190サラルート アフター
「そういえばさ、シナリオをすべて無視してここまで辿り着いたわけだけど、やり残したことって多すぎない?」
「ええと、例えばどんなことですか?」
冬が通り過ぎ、動物たちが冬眠から覚めようとする春。だけど少しだけ肌寒い中庭のベンチで肩を寄せ合って座る俺たちは、ついに手に入れた『これから』にわくわくしていた。
花恋さんの卒業が間近に迫ったとある一日。なんの変哲もないただの平日に、俺はふと数カ月ぶりに脳内のファイルを見返していた。
「サラと唯人が解くはずだった謎だよ。愛陽の正体を暴くってやつ。あれ、サラは答えを知っていたのか?」
「はい。なにせ、私と愛陽ちゃんは友達ですから、愛陽ちゃんの趣味や家族構成なんかも知っていますよ」
「なんだ、やっぱり知っていたのか。本当は舞台に出て、なんとかヒントを出していこうと思ったんだけど、意味なかったか」
「そうかもしれないですけど、どうしても違和感をあるんです。屋上で謎を提示された時、愛陽ちゃんは私のことを忘れてしまったのかと思うほど、私のことを見ていませんでした。だから、あれは愛陽ちゃんの姿をした別人なのでは? と疑っています」
すごいな、それは当たっている。
サラの友達である愛陽と、俺たちが構成した愛陽はおそらく別人だ。誤魔化した愛陽の姿ではサラのことを見てあげることもできないわけだ。
でもどうしようか……。このことをサラに話してもいいのだろうか?
既に物語は完結し、きっと今はアフターストーリーに当たる部分だろう。だからシナリオに矛盾が起きることはないはず。すべてを由緒正しき主人公様、唯人にすら話しても問題ないはずだ。だったら問題ないだろう。
「一颯さん? 愛陽ちゃんのことで何か知っているんですか?」
「まあな、実は愛陽の正体というのが、俺とサラで答えが違うんだ。だからそれをどう説明しようかと思って」
「答えが違う? それってどういう……」
「そうだな、サラの友達である愛陽は、身長はどれくらいだ?」
「身長ですか? えっと、私と同じくらいで、でも私よりは高くなかったです。ついでに暴れまわるのが大好きなわんこみたいな子です」
「後半は初めて知ったな。俺の知っている愛陽は俺より少し背が低いくらいで、花恋さんと同じ身長だ」
「ん? どういうことですか?」
分かるはずもない。まさか愛陽が二人どころか、合計で三人も存在しているとは思わないだろう。
サラの友達である愛陽、俺が変装した愛陽、そして、花恋さんの演じる愛陽は全員が違う。
「実は俺が愛陽なんだ。あと花恋さんも」
「……はい?」
「俺は女装が出来るんだ。勘違いしないでほしい、もちろん趣味じゃないぞ? 花恋さんに似合うからとさせられた女装の俺に名付けられたのが『愛陽』なんだ」
今ここに衣装はないから見せることはできないが、……そもそも見せたくはないが、せめてここに花恋さんか心春がいれば声だけ変えてみせるのだが。
「ちょっと待ってください! え? 愛陽ちゃんって一颯さんの女装だったんですか? それは無理があると思いますけど……」
「それがな、事実なんだよ。初めて愛陽が姿を現したあの舞台、俺の女装だぞ。初めてだったからセリフもないアンサンブルだけど、演劇部の本気のメイクを舐めてたよ」
驚愕して開いた口がふさがらない様子のサラ。俺だってこんなこと教えられたら目を見開いて呼吸を忘れているだろう。
「俺と花恋さんのどちらかが愛陽に変装し、変装していない方がそのサポートに就くことで正体を明かされないようにしてきたんだ」
「一颯さんの女装だなんて気付けるはずもないですよ。あれはまさしく女の子でした」
「身長だけ誤魔化せなくて俺は屈んで、花恋さんには少し踵を上げてもらっていたから、違和感は消せていたと思う」
サラが俺の顔をまじまじと見て、頬を引っ張ったり、腕の太さを確認する。まあこれだけで信用しきれることでもないから満足するまでされるがままにする。
一通り触り終えて、それでも納得がいかないのか、ゆっくりと首を傾けた。
「一颯さんの体つきは間違いなく男性のものです。この身体のどこから愛陽ちゃんが出来るんですか? それに声はどうしていたんですか?」
