついでに帽子やドレスの装飾も煌びやかな宝石で彩った。
付き添うエドガーはその従者に見えるよう、仕立ての良いフロックコートにトップハット姿だ。美形のエドガーにその衣装はぴったりで、「エドガー、その服、すごく似合ってるよ!」と有沙は笑顔で褒めた。
エドガーは顔を赤らめながら、「せい……お嬢様も、若草色のドレスが良くお似合いです……」と、いつもの控えめな口調で返した。
「じゃあ入ろうか」
エドガーはうなずき、従者らしく店の扉を開け有沙をエスコートした。
外観よりさらに豪華な内装の店内は、思った以上に奥行きがあり広々としていた。店内には複数組客がいたが、それぞれに専属の店員が複数ついており、さすが王室御用達の高級店らしい雰囲気だった。
「いらっしゃいませ!」
洗練された制服の女性店員と男性店員が、入ってきた有沙とエドガーを見て、愛想の良い笑みを浮かべ挨拶する。だがその視線が素早く動き、有沙が身に着けているドレスと宝飾品を不躾に値踏みしたのを、エドガーは見逃さなかった。
彼らは有沙を上客と判断したらしく、一番年長の男性店員が揉み手をしながら前に進み出た。
「初めてのお客様でいらっしゃいますね。ようこそテネーブル宝石店へ。わたくし、当店でマネージャーを務めております、トレヴァーと申します。どうぞお見知りおきを」
にこやかに挨拶するマネージャーを、有沙は無言で見つめた。そして口元を扇で隠し、隣のエドガーに小声で耳打ちした。エドガーは真顔でうなずき、「少々訊ねたいことがある」とトレヴァーに言った。
「はい、何なりと」
エドガーはまた少し腰を折り、隣の令嬢に顔を寄せた。有沙は扇で口元を隠したまま、その耳元に小声で何かを囁いた。
これは、あらかじめ二人で決めておいた作戦だ。
扇で顔を隠すことで令嬢の素性を分かりづらくし、いかにも高貴な家柄の深窓の令嬢、という空気を演出する。また従者役のエドガーに代弁してもらうことで、元平民の有沙が下手な発言をして、店側の不審を買うことも防げる。
この作戦はうまくいき、トレヴァーは気を利かせて、「こんなところで立ち話も何ですから、どうぞこちらへ」と、有沙たちを店の奥にある応接室へ案内した。
部屋はこぢんまりとしていたが、調度品は表のフロアよりも洗練されていて上品だった。
女性店員が来客用の茶を運んできて、彼女が離れたタイミングで、エドガーは胸ポケットからハンカチに包んだブローチを取り出した。
アドキンズ侯爵夫人からセルヴィッジ侯爵夫人に贈られたルビーのブローチを、エドガーが細工も石もそっくりに模倣し作った偽物だ。おそらく作った当人ですら見分けがつかないほど、精巧なレプリカだった。
「これは……見事な品ですな」
ブローチを手にしたトレヴァーは興味深げな顔つきで、鑑定用眼鏡越しにブローチに見入った。
「これほどの細工を施せるのは、ウィスタリアではこの店の職人だけと聞いた。ある高貴な身分の御仁から譲り受けたものだが、出所が気になる。このブローチは、この店で売られていた物で間違いないだろうか」
「え?」
彼にとって予想外の言葉だったのだろう。トレヴァーは一瞬ポカンとし、「うちで?」と呟くように言った。
「このブローチを、当店で購入されたということですか?」
「それは不明だ。だがブローチの細工を見た他店の店員が、こんな細かい装飾を施せるのは、この店の職人に違いないと言っていた」
「し、少々お待ちを……」
トレヴァーはさきほどより真剣な顔つきになり、前のめりになってブローチを凝視した。
鑑定用眼鏡を通して、さんざんブローチを観察見分した後で、トレヴァーは改めて、「これは、うちの商品ではございません」と断言した。
「たしかに研磨技術も土台の細工も素晴らしく、うちの職人と同レベルの腕を持つ職人が手掛けた品でしょう。ですが、当店で扱っている商品は一つ残らず、私が目を通しております。この石にもデザインにも見覚えがございません。うちの品ではございません」
