65ゲームは再度始まる
三章です。
六月二十五日、……俺は戻ってきたみたいだ。
飽きるほど聞いた現国のおじいちゃん先生の綴る祝詞のような授業。ノートは相変わらずまっさらで机の上に転がっているシャーペンは芯すら出していない。
原点……すべてはこの時に回帰する。楽しかった日々や思い出、嬉しかった心春と花恋さんの言葉、それらすべてはこの世界に存在しないのだ。俺の心の中にだけ存在し、無に還ってなお忘れてはならない。
正直、俺はこの瞬間にかなり堪えていた。発狂してメンタルを補填したいほどに胸が締め付けられる。頭を抱えて机にゴンと額を打ち付けた。
涙を零すのだけは懸命に堪え、授業終わりのチャイムと同時に俺は廊下に出る。
中庭から吹き抜けとなっているガラス窓から空を見上げ、頭がくらくらするほどの眩い太陽を見つめた。視力が低下するとかどうでもよかった。今だけは何も考えずにぼうっとしていたい気分が勝る。
何も考えたくないと思えば思うほど人は余計なことを考え始めて、俺はついに見上げた空に少女の姿を幻視するまでに至った。
「……いや、あれは一年生か? 俺と同じく辛い事でもあったかな?」
眩む視界ではここから二つ階は上がり、四階に女子の制服を着た人物がいる程度にしか判別がつかないが、視界は良好だったとしてこの距離では互いにその程度しか情報は得られないだろう。
その女子生徒が俺の方を見ている気がしたのだが、さすがにそれは俺の勘違いだろう。自意識過剰にもほどがある、俺のことを見ていて欲しいと願った、だから幻視だ。
目を瞑って目を慣らし、黒い靄がかかった視界が元に戻った時にはその少女はすでにいなかった。本当に幻視したのかもしれないと恐ろしい考えも出てきたが、普通に考えて目を瞑っているときに教室へ戻ったのだろう。あの子がそこで何を考えていたのかは分からない。結局は俺のことを見ても何をしているか理解できる奴はいないのと同じことなのだ。
「お、霜月、なにやってるんだ? 暇だったらこの机と椅子をお前の席の隣にセットしておいてくれ」
加賀美先生が机と椅子を持って俺の元にやってきた。明日は唯人が転校してくるんだったな。
「わかりました、ついに転校生でも来るんですか?」
「よくわかったな。と言っても新しい席が出来たら予想はつくか」
「ですね、分かりやすいですよ」
本当に最初の始まりは何も分かってなかったはずなのに、繰り返すというのはこういうことなんだな。
ホームルームで加賀美先生のネタバレに俺はいつもよりテンション低めにブーイングした。目の前の聖羅は雰囲気を楽しむように最も大きな声を出しているから俺は目立たない。
先生の過去話を聞かされて終了したホームルームも、俺がそのあと聖羅に話しかけないから加賀美先生の初恋相手が聖羅の姉という話もクラスで公開されない。各々いたたまれない雰囲気に耐えかねてさっさと教室を出て行く。
「一颯、なんか元気なさそうだね、さっきも急に教室を飛び出したし、なんかあった?」
そう声をかけてくるのは、俺の前の席であり、我が校のギャルというくらいには知名度はある神楽坂聖羅だ。今回のヒロインでもある。
あいかわらずの金髪は緩いウェーブを描いていて、スカートもギリギリまで折ってある。見えそうで見えない長さが男子の煩悩をはかどらせるが中は結局対策済みの見せパンかスパッツが待っているだけである。こう見えて料理部の部長なため、家庭的で幅広く男女共に人気がある。
「いんや、なんもないよ、ちょっとした気分転換」
「それは何かあったと言っているようなものじゃないの、どれ、この美しい聖羅神が相談に乗ってあげようか?」
「心春に話すからいいよ、聖羅に話したら一瞬にしてギャル網で広がるだろ、いわばネットワークの神か?」
「あはは、そこまで無神経じゃないよ、あたしにとってどうでもいいことだったら広めるかもしれないけど」
「だからだよ!」
