63陽菜ルート 旅立ち
感覚で分かってしまう、俺はあと数十分後にはこの世界からいなくなって、次の世界でまたゲームを始める。
これは強制であって、待ったをかけることもゲームを中断することも許されない。俺はこの世界で不要の存在として排除されるのだ。
あの神が俺にこんな苦行を強いる理由は分からない。同じ人だというのなら俺の気持ちを汲み取って欲しいものだ。
「一颯くん、お茶淹れたよ」
「ありがとう、心春。花恋さんもお茶が入りましたよ」
「ええ、すぐに片付けるわ」
部室の会議室内のテーブルには大量の書類や再利用する衣装の切れ端などが散乱していて、三人がお茶を飲むためのスペースを確保するのに少々時間が掛かってしまった。
椅子に座って熱いお茶を啜り、ほっと一息。俺は最後の時間だからこそ、いつも通りの日常を望んだ。
「今日の柔道部、すごかったですね。特に気合の入り方が尋常じゃありませんでした」
「そうよ、今年は三年が特に力を入れているもの。それに優秀な人材も入部したから、これから練習量を増やすそうよ」
「唯人くんってあんなに強かったんだね。今日の練習試合、全国常連校に負けなしだよ」
――陽菜ルート最後のシナリオは唯人の柔道への道を復活させる話。
わが校の柔道部は、力はあれど部員の少なさに悩まされていた。あと一人、優秀な経験者がいれば今年の全国への切符は安泰と噂されるほどに実力揃いと噂されている。
花恋さんがその情報を聞きつけて俺に教えてくれたとき、唯人が過去に柔道をやっていたというのならピンとくる。その最後の一人が唯人になることくらいすぐに気付けた。
唯人を励ました次の日の朝に、俺は唯人に柔道へと戻るための道を示し、唯人は覚悟を決めた。
数日とはいえ、柔道部の稽古に参加した唯人は仲間として迎え入れられ、今日の午前中は全国常連校と合同稽古に励んでいた。まさか相手校が唯人の前に通っていた高校とは思わなかったが、おかげで唯人は以前の仲間たちと無事に仲直りをすることが出来たみたいだ。
そしてなんと、唯人が試合で怪我をさせてしまったという人も稽古に参加していた。唯人がこっちに転校したと同時に退院して高校に通い始めたそうだが、今は主に柔道部のマネージャーとして、そしていずれは選手として返り咲くためのリハビリに励んでいるのだとか。
これで唯人の過去はすべて清算された。
怪我をした相手は大会で自分が三位入賞していることが納得できず、退院してから大会本部へ抗議をしたそうだ。稽古終わり、別れの間際には唯人の首からは輝く銅色のメダルが下げられていた。
その光景には俺たちも含め、柔道部全員で拍手喝采の嵐を呼んだ。月宮さんははらはらと涙を流し、唯人に何度も何度も「よかったね」と言葉を重ねていた。
「――長い間、柔道から離れていた動きじゃなかったよね、あの背負い投げって試合であんなにきれいに決められるものなんだね」
「唯人の得意技だからな、いずれは極めつくして、誰も敵わなくなるんじゃないか?」
「簡単に極められるほど武道の道は優しくなくてよ。それは演劇も同じ、完璧な演技を求めるのに、一生という時間はあまりにも短いのよ」
三人でお菓子に手を出し、お茶のおかわり。そのペースはやけに早かった。
お菓子を貪る音が五月蠅く思えるほど無言が続き、最後なのに、と焦燥にかられる。
「あの! 唯人のメダル、格好よかったな!」
「うん、あんなに誇れるほどのモノって持ってないから羨ましいね」
俺は今がチャンスとばかりにカバンの中から小さな箱を二つ取り出す。
「メダルほどの物じゃないけど、心春と花恋さんに俺からプレゼントがあります」
時間にしてこれが最後、言葉が震えては元も子もない。ここが男の見せどころだ。
箱の蓋を取れば、そこにはアクセサリーショップで買ったティアネックレスが収められている。チェーンは純銀で石だけは安物かもしれないが、俺にとってはこれ以上ない宝石だ。
「一颯、これ、どうしたのかしら。高かったのではなくて?」
「花恋さん、それ以上はダメです。一颯くんの気持ちを汲み取ってあげてください」
「……そうね、ごめんなさい」
花恋さんはたおやかに笑ってネックレスに触れた。
