191グランドルート ただいま
何か、精神を擦り減らすような苦渋の選択を迫られた気がする。でも、それが何だったのか思い出せない。
それに後悔しているのか、清々しい気分なのかはっきりしない。ただ心臓の鼓動が早いだけ。
情報の海を渡ってきて、記憶が抜け落ちている感覚に襲われる。すっぽりと何かが無くて、思い出そうとすると何か空白のような隙間があった。何かを忘却した覚えはないはずなのに。
俺は真奈美ルートをクリアしてグランドルートに辿り着いたはずだ。辿り着いて、目を瞑ったまま脳内のファイルを開くと、そこには意図的に切り抜かれたような空っぽのファイルが一つ。
これからのグランドルートのものとは別に、その空白は確かに存在していた。結局、これの正体が分からないまま、俺は覚醒しつつある身体を動かしつつ、ゆっくりと瞼を押し上げる。
ここは自分の部屋で、昼間なのか明かりは付けずともそこそこ明るい。先ほどから心地よい柔らかさの温もりが後頭部に差し込まれていて、仰向けになって寝ている俺は目の前に二人の少女を見つけた。
「おかえり、一颯くん」
「おかえりなさい。早かったわね、一颯」
ぼやける視界から、段々とクリアになっていく最中、俺は二人のおかえりという言葉に自然と返答していた。
「ただいま。……でも、どうして?」
俺のことを膝枕していた少女、義妹の心春は胸元からプラチナ色のチェーンを引っ張り、それに繋がれたペンダントを取り出す。
心春のすぐ隣にいた。花恋さんも同じく胸元からペンダントを取り出した。
窓から差し込む明かりによって七色に輝くティアネックレス。それを見て、深く、奥底で大切に仕舞われていた大事な記憶が沸々と蘇ってきた。
「え? あれ? ……なんで、どうして?」
「だから、おかえり、だよ。一颯くん」
心春の言葉が寝ぼけた思考を呼び覚ます。絶対にあり得ないと思っていたはずの状況に至り、困惑を隠せない。
「一颯、落ち着きなさい。わたくしたちはこうなるかもしれないと予測していたのよ。だから安心なさいな。わたくしたちはあなたの長い旅の帰りを待っていたのよ」
一部の記憶を欠落していることなんてどうでもよくなった。俺は帰ってきたのだ。ここに、原点に、全ての始まりだった旅立ちのスタート地点に。
長い旅路だった。永遠に辿り着けないと思っていた場所に、ようやく辿り着いたことに気付いた。
そう思うと感慨深くて、ツーっと目尻から熱いものが零れ落ちていた。
「やっと……やっとだ。……何度諦めようと思ったことか、俺はついに……」
「うん、おめでとう、一颯くん。信じていたよ、必ずここに戻って来るって」
「わたくしも、一颯は必ず戻ってくると信じていたわ。だから寂しくなかったわ、いつ帰って来るのかワクワクしていたくらいよ」
「ありがとう……、信じて待っていてくれて、ありがとう、……ただいま」
少女たちの胸元で揺れる二つのティアネックレスが、七色に輝いた。
別れの時と同じく、夕暮れの光を吸収し、黄金色に輝いては再開を祝福してくれているみたいだった。
「ながい……旅路だったよ」
これまでの旅を語るには時間がまるで足りない。また集まる機会を設け、そこで一日かけて、もしくは夜通し聞いてもらいたい。
同情してもらいたいのか、ただ俺の武勇伝を語りたいのか、そのどちらもか。
「今はただ、二人に出会えてうれしいよ。でも、どうして俺がここに帰って来るって分かってたんだ?」
身体を起こそうとすると心春に肩を抑えられた。そのまま仰向けのままで情報を整理する。
「初めから確信していたわけじゃないんだよ。もしかしたら、くらいのものだったんだけど、ほら、一颯くん、覚えてる? 私たちが高台で神様にこの世界がゲームであると教えられた日の事」
「ああ、覚えているさ、ちょっと記憶は曖昧だけど、なにせ始まりの日だったわけだからな」
激しい頭痛に襲われて、無理をしてでもやってきた高台でこの世界はゲームだと宣言されて、信じられるはずもなかったのにな。懐かしい記憶だ。
