75紫色の晩酌
唯人から電話がかかってきた。
翌日の授業の支度を済ませてから寝るまでの間は、心春といつも通り部屋でのんびりと過ごす時間だ。しかし、すっかり忘れていたがこの日は聖羅が唯人の携帯を借りて俺に通話を掛けてくる日だった。
画面にはしっかり唯人の名前が表示されており、心春にこれが聖羅相手だということを伝えてから通話ボタンをタップする。
「もしもし」
『はろーぐっない! みんなのギャルアイドル、聖羅ちゃんだよー』
久しぶりに聞いた聖羅独特のあいさつに、たしか次は偶像だったかな? と思い出しつつ適当に返事を返す。
「聖羅か、唯人はどうした?」
『なんか反応薄くない? 唯人はトイレで格闘中、かれこれ一時間は籠っているかな?』
唯人は今回も大食いの選択肢を選んだみたいだ。他の選択肢が何なのかは分からないが、おそらくこの選択肢が唯人にとって最も苦難を与えるものだろう。災難なやつだ。
翌日の唯人の昼食が腹の調子を整えるためのサラダだけになっていたのには驚かされたな。
『唯人の部屋に来たのに肝心の唯人が便器と遊んでるんだから暇でさ、それで一颯に電話を掛けたわけよ』
「かけてきても面白い事なんて何もないだろ、心春に代わるか?」
「やっほー、聖羅ちゃん、聞こえる?」
隣にいた心春に俺の携帯を渡す。なんだかんだ聖羅も女の子同士のほうが会話は弾むみたいで、すでに俺のことは忘れた雰囲気で心春と楽しそうに会話する声が小さく聞こえる。
俺は部屋を後にしてリビングに顔を出す。寝る前に喉が渇いたから水を飲みたい。
テーブルには母さんと父さんが席に着いていて、お猪口に日本酒を注いでいた。父さんの顔が赤いからすでに出来上がっているみたいだ。
「一颯も一口どうだ? 今のうちに慣れておいた方がいいぞ?」
「未成年にすすめないでくれよ、父さん。明日は仕事なんだからほどほどにな」
「ああ、分かっている。これで最後だ」
おつまみのジャーキーを口の端に加えて噛み締める父さんは、似合わないけどワイルドになろうとしているように思えた。使いもしないライターをテーブルに置いて、それはもしや炙ろうとしていたのではなかろうか。……じゃーき
「心春はもう寝たの?」
「いや、友達と電話してるよ」
母さんはお酒に強いからいくら飲んでも顔が赤くなることはない。それで学生時代は飲み会で苦労したような話を何度も聞かされたが。
二人とも週末は土曜か日曜にこうして晩酌をしているのだが、未成年である俺と心春が参加しても酔っぱらいの臭い息を吐きかけられるだけだから部屋に籠っている。大人にならなければこういう雰囲気の何がいいかなんてさっぱりだから、俺は巻き込まれないようさっさと歯を磨いてゲームに興じていた方がよっぽど有意義だった。
「ふあーあ……」
欠伸を交えつつ、水を飲み終わったコップをシンクに置いて、部屋ではまだ心春が通話しているだろうと思って珍しくコップを洗うことにした。部屋に戻るには少し早い。
「…………」
洗剤を付けたスポンジを手に持ちながらも楽しそうに酒を嗜む両親を見て、俺は気が変わった。
コップを片付けるのと入れ替えに食器棚から予備のお猪口を持ち出し、テーブルに着いて二人の前に差し出した。
「一口だけ頂戴。なんか酔ってみたい」
理由なんてなかった。なんだか美味しそうに飲んでいる二人と同じ空気を味わいたい、そんなただの興味本位のような、その程度。
「おう、飲め飲め! これからもう一本開けるから一緒に飲むぞ」
「さっきはそれで最後って言ってたのに、まだ飲むの?」
母さんが手に持っているボトルは濃い紫色をしていて、日本酒用のお猪口ではなくワイングラスを用意してくれた。
それに半分程度まで注がれたグラスを俺の前に置いてくれる。
「俺、こんなに飲んだら倒れるよ」
「大丈夫だ、一颯ももう大人だろ? これくらい飲んで見せろ」
二人は俺がワイングラスに口を付けるのを待ちわびているようで、自分のグラスには手を付けない。
一口だけ飲んで後は母さんにでもあげよう。明日は俺も学校があるから二日酔いとかくだらない理由で寝坊なんてしたくない。
グラスに口を付けて液体を舌に乗せれば、そのまんまのぶどうの味が広がった。
「……甘い」
アルコールがどんな味なのか俺は知らない。俺の知っているアルコールと言えば消毒用で手に付けるあれだ。だから分からないのだが、……これは俺も飲んだことがある気がする味だ。
「どうだ? ワイン風ぶどうジュースの味は? どっちもぶどうが使われていてアルコールが入っているかどうかの違いだ、実質ワインだろ?」
「私もあなたもワインは苦手だもの。ジュースが丁度いいわ」
「騙された……」
酔っぱらい特有の豪快な笑いにやられて、俺は恥ずかしさにぶどうジュースを一気に飲み干す。……俺は雰囲気だけで酔っ払えるほど脆弱ではないみたいだ。
騙された腹いせに母さんからボトルを奪ってワイングラスが全て紫に染まるほど並々とぶどうジュースを注ぎ、それを一気飲みする。甘ったるくて嗚咽を漏らしそうになったが、前に花恋さんの部屋で苦いコーヒーを一気飲みした時よりかはマシだった。
「さて、一颯が気持ちいい飲みっぷりを見せてくれたところで俺は寝る! これらは水張ってシンクに置いておけばいいか?」
「ええ、後で私がちゃちゃっと洗っておくわ」
俺の空になったワイングラスは父さんの手によって持っていかれた。おそらくこれ以上飲ませたら身体に悪いからなんだろうな。
聖羅との通話が終わった心春がリビングに降りてきた。父さんとは入れ違いにおやすみと挨拶をして台所に向かう。食器棚からコップを取り出して俺とは違ってちゃんと水で喉を潤していた。そしてちゃんと洗う。
「一颯くん、聖羅ちゃんが面白い話を教えてくれたから後で教えてあげるね」
「そうか、それは楽しみだな」
「二人とも夜更かしはしないようにね」
普段と何も変わらない霜月家の日常だ。仲がいいというのはこれほどまでに安心できる、憩いの場としてここ以上のものはない。
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