188サラルート わがまま
目覚めのいい朝とは裏腹に、空気というか雰囲気というか、何かしらの違和感を覚えた。
ただ、俺はその正体を知ってしまっているわけで、それを確認するためにすぐ横で気持ちよさそうに眠るサラの髪をなでる。
和風の宿、窓からは雑木林が覗き、朝の小鳥のさえずりが目覚まし代わりだった。
少し長いこと撫でていたせいか、サラがむず痒そうに瞼を押し上げた。
「おはよう、サラ、よく眠れた?」
「はい。おはようございます。一颯さん、おかげさまで快眠でした」
「それはよかった。昨日は思い出話に興じていたから遅くなっちゃったし」
「あれ? そんなこと話しましたっけ? メリークリスマスって簡単に祝って、それですぐに寝ませんでした?」
「ん? まあ、遅い時間だったから寝ぼけてたら覚えてないかもな。俺たちはこれまでの苦難とか、どうやってここまで辿り着いたのか振り返ったのを覚えてないか?」
サラはきょとんとして首を傾げるばかり、やはり違和感の正体はこれだ。サラは昨日のことを覚えていない。昨日は疲れていたし、いい夢でも見て上書きされたのかもしれない。快眠なのはいいことなのだが、せっかく思い出話をしたのに覚えていないのは少し寂しい。
「さ、朝食まであまり時間もないし、さっさと動こうか」
しかし、俺たちの最後の一日が容赦なく始まる。
……だけど、なんだろう? 違和感の正体は分かっているはずなのに、別の違和感も潜んでいるような気持ち悪さは。何か見落としているのか?
朝に弱い故、こんなこともあるだろうと服を着替える。部屋の鍵を閉めて、階段を降りる。
朝食は、ザ・和風といった感じで、味噌汁、ご飯、焼き鮭に漬物がテーブルに並び、他に納豆とかお粥などがバイキング形式で並んでいた。
これからも食べ歩きをする予定だから、あまり腹に詰め過ぎないよう絶品の朝食をいただき、少し腹ごなしをしつつ鍵をフロントに預けて宿を出た。
観光として人々の集まる有名な街だが、朝は静かなものだ。仕込み中の料理人や割烹着を着たおばちゃんが表を掃除している程度にしか姿を見ない。
もう少ししたら開店して人も一気に賑わうのだろう。今のもやもやとした気持ち的にこれは嵐の前の静けさなのかもしれない。
「今日はどこに行くんですか?」
「少しだけ歩くけど、目的地は最後だから、それまではのんびり観光でもしよう」
「そうですね、昨日は急いでいたから諦めた出店も多かったですよね。あ、向こうの通りにあったお団子とか、気になってました」
サラが指さした方には、昨日急ぎ足で通り過ぎた団子で有名な出店の通りがある。この時間はまだ開店していないが、昼食前に寄るとしよう。
「一颯さんとこうして遠くまで出かけるのは初めてですから、楽しいです」
銀髪を隠した大きな鍔付き帽子の下から見上げられ、口元がほころぶ。ああ、俺だって楽しい。
「昔もどこか出かけようかって話はしたけど、結局リセットされていけなかったんだよね?」
「えっと……リセット、ですか? すみません、覚えてないです」
「そうか、何度も繰り返した昔の話だからな、俺の記憶違いかも」
サラが首を傾げる。やはり何か話が噛み合っていない。寝ぼけているには時間が経ちすぎている。
そもそもサラは朝に強いはずだから寝ぼけるところを見たことがない。
人の少ない観光街を二人で歩く。手を繋ぎ、朝の散歩気分でどんどん街を離れていく。
やがて川が見えて来た。街を守る外堀みたいに流れる大きな川は、どうやら釣りが出来るみたいで釣竿を持ったおじさんたちが休日を利用して釣りをしていた。
俺たちが済んでいる所じゃまず見ない光景が珍しくて、近くのベンチでしばらくその光景を眺めていた。
すぐそこに見える大きな山と麓からゆったり流れる川は、見ているだけで時間の流れもゆったりと遅くなっていくように思えた。
釣りをしているおじさんたちは苦戦しているのか、なかなか釣竿に変化がないことも時間の流れが遅く感じる要因なのかもしれない。
「さっき鮭を食べたばかりなのに、またお魚が食べたくなってきました」
「たしか、どこかに海鮮丼の店があったよな? 今日の昼はそこにしよう」
サラはぼうっとして、穏やかに流れる川を見つめている。何を考えているのか、表情はあまり楽しそうではない。時折、口角を下げ、瞼を半分下ろした表情で何度か頷いている。眠いわけではなさそうだ。
「何か、悩みでもあるのか?」
そう声をかけると、サラは頭を俺の肩に乗せて来た。甘えたがりのサラがいつもやる行動だ。
「どうしてこんなにも一颯さんを好きになったんだろうって思いまして」
「もしかして、俺のことが嫌いになったのか!?」
「いえ! そういう訳じゃないんですよ! ただ、長い時間、ずっと追いかけていたような気がしまして、……あはは、おかしいですよね? 私たち、出会って一年も経ってないんですよ? なのに……」
分かっていたとはいえ、さすがにここからは見過ごせない。サラの言葉に俺から言えることは一つ。
「相変わらず、サラは恋愛が下手だな」
違和感の正体なんて大したことはなかった。難しく考えなくてもサラが俺を驚かせようとしていることは分かっていた。ただ、その規模の大きさに少し戸惑っていただけ。
「なっ、そんなことはないですよ、それなら一颯さんだって!」
「ああ、下手さ、そのせいで誰かを、そして自分さえも苦しめて、……でもさ、サラよりはマシだと思うよ」