夕暮れの光が石部分を通して、テーブルの上にミラーボールのようなカラフルな影を落とすこのネックレスは、俺が今日までにやってきた集大成だった。ネックレスが青、緑、赤、黄、紫と、めぐるめく陽の光で色を変える。それは俺の感情そのもののようで、俺のことを忘れないでくださいという強い思いを込めている。
「貸してください。着けますので後ろを向いてください」
ネックレスを受け取り、花恋さんは後ろを向いて長い髪を持ち上げた。やり方が分からずあせくせしながらも初めて着けてみるネックレスは上手くできた。
「とても、よく似合ってます」
「心春にも同じことを言うのかしら?」
「う……。花恋さんの七色の演技がその色とりどりに瞬く宝石に現れているみたいで、宝石は花恋さんの演技の象徴として輝いています。美しく、そして、儚げな表情も見せてくれる花恋さんにはこれしかないと思いました。花恋さんの麗しさによく似合っています。どうか大切にしてください」
「ありがとう、いつまでも大切にするわ。あなたのことは絶対に忘れない」
花恋さんと短いハグをする。花恋さんとしても、憧れの先輩としても、俺は絶対に忘れない。俺のことを信じてくれた理解者である花恋さんに感謝を。
次は口出しせず離れた場所で待っていた心春の番だ。箱からネックレスを取り出して同じように心春にも着けてあげる。
花恋さんに付けた物と同じティアネックレスのはずなのに、輝く宝石の光はまったく異なるように見えた。俺は心春と花恋さんに抱いている気持ちが全く同じだと思っていたが、実は似て非なる感情だったのかもしれない。それをこのネックレスが示唆しているように思えた。
「この一か月あまりで心春が俺に見せてくれた表情はこのネックレスに収められた色の数を超えていた。だから、このネックレスは心春には不相応だったかもしれない。だけど、心春が俺に甘えてくれた時に見せる感情はまさしくこの輝きだった。俺にだけ見せてくれる心春の甘えた表情はこのネックレスのようだ。綺麗だよ、心春」
「うん、私は一颯くんと二人きりの時しかこんな宝石みたいに輝く感情は表に出せなかったよ。ありがとう、私を見ていてくれて、本当にありがとう」
心春ともハグをする。俺が倒れたあの時、最初に駆けつけてくれた心春に、俺のことを見ていてくれたことに感謝を。絶対に忘れてなるものか。
俺は椅子にそっと座った。授業中のような少しだらしない態勢で、テーブルに肘をつく。
すでに脳内ではカウントダウンが始まっていた。のこり一分もない。
「それじゃあ、俺は行きます。心春も花恋さんも、最後まで俺を信じてついてきてくれて、……本当に、ありがとうございました」
「一颯、あなたの道のりはここからでしょう? ここで涙を流して耐えられるの?」
「そうだよ、私たちはここまでだけど、一颯くんにはまだ先があるんだよ。私たちは元気にしているから、一颯くんはまっすぐ前を向いて、次の私たちにバトンを渡してね」
残り三十秒。涙は流さない。
「次のわたくしたちを同じ目で見てはいけないわよ。同じ姿でも実際は違うもの」
「私たちは絶対に一颯くんの味方になるから、安心して頼ってね」
「うん、頼らせてもらうよ、二人のことは唯一の存在としてしっかり記憶に留めておく。心機一転して頑張るよ」
残り十五秒。
俺は二つの華奢な手を握った。今までで最も優しく、包み込むように。
「ありがとう、……二人とも本当にありがとう」
――こんなにも細い手で俺のことを支えてくれて、本当にありがとう。
目を瞑り、カウントダウンに備えた。
十……九……。
「う、く……」
ついに堪えきれなくて、閉じた瞼から一雫ずつ涙が溢れた。
六……五……。
「……あ」
俺の頬を伝うその涙が、柔らかいものに包まれて吸い取られた。目を開けると、すぐそばに二人の笑顔があった。
お見送りには最高のシナリオ。これでお別れだというのに、俺の頬は自然と笑みを作っていた。
三……二……。
「心春、花恋さん、いってきます」
返ってくる言葉なんて決まっている。だから、二人は声を揃えて笑顔で送り出してくれる。
「「いってらっしゃい」」
陽菜ルート、これにて完結です。
次話にエピローグを投稿予定、三章の準備がまだできていないので少し間が開きますが、すぐに投稿開始できると思います。
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