「店頭には出さず、特注で作られた、という可能性はないか?」
「その場合も、必ず私が間に立って検品いたします。商品の管理についてはオーナーより一任されておりますので、私を介さず職人に注文が入ることはございませんし、お客様の手に渡ることもありません」
「そうか……」
トレヴァーの言葉に嘘はなかった。彼なりに、マネージャーとしての仕事にプライドを持っているのだろう。その言葉は、彼の自信と矜持に裏づけられていた。
(どうしましょう、精霊王様……)
いきなり袋小路に行き詰まり、エドガーがテレパシーで有沙に訊ねる。有沙も戸惑いが隠せず、「どうしよう……」と心の中で呟いた。
すると、二人の困った雰囲気を察したトレヴァーが、「あの……」と控えめに声を上げた。
「もしかするとうちの工房を引退した職人が、何か知っているかもしれません」
「引退した職人?」
「はい」
「その者は、今でもこういう細工ができる腕の持ち主なのか」
「左様です」
トレヴァーは真顔でうなずいた。
「加工の腕はもちろん、デザイン面でも本職顔負けのセンスを持った職人でした。このブローチに使われている、葉脈まで細かに彫る手法は、その者が得意としていた細工です」
親切なマネージャーは、その引退した職人の名と、彼が住んでいる村の場所を教えてくれた。
「王都から馬車で半日ほどかかる、小さな農村です。腕の良い職人だったのですが、両親が年老いたので地元に帰りまして、今はそこで親の仕事を手伝いながら、小さな工房を開いているはずです」
「そうか。ありがとう」
エドガーが礼を言い、有沙はまた扇越しに彼に耳打ちした。エドガーは小さくうなずくと、反対の懐から口を紐で縛った布袋を取り出した。
「情報の礼だ」
袋を受け取ったトレヴァーが中身を確認すると、大粒の宝石が複数個現れ、彼は仰天した。
これらは土の精霊のフレイヤに用意してもらった、本物の宝石である。希少な鉱石を磨いて美しくカットした物で、どれもかなりの値打ち物だ。
「そんなっ。大したことは話しておりませんのに、こんな高価な品を頂戴することはできません!」
第一印象と違って実直な性格らしいマネージャーに、有沙はまた小声でエドガーに指示を出した。
「構わない。お嬢様の感謝の気持ちだ。遠慮なく受け取るがいい」
「ははっ。ありがとうございます!」
トレヴァーはその場で立ち上がり、体を二つに折って有沙に頭を下げた。
「また何かお聞きになりたいことがございましたら、いつでもお訊ねください! また宝飾品をご購入の際は、ぜひ当店をご利用くださいませ。精一杯のサービスをさせていただきます!」
「ああ、何かあったら、また頼む」
久しぶりに人間の飲み物を味わった有沙は、結局、最後まで一言も言葉を発することなく、笑顔で宝石店を後にした。
店の外に出て二人を見送るトレヴァーの姿が遠ざかり、有沙は「さて」と呟いた。
「じゃあ次は、その職人さんを訪ねてみようか」
***
精霊の力を使えば、馬車で半日の距離も一瞬だ。
今度は外套を羽織った地味な旅人の姿で、有沙たちはトレヴァーから教わった小さな村を訪れた。
住民の大半は農業と林業で生計を立てているというその村は、人口百人にも満たない、かなり小さな集落だった。
村の入り口で元王都にいた宝石職人のことを聞くと、その老人はすぐに、「ああ、ノーマンの倅のロイだな」と言った。
老人からさらに詳しい場所を聞き、二人は真っ直ぐに彼の工房を目指した。
ロイの工房は自宅の畑の端にあった。
小さな丸太小屋の前で、よく日焼けした屈強な男性が薪割りをしていた。
「あの、ロイさんですか」
有沙が声をかけると、三十代半ばのその男性は薪割りの手を止め、初めて見る二人連れに怪訝な顔をした。
「そうだが、あんたらは?」
「王都のテネーブル宝石店で聞いてきた。昔、あの店で職人をしていたそうだな」
