50陽菜ルート 心春の男装
テストが終わったからといって即座に夏休み突入とはならない。テスト返しもそうだが、それを含め夏休みまでには一週間の猶予がある。
その間、何をやるのかというと、……授業だ。普通に二学期の範囲の授業が始まる。
夏休みを挟むから内容なんてほとんど覚えていないだろうに、それでも時間がもったいないからと先生方は容赦なく黒板にチョークを走らせる。
休み明けにどうせ復習回があるからと、真面目に受けている生徒は数えるほどしかいない。そういう俺も机に突っ伏してほとんどの時間を惰眠に当てていた。
こんなだらけた一週間を過ごそうと思うのだが、残念ながら今日は大事な仕事日だ。放課後に心春と合流して演劇部の部室へと向かった。
「ごきげんよう、一颯、心春。準備はしてきたかしら?」
部室に到着して俺たちのことを見つけた花恋さんが心春に声をかける。
「はい、なんとか柊木先輩に教わってきたので、さらに補助もしてくれるそうなので大丈夫です」
「そうね、翔の補助なら心春も安心できるでしょう。舞衣子、メイクを手伝ってあげてくれる?」
そろそろ唯人たちの前に謎のイケメンが姿を現さない限りはシナリオも進行しない。そういう訳で今日は演劇部の先輩方が全面協力で心春の大一番となった。
柊木先輩、城戸先輩が心春をサポートしてくれて、俺と花恋さんが後からやって来る唯人たちを誘導する。
先輩方には唯人たちが調べ物をしていることを伝えてあるがそれ以上のことは教えていない。花恋さんが心春の男装の特訓に丁度いいというので、なんだかんだ乗り気で先輩方は協力してくれた。
しばらくして、人目を憚るようにして戻ってきた心春の姿に演劇部のみなが感嘆の声をあげる。
「おお〜、もはや別人にしか見えないぞ」「線は細いが霜月兄のこともあるからな、おかしくはない」「あれが心春先輩なんですか? キャー! 格好いいです!」
など、先輩方だけでなく、事情を知らない後輩までも心春の男装姿に驚きを隠せずにいる。
花恋さんが後輩を含む全員に正体が心春だということを口外しないよう固く約束させ、これからやって来る唯人たちのことを演劇部らしく振舞って躱してみよとお達しが出た。
部内でちょっと事が大きくなってしまったため、三年、二年だけでなく一年も巻き込むことにした。
実力主義の演劇部でも、花恋さんは積極的に新入部員にはチャンスを与えている。今回もそのチャンスだと思えばいい。一年はせめて舞台に立つためにと闘志を燃やしていた。
「一颯くん、どうかな? 俺の姿は変じゃないかな?」
男装姿の役に入り切っている心春は普段とは違うハスキーな声で尋ねてきた。
「いいと思うけど、こうも対面でいると不思議な気持ちだな。あの心春がこんな姿になるなんて一片たりとも思わなかったし」
「いつの話さ。それなりに練習したんだから完璧に騙しきってみせるよ」
肩をすくめる動作やそもそもの立ち姿も男っぽくなっている。椅子に座れば大きく足を組み、クールなイケメンかと思わせて、たまにワイルドな一面を覗かせる。
「そういえば名前がないけど、仮にでも決めておくか?」
「いや、俺は心春が男装した姿に過ぎない。陽菜ちゃんたちに正体を暴かれくちゃいけないからね、誰かの変装であるという明確な事実らしいところは残しておきたい」
「それをいうと俺も女装しているだけに過ぎないことにもなるんだが?」
こんな会話をしていると、城戸先輩が後ろから俺の肩に手を当てて背中に体重を乗せてきた。何やら柔らかい物が作為的に二つ背中に押し付けられて俺は硬直した。
そして当然ながら心春が眉を険しくひそめた。
「霜月兄はレベルが違うのよ、あれは完全に女の子、前に花恋とのツーショットを見せてもらったけど、どっちがどっちか分からなかったわよ。実は双子だったとか?」
俺の顔の横からずいと顔だけのり出してくる城戸先輩に、心春が元に戻した甘いフェイスを崩さぬまま静かにほほ笑んだ。
青い炎が心春の背後でめらめらと燃え滾っているのを感じる。だけど、城戸先輩はそれをものともせずのらりくらりと、むしろ気付かないふりをしている節がある。
「それでいて中身は男子高校生でしょ、もうこれ、おじさん釣れるって。ホテル近くの人気のない路地で服を乱しながら座り込んでたら、それだけで余裕でしょ。ドッキリか何かでやってみて欲しいわ、花恋には絶対やらせないけど」
「やりませんよ、そんなことして碌な目に遭わないのは目に見えてますよ。それに同じ格好しているんですから、最悪花恋さんに被害が及びますよ」
「ありゃ、それはいけませんな、あの子に触れていい男は霜月兄だけだからね」
「城戸先輩? そろそろ一颯くんの背中から降りてください」
さすがに我慢の限界か、心春が立ち上がって城戸先輩を強引に俺の背中から引きはがした。
目的は果たしたとばかりに手をひらひら振って去っていく城戸先輩だが、何か思い出したのかこちらに戻ってくる。
「そうだ、最近ね、近隣の駅近くでナンパ騒ぎが相次いでいるみたいだからさ、女装するなら気を付けなよ?」
「女装してそんなとこまで行きませんって」
