暗雲のレイシン河
新しい日常に慣れ始めたシムレー号とそこに見え隠れする不穏な影
宴から数週間すると、シムレー号の乗組員たちにも、軍での調練は日常になりつつあった。最初は奇妙な筒-銃の恐ろしさに持つのも躊躇う者が多かったが、教官にどやされながら、単に使うだけでなく、点検・組み立てを伴う整備や構造についての座学を繰り返すうちに安全に取り扱う事を理解して、熟練の兵士には速さで到底及ばないものの確実な操作を行えるようになっていった。
また、レオンハルト、ルーチェ、ジークは社交儀礼に加えて、宴の夜は見学にとどまったダンスの練習も進めていた。特にルーチェは一行唯一の女として、ただ踊れるだけではなく、立ち居振る舞いから華やかさを求められ、上流階級としての基本的な事から叩き込まれていた。本人は航海の間に伸びてしまった金髪を短く切り揃えるつもりだったらしいが、丁度良いからと伸ばし続けるように勧告されてがっかりしていた。
その間、サーマイヤーフ曰く「ハッタリを利かせる」ための準備も進んでいた。シムレー号の乗員を飾り立て、アイユーヴ王国にとってアイク島との交渉が有益と思わせる下拵え。乗組員たちを手間をかけて軍人らしく振る舞わせることも含めて、サーマイヤーフ自らの秘密裏の手配は順調に進行していた。特に、ロッテンロット都市連合に属するが、レイシン河方面地域と友好的な都市から輸入した文物は、王宮の人間に異国情緒を感じさせて効果的だと、実際にその都市との繋ぎを任されて骨を折ったらしいロギュートフ政務次官が太鼓判を押してくれた。
「それにしても嫌になっちゃうわよね」
「急に何だい、ルーチェ?」
「あたし達の時間は無限じゃないのよ。本当なら直ぐに王宮に行きたいのに、足止めされちゃってるじゃない」
「それはそうだけど、それを見越して閣下もその配下の皆様も、私達の立場を強化するための準備をしてくださっている。予定通りじゃないか」
ある日昼食をともにしながら‐作法の教示のためにジークのほかにロギュートフも同席している‐ルーチェは現状に対する不満を漏らした。彼女の気持ちはよくわかるが、こうなることも予想した上での予定を立てていることを、レオンハルトは改めて指摘した。しかしルーチェだってそんなことは判っている。そのうえでアイユーヴ王国首脳部の態度が許せないのだ、と再びレオンハルトに訴えた。
「そうだけど…だって王宮側の許可が下りないのはちゃんとした理由じゃなくて、サーマイヤーフ様への嫌がらせなんでしょ?そういうのが許せないのよ」
「まぁ、それはそうだね。アイク島では下らない理由で決裁を滞らせるなんて事は無かった。ルーチェが苛立つのも無理はないか」
「折角の夢見た大地での仕打ちがこれじゃ、あたしが一生懸命になっていたのが馬鹿みたいでしょ」
「成程、そういう側面も有るのか。でもこちらでどんなに気炎を上げてもどうにもならないからね。準備期間がしっかり取れる、と前向きに考えよう」
故郷では生産力が乏しい分、政には効率を重視する傾向が有り、上流階級がそうだからか平民にもその精神は引き継がれていた。特にルーチェは聡明で理性的な質だったから、明らかに不合理な今の状況が許せない。技術監督官殿の気性をよく飲み込んでいるレオンハルトは少女の怒りが暴発しないようにと宥める事に意を尽くした。
王国中枢部を騙す為の動きは順調だったが、ひと月ほど経過し細工は流々後は仕上げを御覧じろと言いたげだったロギュートフの顔が曇りがちになってきた。最初に彼の様子の変化に気付いたのは船医ジークだった。先行きに不安があるようでは困るからとレオンハルトを通じてシムレー号の乗員がロギュートフに心配事が何かを確認するとサーマイヤーフが直接事情を明かしてくれた。上陸初日にぼやいていたロッテントロットの不穏な動きが急加速しているようなのだ。間にある都市にとって頭越しとも言える取引が、元から緊張状態にあった対王国急先鋒派の都市・ヴィセングルの動きを誘発したようだ。
その辺りの事情をレオンハルトは政庁舎で書類と格闘しているサーマイヤーフから聞いていた。秘書官のラングルムは今日もあまり二人の会話には口を挟むことなく、部屋の主と客人の唇を湿らせるための準備をしていた。
「外交…というのですか、実際に干戈を交えるのを避ける努力は行っているのですか?」
「当たり前だ。戦争になりゃ、どうしたって死人が出るんだからな。シューラリス号の主砲が当たればどんな艦だって河底でおねんねだが、ありゃ弾も特注品の虎の子だしな。出来れば通常の砲撃でケリを付けてぇ。部下の兵士を殺す命令になる事は承知でな」
「主砲、とは私たちに威嚇で向けられたあの轟音の…しかし敵方にも同じ物が有るのでは?」
砲撃という言葉が何を意味するのか、レオンハルトは既に学んでいる。大陸の錬金術師が偶然見出した、火薬と呼ばれる秘薬を活用した兵器。500年の微睡みの中に有ったアイク島では基礎理論は兎も角決して実用化はされなかっただろう、殴り合う他者が居るレテンド大陸ならではの道具。
中でもサーマイヤーフが乗る旗艦・シューラリス号の主砲は特注品だ。弾を撃ち出すのに、火薬ではなく精製水の超抜的な爆発力を使った、通常の砲とは比べ物にならない初速。また発射の際の衝撃に耐え得る特別な配合の合金を鋳込んだ弾丸。
