184サラルート 銀色の指輪
サラがカウンターに向かい、レジを担当していた男性店員と話をすると、その人がバックヤードに誰かを呼びに行った。
奥から明るい声が聞こえてきて姿を現したのは、やはりというか、あの時いろいろ便宜を図ってくれた女性店員だった。
もうずっと昔のことで記憶も曖昧なはずなのに、なぜかこの人のことは鮮明に覚えている。
「妹がお世話になっております。姉の神楽坂風香と申します」
聖羅と紛らわしいから名前で呼んで欲しいという彼女は、誰も聞いていないことを確認し、手で口元を隠しながらこそっと呟いた。
「あの、今日は店員ではなく、聖羅の姉としてお二人の接客をしても?」
「構いませんよ。なあ? サラ」
「はい、堅苦しいのは無しです」
「ありがとう。じゃあ、二人の恋愛話、たっぷり聞かせてね?」
だと思った。この人の恋路には目が無いからな。代わりに少しだけ色を付けてくれるみたいだけど……いいのかな?
今は客が落ち着いている時間で、俺たちの他に女性が二人いるだけ。他にも店員はいるから、風香さんに案内されていた。
「それで、二人はいつから付き合っているの? 出会ったのもいつか教えて欲しいな?」
「あ、えと、出会ったのは……私が高校に入学してひと月たった頃? でしたっけ? 一颯さん」
「え? ああ、そうだな、そうだったな、それで付き合い始めたのは七月の半ばだね」
出会った日なんていつの事なのか分からなくて、打ち合わせもしていない。だから互いに祖語の生まれないよう協力して今回のループでの俺たちを形成していく。
「それじゃあ、まだ初々しい頃ね。私も今は彼氏がいるんだけど、ちゃんと捕まえておかないと熱が冷めちゃうから、定期的な誘惑は大事だからね?」
「は、はい! 覚えておきます」
「本人を前に話したら意味なくないですか?」
風香さんに根掘り葉掘り聞きだされ、そろそろぼろが出てくるかもと冷汗をかき始めた頃に、俺たちはとあるアクセサリーに目を惹かれた。
「一颯さん……これ」
「ああ、綺麗だな」
それはウィンドウケースに収められ、それでもガラスを貫通して輝きを放つプラチナ色のペアリングだった。
値段を見れば当然だが想像以上に桁が違い、だけど、それを見ているだけで俺たちは心を奪われてしまった。
そのペアリングには薄く模様が彫られていて、二つを合わせると雪の結晶が出来上がる仕様になっていた。
今は手に取ることは出来なくとも、いつかこんな綺麗なペアリングを指に嵌められたらと思うと胸が高鳴る。
「ふふ、本当に仲がいいのね、気が早いかもしれないけど、婚約指輪とか考えてみる?」
「いいかもしれない。高校生の俺たちには結婚までは難しいけど、今のうちに将来を誓うのなら、悪くないと思う」
「でも、一つ忠告! あなたたちは別に許嫁というわけではないのよね? 出会って間もないし、互いのことはこれから知っていくことになるでしょう。私が提案したのもなんだけど、今のうちというのは後悔することになるかもしれない」
それでも覚悟があるなら、……風香さんの目は真剣だった。もしかして、俺たちみたいな若い客を何度も目にしてきたのかもしれない。
若くて、付き合いたてのカップルの早計な判断が自分を苦しめてしまうことがいままでにあったのかもしれない。
たしかに付き合い始めてわずかな俺たちは、まだ初々しい時期を抜け出せていない。
「風香さん、あなたには俺が何を言っているのか分からないと思いますが、俺たちは途方もないほど長い時間を掛けてお互いを知り、こんな言い方しかできませんが、互いの本性だって見せ合いました。その上でお互いを一生愛することを誓っています」
サラが俺の手を握ってコクコクと頷いた。あれだけの過去があったから俺たちは繋がった。反発するだけだと思っていたのに、今じゃこんなにもサラが愛おしい。
「びっくり! 聖羅に聞いていた以上にラブラブね。それにもうお互いを知っているなら大丈夫かな? ……いいなぁ、私の彼氏なんて付き合って三年も経つのに婚姻の話を一切持ち出さないのよ。あ、待ってて、あなた達にちょうどよさそうなのを見繕ってくるから」
一体聖羅は俺たちのことをどのように風香さんに紹介したのか気になるが、聖羅の見ている以上に俺たちの仲がいいと分かって嬉しかった。
風香さんが戻ってきた時、手には小さなリングケースがいつくか乗せられていた。
「サンプルで保管している物だから、気になったら指に嵌めてみてもいいからね。もちろん本気なら購入も考えてくれると嬉しいけど、学生が手を出すには少しお高いかな」
「婚約指輪って俗に言う『給料三か月分』ってやつですよね? バイトし始めた俺には厳しいかもです」
「でも、これとかすごくキレイ。もしかしてダイヤモンドですか?」
サラが丁寧な手つきで手に取ったのは、銀色のリングにカットされた綺麗な石が嵌め込まれたものだ。5ミリくらいでとても小さく、だけど輝きはどの宝石よりも勝っているように思えた。
「そうだよ、これはダイヤモンド。0.7カラットのダイヤだけど、これでも十分綺麗でしょ?」
風香さんに許可を貰い、サラが恐る恐る指輪を左手の薬指に嵌めた。
細い指のサラにはサイズが大きくて、リングがくるんと横を向いてしまうが、指輪をしているだけでサラがいつもより大人に見えた。
指輪に憧れるこの女性のために、俺はいつかこの指輪を堂々と購入することは出来るだろうか?