「ははは、冗談。……でも妹、これは同じ女としてちゃんと教えてあげなきゃって思ったから、もし遠出するなら二人以上かボディーガードを付けなさい。私もこの前声をかけられたから」
「え? 大丈夫だったんですか?」
「うん、その時はマネージャーが付いていたから。そのマネージャー、色黒でサングラス掛けた怖いおっさんだからナンパは尻尾巻いて逃げたよ。あれはヤンキー崩れの見た目だけだね」
心春が心配すれば、いかにも私が撃退したとばかりに胸を張る城戸先輩に、心春は少し不安げな表情を浮かべた。
「そうでしたか、分かりました。注意しておきます」
「うん、それじゃあ特訓頑張ってね」
今度こそ去っていった城戸先輩は持ち場に戻るなり後輩に演技指導を始めていた。自分の役で忙しいだろうに、流石テレビやドラマに出演するだけの実力はある人だ。
こんこんと部室のドアがノックされたことで部内には緊張が走る。こちらへ呼び掛ける声は紛れもなく唯人の声で、俺は何事のなかったように明るく返事をしてドアへ向かう。
周りも各々で気付いていつも通りを振舞い始める。実際、次の舞台まで時間が無いためこちらの方へ意識を向けている余裕がない人がほとんどだ。
「よお、いらっしゃい、もう来てるぞ」
「そうか、ちょっと邪魔させてもらうぞ」
今日は聖羅がいない。唯人の後ろには月宮さんがいるだけだった。
「聖羅はいないんだな?」
「教室で反省文を泣きながら書いてるよ、そのあとは部活だって」
因果応報というべきか自業自得というべきか、もうどちらでもいい。二人には中に入ってもらう。
あくまでこちら側は自然に振舞うため、この二人を見ても大きな反応は見せない。あとは二人が心春と柊木先輩のいるところまで自力でたどり着いてもらおう。俺は小道具の整備の仕事に戻りながら会話を盗み聞く。
「唯人、あの人じゃないかな?」
「そうだろうね、あそこだけ異質な輝きを放ってるし、柊木先輩の隣の人だと思う」
月宮さんが心春のことを見つけたようだが、いつの間に月宮さんは唯人のことを名前で呼ぶようになったのだろうか? 二人の関係が進展していくのを見守るのが楽しみだった分、そこまでの過程を見逃したのが残念で仕方ない。
「じゃあ、陽菜さん、声をかけてみるね」
さん付けか。唯人らしいな。女性慣れしてないからちゃん付けは出来なさそうだな。……なんか俺自身に似たようなことがあったような気もしないでもないが、……きっと俺の勘違いだろう。
今更だが、柊木先輩と男装した心春が並ぶと絵面がすごいな……。そこだけ常にミラーボールが回って瞬いているように見える。スポットライトもないのに目立っているし、柊木先輩の教え子だからだろうな。
「おや? 君は新入りの椎崎君か、何か用かな?」
男子寮では柊木先輩が寮長であり、そこで唯人は一部の先輩方に新入りと呼ばれているようだ。
「えっと、この人が誰なのか気になりまして?」
声をかけられて振り向いた心春の甘いマスクに月宮さんではなく唯人が慌てふためいている。
「俺かい? 俺の何が知りたいんだ?」
「きれいだ……。あ! いや、お、お名前を聞いてもいいですか?」
おいおい、美男子だからって心春に惚れないでおくれよ、顔面殴るぞ?
「名前は教えられないよ、俺にはないんだから」
「それがどういうことなのかは……」
「どういうことなんだろうね?」
矢継ぎ早に質問を流していく心春に、唯人は言葉を詰まらせる。目の前に探していた本人がいても肝心な情報を引き出すことが出来ずにいる。心春は自分のことをこの世には存在しない人物かのように振舞って唯人を躱していく。
「あなたは誰かが変装しているのか? ……というか、そうとしか考えられない」
「では、俺は誰が変装してここに存在しているのかな?」
「そ、それは、……昨年この学校にいなかったオレには分からない」
お、やっと唯人が誰かの変装だということに辿り着いた。それにしても、……月宮さんがどうも不穏だ。前は鋭い質問で花恋さんに問いかけていたにも関わらず、今日は何も話さず心春のことを観察している。
「…………じー……」
「……――え?」
会話を盗み聞きできる距離にいたとはいえ、月宮さんがわざわざ声に出して俺のことを一瞬見ていた? なんのために?
「ごめん、唯人、少しだけ席を外すね」
「ああ、いいよ、何か気付いたことがあったら教えて」
どうしたのだろうかと思っていると、月宮さんは真っすぐ俺の方へ向かって歩いてきた。慌てないよう俺は心春と一瞬目配せをして、唯人のことを引き付けておいてくれと目で合図をする。心春も、月宮さんが俺の方に来たことに何か意味があっての事だろうと察して唯人から俺のことが見えないよう立ち位置を調整していた。
俺の隣に来てスカートのポケットから取り出したのはカバーも着けていないむき出しのスマートフォン。録音機能か写真でも撮ろうとしているのか?
そう思って身構えると、月宮さんはいつもと変わらぬポーカーフェイスでこんなことを言い放った。
「ねえ、一颯君の電話番号教えてよ、今晩電話するから」
「……はい?」




