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レテンド大陸興亡記  作者: 嶺月
二章
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船内を巡るルーチェ

航海室を出たルーチェは船内を見て回ります。

 ルーチェは言葉では反発したものの、レオンハルトの言葉に従って部屋で上着を着こんでから、寒風吹きすさぶ甲板に出た。アイク島では冬の風と言えば北から寒気を伴って南の温かな海へと流れていくものだった。しかし大陸の北端に位置するこの辺りでは大地と海との表面温度の差から、南からも強い風が吹いてぶつかり合うため、複雑な風が常に渦巻くのだという。

 空気は冷たい物の方が重いそうで、南の山脈を越えた乾いた熱風の下に湿気を含んだ北風が潜り込んで地表を冷やすのが、緯度の割にアイユーヴ王国の冬が寒くなる理由だそうだ。もちろん海上でも空気の振る舞いは変わらない。備えていたとはいえ、ルーチェは思わずブルブルと震えた。

「お嬢、どうしやした?」

 甲板に出てきた技術監督官を見て、早速馴染(なじ)みの水夫の一人がモップを動かす手を止めて声を掛けてくる。ルーチェの相手はあくまでも重力水を使った浮揚板、操船技術は素人なのだから‐シムレー号は常識はずれに広いとは言え‐甲板に出て来られても邪魔者にしかならない。まさかサーマイヤーフに言い負かされて逃げてきたとも言えず、微妙な笑顔を浮かべてシムレー号の元からの水夫の中で一番の年長者、カイトがどこにいるかを尋ねる。

「カイトさんなら中央のマストでさぁ。王国の水夫さん方に引っ付いてずっと勉強中です」

「う~ん、あたしが行くと邪魔になっちゃうかな…そこまで大事な用事が有る訳じゃないし…」

 大事などころか用事など何も無い。だが王国の水夫が操る三角帆には興味がある。しかし不十分ながらも帆の扱いを心得ているカイトや他の水夫と違って、ルーチェは本当に何もわからない。

「勘と経験と腕力の世界なんで、お嬢には向いてないかもしれやせんねぇ」

「だからこそ実際に目で見て理論化したいんだけどね…」

 その時甲板を高波が襲い、飛沫(しぶき)を浴びたルーチェは可愛らしい悲鳴を上げる。それを見た水夫は遠慮なく笑い、船室に戻るように勧める。

「やっぱりお嬢には向いてやせんぜ。船室に戻ってくだせぇ」

「悔しいけどそうみたいね。ジークさんのところで医学の勉強に付き合わせてもらってくる。もしレオンハルトが探しに来たらそう言っといて」

「わかりやした」

 伝言を残してルーチェは今度は医務室へと移動することにした。専門のジークには及ばないものの、医学薬学の方面ならアイク島にいたころから少し知識もあるので、レテンド大陸の医学を勉強中のジークとなら有意義な時間を過ごせるだろう。


「ジークさん、いる?」

「おやルーチェさん、船酔いですか?」

「…もしジークさんが勉強中なら少し一緒にやろうと思って。なんだか今日はやけにみんなから子ども扱いされる日だわ」

 医務室に入った途端のジークの質問に思わずぼやくルーチェ。アイク島では騎士ならば17歳で成人とみなされ、平民などは結婚適齢期は12歳前後だが、実際に一人前とみなされるのは結婚ではなく最初の子供が頓死(とんし)の心配がなくなるころ。まだ15歳のルーチェが子ども扱いされるのは致し方ないところだが、シムレー号という確固たる業績を上げたルーチェにはその辺りが不満でしかない。

「それは失礼しました。今は冬に流行しやすい病気を集中的に学んでいるところです」

「冬に?風邪じゃなくて?」

「寒さが原因で体力が衰えるということは要因としてあるようですが、冬になると一見風邪のようでも、ひどく症状の重い別の病が流行するということはあるようです」

「そういえば大陸では病の原因は身体の外から来る、と考えるんだっけ。寒いと何かが活発になるってこと?」

 祖父のディルは非常に好奇心旺盛で研究熱心な男だったが、やはり専門は鍛冶師なので人体や生物については門外漢だった。ルーチェはシムレー号建造に実際に着手する以前から船に多大な関心があり、居処の王都から半日ほどとはいえ、港町まで頻繁に出かけていたため、不慮(ふりょ)のけがなどの対策として自作の治療薬などを調合することが有ったが、それもアイク島流の薬学に沿ったもので、アイユーヴ王国で主流となっている研究については良く知らない。

「寒さというより、乾燥が原因のようだ、と推察されているようです」

「乾燥が体を害するなんて考えたことも無かったわ。アイク島で病気って言ったら第一は食中毒だったもんね」

「はは、確かに。アイユーヴ王国に来てから本当に有り難いのが、香辛料が豊富で味が毎日違う事ですね。それに香辛料にはそれぞれに身体に特殊な作用をするものも有って、薬としても使われるようです」

