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いつか選択肢に辿り着くために  作者: 七香まど
一章 準備 共通シナリオ
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5大柄な転校生

 梅雨明けの急な暑さに昨晩は布団を薄いものに変えたはいいが、今朝は少々冷え込んでいてカーテンの隙間から差し込む冷たい朝日に肩を震わせた。


 頭上の時計を片目で見やれば、始業の時間に間に合わせるまで三十分の猶予があった。しかし、遅刻はしたくない。やって来る転校生とやらに遅刻魔だと思われるのだけは避けたい……避けたいけども!


「あと十分はいけるな……」

「一颯くーん! 朝だよ!」


 ささやかな希望も残されておらず、ノックも無しに部屋に入ってきた心春に布団をペイッと剥がされてしまった。


 肌寒さに身を縮こまらせ、タコの足のように右手は剥がされてしまった布団を握って離さない。


「えいっ!」

「あぁ……」

 残念ながら吸盤はありませんでした。するりと抜けて部屋の端に畳まれる。


 仕方なく上体を起こして伸びをすると今度は敷布団を剥がされてしまい、俺は丸まったダンゴムシみたいにころころ転げ落ちる。


 大事に枕だけは抱え、転がったままの状態でうつぶせに寝る。


「おーきーてー! 朝ごはん冷めちゃうよ!」

「ちょっ! 自分で着替えるから脱がさないで!」


 危うく尻を……醜態を晒すところだったが何とか心春を部屋から追い出すことに成功。さて、もう一度横になろうとしたのだが……。


「目……覚めちったよ」


 カーテンは全開にされ、白い陽光に染められた俺の部屋に寝床はどこにもない。渋々寝間着を脱いで制服に着替えるのだった。


 ――そこからは毎日同じ流れ。


 先に仕事へ出てしまった父さんには挨拶できなかったけど母さんにおはようと言って、朝ご飯食べて歯を磨いて、通学カバンを俺のそばまで心春が持ってくるからこれ以上ゆっくりもしていられなくて……。


「いってきます」

「いってらっしゃい、車には気を付けてね」

「はーい」


 学校までの道のりは平凡で、脇に逸れた道よりも大通りを歩くのが一番の近道である。


 俺たちと同じ学校の生徒だけでなく、中学生や小学生、住宅街に潜り込んでいく幼稚園の送迎バスも、これらは平日の子どもの時間だ。


 もちろんサラリーマンも多くいるのだが、その人たちは車道の自転車専用レーンを走っているから、おのずと歩道は学生で埋め尽くされてしまう。


 心春と共に歩いて約十五分、都立高校にしては私立校に負けず劣らずの真新しい白壁が姿を現す。


 正門には生活指導の怖い鬼のような先生が、昇降口には美化委員が靴に付着した土を落とすよう声掛けをしている。


「心春、一颯、おはよう」


 昇降口で上履きに履き替えていると、後ろから肩を叩かれて声を掛けられる。履き替える動作を止めずに後ろをふり向くと、今日は緑、黄、赤の信号カラーのヘアピンをした聖羅が手を振っていた。


「今日はいつもより少し早いじゃない、そんなに転校生が来るのが楽しみなの?」

「いや、心春に布団を引っぺがされてな、二度寝するにも目が覚めちゃったからな」

「あら、心春らしい起こし方。羨ましいわあ、起こしてくれる彼女さんがいて」


 これはちょっとした俺へのからかい方で、付き合っていないと知っていてここまで軽く冗談を言えるのは聖羅だけ。他の人は大抵含みのある言い方しかしてこない。主に男子。


「はっはっはっは」


 だから俺は笑って誤魔化す以外に穏便に済ませる方法を知らなかった。言い返せば相手は泣いて逃げることが多いからだ。どうしてだろう?


 隣のクラスだから裏側で上履きに履き替えていた心春も聖羅の存在に気づいて挨拶をしている。


 転校生が来ることもあって少々職員室の方が気になった。もしかしたらクラスの誰よりも一足先に転校生の姿を拝めることが出来るかもしれない。


 昇降口から見える範囲で職員室辺りを眺めていると、見知ったというほどではないが記憶に新しい人物が知らない男子生徒を連れて職員室へと入っていった。


「あれ? 月宮さんだ」

「一颯、どうしたの?」

「ああ、いや、もしかしたら転校生の姿を見たかもしれないと思って」

「え! どこどこ? 男? 女?」


 俺が先ほどまで向いていた方向、職員室へ突入せんとばかりに身をのり出す聖羅の肩を掴んで引き留め、教室へと続く階段へと引っ張っていく。


「抜け駆けはよくないぞ、後で会えるんだし教室へ行くぞ」

「ええ! ちょっとくらいいいじゃん」


 俺が密かに抜け駆けしようとしていたことは棚に上げて、心春と二人で聖羅を引っ張り上げる。

 残念そうではあったが、別に急いで確認することでもないと思ったのか途中からは素直に階段を上ってっていた。


「それじゃあ、一颯くん、聖羅ちゃん、また後でね」

「おう、また後でな」

「前見ないと危ないよ!」


 ひらひらと蝶が舞うように生徒たちを躱して教室へと入っていった心春に、俺と聖羅はくすくすと笑う。


 どうして前も見ずに華麗に人を躱せるのか不思議でならないが、ゆっくりしすぎたせいで始業のチャイムは鳴り、廊下にいた生徒たちを各教室へと急かせる。


 廊下側の一番後ろの席が俺で、そのひとつ前の席が聖羅だ。俺の隣の席が一つ空いている不自然さは新学期からクラスでいろいろ噂が立っていたが、ついに答えに辿り着く者はいなかった。