エドガーが訊ね、ロイはますます不審な顔つきになった。
「そうだが……。いったい俺に何の用だ」
エドガーは懐からブローチを取り出し、「この品に見覚えはあるか」と訊ねた。
「それはっ!」
とたんにロイの顔色が変わり、彼はすごい勢いでエドガーに詰め寄った。
「あんたっ! これを、どこで手に入れたっ!」
「質問しているのはこちらだ」
エドガーは動じることなくロイを片手で制し、「これは君の作品か」と質問を変えた。
「……そうだ。俺が作った」
苦悶の表情で答え、ロイは唇を噛んでうつむいた。両の拳を固く握り締め、肩を小さく震わせる。
「間違えるわけがない……。俺の職人人生の、最高傑作なんだ……」
(それほど素晴らしい作品なのに、どうしてこんな辛そうな顔をするんだろう……)
気遣わしげにロイを見つめる有沙を横目で見て、エドガーは「これはどういった経緯で作ったんだ?」と質問を重ねた。
「……知り合いに、頼まれた」
顔を上げないままロイは答えた。
「ある金持ちの貴族から、大きなルビーを使った装飾品を作って欲しい、という依頼があったと。事情があって王都の店には頼めないから、地方住みの腕のいい職人を探していると。金はいくらかかっても構わないから、とにかく、一流宝石店に並んでいてもおかしくない、見事な細工の女性用アクセサリーが欲しいと。用意したルビーを使っているものなら、ペンダントでもブローチでも何でも良いと……」
「それで? 君にその話を持ちかけた人物は誰だ?」
「俺の婚約者の……、婚約者だった女性の、父親だ……」
ロイの答えに、エドガーは軽く片眉を上げた。
「つまり、婚約者の父親を介して、君に依頼が来たんだな。君はその仕事を受け、ブローチを作った」
「……そうだ」
さっきから有沙は、ロイの苦悩に満ちた表情が気になって仕方なかった。何だかとても、嫌な予感がした。
「君はブローチを完成させた。それからどうなった?」
「……依頼の品を、彼女の父親に渡した。彼は喜び、これほどの出来映えなら、きっと先方も気に入るだろう、と言った。そして、報酬の金をもらったら、それで俺と彼女の結婚を盛大に祝おう、とも……」
「それから?」
「彼は、消えた。一家ごと、行方不明になった」
「えっ!」
有沙が思わず声を上げた。だがエドガーとロイは無言だった。
「それはいつの話だ」
「依頼が来たのが三月前のことで……。俺がブローチを完成させたのが、ひと月前だ。俺は、ドルフが町に向かうのを見送った。だが彼はそれきり、村に戻って来なかった。そして彼女と母親も、いつの間にかいなくなった。他の村人の話によると、夜のうちに村を出て行ったそうで、俺が会いに行った時はもう、家はもぬけの空だった」
「君は、騙されたと思っているのか。彼女とその父親に……」
エドガーの言葉に、ロイは悔しそうに唇を噛んだ。それが答えだった。
「婚約者だった女性の名前は?」
「……アンナ」
「父親の名は? さっき口にしたドルフか?」
「そうだ」
有沙とエドガーは顔を見合わせ、うつむくロイにエドガーが言った。
「もしかすると騙されたのは、君一人ではないかもしれない」
「えっ?」
ロイが顔を上げた。
「そのドルフという男性も、依頼主に騙された可能性がある。だが、だとすると……」
その先はあまりに不吉で、エドガーは口に出すことをためらった。
「おい、ちょっと待ってくれ……」
ロイは顔色を変え、再びエドガーに詰め寄った。
「あんたらは、いったい何を知っているんだ。まさかドルフも騙されて、一家全員攫われた、なんて言うんじゃないだろうな!」
「……その可能性はある」
「そんな、どうして……!」
「このブローチは、ある高位貴族の夫人に、同じく高位貴族の夫人から贈られた。表向きは、そういうことになっている。だがブローチには、強力な呪いがかけられていた。贈り主の夫人と贈られた側の夫人は友人関係にあり、家同士の関係も良好だ。贈り主に呪いをかける理由はない。別の人物が、夫人の名を騙ってブローチを贈ったのだ。我々は、その悪意ある本当の贈り主を探している」
