78聖羅ルート 花恋と夜空の帰り道
愛陽から一颯へと意識がシフトする。
ぼうっとしていて何も考えられないが、メイクをコットンのような柔らかい何かで落とされている感覚だけは覚えていた。
ボクから俺へ、……立ち眩みから回復するような感覚と共に目の前にいる花恋さんを認識する。
「……ただいま戻りました」
「おかえりなさい。満足な明かりは用意できなくてごめんなさいね、すでに夜の八時に近いのよ」
「一時間以上、俺は植物状態でしたか」
最終下校時刻なんてとっくの間に過ぎている。演劇部の部室には暗幕があるけども、隙間からの明かりはどうしても漏れてしまう。だから花恋さんが舞台用でストックがあった燭台に乗せた蝋燭を手に光源を確保していた。
「サッカー部が大会間近で夜間練習をしているわ、おかげで校門がまだ解放されているのよ」
花恋さんが暗幕の端から窓の外を覗き込み、まだ校門が開いていることを確認する。俺も何とかサッカー部の練習が終わる前に覚醒してよかったと思う。下手したら学校の抜け穴を利用しなければならないところだった。
「今のうちに出るわよ、さ、急いで着替えなさい。脱ぎ散らかしても明日の早朝に片付けておくわ」
時間に追われているから花恋さんの言葉に甘えて脱いだ女子の制服をそのままにカツラも脱ぎ捨てる。
鞄を持って部室を出れば廊下は闇に支配されていて、非常灯でわずかに足元が照らされている程度。俺は迷わず花恋さんの手を取って昇降口に向かう。
案の定、花恋さんは慣れない暗闇に階段で何度も足を踏み外し、俺が抱きかかえるなんて展開が幾度かあった。昇降口に辿り着く頃には俺と花恋さんは腕を組んで密着した状態で外に出た。フォークダンスを踊るためにやってきた男女に黄色の月明かりが俺らを照らす。
腕を組んだままなのは靴を履き替えるのに邪魔なはずなのに、なんでだろうか。
そのことに気付いて校門を出た時には恥ずかしくてパッと二人同時に腕を離した。
「心春には今回のトラブルのことを伝えてあるわ、ご両親にはわたくしのわがままで夜間稽古に付き合わせていると連絡したから安心して帰宅なさい」
「あの、……今日は本当に助かりました。花恋さんがあのタイミングでアドリブを入れてくれなけば、俺はもう一度やり直すことになっていました」
ゲームや漫画で、物語がループするシナリオの物をたまに見かけるが、俺が同じ境遇に放り込まれて耐えられる自信がない。だって、まったく同じものを何度も見せられるんだよ? 俺はまだ途中でシナリオが変化する余地があるからこうして踏ん張れているが、行きつく先が決まって不幸なものであればすでに発狂している。
「不肖ながらもこの二階堂花恋は、わたくしの恋焦がれる霜月一颯が実力を認めて下さった演劇部部長なのだから、これくらいのことであなたを救えないとなれば、部長である資格はないわね」
「そんな……、花恋さんが出来なければそれは本当に手詰まりだったんです。だから俺にとって花恋さんは憧れる先輩であって、崇拝するに値する存在です」
「言い過ぎよ、わたくしは神ではないわ。一人の恋する乙女よ」
物足りない星空の下、寮まで俺は花恋さんを送る。寮までの一本道、信号もなく、学生しか通らないこの道には俺たちのことを邪魔するものはいない。今この一瞬だけはどこまでもこの道が続いて欲しいと思った。せめて、この幸福が途切れないでいる間だけはゆっくりと夏の夜空を満喫できるこの路を歩いていたかった。
「花恋さんはどうしてあんなにも唯人を叱ったんですか?」
「わたくしが昔、誘拐されかけたことがあるからよ」
「え!?」
思わぬ真実に俺は声を張り上げた。まさかそんな過去が花恋さんにあったなんて思いにもよらなかった。
それはこれ以上突っ込んで聞いていいのか分からなくて、黙っていたが、花恋さんがくすくすと鈴を転がしたような声で笑って続きを教えてくれる。
「あくまで未遂だもの、話してさしあげるわ、といっても大したことはないのよ」
「そうなんですか?」
「ええ、犯人はわたくしのことを小学二年生か三年生くらいだと思っていたようだけど、実際は五年生だったのよ、防犯の心得は叩き込まれていたわ。防犯ブザーやらなにやら、犯人はわたくしを黙らせようと迫ってきたけど、とある少年少女が大人を呼んでくれたのよ。おかげでわたくしはこの通り清らかな体を保っているわ」
「想像以上にマジな誘拐じゃないですか……」
花恋さんにそんな過去があったなんて、普段は男性を怖がるような仕草も見せないし、作り話にも思えた。
それと、少しだけ俺は違和感を覚えた。唯人じゃないが、なんとなくその光景を思い出せるような……?
