99未来予知もどき
「お待たせー! ごめんね、今日も先生の話が長くって」
「長いのは相変わらずだから、心春が謝る必要はないよ」
頭の右側から髪先をリボンで一括りにされたサイドテールをそれなりに大きな胸元で本人と共に元気よく跳ねさせながら駆けて教室に入ってきたのは俺の義妹、霜月心春は小さな体躯でもいつも元気いっぱいに俺たちのことを下らない不安から解放させてくれる。
待ってないよ、と聖羅が心春を正面から抱き、頭をよしよしと撫でる。姉妹みたいな仲良しは俺にはまねできないから、この光景は見ていていつも心が和やかになる。
聖羅が満足するまで見ていようかなと思ったけど、放課後でクーラーの切られた教室は温度が上がっていて、いつまでも抱き着いているのはさすがに暑いみたいだ。十秒程度で離れた。
「心春、今日は一颯がラムネを奢ってくれるみたいだから、おばあちゃんの所に行こう」
「そうなの? じゃあ、お言葉に甘えて一颯くんにごちそうになろうかな」
「あいよ、だけどラムネだけだからな。他の駄菓子は自分で払えよ」
「えー、ケチー! いいじゃん! いつも心春には甘いんだから偶にはあたしにも甘くしてよ」
「……百円までな」
「やったー! 一颯大好き!」
聖羅ルートの終わり際では絶対に聞けないセリフだな。
それにしても、俺も甘くなったものだな。三好サラ相手には態度が変わる唯人並みに甘くなったな。
「そろそろ行こうよ。聖羅ちゃんは部活とかないよね?」
「うん、ないよ、研究も滞りないし、次の料理に使う材料も顧問が用意するみたいだし。あたしの今日は完全にオフよ」
三人で行動するのはいつものことだ。聖羅を中心に俺たちは会話を広げ、どこに行きたいかも大体は聖羅が独断で決めてしまう。
――校舎を出れば梅雨明けの湿った熱気が押し寄せてくる。俺はもう着る必要のないブレザーを脱いで鞄に仕舞う。本来ピンバッチをワイシャツに付け替えればブレザーなんて着る必要はないのだが、教室のクーラーは如何せん、効きすぎて寒いのだ。俺の席に直接冷風は当たらないからまだマシだが、教室中央付近の席の奴らは辛そうに身震いしているのを何度か見かけている。
「あ、一颯くん、バッチが曲がっているよ。直してあげるね」
「曲がっているのか? かなり上手くできたつもりだったが……」
「ほんの少しだけど、気にしちゃうとどうしてもね……、うん、これでよし!」
そういえば今日、……六月二十五日に俺がバッチを付け変えると必ず心春がそれを曲がっていると指摘して直してくれる。絶対にうまくできてると思っても必ずだ。
毎回バッチを直されているときは心春の顔が間近に迫るからどうしてもドキドキするのだが、これは俺が心の中で喜んでいるから拒否しようなんて思わない。
俺が知らないだけでこのようなシナリオが組み込まれていると考えている。だって、ここには主人公である唯人はいないのだし、先ほどの教室での転校生のブーイングもシナリオはない。
主人公のいない所でも多少の焦点は当てられるのかもしれない。
商店街を歩けば、おばちゃんたちがエコバックにネギの緑部分を覗かせている。
今日はネギの特売日だったか。他にもパンパンに詰まった袋を下げている主婦層が多く見られるし、すぐそこのスーパーではのぼりに特売の文字があるから、やっぱりそうらしい。
「やっとついた、……最近一気に暑くなったから、扇風機でもありがたいよね。一颯、ラムネ二本まで許してくれない?」
「げっぷの音を録音して明日の転校生に聞かせてやろっと」
「わー! やめて、ごめんってば! 浅ましい女でごめんって」
駄菓子屋はいつ見ても変わらぬ古びた看板が客を招いていた。主に俺たちのような昔なじみの常連か、新規の小学生くらいしかやってこないが、店主であるおばあちゃんの人のよい性格に子ども達は集まってくる。いつもにこにこと笑顔を絶やさないおばあちゃんでも、昔は薙刀の鬼と恐れられるほどの実力者だったそうな。襖の奥に見える年季の入った薙刀が年老いて静かに鎮座している。
「おばあちゃん、こんにちは! ラムネってありますか?」
心春が元気よく居間にいたおばあちゃんに声をかける。こんな暑い日でも湯気がのぼる湯呑を傾けていたおばあちゃんは重そうに腰を上げてこちらに来てくれた。
「心春ちゃんかえ、こんにちは。聖羅ちゃんも一颯ちゃんも、しばらくぶりだの。ラムネは……ほれ、そこの冷えた箱に入れてある。好きに取りな」
「ありがとうございます! 一颯くん、取って来るね」
「ああ、冷たいだろうから気を付けてな。俺と聖羅は適当に食べやすいものを揃えるか」
「百円分のおごり、忘れてないよね?」
「忘れてなかったか。……仕方ない、約束だしな」
駄菓子屋における百円は幅が広い。質よりも量を取るならば、その百円で手元には十あまりの駄菓子を手にすることも可能だろう。
「ふっふん、何にしようかな? プラス十円までは誤差?」
「自腹だ。……ほら百円」
「ちぇ、ケチ」
そう悪態を吐きつつもちゃっかり百円は右手に握りしめた。既に五十円以上分は選んでいるみたいで、左手には小さないくつも駄菓子が掴まれている。