「その日の夜に日記を書いたんだけど、情報が多すぎて何を書けばいいのか分からなくて……、だから聞いたことすべてを書き記したんだ。そしたらさ、この世界って陽菜ルートだし、グランドルートもヒロインが陽菜ちゃんってことに気付いて、グランドルートをこの世界で続けるのであれば、もしかしたら一颯くんは帰って来るんじゃないかって思ったの」
「心春の話を聞いて驚いたわ。可能性は低いと思うし、期待するだけ損すると思っていたから頭の片隅に仕舞っておく程度だったわ。……でも、一颯が先ほど不自然な倒れ方をして、神様とやらの手抜きを考えたら十分あり得る話だと思ったわ。だって、既に完成しているのに、わざわざ別の世界を創り出すなんて、手間でしょう?」
シナリオを白紙のまま攻略させたあの神ならば、すでに攻略の終えている世界を再利用することに躊躇はないだろう。そもそもそれに問題があるとも思えない。むしろやりやすくなってありがたい。
俺の理解者がいて、一度は渡り歩いた世界をもう一度。あの続きの世界を見られるのであれば、それは楽しみだ。
相変わらず脳内のファイルにはほとんど何も書かれていなくて、序盤の動きがほんのわずかに存在するだけ。
俺は心春の膝から頭を上げ、上体を起こすと二人に向き直った。
「ゆっくりしたいところだけど、実は明日にはもうシナリオが進行するんだ」
「さっそくだね。それで、私たちにできることはあるのかな?」
「わたくしたちも最後まで見届けたいのよ。だから、出来ることがあれば手伝うわ」
二人の申し出に感謝の涙があふれそうだが、涙は先ほど流した。今は大事なシナリオ進行にしっかりとした打ち合わせをするべきだ。
「ありがとう。二人にはこれまで通りサポートをお願いします。それで次のシナリオなんですけど、愛陽が唯人と月宮さんに再度謎を提示するシナリオから始まります。なので、また変装の手伝いをお願いします」
花恋さんに向かって愛陽の姿になって欲しいとお願いすると、なぜか迷った様子で考え始めた。
「…………えっと、ね」
「どう……話したらいいのかしらね?」
「え? 俺、何か変なこと言いましたか?」
普通に手伝いをお願いしただけだと思ったのに、二人は顔を見合わせて、どうしたものかとさらに考え込んでしまった。
もしかして、俺がいない間に二人に心境の変化があったのか?
「もうずっとうちにいて馴染んでんでいたから言い忘れていたんだけどね。実は……」
心春が何か教えてくれようとしたその瞬間、俺の部屋の前を誰かが駆けていった音が聞こえる。
母さんではない。母さんが廊下を走るなんてありえないから。……じゃあ、だれだ?
「心春、直接見てもらった方が早いわ。呼んできましょう」
「そうですね。その方が早いですね」
訳も分からないまま、心春は廊下を走って階下に降りて行った人物を呼ぶ。すると、元気いっぱいに「はーい!」という声が聞こえ、どたどたと部屋まで走ってくる。
部屋に勢いよく入ってきて、俺はその人が誰かわからなかった。会ったことすらないと思った。
「お! 一颯、目が覚めたのか! では、ボクとゲームで遊ぶのじゃ!」
その口調を聞いて、サーッと全身の血が引いて冷えていく感覚を覚える。手の震えが止まらない。
「ま、まさか……」
「うん、実はね、一颯くんがいなくなってから数日後に、愛陽ちゃんが現れたの。それでいろいろあって、うちで世話をしているの」
膝裏まである長い黒髪、勝気にあふれた釣り目と口角の上がった笑顔。身長は俺と花恋さんの間くらいで、心春よりは少し低い。
ただ、服装は俺たちが愛用していたロングスカートではなく、簡素な緑のTシャツにデニムの短パン。黒のハイソックスを組み合わせた活発な少女といったイメージ。
「おお! 一颯はようやくこちらに戻ったな。なら改めてボクの自己紹介をするのじゃ」
ズキズキと頭痛がひどい。間違いない。すぐにアップデートがやってくる。
「ボクは愛陽。訳あって霜月家でお世話になっておる。年は一つ下じゃが、仲良くしてくれると嬉しいのじゃ!」
そこまで愛陽の言葉を聞き届けると、さすがに限界が来て、抵抗むなしく俺は隣にいた花恋さんの膝に倒れ込みながら、気絶した。
最終章です。
ブックマーク、ポイント評価等、よろしくお願いします。