 だが昨日、ついにその答えの真相が暴かれ……てはいないが、未確定であるにも関わらずいつかやってくるであろう転校生の為の席だったわけだ。


 クラスメイトが雑に着席していく中、今日も加賀美先生の大きな声が扉をこじ開けやって来る。


「おら、転校生を紹介するから静かにしろ」


 先生の指示には誰も従わず、俺たちはブーイングを浴びせる。


「ブーブー!」「ブーブー!」


 流石の先生も生徒たちの反抗に度肝を抜かれ一歩後退んだ。もちろん俺と聖羅も先生にブーイングの声を荒げて浴びせる。


「な、なんだお前たち、転校生が嫌だからってこんなことしなくてもいいじゃないか! 転校生が悪いんじゃない、受け入れようとしないお前たちが悪いんだぞ!」

「いや、先生、クラスのブーイングは先生が事前に転校生が来るってネタバレしたことに対してですよ」


 むしろ新しいクラスメイトが増えることは誰もが楽しみに待っていたわけで、その楽しみをむやみに削った先生が悪いというのがクラスの総意だ。一致団結した俺たちのクラスが求めているのは、早く転校生を教室に入れて歓迎させろということ。


「――じゃあ、入って自己紹介をしろ」


 その言葉にブーイングはピタリと止み、みなの視線は教室の前の扉、その一点に注がれる。


 やがて、そろそろと開かれた扉からわずかに顔を覗かせた男子生徒を誰もがまじまじと注視する。


「これって入っていい空気ですよね? 合ってますよね?」


 その男子生徒は教室に入ってからはなぜか忍び足で教壇の横まで進み、びくびくした様子で教室を見回していた。


 制服の上から窺える転校生の肉体は離れていても分かりやすいほどしっかりしていて、地道に鍛えていたのだろう。クラスの女子が彼の筋肉とそれなりに整った容姿で色めきだしている。


 本来の彼は小心者には思えないが、クラスの雰囲気が彼をそうさせてしまったのだろう。


 そんな彼がある一点で目をわずかに見開いていたのを俺は見逃さなかった。


 そこは月宮さんが座っている席だ。だから確信する、昨日、俺が駄菓子屋で見かけた男子生徒は彼だったのだと。そして月宮さんと同じクラスだったことに驚いているのだ。


「えー……、椎崎唯人(しいざきゆいと)です。急な都合でこっちに引っ越してきたのでこの土地のことは何も知りません。仲良くしてくれたらうれしいです」

「それじゃあ、椎崎は後ろの空いている席に座ってくれ、隣の霜月にはお前の学校案内を頼んであるから分からないことは何でも聞くといい」


 そんなこと頼まれた覚えがないんだけどなあ……。まあ、俺が彼の机を運んだ時点でそうなるとは薄々感じていたから別にいいし、聖羅にも巻き添えになってもらうか。


 隣にやってきた椎崎にはとりあえずよろしくと軽く挨拶を済まし、ここは先生も分かっているようで朝のホームルームは三分と経たず終了となった。


 転校生が来た日のホームルームが終わればクラスがどう動くかなんて小学生でも分かる。だから、それを制御する人物が必要となるわけだ。


「俺は霜月一颯だ。細かい自己紹介は後にするとして、俺のことは名前で呼んでくれると助かる」

「ああ、オレのことも名前でいいよ。よろしく」


 俺が手を差し出せば唯人は並びのいい歯を見せて男らしい顔で握ってくれる。男同士固い握手を結べば、それでもう俺たちは友達だ。唯人もそれが分かっているようで「将来美味い酒が飲みかわせそうだ」と笑った。


「お前ら、授業開始三分前には唯人を開放すると約束しろ。今日に限らず時間はあるから今すぐ質問をしたい奴以外はこの時間は自重してくれ!」


 俺の先導に何人かが密な状態から抜け出して後ろに離れていく。男子は俺、女子は聖羅が担当して集団を制御するのだが集団はクラスだけに留まらず廊下には転校生を一目見ようと生徒が押しかけてくる。そのほとんどが女子で、聖羅の仲間たちが先陣を切っている気がする。


「おい、聖羅、どう収拾つけんだよ?」

「あ、あははー……、ごめんね? これは想定外」

「ふざけんな! 俺は知らないぞ」

「――うわあ! ああ、誰か助けて!」


 転校生の噂を聞きつけて他クラスからも見学者が来て教室が混雑してしまったのはちょっと誤算。どこかで人垣に押しつぶされて苦しそうにもがく心春の声が聞こえた気がした。







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