61陽菜ルート ハグ
翌日、我が家に花恋さんを招いて俺のお別れ会を開くこととなった。
しかし名前の通りお別れ会では寂しすぎるということで、心春と花恋さんで相談して俺と楽しむ会が開催された。
ちょっと名前がいかがわしくないかと口にしたら何やらいろいろ罵倒された挙句、注文がいくつか増えた。
俺はされるがまま二人の言うことを聞いてあげればいいみたいだが、これでは俺のための会ではなく、二人のために俺が玩具にされるみたいだ。だが俺は黙って二人のいいなりになる、文句はない。
「お邪魔するわね、一颯、心春、今日は思う存分楽しませてもらうわ」
「はい、取り決め通り、私と花恋さんで半分ずつです」
「それは何の話?」
「一颯は知らなくていいのよ。主役はただ言うことを聞いていなさい」
かなり横暴な取り決めをしたようで、俺には発言権すらないようだ。
俺の部屋には既にお菓子やジュースといったパーティに必要な飲食類は揃っている。壁に飾りも無ければクラッカーもない、華やかさに欠けたパーティ会場だが、両手に華であれば、これ以上に必要なものなどありはしない。
何か取り決めをしていたようだが、それらしいことは見せずただおしゃべりを通して今日までの“俺たちのシナリオ”を振り返っていた。
花恋さんに打ち明けたことや、心春と二人で唯人を意図的に誘導した話、大変なこともあったけれど、なんだかんだ童心に返ったみたいで楽しかったなと思い出に耽った。
机の上からお菓子が半分以上なくなった頃合いで心春が唐突に立ち上がる。
「どうした? 心春」
「これから一颯くんを好きにしてよいの会をはじめまーす! まずは花恋さんから。私は部屋にいるから終わったら呼んでね、一颯くん」
「え? どういうこと……、俺、何されるの?」
「じゃあ、また後でね、」
俺の頭上にはクエスチョンマークが飛び交っている。
これが心春と花恋さんが取り決めたことだというのは察しがつくのだが、個別に対応するとは聞いていない。
心春が部屋を出て行ってからはやけに静かになって、俺の部屋に花恋さんがいる現状が押し寄せてくる。
そういえば、花恋さんの部屋に泊まったことはあるが、二人きりになるように花恋さんを俺の部屋に招いたことはない。今日までかなり濃い時間を過ごしてきたにも関わらずだ。……なんだか自分の部屋に女性を招くことが少々背徳的に思えてきた。
「えっと、花恋さん、……あれ? 花恋さん?」
「お願い、今だけはわたくしのことを呼び捨てにしてくれないかしら」
先ほどまで花恋さんが座っていた場所はもぬけの殻で、声が聞こえた背後をふり向く前に後ろからがばっと抱き着かれる。
「心春と決めたのよ、この時間だけはお互いに邪魔をしないって。だから、お願い、今だけはわたくしのことを恋人として見てほしいの」
背中に覆いかぶさる小さな体躯はあまりにも軽く、胸元に回された細い白磁の腕は一見青ざめているように思えた。
俺は唾を飲みこんで喉を鳴らす。名前を呼ぶだけに覚悟が必要だった。俺は花恋さんに特定の誰かと恋人にはならないことを伝えているから、疑似的なものであっても、それは俺に欠陥を生み出してしまうと恐れて逃げてきたことだった。でも昨日の唯人の気迫を見た時から俺の中で何かが変わろうとしていた。
このルートの心春や花恋さんと次のルートの二人は全く同じ人でもあるが、同時にまったく別の二人でもある。
その真実から目を背けていた。このルートが終われば二人に会うことはない。だから俺の気持ち一つで何もしない選択肢を取るのは間違っていると、そう思うようになったのだ。
「か、花恋……、顔を見せてくれないか?」
「うん、わたくしも近くで一颯のことを見ていたいわ」
後ろから回り込んできて正面に来た花恋さんは俺の膝の上に対面で乗っかってきた。俺の太ももの側面に己の内腿で挟んで膝を着き、腕は前に泊まりに行った時のように首に回していている。膝の上には花恋さんの柔らかい臀部のふにっとした感触が伝わってきて少し変な思考が働くようになる。
額同士があと少しでくっつきそうな距離。今は話がしたいから俺の方から少し顔を後ろに反らした。
「今日は花恋と何を話せばいいのかな?」
「今のうちに伝えておきたいことと、あなたの温もりを忘れないようあのときよりも熱いキスを所望するわ」
「仰せのままに、では、先にキスから」
「え? ち、ちょっと待ってくださいな! まだ心の準備が……」
心の準備も無しにこんな膝に乗ってきてキスをねだられた俺はどうすれば? という疑問はさておき、俺からキスをする度胸なんてあるはずもなく、だけど、思い切り抱きしめることには慣れている。
大きく弧を描くように大きく腕を開いて花恋さんの身体を抱きしめて、目の前のほんのりと赤い耳元に囁いた。
「キスの代わりに、前にお願いされた背徳的なハグでどうかな? 花恋?」
「あ、それは……んん!?」
ゴスロリ衣装の上からでも触れれば分かる背骨に沿って上下に軽く指先を当てて動かしてみると、花恋さんの背筋がピンと伸びた。身体に力が入ってもたれかかってきた花恋さんの息は荒い。もはや喘ぎ声だった。
「あ……だめ、……背中……ぞくぞく、するわ。ん、首、……くすぐったい」