「どうして、そんなこと言えるんですか?」
もう、とっくの間に知っている。サラの考えていることは、残念ながら、昨晩のアップデートによって分かり切っていたことなのだ。
「予定より早いけど、この先純粋に楽しめないのはつまらないから、あっさり暴露してしまうとさ、……サラ、下手に記憶がなくなったフリはしなくていいよ。下手すぎてすぐに分かっちゃったから。それが俺を驚かそうとしていることの正体だって、分かっているんだ」
「な、なんの事ですか? 私が記憶を無くしているだなんて、そんなわけ――」
「俺にだけシナリオの更新がきた。神様はもうこの世界に干渉しないはずなのに、それでも俺に最後の選択肢を与えてくれた」
サラが黙る。自身の胸元をきつく掴み、口を固く結ぶ。困惑を隠そうとしているのか、俺の肩に軽く頭突きをする。俺はその頭を軽く抱き寄せる。
「俺がサラルートをクリアすれば、サラは記憶を無くしてこの世界に留まり、俺はサラへの思いを全て取り払い、グランドルートへと進む。だから、サラは俺が迷いなくこの世界を去れるように記憶を無くしたフリをしようと思ったんだろ?」
川のせせらぎがサラの沈黙を数える。急かすようにおじさんたちの釣竿に魚がヒットし、大量とばかりにクーラーボックスに入れていた。
「はい。……私は心春先輩と二階堂先輩の大切な一颯さんを横取りしました。そして、これだけ幸せな時間を過ごせたのだから、もう満足です。だから、あとは一颯さんが最後に、さよならと一言、それだけ言ってくれれば、すべてが綺麗に収まるんです」
「本当に満足したのか? 俺たちはまだ学生だ、これから先は学生じゃ出来ないことだってまだまだ待っているのに、たったこれだけで満足したのか?」
「だって、これはゲームですから。主人公とヒロインが付き合い始めたところで完結する物語だって珍しくありません。私はそれから先の、幸せな学生生活を与えてくれたこの世界に、一颯さんに感謝しています。それだけです」
「うそが下手だな」
「うそじゃ、……ないです」
目尻に涙を浮かべながら何を言っているんだか。
「綺麗な終わり方をしたいというのは俺も同じだ。俺だって願うならこの世界を未練なく去りたい。たとえサラのことを忘れることになろうとも、サラとの思い出は確かに本物だったって、この胸に刻みつけてから去りたいさ」
サラの肩を抱く。我慢できなくなってポロポロと涙を零し始めたサラの頭を撫で、この胸に抱き寄せる。
「いやだぁ……、一颯さんと別れたくないよぉ、ここで、終わりたくないよぉ」
ついにこぼれたサラの感情を懸命に受け止める。不器用な俺にはこんなことしかできなくてごめんよ。
「ああ、俺だって終わりたくない。……サラ、今日の目的地まで、来てくれるか?」
「……イヤです。そこはもう、終着点ですから」
「そうか、……サラはやっぱり気付いていたよな。今日が最後の日だってことに」
「気付かないと思っていたんですか? これだけ今日のクリスマスを意識していたら分かります。だからここから動きたくないんです。今日まで隠していたのは、お別れが辛いからですよね?」
ズキズキと胸が悲鳴を上げて痛い。言いたいことをいま、この場ではっきりと言ってしまいたい。
でも、ここから先は“俺が作成したサラルートのシナリオ”だ。これの通りに進行させてもらう。
「終着点で俺の気持ちを聞いてくれないか?」
「イヤです」
「そんなこと言わずに……」
「イヤです!」
「男の一世一代の告白なんだが?」
「イヤですっ!」
「…………」
参ったな。これじゃあ最後に辿り着けない。いや、サラは最後に辿り着かせることを防いでいるのか。
「サラ、こんなところで最後を迎えたくない。泣き顔でお別れなんて寂しいのもイヤだ。そろそろ向かわないとゆっくり食べ歩きも出来ないぞ?」
「このままがいいです。何も変わらず、ここに留まり続けられれば、それで」
それはどちらの意味でここに留まっていたいのか。
「残念ながら、タイムリミットがある。このまま終わるより、俺もサラも満足する最後にしたい」
「……何時頃ですか?」
「夜の九時。少し遠いし、歩きもするから、二時間前には移動しないと間に合わない」
「…………分かりました。でも、それまでは一颯さんのこと、離しません」
「いいよ、サラの好きなようにしてくれ」
すると、サラは俺の腕を取ってベンチから立ち上がる。腕をぎゅっと掴まれたまま、観光街へと引っ張られながら戻っていく。
どこへ行くのかは聞かない。サラが俺と過ごしたい場所を見つけ、そこへ連れて行ってくれるなら俺はどこでもいい。
「私、最後の日でも普段通りに過ごしたいとは思わない人間です。だから、今日は特別なことをしようと思います」
「ほう、それはなんだ?」
「決めてません!」
「へ? 今なんと?」
「だから、決めてません! 最後の日だから、何をするか探す日にするんです。ね? 普通じゃないでしょう?」
「こりゃ驚いたな、でもなるほど、それは楽しそうだ」
もう、サラの笑顔に偽りはなかった。
最後の日であることを受け入れ、俺を連れ回すことにした。ははは、なんだ、やっぱりいつも通りなんじゃないか?
……でも、これがいい。これで、俺は最後の選択肢に辿り着いたことに素直な笑みを浮かべることが出来る。
次回でサラルートは完結します。長い寄り道だったかもしれませんが、最後までお付き合いいただけたら幸いです。