187サラルート メリークリスマス
時が止まってくれと願えば願うほど、時の流れは早く感じてしまうのはなぜだろうか。
一瞬にして夏が過ぎ去り、気が付けば葉が黄色と赤色に染まっていて、空気が徐々に低く乾燥していく。
割れた唇を必死にリップクリームを塗って治し、冬物を急いで取り揃えたら、木の葉はすっかり地に落ちていた。
これまでに何をしてきただろうか?
可能な限り、一生分の夏を今年に詰め込んだ。
プールにみんなを誘って遊んだ。唯人はいつの間にか小鳥遊先輩とも仲良くなっていて、城戸先輩や柊木先輩とかも誘ったら大所帯になったけど、それだけ賑やかな一日になった。
山にハイキングをしに行けば、頂上からの景色が綺麗で、サラとやまびこを試した。だけど、一番記憶に残っているのは、サラが用意してくれたサンドイッチが美味しかったこと。花より団子、結局綺麗な景色の中で食べるお弁当が最高だってことを知った。
二人で海に行った。季節外れで遊泳は禁止されていたけど、砂浜に佇む大きな麦わら帽子の彼女は可愛らしくて、真っ白なワンピース姿に見惚れた。馬鹿みたいにカップルごっこをして、誰もいない砂浜を二人で駆けたのは、今になって思い返すと少し恥ずかしい。
他にも思い出は山のようにある。語ればそれだけで終わりを迎えてしまいそうなほどに。
だからしばらく無言だった。朝一で電車に乗り、ガタゴトと揺られながら初めてやってきた土地へ、俺たちは二人でやってきた。
ひたすら北へ、今までに貯めたバイト代をすべて使って、それなりの宿に泊まり、美味しい物を食べながらその土地を観光する。
この頃には二人であそこに行こう、いや、こっちのほうが見てみたいとか、まるで喧嘩のように話し合い、じゃあ全部回ろう、とかなりな強行をやり遂げた。
そう、やり遂げた。これで俺たちは未練を残すことなくこの地を去れる。
左の薬指には惜しげもなく婚約指輪を嵌め、この日は宿で一夜を明かす。
布団を並べ、俺たちは手を繋ぎながら毛布を被る。明かりを消し、真っ暗な天井を見上げながら、俺は沈黙を嫌い、苦し紛れにマメ知識を披露する。
「サラ、知っているか、クリスマスって、イブの日が落ちる頃からクリスマスの日が落ちる頃までなんだってさ」
「そうなんですか? じゃあ、明日の夜景を見に行く頃にはクリスマスは終わっているってことなんですね」
「ああ、だけど、そんなことを気にして夜景を楽しむカップルなんて聞いたことがないから、俺たちも気にせず楽しもう」
「はい、もちろんです。……ねえ、一颯さん、ちょっとだけ、今までのことを振り返ってみませんか?」
「そうだな、それは面白いかもしれない」
俺たちの初めての出会い。遡れば、俺が主人公だった頃まで遡る。そこでは髪のせいで目立っていたサラを俺が一方的に知っていたことから始まる。
「あの時は本当に目立っていたよな。綺麗な銀髪にどれだけの視線を集めていたことやら」
「本当は髪を隠しながら高校生活を送りたかったんですけど、それだと逆に目立ちますから、この髪を受け入れてもらえることを期待していました。だけど……」
「皮肉なことに、俺たちの出会いはそれがきっかけだったな。倒れているサラを保健室に連れて行って、看病して、親衛隊を解散させるまで、はは、電撃のような速さだな」
よくたった一日でサラのいじめ問題を根本から解決しようと思ったものだ。
それからサラに懐かれて、当初は俺に依存しているとばかり思い込んでいた。
「あの時に食べたパンケーキ、美味かったな」
「懐かしいです。また作りますよ。中庭でデートするのも楽しかったですね」
「あの時はまだ付き合っていなかったけど、デートみたいなものか」
「はい。デートです」
それから同じような毎日が続く中で、俺のサラに対する感情が徐々に変化していって、人生を大きく変えた選択肢で、俺はサラを選んだ。
サラにとっては長いループの中でやっとつかみ取った自分のルートであり、そして、ここからが苦難の連続だった。
知らなかったとはいえ、シナリオで行動が定められていたとはいえ、サラには悪いことをしたなと思う。
膨大な選択肢を毎回正確に選び、主人公の性質上、誤った選択をする行動を正さなければならない。サラはそれに幾度も挑み、精神を擦り減らし続け、時には恋人らしい展開に歓喜しながらも、最後には玉砕してしまった。