ヘタレな俺は唇同士をくっ付けるのが出来ないから、代わりに首筋に何度も口づけした。なぜか唇以外なら抵抗がないのは不思議だ。
前もそうだったが、こういう触られているときの花恋さんはまるで見た目相応の子どものように反応が初々しい。いつまでもこうしていたくなる。
楽しくなって脇をくすぐったり、時には頭を撫でてみたり、好き勝手していたら花恋さんの身体から力が抜けてくたっと倒れ込んできた。弱点であるお腹は触っていないのに今はそれ以上に呼吸が荒い。艶めかしい熱を帯びた呼吸が耳元をくすぐる。
「はあ……はあ、もう、だめ」
「どうだったかな? 楽しんでもらえたかな?」
いたずらっ気な微笑を浮かべて見せると、花恋さんは恍惚とした潤んだ目で俺の唇を見つめていた。しかし花恋さんの肩を掴んでいるから唇が俺に触れることはない。
花恋さんにはキスできないもどかしさを体内に押しとどめてしまっているかもしれないが今は我慢してもらう。線を越えたらおそらくこのままずるずると引っ張られてしまう気がする。
「一颯はどうしてわたくしを選んでくれないの?」
「すべてが無かったことになるのが怖いから、俺のメンタルは強くない。恋人が次の瞬間には俺のことを忘れていることが恐怖でしかないんだ」
もう隠すことなんてない。俺が思っていることを素直に話す。
「やっぱり最後は心春を選ぶのでしょう? わたくしは、……ここで終わりなの?」
「それは違う。いや、俺は変わってしまった」
以前、花恋さんに似たようなことを尋ねられた際、俺は心春が好きだからと答えたはずだ。
「俺は前のルートで心春に告白する覚悟を決めていた。そして告白の寸前までたどり着いて、この世界に飛ばされた。実際、告白しないことには本当にそうだったのか分からなくて、今では花恋に対する気持ちと心春に対する気持ちが天秤にかけてもびくとも揺らがないんだ」
カレンさんの驚きの表情は意外といってはなんだが、俺は心のどこかで気付かれていると思っていた。もしかしたら気付いていて欲しいと願っていたのかもしれない。
好きな人に見られたい、自分の気持ちに気付いて欲しい、そんな欲求が願望となって俺を優柔不断にしているのだと。
「花恋のせいだ。俺をこんなクズ野郎に堕落させたのは。ホントなら心春一筋だったのに」
「一颯、それが恋愛よ。甘酸っぱい恋からどろどろとしたものまで、定まった形はなく、言ってしまえば、浮気だって一つの恋よ」
「浮気はしない、最後には必ず一人を選ぶ。二人から選べるなんて贅沢な話だけど、本気で二人を好きになってしまったら、他人が思うほど気は楽じゃない」
「なら、堂々とわたくしたちと関係を持てばいいじゃない。心春ならきっと許してくれるわよ。周囲からは奇異な目で見られるし、あなたの苦労が絶えない人生になるでしょうが、それだって一つの愛の形よ」
「主人公の友達が二人の女性と関係を持って危ない橋の上を駆け足で渡っているなんて思われたら、そんなの俺が耐えられないから絶対にしない」
「そうね、わたくしも選ぶなら一人を選んで欲しいわ。そして、欲を言うならわたくしのことだけを見ていて欲しいわ」
この腕に抱く女性を決める日の為に何をすべきなのかは勉学を怠ってきた俺には思いつかない。今の生温い関係をいつまでも続けられたらどんなに幸せなことか、でもそれは俺がこれ以上の幸せを知らないから言えること。
花恋さんは名残惜しそうに俺の膝から降り、スカートの裾を正した。
「わたくしの時間はここまでよ、前にお泊まりさせた分短めに設定されてしまったわ」
「このあと、心春が来るんですか?」
もう恋人のフリはしなかった。慣れないことに緊張していたこともあるが、なによりいつも通りの花恋さんに戻っていたからだ。
「そうよ、これでわたくしはお暇するわ。また明日……会いましょう」
「もう帰るんですか? 今日は親がいないのでなんなら夕飯も一緒に――」
「ご両親がいないのでしょう? 察しなさいな」
俺の言葉は遮られて、久々に呆れた顔を向けられた。意味が分からず花恋さんの次の言葉を待っていると、余計に呆れられて溜息を吐かれた。
「不安でしかないわ。わたくしの時間はここまでだけど、心春との時間は制限が決まっていないわ。もし定めるとするならば、誰か邪魔が入るまで、かしら?」
「心春は、何がしたいんですかね?」
「一颯」
「はい……」
「飲み込まれないようになさい。わたくしと心春への気持ちが対等だというのなら、せめてわたくしにした以上のことは一線を引いて我慢なさい」
飲み込まれることがどういうことか俺には分からない。心春が今日の会を開くことの真意を測りかねている。だけど花恋さんと同じ“最後”であることは違いない。だから、それなりに甘えてくることは想像に難くないのだが。
「一颯は何も分かってないわ。女の恐ろしいところを何も理解してない。時間はギリギリあるわ、少しでもレクチャーしておかないとあなたは間違いなく心春に飲み込まれるわ」
突然はじまった花恋さんの講義に俺は神妙な面持ちで拝聴する。俄かには信じられないこともあって困惑したが、怖い顔を寄せてきて同意を求められたら頷く他なかった。




