水面下の悪意
前話とは別の立場の高官の思惑のシーンです。
アイユーヴ王国首府艦隊司令ヨルムベルト・ラキサリスは、アイク島からの外交使節の実情についての報告を、シムレー号からビーニーグルへと案内した大型艦ゾイゾットの艦長から受けていた。
「…以上のように、艦内での彼らの様子は極めて統制が取れ、同時に家庭的な雰囲気を保っていました。使節団の代表であるアイク島騎士団政務局のレオンハルト・カシウス卿はその若さにもかかわらず、驕らず諂わず自然体で振舞っておいででした。言葉には多少訛りがありましたが、500年もの断絶を考えればむしろ自然なことかと。ただ特筆すべきことが一点」
そこでヨルムベルトの部下はいったん言葉を区切る。話を盛り上げようというつもりだろうが、この後手早く行動したいヨルムベルトにとっては余計な演出だ。
「もったいぶるな」
「失礼しました…使節団の中にまだ年端もいかぬ少女が1人居ります。驚いたことにあの巨艦を建造したのはその少女の技術によるものだとか」
「少女?それは確かに驚きだ…しかも技術者ということは、わが国での女性の扱いでは不満だろうな」
「いえ、それはこちらの作法に合わせると代表殿から。礼儀に関して付け加えることがもう1つ。レオンハルト卿の王国での作法に自信がないので、陛下への謁見について事前に綿密な打ち合わせを行ってほしい、と同乗したサーマイヤーフ殿下から依頼がありました」
「サーマイヤーフ殿下から?王族直々の依頼ともなれば無碍にもできんな。幸い外務部の中には付き合いのある者もいる。個人的に頼んでおくとしよう」
予想外の依頼だったが、ヨルムベルトには元々今回の件で外務部に意を通じておきたい事が有ったので渡りに船だった。他に報告がないことを確認すると、部下を下がらせてヨルムベルト自身は予定通り殿上許可・書類閲覧許可局外務部次官であり、自分と同じく第二王子派に属するロレンツォ・ギルバーグの執務室へと向かった。
ヨルムベルトはロレンツォの執務室に続く天井の高い煌びやかな廊下を歩きながら、10年前から習慣となってしまった感嘆ではなく失意の溜息を思わず漏らす。確かにこのアイユーヴ王宮は歴史ある王国の権力中枢にふさわしい壮麗さを持っている。大理石を豪勢に使った外壁、10人がかりで動かす正面の大門、尖塔が林立する本宮。中に入れば10人が両手を広げて歩けるような大階段に続く大広間。そして夜ごとの社交会で美しい絹の衣装に身を包んでダンスを踊る貴顕淑女たち。ロッテントロット都市連合との睨み合いを主導し、いずれは赫々たる戦果を挙げてこの宮殿に自分の居場所を作るのだと野望を燃やしていた頃のヨルムベルトが、此処は派手派手しく飾られた牢獄だと叫びたくなる今の自分を見たらどう思うだろう。だが自身の武功に依らずに、華やかなだけで重厚さも獰猛さも感じられない艦隊のお守りを任じられた時から、気まぐれで自分から生き甲斐を奪った第3王子への怨みの混じった溜息が途切れたことはない。たとえそれが大きな誤解であり、自分がレイシン河方面艦隊司令から首府艦隊司令へと「栄転」した原因が、王太子の稚拙な企みによるものだと知った今でも。
「サーマイヤーフ殿下はシンドゥムとの闘いであげた功績を妬まれ、イェーリエフ王太子殿下によって辺境に追いやられただけ、か…」
そう、それがレイシン河から王宮へと戦場を移し、訳も分からないまま宮廷のパワーバランスで第2王子派へと組み込まれたヨルムベルトが知った真実。
「殿下はむしろ王太子殿下の我儘の被害者。判っている。判っているのだ…」
表面上は毅然とした態度を保って、その上を歩く者の姿が映るのではないかと思うほど磨き上げられた廊下を進みながら、今まで何度も発した呟きを悄然と繰り返す。理屈では全くその通りなのだ。第3王子のレイシン側方面地域への赴任に本人の意向は全く関与しておらず、結果として押し退けられた自分は安全な顕職へと昇進した。望外の幸運の遠因に感謝こそすれ、恨む道理などどこにも無い。だがあの時胸に刻み付けてしまった第3王子への敵愾心は決して消えることは無かった。
理由は自分にも定かではない。軍人として王国への忠誠を叩き込まれた自分にとって、本来恨むべき王太子があまりにも高すぎる存在であること。比して第3王子は本来王の目に留まるはずもない下女から生まれた、平民といっても高級軍人の家系である自分よりもむしろ低い身分ともいえること。また元は畑違いの陸戦屋であったはずの第3王子が、事前の予想に反して高い戦果を挙げるようになり、本来は自分の手柄だった筈との思いから嫉妬心を搔き立てられたこと。逆恨みであるがために周りの人間に自分の心を打ち明けることができず、内へ内へと籠っていったこと。
どれも自分の暗い情熱を正当化するに足る説得力を有してはいないが、今回のアイク島の使節団の謁見に先んじて第3王子が失態を犯したことに乗じて、ヨルムベルトはサーマイヤーフの失脚と前線復帰を志していた。その為におそらくサーマイヤーフのシンパと目されるアイク島使節団、特に代表者であるレオンハルト・カシウスに接触し、2人の仲を裂くようロレンツォに働きかける。それもできれば王族であるサーマイヤーフに対する悪意が露見しないように、あくまで表向きはサーマイヤーフを元のシンドゥム戦線へ戻すという形で。
