72〈花恋〉抱く妄想
陽はとうに沈み、数えられるほどの星がわたくしたちを照らすロマンもない都会の夜空。
食堂で夕食を済ませて湯浴みを済ませている間に一颯からメールが届いていた。
「今度の日曜に霜月家へ招待されたわ」
部屋に一人、独り言を呟いても反応してくれる人はいない。ただ一颯からメールがきたという事実がわたくしの平常心を奪っていた。
勝手に盛り上がってバクバクと鳴る心臓は何を期待している?
部屋の隅には大きなキャリーバックが横たわれている。中には一颯が女装するための衣装をわたくしなりに複数用意したのだけど、余計だったかしら? でもいろいろ持ってきてくれると嬉しいって、一颯が……。
「うぅ……、一颯が積極的に……、あう」
そうだ、舞衣子に相談すればきっと少しは落ち着けるわ、仕事はなかったはずだから今日は寮にいるはずよ。
舞衣子にメールを送信し、その間もずっとそわそわして気が急く。わたくしの携帯のホーム画面には一颯が高校に入学した時に一緒に撮ってもらったツーショット写真。これが何よりもわたくしの宝物で、不安になった時はいつもこの写真で心を落ち着かせていた。
しばらくして廊下が慌ただしくなり、どたどたという品のない足音が響いてわたくしの部屋の前で止まった。もしかして、今の足音が舞衣子?
「花恋! 入るよ!」
わたくしの返事も待たず、バンッと勢いよく開け放たれた扉は開いた瞬間と同じ勢いで閉まり、舞衣子の姿を消した。
「…………」
「ごめん、焦ってた」
今度はゆっくり開かれ、舞衣子がしずしずとわたくしの部屋に入ってくる。本当に申し訳なさそうにしているけど、服装が適当だから本当に焦っていたみたいね。
そしてわたくしのことを見た舞衣子は、未知に遭遇したとばかりに目を見開いてわたくしのことを指さした。
「花恋が……お子様になってる?」
「失礼ね、わたくしはあなたと同い年よ」
「え、いや、だって、花恋がワンピースの寝間着でテディベア抱えてベッドに女の子座りとか、どこのお嬢様よ、私が悪いおじさんだったら間違いなく誘拐してるよ、しかも合法だからやることやっちゃうね」
「そ、そんなにお子様に見えるかしら?」
今度は無言で何度も頷く舞衣子に、わたくしは項垂れる他なかった。一颯がわたくしのことを恋愛対象として見てくれないのは、やはり幼児体型だからなのかしら。
このテディベアは友達から貰ったもので、サイズが大きいから余計にわたくしがお子様に見えるのね。逆に小さなぬいぐるみを抱いても、人形遊びに夢中な女の子のレッテルを貼られるのよ。どうあがいてもわたくしはぬいぐるみや人形とベストマッチしてしまうわ。
「それで花恋、相談ってなんなのさ」
わたくしは会議室で一颯と話したことの一部を舞衣子に話した。
「実は、会議室で一颯に抱かれましたの」
「な、なにー! 霜月兄の分際で花恋に手を出すとは、妹はどうしたんだ、フッたの?」
「いえ、そうではなく、一颯がわたくしの気持ちに気付いてくれて、からかって……からかわれたのよ」
興奮していた舞衣子が鼻息を荒くしながらも冷静になり、何やら真剣な表情でわたくしに詰め寄ってきた。
「花恋、抱かれたって、……貞操は守ったの?」
「へ? ……ああああああたり前よ! そもそも抱かれたって腰を抱かれただけよ」
なあんだと少しだけ興味を無くした舞衣子がわたくしのベッドに腰かけた。ポスンとトランポリンのようにわたくしの身体が軽く二度ほど跳ねて、膝を抱えたままこてんとベッドに横になった。
舞衣子のせいでわたくしの頭の中は一颯に襲われる妄想でいっぱいになった。今のわたくしの顔は舞衣子に見せられないからテディベアで顔を隠す。
「でも願いが一つ叶ったじゃない。一颯に攻められたかったんでしょ? 実はドMな花恋ちゃん?」
「そんなこと言わないでちょうだい。女の子ならお慕いしている殿方からの愛を……、そういう妄想は一度くらいあるはずよ」
「そうねえ、私も惚れ込んだ男になら花恋と同じ思考に至るかも。でも花恋の妄想はちょっといきすぎよ、私たちに稽古をつける時はドSのくせに、一颯のことになるとドMになるんだから。この前、性交渉の話を持ち出した時は正気を疑ったわよ」