「服装ならゆったりしたものでどうにかなったし、声は……ちょっとした特技で、俺は女声が出せるんだ。花恋さんは俺に似せてくれた」
「絶対にその女声を出さないでくださいね。愛陽ちゃんのイメージがガタガタに崩れますから」
「だろうな、もうあの声を出すことはないだろうね。……残念ながら、この世界に愛陽はいないみたいだからな」
前の世界であれば、愛陽に該当する人物が存在していた。サラの友達であったことから、その人物は間違いなく本物の愛陽だ。そして、こちらの世界に変わった時、何かの理由で愛陽が姿を消し、俺と花恋さんが偽物の愛陽を演じた。
本物の愛陽がこちらの世界にいない理由は分からない。学校に所属してもいないし、友達のサラが探しても姿を現さない。
そこで辿り着いた答えは一つ。
「憶測だけど、愛陽はこちらの世界にやって来ていない。なんらかの理由で魂だけ向こうに取り残された」
しかし、サラは俺の考えを否定する。
「いいえ、一颯さん、それは違います。違うんです」
かぶりを振ったサラは遠い空を見上げ、少しだけ寂しそうな目でその理由を教えてくれた。
「前は敵対していて、答えを教えるわけにはいかないから黙っていましたけど、こちらの世界にも愛陽ちゃんはいます」
「いたのか? でも俺は姿を一度も見ていない」
「そりゃそうですよ。こちらの愛陽ちゃんはこの高校に在籍していませんから」
「じゃあ、サラはどこで愛陽を見つけたんだ?」
「直接この目で見たわけじゃないです。ですけど、ご家族に愛陽ちゃんはどこにいるか聞いたら、……教えてくれました。愛陽ちゃんは――」
俺は愛陽の居場所と真実を聞いて、サラと同じく青空を見上げた。近くの空を小鳥が数羽横切った。
「なるほど、そりゃ、見つからないわけだ、そんな所にいたら分かるはずもない。それ故に疑問に思うことも増えたけど」
愛陽が姿を現さない理由、そして、サラが愛陽を必死に探し回った理由がよく分かった。
本来俺が進むべきだったグランドルート、そこで愛陽の正体を明かすだけの意味があるとも理解した。
俺たちにはどうしようもないことだ。仕方がないけど、もし、正しき道を選んだ俺がいるならば、これはその俺に全てを託そう。どうか、愛陽の正体を暴いてやってくれ。
「もう、私たちが愛陽ちゃんを見つけることは叶わなくなりましたね」
「ああ、俺たちは答えを知ってしまった。だから物語は完結。これ以上俺たちに出来ることはない」
「はい。ちょっと寂しいですけど、私は私の幸福を大事にします」
「これからは健康にも気をつかっていかないとな。もうやり直しはなんてないんだから」
「ムキムキの一颯さんが見られるわけですね? そんな一颯さんに抱き締められるの、……どうしましょう、ちょっと興奮します」
「あはは、そこまで変わらないよ。俺は俺のまま、華奢な君をこれからも愛する細身の俺でいる。……そろそろ行こうか?」
ベンチから立ち上がる。一緒に立ち上がったサラが俺の腕を引っ張った。
「一颯さん!」
「なんだ?」
サラはすでに何度も口にして慣れてしまっているであろう言葉を、今回は口をわずかに震わせながら、少しだけ溜めて教えてくれた。
「好きです。これからも、ずっと大好きです!」
はにかむ彼女に見惚れて、つい視線を逸らしてしまった。
熱くなっていく頬を、昨年のクリスマスに彼女から貰った若葉色のマフラーで隠す。
恥ずかしさはあれど、彼女の言葉が嬉しくて、ちゃんと目を見て答えた。
「俺も好きだ。サラ、これからも、ずっと愛している」
手を伸ばし、銀髪に触れる。サラはもう、自分の髪を帽子で隠すことはない。
そこには、雪の結晶を泳ぐ蝶をあしらった銀色の髪留めが、彼女のことを守っている。
「じゃあ、行くか」
「はい!」
繰り返しの中で辿り着くはずのなかった俺たちのその後のお話。
これからの長い人生で上手くいかないことだって必ずやってくる。喧嘩だってそう遠くない未来だ。きっと意見が割れる。
そんな現実を想像出来て、だからそれがちょっとだけ楽しみだと思っているのは内緒だ。
初めての経験に揉まれて、繰り返すことのできない現実に幾度も悪態を吐くかもしれない。
それでも、ついに辿り着いた幸せを俺は絶対に手放さない。
だって、それが俺の選択だから。