ついでに心春にもラムネ三本分の値段と、同じく百円を手渡してやると喜んで駄菓子を選びに向かった。
俺は俺で適当に見繕い、面倒くさいから一度でまとめて会計をする。代表して俺が払ったが、もちろん後で聖羅から返して貰う。心春はラムネと百円だけで満足みたいだ。
「あたしラムネって久々なんだけどさ、勢いよく噴き出したっけ?」
「そんな勢いはないよ、思いっきりやってみな、別に顔に掛かったりはしない」
「そうだっけ? じゃあ景気よく……きゃっ!」
思い切り噴き出したラムネは聖羅の手を容赦なく濡らした。
“この時期”の聖羅にしては可愛らしい悲鳴に、俺はくつくつと笑いがこらえきれない。心春は呆れた様子で俺のことを見てくるし、聖羅も恨みが募った目で俺を睨んでくる。無言でタオルを渡してやると、仕方なく噴き出したラムネをせっせと拭く。べたべたした手が気持ち悪いのだろう、聖羅が立ち上がる。
「悪かったよ、お詫びにタオルは俺が洗ってやるから。心春もちょっと手伝ってくれ」
「どうして私が? 一颯くんの自業自得じゃん」
俺は聖羅に聞こえないように心春の耳元で小さく伝える。
「話がある。今からぴったり五分経ったら外に出てきてくれ」
「え? 一颯くん、どういうこと? 話って……」
「外に来たら話す」
真剣な声音でそう伝えた俺はラムネの匂いが染み込んだタオルを持って聖羅を追いかけるように外へと出る。
庭の蛇口を捻ろうとしていた聖羅を止めて俺と変わってもらった。
「なに? またあたしを騙そうとするの?」
「違う違う! ここの水って地下に雪が入り来んだのが溶け切ってないみたいなんだ。だからすごく冷たくてな、聖羅が凍傷にならないよう注意しに来たわけだ。そこの盥に水を張ってしばらく日に浴びせてから手を洗うといいよ」
俺が蛇口を捻ってタオルを水に浸している途中に、試しに聖羅が勢いよくあふれ出す水に触れてこれまた悲鳴をあげた。
「ひゃっ! ホントに冷たい。もっと暑かったら気持ちいいのかもしれないのに、……分かった、しばらく陽で温めておこうかな」
元はと言えば俺のせいではあるのだが、聖羅は先ほどのことを許してくれたみたいだ。そこまで根の深い恨みじゃなかったから、それに百円の賄賂もあったからね。
「ふう、これでいいかな? あいかわらず冷たくてたまらないな」
「そんな何度も冷たい水で洗ったわけじゃないでしょ。普段の洗濯じゃあるまいし、……じゃあ、あたしは先に戻ってるから、あんたの分も食べちゃうかも」
「おいおい、少しくらい残してくれよ?」
手をひらひらと振って聖羅は店内に入って行ってしまった。
タオルを洗ったことで手が完全に凍ってしまったため、段差に座って日向に向けて手を伸ばす。じりじりと煙が出そうなくらいに陽光が凍った手を焼いていく。
しばらくして、心春が店内から出てきた、ちょうど五分経ったみたいだ。
「それで、話って何かな?」
「細かいことは家に帰ってから話すけど、とりあえず隣に来てもらえるか?」
「うん、それはいいけど……」
制服のスカートを抑えながら隣に座った心春に、俺はなんとか凍った指を動かして通りの右を指さす。
「今から、右の方から明日俺のクラスに転校してくる椎崎唯人という大柄な男が手に紙を持ちながらやって来るんだ」
「突然どうしたの? 未来予知にでもハマった?」
「ああ、しばらくは俺の未来予知がさえ渡るから、ちょっと聞いててくれ」
今度は左の方を指さして俺の知っているシナリオを説明する。
「左の方からは月宮さん、心春の友達である月宮陽菜さんが本を読みながら歩いて来るんだ。それで、転校生と月宮さんがそこで正面からぶつかるんだ」
「え? 陽菜ちゃんが来るの? 一颯くんがここに呼んだってこと?」
俺は首を横に振る。まあそうだよねと心春が頷いて首を傾げる。そうこうしているうちに心春は月宮さんの姿を見つけた。
「わ! 本当だ、陽菜ちゃんが本を読みながら歩いているよ。危なっかしいから注意してきちゃダメ?」
「ここは我慢してくれないか? もうすぐ転校生が来るからさ」
周りにぶつかりそうになりながらも真っすぐ白線の横を歩く月宮さんはやっぱり正面から歩いてくる大柄な男子生徒に気付いていない。
「えっと、あの人が明日、一颯くんのクラスにやってくる転校生?」
「そうだ、椎崎唯人は俺たち三人の仲間に入って仲良く遊ぶ仲間になるぞ」
唯人は寮までの道のりが描かれているであろう紙を覗き込みながら、月宮さんにぶつかりに行く。
唯人の胸元に鼻をぶつけた月宮さんがバランスを崩して後ろに倒れるのを、唯人は身体が膠着しているせいでとっさに手を伸ばせない。
心春がここから飛び出そうとするのを、俺が冷えた手で心春の手首を掴んで止める。
「ひゃっ! 一颯くん? ……どういうこと?」
「詳しいことは家に帰ってから話す。そろそろ戻らないと聖羅が機嫌を損ねかねないからな、あっちの二人は大丈夫、このあとちゃんと寮へ向かうよ」
「そうなんだ……」
納得はしてもらえないだろうが、これが最も説得力が増す方法だと繰り返す世界で学んだ。
立ち上がった俺たちは、ほったらかしにされてお菓子をぼりぼりと口に運ぶ聖羅に謝罪するために軋んだ扉を開くのだった。




