37〈唯人〉走り続ける人
今日の朝、月宮さんにお願いされたことがあって、放課後に初めてオレは女子寮の領域に足を踏み入れた。
女子が男子寮に立ち入るのに許可はいらないのに、男子が女子寮に立ち入るには事前に申請しなければならない。
運び出したい物があるということで男子であるオレに手伝いを求めてきたのだが、出会ってまもなくのオレにお願いするって、やっぱり友達がいないんじゃ……、いやいや! ともかく俺は月宮さんのお願いを快く引き受けたわけだ。
「……はい、たしかに申請を承ったわ、この腕章を着けている限りは女子寮に踏み入れることが許可されるわ、くれぐれも無くさぬようにね?」
「分かりました、……二階堂先輩って寮長だったんですね」
「あら、何かおかしいかしら?」
「い、いえ、そういうわけでは、……ただ、こっちの寮長は癖がある人でしたので」
男子寮にも三年の寮長がいるわけだが、常に星を振りまいているような動作をしていて、とにかく印象に残りやすい。イケメンだけど、イケメン過ぎて彼女ができないと嘆いていたこともあったっけ。どうしてか嫌味には聞こえなくて反応にすごく困った覚えがある。
「ああ、柊木翔ね、翔も演劇部よ」
「演劇部って、そういう人って多いんですか?」
「翔のあれは元からよ、あれを見て今の副部長が演劇部にスカウトしたの」
「そうなんですね、てっきり変人の巣窟かと思ってました」
そう軽々しく言って、思い切り地雷を踏み抜いていることに気付いて身体をぶるりと震わせた。
たしか、一颯と心春も演劇部だったはず。あの二人もどこか変な関係だけど、まだ普通だ。
「わたくしのことも変人だと認識しているとは、……折檻が必要かしら?」
「ヒィ! ごめんなさい!」
あいつらのことは普通と思っていても、それ以外を変人と思ってしまったがゆえに目の前の二階堂先輩を侮辱してしまったことで冷や汗が止まらない。
どうやったら童顔のロリボイスで背筋が凍るようなドスの利いた声が出せるのか。二階堂先輩に一歩近づかれるたびに、極寒の氷地の吹雪に襲われている気持ちになった。
右腕を取られ、少々荒く引っ張られて固められた。このままだと対格差なんて関係なくオレは簡単に投げられてしまう。なんとか受け身を取る準備だけは、……そう思っていたら、ぱっと腕を離された。
「……あれ? 投げないんですか?」
「投げる? わたくしにそんなことが出来るほどの護身術は学んでいなくてよ。それよりも腕章はピンで留めたわ、外れることはないと思うけど、もし外れたらテープでもいいから見えるようにして留めておきなさい」
右腕には入寮許可証と書かれた腕章が赤いピンで留められていた。
すっかり二階堂先輩の演技に騙されたオレは恥ずかしくなって、さっさとお礼をして指定された場所まで急ぐ。
道中、女子生徒たちに奇異な目線で観察され、「あの人うちの男子寮にいたっけ?」とひそひそ噂される。
女子特有の柔らかくて甘い匂いが充満した世界と、前後左右どこからも聞きなれない高い声に脳がやられそうだった。逆に早く脳が麻痺してくれるのを期待したが煩悩が増すばかり。
やっとのことでたどり着いた目的地は可愛らしいプレートがドアに掛けられていて、ここが女子の部屋なんだと強く意識させられた。
ドアをノックすると、中から月宮さんが手にチラシを大量に持って出てくる。
「あ、いらっしゃい、ちょっと待っててくれる? チラシが多くて一人じゃ運びきれないの」
「て、手伝うよ、どこに運べばいいの?」
「じゃあ、部屋に入って。テーブルの上にあるやつ全部を商店街に運ぶから、力持ちの椎崎君が手伝ってくれて助かるよ」
ここが女子の部屋だとか、男として何か配慮すべきこととか何も考えられず、ピンク色のもこもこしたカーペットに足を着ける。
緊張が思考を阻害しようとするが、それ以上に指示されたテーブルの上にあったチラシを見てオレは絶句した。
「えと、……これ、全部?」
そこにはチラシや、宣伝文句が書かれたグッズ、タスキやハチマキ、ペナントにTシャツなど、それはもう、山と表現するのが妥当なほどに、……山だった。
「うん、私一人じゃ五回くらいに分けないと持っていけないからちょっと困ってたの」
「ちょっとのレベルじゃないと思う。どうしてこんなものを月宮さんが?」
「アルバイトなの、おじさんの仕事の為にチラシやグッズを手作りで製作してるんだけど、今度商店街で一斉に大売出しをやろう! てことで一気に依頼が来たの」
チラシを刷ったりミシンを扱ったり、限られた経費の中で上手く製作するのが得意な月宮さんは中学の時から手伝いを少しだけしていて、高校に上がってからは正式なアルバイトに昇格したらしい。
オレが手助けに来たとしてもあまりに多いので二回に分けて運び出すこととなった。チラシは後回しにしてグッズを二人で分けて全部持つ。