「あれは一颯さんが悪いですよ。一日に選択肢が五個も出てくるイベントもありましたから、そこを突破するだけに何度ループしたことやら」
「ごめんよ、決してわざとじゃないから許してくれ」
「はい。私を永遠に愛してくれると誓ってくれたら許します」
「さり気なく愛が重いけど、それくらいお安い御用だ」
身体を翻し、サラの頬に手を添えながら額にキスをする。唇にして欲しかったと口をすぼませているだろうサラは、次の出会いについて話し出す。
「私がやけくそにシナリオを編集して、神様がこの世界の形に落ち着かせたんですよね。一颯さんがただのお友達ポジションに格下げされていることには絶望しました」
「俺にとってはここが始まりだったんだよな。もうその頃に何をしていたかなんてもうほとんど覚えていないけど、サラが何か怪しげな行動をしていたことは覚えているよ」
「あ、あの時は気持ちに余裕が無くて、それでもシナリオ通りの動きをしていたんですよ」
唯人に利尿作用の強いお茶を渡す。料理部をストーカーの如く覗き込む等、怪しさ満点の行動は何度もこの目にしてきた。
「唯人先輩の行動を把握しておかないとって思ってたら、まさか一颯さんに怪しまれていたなんて」
「唯人に熱心なんだなとは思ったよ。実際、唯人の部屋を片付けたのもサラだろ?」
「はい、あの部屋は情報の山でしたから、漁れば漁るほど今後のヒントがあふれ出てくるんです。唯人先輩の柔道着も一番最初に見つけていたので、それでシナリオは楽になりました」
サラが唯人のトラウマについて知っていたのは、それらしい情報を早い段階で手に入れていたからだったのか。
それからサラは永遠の時を繰り返すために、俺の妨害工作に移行し、準備を整えていた。
サラが真実を俺に告げた時は信じられなくて焦ったっけ。
「一颯さんを時間の牢獄に閉じ込めるための作戦は完璧だと思っていました。一颯さんさえ私の目の前に居てくれたらいい。だから唯人先輩のことが好きだと偽り、それらしい行動を見せていたのに、まさか神楽坂先輩に見破られているとは……」
「あいつは変なところで鋭いからな、少しでも違和感を見つけたら根元まで探られるぞ」
「ははは、そうですね、今回は何度睨まれたことですかね。でも、そのおかげで一颯さんは私に気付いてくれました。私も間違いを正せました」
「ずっと追いかけているうちに、いつの間にか好きになってた。それにしても、サラは恋愛が下手だったな」
「一颯さんだって、ずっと後回しにして、心春先輩と二階堂先輩を悲しませていたじゃないですか」
「それを言われると耳が痛いな。まあ、お互い不器用ながらもこうして幸せな毎日を送れているんだし、これでいいんだよ」
欠伸を一つ、伝播してサラも一つ。
もう夜も更けてきた頃、暗闇で横になっていれば自然と眠気はやって来る。
「もう、寝ましょうか? 明日はどこに行きましょうね」
「明日は行きたい場所があるんだ。そのために今日は他の行きたい所を全部回ったし、ゆっくりできそうだ」
「それは楽しみです。……私も一颯さんを驚かせるって約束、残ってますから」
「楽しみにしてる。でも、そう簡単には驚かされないぞ」
もぞもぞとサラが布団の中で動いて、繋いだ手を一度離してから腕に抱き着く。それは短時間のことで、十秒後にはまた離れて自分の枕に頭を乗せた。
「やっぱり一颯さんは暖かいです。こんなに寒い日はもっとくっ付いていたいです」
「ならこっちに来るか? ちょっと狭いが二人で寝られないこともないぞ」
「いえ、明日は一日中くっ付くつもりですので、今は我慢です。空腹は最高のスパイス、みたいな感じです」
なんとなく意味は分かるが、ちょっとずれているような気がしないでもない。
明日の朝に寝坊だけはしたくないから、俺たちは目を瞑る。
最後の日という実感は湧かない。ただ、最後でも普通で居られることがどれだけ幸せなことか。
「そういえば、まだ言ってないことがありました」
「なんだ?」
そっと繋がれた手を恋人繋ぎに変え、きゅっと力を込める。
「メリークリスマスです。一颯さん」
「ああ、メリークリスマス、サラ」
しばらくしてサラの穏やかな寝息が聞こえ、そして、俺は久方ぶりの激しい頭痛に耐えかねて、気絶した。