8商店街のランナーさん
まだ明るい空の下、これでも夕方の商店街を心春と手を繋いで歩く。
肩を貸してもらうほどではないが、いつまた俺が倒れるかも分からないからと心春の柔らかい手は針金のように俺の手を力強く握っていた。
最初は腕を組むなんて言い出したのだが、さすがに商店街という主婦の多い場でそれは恥ずかしくて耐えられない。
「ありがとな、心配してくれた上にわがままに付き合ってくれて」
「本当はいますぐ家に帰って寝かせてあげたいけど、外せない用事なんでしょ? 私が付いているからはやく終わらせちゃおう」
「……ああ、はやく終わらせよう」
商店街での用事は大したことない。ちょっと気になったから寄っただけで、メインは高台での用事だ。
もしかしたら、もう一度倒れてしまうかもしれない。高台にたどり着いて何かが起こる気がしてならない恐怖にこの身が震えた。
あの頭痛をもう一度体験すると思うと全身に悪寒が走るし、可能性としてはこの先おぞましい光景を心春に見せてしまうかもしれない。
「もう少しで時間だよ。ここなら商店街の終わりだし、あまり迷惑にならないと思う」
商店街から大通りに抜ける最後の店前で俺たちはランナーさんを待った。体内時計で五分も経っていないくらいだろうか、ランナーさんは全身に広告のチラシを張り付けて、ハチマキを頭に巻き、チラシを手に持って、直書きしたたすきを肩から袈裟掛けして走ってきた。
相変わらずカラフルでパワフルな人だ。早すぎず、しかし遅すぎず目で追えるスピードでチラシを配りながら走ってくる。
この時間は主婦たちが八百屋やスーパーに駆け込む時間だ。おそらくもう一本折り返し走るだろうランナーさんを長時間拘束は出来ない。だから素早く寄って声をかける。
「あの、ランナーさん、ちょっと聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
「どうした、少年少女よ、広告があれば私が持って走ろうではないか」
三十代後半くらいの渋い声のランナーさんは、でかでかと衣服店の広告の乗ったタオルで汗を拭き、次のランで持っていく広告を選別しながら話を聞いてくれた。
「仕事ではなく、ちょっと教えて欲しい事なんですけど、今日の四時過ぎにこの商店街で見慣れない学ランの男子高校生を見ませんでしたか?」
「見慣れない学ラン……ああ! いたよ、見たよ! 紙を見ながら歩いているから軽く注意したくらいだけど覚えているよ。あれは体育会系の体つきだね、何かスポーツをやっていたに違いない」
それは唯人だ。やっぱり俺が初めて唯人を見たのはこの商店街だ。だけど、唯人がスポーツをやっていたとは聞いたことがないから、もしかしたら勘違いの可能性もある。
「その男子の隣に彼女と同じ制服の女子生徒が歩いていませんでしたか? ああ……ええと、男子生徒みたく本を読んで歩いていませんでした?」
「いや、私が見たときは一人だったな……ん? 本を読み歩く女子生徒……、もしかして陽菜ちゃんのことかい?」
「知っているんですか?」
まさか月宮さんがランナーさんの知り合いだったとは思わなかった。クラスでいつも一人で過ごしている彼女にこうも濃い人の知り合いがいると気になってしまう。
今まで黙って傍にいてくれた心春も気になっているようでランナーさんに早く教えてとばかりに急かしていた。
「陽菜ちゃんは私の姪でね、昔は一緒に遊んだものだ。中学生になってからは一緒に走ってくれなくなって寂しかったな」
「陽菜ちゃんってクラスで一番足が速いんだよ、十分陸上部にも通用すると思う」
「マジで?」
月宮の家系は足の速い血筋なのかもしれない。ランナーさんだってその脚で仕事しているわけだから、いつかは月宮さんも……。
「ないな」
心春も同じことを考えていたのか大きく頷いてくれた。
「陽菜ちゃんならあの少年に道を教える親切心を持ち合わせているからね、案内の為に隣を歩いていたのかもしれないな」
二年も前のことだからおぼろげにしか思い出せないが、たしかに月宮さんだったはず。唯人に道案内をして、クラスが一緒になったのを驚いていたんじゃなかったかな。
「私はそろそろ仕事に戻らなくてはならない。何か広告をしたいのなら指定の紙かこうして話しかけてくれるとありがたい、では!」
先ほどと身に貼り付けたチラシはがらりと変わり、ハチマキの代わりに鍔付きの帽子、チラシは補充して両手に抱え、タスキは変わらず袈裟懸けにして走って行ってしまった。背中に刺したのぼりは風にはためいてすごく走りづらそうだ。
毎日欠かさず何本も商店街を走っているそうだが、片道だけでも一キロはあるはず。それを大量のチラシや、時にはちょっとした家電を持って規則正しく走り続けるランナーさんはこの商店街のヒーローでもあった。
「聞きたいことって人探し?」
心春からしたら俺が誰かを探していて、最も幅広く活動しているランナーさんに聞きに来たと思っているだろう。
「人探しには違いないよ。だけど、これから高台に行く前にどうしても俺が頭を整理するために聞いておきたかったことだったんだ」
「どういうこと?」
「説明は俺もできない。多分だけど、高台に行けばすべて答えを教えてくれるんだと思う」
「そう、なんだ、……体調は大丈夫? まだ歩ける?」
その場で軽くジャンプすることで元気をアピール。やせ我慢もしていないと伝えると、心春はほっとしてペットボトルを一本、カバンから取り出した。
「保健室で一本飲んだけど、加賀美先生が二本くれたから飲んで」
「これって心春の分じゃ……」
「病人は大人しく保健委員の言うことを聞くの!」
蓋をはずして手渡されたので素直に口を付ける。思ったよりも甘くて、自分が感じていたよりも披露が溜まっていたことに気づく。チラッと心春の顔を視線だけで見ると、少しだけ怒ったような、同時に勝ち誇った面で俺が飲み終わるのを待っていた。
「ね? 一颯くんは病人なんだよ」
「そうみたいだ。心春、お前も飲んでおけ。のど乾いただろ、ちょっと声に張りがないぞ」
「え? そうかな……分かった」
俺が手渡したペットボトルの飲み口に躊躇なく口を付ける。そのあいだ、少しは落ち着いた頭で状況を整理する。
今まで見てきた光景はすべて夢だったのか? 予知夢というやつで、俺は長い夢の中を彷徨っていたのかもしれない。……それとも、今が夢なのか?
心春は俺との付き合いに今まで疑問を持ち合わせているようには思えない。時間を遡っているのなら、俺の他にあの卒業式までの青春を謳歌した毎日を覚えている人はいないのだろうか。
「一颯くん、どうかしたの?」
「ちょっと考え事をしていた。さあ、もうすぐ日が暮れる前に早く行こうか」
俺が手を差し出すと心春がこの手を握ってくれる。
景色が全て偽物にしか見えなくても、この手の温もりだけは本物であると確信できた。