「ちょっ、どうして……!」
いきなりぶっちゃけたエドガーに、有沙が驚いて声を上げた。思いがけない話を聞き、ロイも茫然としていた。
「そこで、だ」
エドガーは真剣な表情で話を続けた。
「呪いは解呪され、贈られた側の夫人は無事だ。では敵はどうするか。また同じ手を使うのではないか?」
「まさか……」
有沙とロイの声が重なる。
「王都の宝石店を使うわけにはいかない。足が付く恐れがある。ならばまた、田舎住みの職人を使おうと考えるのではないか。地方に腕の良い職人はそういない。つまり敵は、また何らかの手段を使って、君に接触してくる可能性がある」
エドガーの言葉に、ロイはごくりと喉を鳴らした。
「もし、本当にそういう奴が現れたら……俺はどうすればいいんだ」
「依頼を受けろ。そして我々に知らせて欲しい」
「どうやって。そもそも、そんな依頼はずっと来ないかもしれない。いつ来るか分からないものを、どうやってあんたらに知らせる。俺は字が書けないぞ。手紙も出せない」
「そんな手間はいらない。この作業小屋の窓を黒い布で覆ってくれ。それが、奴らの来た合図になる」
「それだけか」
「それだけだ」
「村に見張りでも立てるつもりか」
「そうだ。だがその見張りは、君たちには見えない」
「あんた、魔導士なのか」
ロイがそう思うのも当然だった。貴族でもそんな上級魔法は使えない。高度な魔法を使えるのは、高い魔力を有する魔導士か、教会に所属する司祭たちくらいだ。
「似たようなものだ」
まさか闇の精霊と答えるわけにはいかない。エドガーの返事に納得したらしいロイは、「分かった。あんたの言う通りにする」とうなずいた。
「ただ、俺からも頼みがある……」
ふたたび地面を見つめ、ロイは言った。
「もし、もしも、アンナたちが見つかったら、俺にも知らせて欲しい……」
予想できた頼みだった。だがその言葉の裏にある彼の心を思うと、有沙はたまらない気持ちになった。
「分かった。必ず伝えよう」
エドガーが請け負うと、ロイは小さな声で、「ありがとう……」と言った。
***
ロイと約束を交わし、有沙とエドガーはそのまま村を出た。
ロイの家の周囲には数羽のカラスが住んでおり、エドガーは彼らに、ロイの合図があったら知らせるように、と命じた。
重い気持ちで村を出た有沙は、近くの森に入ると、「はぁ~~~……」と長いため息をついた。
百年修行したことで、今はもう、大抵のことではショックを受けたり動揺したりはしない。だがそれでも、ロイと彼の婚約者一家のことを思うと、心を痛めずにはいられない。
「もう私、本気で怒った。絶対、絶対に、黒幕を捕まえてお仕置きしないと気が済まない」
「そうですね。かなり悪質な連中のようです」
二人並んで倒れた木を椅子に腰かけ、有沙は「それにしても」と感心しながらエドガーを見た。
「ロイさんの話を聞いて、すぐにあんな作戦を立てちゃうなんて、エドガーってすごく頭がいいね。私一人だったら、あんな計画は絶対に思いつかなかったよ」
「……恐れ入ります」
ポーカーフェイスを解き、エドガーはいつものシャイな彼に戻って照れた。
「ところで、ロイの頼みはどうしますか。婚約者家族はいきなり消えたそうですが、当日の彼らの足取りを辿れば、一家がどこへ行ったか判明すると思います。彼らの消息を掴むことは、黒幕に一歩近づくことにもなりますし、調べてみるべきでしょう」
「え、ひと月も前のことなのに、調べられるの?」
「ええ。幸いにして、ここには目撃者が多いですから」
エドガーは穏やかな表情で答え、「まず、彼らに聞いてみましょう」と、茂みの一角を指差した。
第十三話につづく
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