「一颯さん、似合いますか?」
小指と中指で薬指に通したリングを抑え、手の甲側に位置を落ち着かせたダイヤの指輪を見せながらサラが照れくさそうにはにかんだ。
「ああ、似合う。世界中の誰よりも、サラが一番似合うよ」
「大げさですよ……、でもありがとうございます。嬉しいです!」
俺も試しに着けてみようかとも思ったが、自分で購入してもいないのに、サラと揃って指輪を嵌めることに抵抗があった。一緒に嵌めて幸福に酔い痴れるのは、自分のものにしてからがいい。
「どうですか? ペアリングは気に入りましたか?」
ここで、風香さんの店員としても口調に戻って、サラが慌てて指輪をリングケースに戻した。
「うふふ、別に怒っているわけじゃないです。もし、お二人がダイヤモンドにこだわりが無ければ、学生でもぎりぎり手が出せるくらいのペアリングを紹介できますが……いかがなさいますか?」
「お、お願いします! いいですよね、一颯さん?」
「もちろんだ。俺だって見てみたい」
風香さんが再びバックヤードに下がり、藍色のリングケースを一つ持ってきた。
コトンと机に置き、焦らすようにゆっくりと蓋を開けると、そこには銀色の……変哲もない普通の指輪が収められていた。
風香さんが白い手袋を着け、指輪をリングケースから取り出したのを見てみても、技巧など一切ない、シンプルに丸い指輪だった。
「さっきのと比べたらこれは玩具に思えるかもしれないけれど、この指輪はちゃんとした素材で加工された代物よ」
「でも、それだったらお高いんじゃ?」
「たしかにそれなりのお値段だけど、……実はこれ、見た目だけなの。指輪ってプラチナやパラジウム、チタンとかが素材に使われるんだけど、混ぜ物が多くて純度100パーじゃないし、ダイヤ類の宝石も付いていない。安く加工したというより、この値段になるように限界まで抑えて加工された品物なの」
これで混ぜ物が多いだなんて思えないほど綺麗な銀色。天井のライトにかざしてみても鏡のように曇りのない輝きを持っている。
風香さんに提示された値段を見て俺たちは驚いた。こだわりがなくてシンプルな形をしているとはいえ、この値段でいいのかと思うほどに。まあ確実に財布は軽くなるのだが、ここまできて迷う理由はなかった。
「これ、ください!」
もし俺が購入を渋っていたらサラが財布を取り出そうとしていたところだった。男としてなんとか威厳は見せられただろうか?
「ありがとうございます。……ぶっちゃけこれ、ぎりぎりを攻め過ぎて赤字もぎりぎりなのよ。再販もする予定はないみたいで、これがうちにある最後のペアリングよ」
俺たちがやって来ることを見越してとっておいてくれたのかもしれない。偶然売れ残っていたのかは不明だが、俺たちはタイミングが良かったらしい。
俺たちの指のサイズとピッタリなのはどうしてか分からないが、サラと顔を見合わせたらなんとなく答えが分かった。
あの神は俺たちがカップルになるかもしれない展開を予想していた節があった。もしかしたら、指のサイズについてはあらかじめ用意されたシナリオだったのかもしれない。
「指に嵌める時はプライベートの時だけにしないと、学校で先生に没収されちゃうからね」
「分かっています。これを指に嵌める時は、サラと二人きりの時だけです」
「それか、二人でデートする時です」
会計を済まし、店のブランド名が入った紙袋を渡され、その中に入っている指輪の箱の重さを噛み締める。
人によってはこの重さを巨岩よりも重いと感じるかもしれない。だけど俺には物相応以上に軽く感じた。
俺にはもう後がないのではなく、前に進むだけだから、このペアリングは通過点にしか過ぎない。責任の重さを感じるよりは、幸福の重さに押しつぶされた方がよっぽど嬉しい。
「そうだ、最後に二人からは、ラブパワーを少し分けてくれない?」
「なんですかそれ? ラブパワー?」
「うん、二人を見てたらさ、さっさと結婚したくなっちゃって。今日の夜にでも彼氏に告白するから勇気が欲しいの」
「そういうことなら……どうやる? サラ」
「えっと、じゃあ、一颯さん、手でハートマークを作りましょう」
サラが胸元に手でハートを作り、可愛くウインク。恥ずかしながら俺も倣って手でハートを作り、不器用にウインク。
もう一度サラと合わせてウインク。
「えっと……これでいいですか?」
これで風香さんは満足してくれたらしく、覚悟を決めたように力強く拳を握った。
「ありがとう。これならフラれる気がしないわ。彼氏がヘタレたら既成事実を作ってでも婚姻届けにハンコを押させるわ」
「が、頑張ってください。応援しています」
余談だが、数か月後に聖羅から「姉が一颯のおかげで妊娠したんだって、結婚についてもありがとうだってさ」と誤解を生みそうな連絡を寄越し、案の定、隣にいたサラが頬を膨らませながら俺の胸を拳で軽く何度も叩いた。それがとても可愛くて、受け止めたサラの左の拳を開かせ、薬指の付け根に収まっている銀色の指輪を優しく撫でた。
近いうちに投稿ペース上げられるかもしれないです。