玄関に向かう前に二階堂先輩にもう一度来ることを伝え、腕章はポケットに入れて商店街に向かった。
――商店街なんてオレの地元ではシャッターばかりが目立つゴーストエリアだった。だからここに初めて来たときの活気には驚かされたものだ。
「ここも昔は寂れていたんだよ。だけど、おじさんが獅子奮迅の活躍で少しずつ活気が戻ってきたんだ」
「へえ、おじさんてどんな活躍したの?」
「大学の全国大会で優勝したの、マラソンで、アンカーで混戦していたところを八人抜きしての逆転優勝。私たちが幼稚園か保育園に入るかくらいのときかな? その時は全国でニュースになったみたいだよ」
それまではこの街からはスポーツ、芸術で優秀な人材が輩出されたことがなかったそうだ。だから優勝した時には商店街で挙げてのパレードをしたという。その時の活気をまた沈黙させるのはもったいないと考えたおじさんが商店街を利用することに楽しみを持たせる工夫を施したそうな。
「この真ん中の白い線、これが“ランナーの通り道”なんだよ」
月宮さんが指さした先、舗装されたコンクリートの地面には真っすぐにどこまでも続いている白い線が埋め込まれていた。
「商店街の中央線という意味じゃなかったの?」
「そういう意味も持ってるよ、右側通行の印だね。本来はランナーが走ることをメインで作られたの。だから、この線の上は誰も歩かない。横切るにも左右を確認する」
この時間は買い物に来た主婦層がほとんどなわけだが、誰もが右側通行で、線を跨ぐときはそのランナーが来ていないか確認してから跨いでいる。だから俺は逆走して月宮さんとぶつかったのか。
そういえばランナーにはこの商店街に初めて来たときに出会っていたかもしれない。迷子になって紙を見ながら歩いていたらちょっと注意されたけど、あの人かもしれない。
「着いたよ、ここがこの時間帯のゴールなんだ。事務所もすぐそこだからちょっと待ってよっか」
重い荷物を敷いたシートの上にドンと置いてしばらく待っていると、周りから黄色い声援を一身に受けて、手に持つチラシを配りながら威勢のいい声を出してやって来る不格好な男性。
テレビでよく見るランナーの格好なのに、その上にはカラフルなTシャツ、背中にのぼりを挿して昔話の桃太郎のようだった。お供はいないが手に持つチラシはさしずめきび団子、おばちゃん方の声を受けているのならアイドルともいえるのか。
「おじさん、出来たから持ってきたよ、ぎりぎりになっちゃってごめんね」
「おう、陽菜ちゃんか! 今回は宣伝が多いからな、間に合わせてくれて助かった。おや? こちらの少年は?」
「月宮さんと同じクラスの椎崎です。手伝いで来ました」
「いい体つきをしている、何かスポーツをやっていたかな?」
「えっと、それは……」
「おじさん! 私たちはもう一回取りに行かないといけないから、事務所開けて」
おじさんが悪い悪いと汗をかいた頭を掻きむしりながらオレは事務所に通される。事務所といっても小屋みたいなもので、依頼はメールか規定の紙に書いてポストに投函、本人に直接伝えることでも依頼が可能らしい。普段は奥さんがメールをチェックしてスケジュール管理をしているのだとか。
「わたしの自己紹介がまだだったね、月宮光一という。こんな成りでも昔は一世を風靡した凄腕、いや、凄脚か? ……ランナーさんと呼んでくれ!」
元気に肩をバシバシ叩かれて痛い。だけど愉快な人でよかった。
ホワイトボードには驚くほどにスケジュールが書き込まれていて、床には水やスポーツドリンクの詰まった段ボールが大量に積まれていた。
「走れば喉が渇く、だからたまにお礼としてこういったドリンクをいただくんだ」
「なんでこんなにも頑張れるんですか? 辛いことはないんですか?」
「辛い事なんて日常茶飯事さ、でもね――」
「椎崎君、整理終わったから行くよー、おじさん、ここの鍵はどうしたらいい?」
「あ、渡しておくから終わったら鍵閉めてポストに投函しておいてくれ。……椎崎君、悪いね、わたしもそろそろ次のランに行かないと」
「いえ、ちょっとした興味本位だったんで、気にしないでください」
そうは言ってみたものの、個人的にはかなり気になって仕方ない。オレは途中であきらめてしまったが、長年走っていられるランナーさんはどうして辛いことがあっても今も走っていられるのか。
「椎崎君? 早く行かないと日が暮れちゃうよ」
「ごめん、すぐ行く」
試しに駆け足で月宮さんの元へ向かってみたが、その程度ではランナーさんの気持ちを推し量ることなどできはしないのだった。
一章はこれで完結です。二章からはやっと個別のルートに突入するので、今しばらくお待ちください。
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