「サーマイヤーフ殿下の政敵は短絡的に行動しがちな王太子殿下。第2王子派のギルバーグ殿の接触は怪しまれることは無いだろう」
廊下に自然光を入れるための大きな窓ガラスを拭く下女たちには聞かれないように、小さく独語したヨルムベルトは目的の部屋のドアを叩いた。
「どうぞ」
「失礼する」
「時間通りですね、ラキサリス殿。それにしても今日はどうされました、外交などに興味を示された事は今まで有りませんでしたのに」
「シンドゥムとの関係についてはともかく、全く未知の国からの来訪者ともなればこの老骨も血が騒ぎます…というのは建前でして」
同じ派閥に属する者同士、しかも互いに平民ということで2人とも堅苦しい儀礼は抜きだ。安価だが質の良い杉材で作られた執務机で書き物をしていたロレンツォに勧められるままに、ヨルムベルトは木製の椅子に腰掛けた。これが貴族を訪ねるとなればまず形式ばった挨拶に始まり、長々とお世辞とも皮肉とも付かぬやり取りを経て、舌を回すのが面倒くさくなる頃に樫だの黒檀だのの矢鱈とつやつやした骨組みに革張りの椅子にやっと座ることができる。
「ほほう。その辺りがわざわざ今日を選んでの面会希望でしたかな?」
わざわざ、とチクリと一刺しが有るがこれは当然だろう。外交使節団の謁見ともなれば、儀式には縁遠い平民といえども外務部のロレンツォは忙しいに違いない。
「そうですが…予定外の依頼が舞い込んだので、予め今日訪ねることにしていたのは都合が良かった。先に裏のない話を進めてしまいましょう。実は使節団を港まで運んだ部下に、サーマイヤーフ殿下から内々の打診がありました。使節団はやや王国の儀礼に不安が有るので、事前に綿密な打ち合わせを行ってほしいと」
「ふむ…確かに王太子派が妙な茶々を入れるかもしれません。完全に予定調和の謁見にしたほうが安全かもしれませんな。それで裏がある話というのは?」
「先だっての都市連合との戦でサーマイヤーフ殿下が大敗を喫した件です」
「それこそ王太子派の連中が勝手に突き回すでしょう。我々としてはむしろ仲裁に回ることで双方に恩を売っていきたいと…我らの盟主たるラボーラル殿下ご自身がそうお考えなのですが」
確かにその選択が妥当だろう。母親の身分が度を越して低い第3王子は派閥という武器をほとんど持っていない、と王太子派の盟主と貴族は考えがちで、それゆえに無益な攻撃を繰り返してもなんの問題もないと考えているようだ。しかし軍人として確固たる業績を持ち、また本人の人柄も平民受けする第3王子には軍部や官僚から一定の支持がある。無思慮に攻撃して足元が疎かになる所を諌めれば、王太子に対しても第3王子に対しても今後の交渉材料を得られる筈だ。
「そのお考えの根拠となる、サーマイヤーフ殿下の平民からの支持が危うくなるのでは、と私は今回の戦いでの大敗について考えているのです」
「その視点は確かに有りませんでしたな」
「これは私が軍人であるが故の危惧かもしれませんが。元々殿下はシンドゥム王国との戦いで名を馳せたお方。ロッテントロット都市連合との戦では、今までは大きな被害を出していませんでしたが、それは艦隊戦の特性によるもので殿下の才覚によるものとは必ずしも言い難い。今回の敗戦を機に、本分であるシンドゥム戦線へ配置換えをしてはどうかと思うのです」
「成程、決してサーマイヤーフ殿下を攻撃するわけではない」
「殿下ご自身がどうお考えなのかは判りかねます。畑違いの場所で10年も頑張っていらっしゃったにも拘わらず今更、とお怒りになるかもしれません。しかしやはりサーマイヤーフ殿下にお似合いの戦場は陸戦ではないかと思うのです」
これは全くの出鱈目という訳ではない。シンドゥム戦線で身分を秘していたにもかかわらず頭角を現したのは、サーマイヤーフが陸戦に光るものを持っていたことの証左だろう。
「ただその際にネックになるのが、アイク島使節団とサーマイヤーフ殿下の関係です。アイク島使節団の皆様がこの動きをサーマイヤーフ殿下、ひいてはアイク島とアイユーヴ王国の外交の地盤に罅を入れる行為とお考えになれば、陛下を通じてストップが掛かるかもしれません」
「ラキサリス殿のお考えは承りました。いずれにせよ異国の強力な支持が今まで弱小勢力だった第3王子に付く事で、王宮の勢力図が激変するのは望ましくない。我々が間に入るのはアイユーヴ王国全体のためにもなる筈です。そのようにラボーラル殿下にお伝えし、今後どう動くかについて再考を願いましょう」
ロレンツォを味方につける事はできたようだ。アイク島使節団を新たな第3王子派と決めつけて国交を開くこと自体に消極的な王太子派との兼ね合いで、今まで第2王子も表立って使節団と接触することは避ける様子だったが、官僚、軍人双方から声を上げれば公然と友誼を結ぶ事をラボーラル殿下も許してくれるだろう。第3王子をレイシン側方面地域から引き離した後のことについては、今焦って話題にするべきではない筈だ。髀肉之嘆に喘ぐ日々の終わりを想像して、ヨルムベルトはうっすらと微笑んだ。
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