膨大な手間暇と発想を単なる破壊のために注ぎ込んだそれに、ルーチェは嫌な顔をしながらも、大陸の技術を吸収するべく日夜兵器廠に通い詰め、重力水と違って緻密な回路を鍛造せずとも扱う事の出来る精製水としての活用法と、実用に際しての定量的な分析を続けていた。
「有る事は有る。構造も発想も単純だしな。だが、ヴィセングルが今回持ち出してくるのは無理なんだよ」
「それは何故?」
「前にも言ったろ。都市連合は一枚岩じゃねぇ。ヴィセングル…都市1つの兵力じゃ水上での小競り合いで俺たちをぶちのめす事はできても、こっちの領内まで乗り込んで土地をもぎ取る事まではできねぇんだよ。そんな自己満足のために、精製水を馬鹿みたいに使うあの主砲クラスの兵器を戦場に持ち込むのは国全体としての許可が出ねぇ。となりゃぁ、向こうもこっちの艦に乗り込むか、火薬の大砲を何発もぶち込むか、とにかく真っ当な戦争をするしかねぇのさ」
決まった軌道を通らせることで重力水として機能させるアイク島方式に比べて、レテンド大陸が見出した精製水としての活用法は単純明快だ。核となる粘液の引力で凝集された水を蒸発させる事で、火薬以上の大爆発を引き起こすだけ。だが欠点がいくつか。あまりにも膨大な力に、使用された精製水はどことも判らない場所へと弾け飛んでしまい、使用した精製水の回収ができない事。加えてよほど頑強に造られた物でないと爆発の衝撃で二度と使えなくなる事。大陸各国で再利用の手段が模索されているようだが、少なくともアイユーヴ王国に入ってくる風聞の中には、実験的に作られた大型装置以外でこれを解決したという物は無い。
実の所、サーマイヤーフは重力水として使う方式を組み合わせる事で、道具を小型化せずに低重量化することができるのではと考えている。だが今は重力水を知悉した技術者であるルーチェが内向的で、しかも兵器への転用に意欲的でないことから、計画は青写真のまま。強行して機嫌を損ねる事もできないので、じっくりと腰を据えてレイシン河方面地域への愛着を醸成するつもりでいる。
「とにかくこんな状況だからな。兄上様も俺を此処に張り付けていたいだろうし、まずは国境の不穏な情勢を解決しなけりゃ王宮へ乗り込むことはできないぜ」
「それは当然の事と思いますが、わざわざお話しいただいたのは従軍せよという命令ですか?」
「まさか。お前らに叛意が有ると思っていたら目の届く所に付き合わせただろうが、普通に留守番役のロギュートフたちに預けて今まで通り過ごしてもらうさ。せっかく時間ができたことだ、中央の有力者の情報やこの国の歴史や教養も身に付けておけ。まったく、何の説明も無しに相手をしなくなったら困るだろうと思って懇切丁寧に教えてやりゃぁこれだ。人の親切を無にするなよ」
「それは申し訳ありません」
「おまけに返答がつまらん。故郷でどうだったか知らんが、王侯貴族どもは冗談口にユーモアで返さない奴は相手にしなくなるぞ」
「はぁ…それは努力します」
会話に遊びが無いことはレオンハルト自身承知しているが、この場合は取り敢えずそう返答するしかない。その様子に不満そうに鼻を鳴らしているサーマイヤーフは戦争の準備に忙しくなるだろうからと考えて、レオンハルトなりに気を遣って辞意を告げ、助言に従って王宮で出会うだろう貴人たちを覚えておこうと教師役のロギュートフの元へ向かった。
後に残されたサーマイヤーフは本格的な出兵するにあたっての、経済的損失の見積書やら戦争回避の為の外交文書やらに取り組む。特に悩ましいのが相手の動きが多分に衝動的で、政治的に判断して妥当と思われる規模の戦闘になるのかが読めないことだ。他に不安要素を抱えている訳でも無いので、全兵力を投入して一気呵成に連合の艦隊を叩いてしまいたいのだが、軍を動かすには先立つ物がいる。おまけに大きな動きをすれば、王宮からの友邦を刺激するなという命に背いてこちらから仕掛けたとの言いがかりをつけられ、最悪の場合は軍の規模を縮小されかねない。かと言ってまさか過小な兵力でわざと負ける訳にはいかない。それ位ならば無抵抗で防衛線をレイシン河のこちらの河岸に下げる方がましだ。
「軍に入る時に王族の身分を捨てておけばな…」
「その場合はここまで栄達することは叶わなかったでしょう」
「それで一介の軍人として戦うのが、今になって本当の望みだったと気付いたんだよ」
「では我々は有能な指揮官を得られなかったことになります。またライナ様と出会う事もなかったのでは?」
あれこれ悩むうちに無益な愚痴が口から零れ出ると、レオンハルトが居る間は無言でお茶を淹れていたラングルムが窘めるように応じる。ライナの件を突かれると痛い。サーマイヤーフの人生には王族だからできた事、王族だからできなかった事が複雑に縒り合されている。生涯愛せると思ったライナと出会えた事、一方で子まで儲けておきながら結婚に踏み切れなかった事はその最たる物だ。
だがライナの事を想うと、面倒な事態に正面から向き合う意欲が湧いて来る。あるいはラングルムはそれを狙って話題に挙げたのかもしれない。寡黙な秘書が淹れ直したお茶を啜って体と心を温めた妾腹の王子は、有能な領主へと戻って動かせる規模の軍を賄えるだけの物資の調達案や、友好的な都市へ取り成しを依頼する手紙の執筆を再開した。
読んでくださってありがとうございました。
感想、誤字脱字など有りましたら教えてください。