こうして聖羅と話しているといつも通りの俺を取り戻してきた気がする。いつだってマイペースに今を生きる聖羅だから俺も気軽に話し相手として口を動かしているのかもしれない。
隣にセットされた机と椅子は新品なのか傷がほとんど見当たらない。俺たちは三年間同じ机を使いまわすが、あいつはこれを一年足らずで俺たちと同じくらいに汚すのだから酷いものだ。机の中にプリントを百枚以上溜めていた時はさすがに引いたな。
しばらくすると廊下が騒がしくなり、同学年の生徒たちが帰宅のために昇降階段へと向かって行く。今日はうちのクラスが例外に早くホームルームが終わったけど、通常これくらいは時間がかかる。さらに隣のクラス、心春の所属する二組に先生の余計な話もあるからさらに遅い。いつも二組は放課後に疲れた顔をしている。
「一颯くん! おまたせ! 待たせてごめんね」
「おうおう、心春、あたしもいるぞ」
「あ、そうだった、聖羅ちゃんもおまたせ」
「くそう! 可愛すぎて憎めない!」
一か月……、たった一か月という時間で前の俺はこの時点で何をしていたか思い出せないんだ。この瞬間は廊下にいたのか外にいたのか、濃密な時間の中では些細なことは忘れ去られてしまうのだ。
そして……、俺の知っている心春とは全くの別人のようだった。花恋さんの忠告が身に染みる。
決して同じ目で見てはいけない、ここにいる心春と前の心春は同じ容姿で声も寸分違わないけど、全くの別人であること。その点、混同するようなことはなくて安心した。
俺は心春と花恋さんのことが好きなんだと自覚し、同時に、好きなのはあの時の二人であると認識する。
だからここにいる心春は俺の幼馴染であり義妹だった。
「一颯、今日あたしは時間あるけどどこか遊びに行く?」
商店街に行って唯人の存在を確認してもよかったのだが、まあ転校してくるのは分かっているから別に無理にこの目で確認する必要はないだろう。それよりも俺は現状を心春に説明しなくてはならない。
「悪い、聖羅、実は用事が入ってな、すぐに帰んないといけないんだ」
「えー、そうなの? ……そっかー、暇だなあ」
「一颯くん、母さんから何かあったの?」
「そういうわけじゃないんだが、心春も来て欲しい」
心春まで取られてブーブー文句をいう聖羅には悪いが、今回のヒロインはお前だ。さすがにヒロインにこちらの事情を説明するなんてできないからな。
男子寮に入り浸っている聖羅なら寮にやってきた唯人と鉢合わせするだろうし、序盤は前と同じシナリオになるかもしれない。なるべく同じ形を維持してシナリオを進行出来れば好ましい。
「まじかー……どうしようかな、そういえば転校生って寮住みかな? 男子か女子かわからないけど待ち伏せでもしてようかな」
「あんまり驚かせるなよ」
「分かってるって、それじゃあ、それまでは部室で少し研究でもしてから帰りますかな」
なんだかんだこういうところで真面目な性格を発揮する聖羅にもうギャルじゃない方がモテるのでは思い始めてきた。そんなことを聞いたら、女子のことを何もわかってない! とか、たぶんギャップがあるからいいとかなんとか言い返されそうだけど。
「じゃあ、一颯くん、帰ろうか?」
「だな、ちょっと疲れたから寝たいかも」
「ふふ、授業中は寝てたんじゃないの?」
やっぱり心春には筒抜けみたいだ。だからこそ俺の心の安寧は保たれているのかもしれない。
あの心春じゃないと分かっていても、ここにいるのは紛れもなく俺のことを知り尽くしている心春だ。今の俺に求められているのは決別する覚悟だ。
右手を差し出せば、それを心春は優しく握ってくれる。手のひらを合わせる普通の手つなぎ。……これでいい。今の俺と心春の関係は、これくらいが似合っているのだから。
投稿再開します。今まで通りのペースでの投稿となりますが、ストック次第ではまたお時間を頂くかもしれません。
サブタイトルを変更しました。