「わーわー! もう忘れて! 忘れて! あの時のわたくしはどうかしてましたの!」
舞衣子の背中をポカポカ叩いても、わたくしではか弱い女児程度の力しか発揮できない。舞衣子は痛がる様子を見せず、むしろ肩たたき程度に気持ちよさそうにしていた。
「それにしても、あの霜月兄がねえ……、妹一筋で他は誰も見えていない感じだったのに、花恋の気持ちに気付いて腰を抱くとは、どういう心境の変化があったんだか」
わたくしから見ても小柄な体躯で女の子のような物腰の柔らかさだと思っていた一颯に抱かれた時、しかして想像とは全く異なる、間違いようのない男性の手だった。衣服越しでも一颯の胸はごつごつしていて、抱き寄せられたら逃げられなかった。
身体が熱くなる。わたくしはあの時、抵抗すら出来ず一颯にされるがままだったから、……もし、時と場所が違えばあのまま……。
「ピャーーー!」
「今まで聞いたことのない声を花恋が出してる! どうしたの!?」
例えば、今のように横たわっているわたくしに一颯が覆い被さってきて、両腕を押さえつけられたりなんかしたら……。それで一颯の顔がわたくしに近づいてきて……。
「舞衣子ぉ……、一颯に襲われるぅ」
「……はあ、いつも通り妄想が行き過ぎてるね、そんなに顔をにやけさせて助けを求めてくるなんて全然困ってないでしょ。幼児退行しても見た目通りよ」
舞衣子の腰に寝転がったまま抱き着いていればだいぶ妄想は収まってきた。今はわたくしの隣で一颯が寝ている程度。
だからわたくしが何をやっても一颯は目覚めなくて、あれだけのことをされたお返しをしてあげたら……。
「舞衣子ぉ……」
「ああ、もう! どんだけ霜月兄に対して淫乱なのよ。そんなに好きなら既成事実でも作ってしまいなさい! なんなら妹も混ぜて三人で遊んでなさい」
「そんな、……心春も混ぜたらわたくしのことだけを見てくれないわ」
「そこだけ真面目にならないで?」
またテディベアを抱いて顔を隠す。視界が遮られるからまた妄想が加速する。
本当なら舞衣子にも一颯の現状を話して手伝ってもらいたい。でも一颯はわたくしにだけ話してくれた。詳しいことは日曜に聞くとしても、前の一颯はどんな人生を歩んでいたのかしら。ふふ、……自分じゃない自分の話を聞けるって恥ずかしいのね、どうやって一颯の心の隙間に入り込んだのか頑張って推察しないといけないわ。
……話が逸れたわね、一颯は心春とわたくしにしか話してなかったのよね。ということはあまり多くの人数に知られると困ることがあるのかしら? 少なくとも一颯の許可なしに舞衣子に話すことはできないわね。
「ねえ、花恋、どうするの? 一颯とどうなりたいの?」
「わたくしの立場は言わば悪役令嬢よ、心春を貶めるわるーいお嬢様。でも王子様が悪いお嬢様を好きにならない道理なんてないわ。だから、正々堂々心春から一颯を奪って恋人になりたいわ」
「花恋の事だからマニアックな付き合い方を求めるのかと思った。でも……、そうね、あの子の基準は妹だもの、いつかは妹を見習わないと振り向いてくれない時期が来るかもしれないね」
「ええ、だからわたくしは心春を越えなくてはならないの」
一颯の心春に対する絶対的な信頼をどうやって破るか、いえ、心春の価値を下げる必要はないわね。わたくしが一颯の恋愛脳を埋め尽くせばいいのだから。今は義兄妹だけど時間の問題、遅くてもあの子たちの卒業式にはタイムリミットがやって来るわ。
わたくしは一颯が幸せならそれでよかった。でも前のわたくしはそんな甘い考えに留まらなかったのね。一颯をあんなにも変えてしまえたわたくしに感謝するわ。
「まずは二人きりになれる時間が作れればいいわね」
「いつも妹がいるから難しいかもしれないけど、可能だったら私が二人を離しておくよ」
「ありがとう、舞衣子、そのチャンス、何としても生かしてみせるわ」
妄想をする前にやることが山のようにある。前のわたくしをがっかりさせないような可憐な女の子になってみせるわ。