「その子たちはわたくしを助けた後に名前を教えてくれて、少女は霜月心春、少年はたしか……“佐藤一颯”と名乗ったかしら? 一体どこの主人公なのかしら?」
「……紛れもなく俺と心春ですね。思い出しましたよ、そうでしたか、あの時に助けた女の子が花恋さんでしたか」
「驚いたわよ、親の事情でこの街に引っ越して中学に進学したのに、三年生の終わりになってあなたたちが現われるのだもの、しかも義兄妹になって」
俺と心春……というよりも、俺たちの家族にいろいろあって心春とは義理の兄妹の関係になった。
これまたいろいろあってこの街に引っ越してきたわけだが、まさかその先にあの少女が俺の憧れる先輩として待っていたとは……。
「多分、俺が”主人公だった”頃の名残ですね、前にも明らかにイベントだろうと思われることがありましたから」
「これではまるでわたくしもヒロインね? わたくしを選んでくれるルートはなかったのかしら?」
「ありましたよ。花恋さんもヒロインでしたから」
「え!? そうでしたの?」
驚きを隠せず口元を隠す花恋さん。俺は最近プレイしたゲームの主人公がよくやるように花恋さんの長い髪を撫でてみた。
「わたくしは子どもではないのよ?」
「分かっていますよ。ただ撫でてみたくなっただけです。細かい理由は一切ありません」
そういえば俺が元は主人公で降板させられ、唯人が代わりに主人公になったとしか伝えていない。自分がヒロインだったなんて知らされたらこの通り驚かれるだろうことは予想していた。
なんとなく言い出すタイミングを見失っていたからここまで引っ張ってしまった。ちなみに花恋さんがヒロインであったことは心春にも話せていない。
「そう、わたくし、一颯のヒロインでしたの……、ということは、チャンスがあるのね?」
「…………」
もちろん俺は何も言わない。代わりにニコっと笑った。
「どうしてあの時の少年が俺だと知って教えてくれなかったんですか?」
「仕方ないじゃない、あの時の面影がほとんどなくなって少し大人しくなっていたもの。それに、わたくしの記憶に“霜月一颯”はいないのよ。なんとなく気付いてもまさか心春の義兄になっているなんて想像もしなかったわ、気付いたのは私がこの高校に入寮するときに荷物を整理していたらあなたのことを思い出したのよ」
「そういえば三人で写真を撮りましたね。まだ取っておいてくれたんですか」
話しに出てきた学校のすぐそばの寮にはすぐにたどり着いた。長く続いて欲しいと先ほど願ったものの、今はここで終着となってよかったと思っている。
「ねえ、一颯、ヒロインはわたくしの他に誰がいますの?」
「ヒロインは三人いました。花恋さんと心春、……あと一人は今の主人公にお熱ですよ」
サラさんはもう俺のヒロインではない。家庭科室の前でそれをはっきり確かめられたから、もうそのことを口に出す事さえ憚られた。
「そう、わたくしと心春の一騎打ちなのね、……負けられないわ」
花恋さんの情熱を聞いて、俺は自分が嫌になる。何度も抱いた感情にいつまで経っても慣れない。
心春の気持ちも花恋さんの気持ちも知り得ているのに、答えを出せずにいる不快感、自己嫌悪、その他もろもろ……、一人じゃ耐えられないのに、一人で戦わなくてはならない現状が怖くて仕方ない。いつ足場が崩れ去るかも予測できないのに、何を迷っているんだか。
「そうだ、一颯、今度わたくしの部屋に遊びに来るときは一人で来てくれないかしら?」
「心春は連れてこない方がいいということですかね?」
「せっかくのデートなのよ? 二人きりがいいの」
「……分かりました。このことは心春に話さないようにします」
花恋さんには助けてもらった借りもあるし、お礼をするにはちょうどいい。だけどバレたときに心春が納得できるようないいわけか、同じことを心春にもしてあげないといけないな。じゃないと口を利いてもらえなくなるし、長いこと無視されるしな。
「ではこれでわたくしは失礼するわね、ここまで送ってくれて感謝するわ。……おやすみなさい、一颯」
「はい、おやすみなさい、花恋さん」
――花恋さんと別れ、自宅までの夜道は見えない草むらに虫が集き、泣き声が気になって仕方ない。
俺のことを嘲笑っているのではないかと思えて、深呼吸を一つ、夜の空を見上げた。
綺麗に晴れた夜空は宇宙まで見えてしまいそうで、俺はふと手を伸ばした。その先にはきっと無数の未知が点在している。
「はは……、俺の存在自体がファンタジーだろうが」
この世界はゲームなのだから、宇宙と同じ、未知であるファンタジーに触れる日がいつかやってくる……そんな気がした。