 幾つかの香草を除けば塩以外に味付けの方法の無かったアイク島からすると、アイユーヴ王国の味覚の豊饒(ほうじょう)さは天国のようにも思える。もっともこれも人それぞれという面は有り、王国料理は味が濃くて苦手だという仲間も何人かいる。ルーチェは味には満足しているのだが、若い娘と言う事で調理法なども細かく世話役の使用人が配膳の際に説明するのには閉口している。鍛冶に没頭してその辺りの事は母に頼りきりだったルーチェには、些細(ささい)(なま)り以外はほとんど同じ言葉を話している(はず)なのにちんぷんかんぷんだ。幸いなことにレオンハルトのパートナーとして上流階級の令嬢らしく振る舞う事を求められているので、掃除や洗濯を徹底的に仕込まれるという事が無くてそれは安堵(あんど)している。

「とにかく今は冬に流行(はや)る病気についての勉強中なんだね。確かに私たちは普段ずっと一緒だから、何かの拍子に誰かが(かか)ったら一気に広がるかもしれないし。為になるわ」

 ルーチェは患者用の椅子に陣取り、ジークが読み上げる医学書の内容を聞いて、予防法や他の病気との見分け方などを細かく確認していく。その様子を誰かが(はた)から見ていたら、何かを学ぶことそのものへの慣れや、医学に関する基本的な知識を修めている事を感じただろう。

 夕食ができたから食堂に来るようにと水夫の一人が呼びに来るまで、二人の勉強会は続いた。


 シルマンテの街から海側へ出る港町ヨイレントを出航してから一週間、シムレー号は無事に王都アンソイルの海側の玄関口とも言えるビーニーグルの沖合に辿り着いた。例によってシムレー号の巨体を納めるスペースが無いので、ここからは王都からの迎えの船に移乗して入港する事になる。ハッタリを効かせるためにはシムレー号でギリギリまで寄せた方が良いのではないかとレオンハルトは思ったが、そもそも王都から王侯貴族も実際に行政に携わっている高官たちも出迎えては来ないらしい。本気で歓迎する気が有るのか(はなは)だ疑問だが、これはアイユーヴ王国の慣習によるものでレイシン河方面地域に対する悪意とは無関係らしい。

 初めてシューラリス号を見た時と同じ大型の鳥を模した旗に加え、その鳥の背景に四色に色分けされた盾を持つ王国の紋章が(ひるがえ)っているのを見ながら、レオンハルトはふと(つぶや)く。

「それにしても、アイク島の王都もそうだったのですが、アイユーヴ王国も海に面した場所に都を築いていませんね」

「シンドゥムも大抵はそうだぜ。だが遠方から来る冒険商人は驚くらしいな。俺たちの前身のエモルって帝国はかなり閉鎖的な民族柄だったらしい」

「その辺りがいくら蛮族を嫌ったとは言え、無計画に海へ()ぎ出した要因だったのでしょうか?」

「だろうなぁ…普通に考えりゃあ、何も大海原に新天地を求めるより、大陸の沿岸沿いを進んで文明国の港を探すほうが安全だった訳だしな。まぁ…」

 そこでサーマイヤーフが言い(よど)んだのでレオンハルトは年嵩(としかさ)の友人の顔を見る。

「いやまぁ、ヴィセングルとの仲違いも原因はこっちの閉鎖性って奴らしい。あまりこの話は船を移ったらするなよ」

「忠告感謝いたします。だそうだよ、ルーチェ」

「なんで名指しするのよ!」

「こんな事を気にするのはこの船には私と君しか居ないからね」

 澄ました顔のレオンハルトに何と言い返してやろうかとルーチェが考えているうちに、迎えの船がシムレー号に横付けされ、儀礼用と明らかに判る金銀などで装飾された板が渡され、その中央に真っ赤に染められた布が敷かれる。本来なら勢いよく巻かれた布を一気に広げるのだろうが、シムレー号の船縁(ふなべり)(いちじる)しく高いので、儀仗兵らしい非実用的な背の高い帽子を被った二人の兵士が丁寧(ていねい)に布を伸ばしに来た。おそらく儀仗兵は布を踏んではいけないのだろう、王国流の計測なら10センメードほどの狭い両端を恐る恐る進んできた。レオンハルトももう国家の威儀という概念自体は理解しているが、彼らがもし落下したら誰が責任を取るのだろうと呆れながら見守り、次にどうするのかとサーマイヤーフに目線で尋ねる。するとシムレー号に同乗したサーマイヤーフ麾下(きか)の兵士、コンライレン、サーマイヤーフの順に儀仗兵に握った拳を胸の前で水平に固定する王国流の敬礼をして渡し板を堂々と進み、ラングルムは深くお辞儀をして板に乗る。

 恐らく軍人のみが敬礼をするのだと判断し、レオンハルトも深く頭を下げ、ジークがそれに続いた。無難にやり過ごせたと思ったが、サーマイヤーフは落第点を宣言した。

「他は兎も角、お前とカイトのおっさんは敬礼しろ。んでもって先に渡るのはカイトの方だ。ほんとに勉強したんだろうな?」

「そのつもりでしたが…」

「まぁ良い。謁見(えっけん)は儀式が円滑に進まなきゃ王だって困る。細かく作法を打ち合わせるように頼んどいてやる」

「重ね重ね、申し訳ありません」

「気にすんな。お前らが不興を買ってもらっちゃ俺が困るんだ。一蓮托生(いちれんたくしょう)って言ってな、良い言葉だろ」

 叱った分(なぐさ)めようというのか、肩をバシバシ叩くサーマイヤーフの勢いに困惑しながら、ここからは些細(ささい)なミスも許されない、とレオンハルトは気合いを入れた。

読んでくださってありがとうございました。

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