177〈サラ〉始まりの日
私はノベルゲームというものをプレイしたことがなかった。そもそもゲームにはあまり興味が無くて、家にいる時は大抵、パパのパソコンを借りて可愛い猫の動画か、お菓子作りの動画を真似てお菓子を焼くことに没頭するくらいが私の趣味だった。
友達はいない。声をかければ少し話してくれる子はいたけども、向こうから近寄ってくることはなかった。
私はこの銀色の髪が嫌いだった。滅多に見かけない外国人だなんて、どの年代からもひそひそと遠巻きに噂されるだけ。人によっては物珍しさを目当てに近寄って来て、時には悪意を持ってやってくる輩もいた。
この髪が銀色というだけで、私は天使にも悪魔の遣いにもされて、信仰されたり、忌み嫌われたりもした。
私に助けてくれる人はいなくて、だからいつも一人で解決していた。いたいけな少女を演じれば、警察は動いてくれたし、先生だってクラスで真面目を装えば全部信じてくれた。私には好意で助けてくれる人も信じられる人もいないのに、利用できる人だけはたくさんいた。
だけど、一人で解決するには限度があった。小学生の頃は杜撰な行動ばかりで証拠なんていくらでも集まったけど、高校生にもなると、こういうずる賢さだけは一人前になっていく。
注意しているのに、最初の一回がどうしても防げない。私は何もしていないのに、勝手に親衛隊という組織が設立されて、私に付きまとってくる。そのくせ他の女子への牽制や監視は怠っている。
クラスのボスは強かった。交際一年ほどの彼氏が私の親衛隊に所属していると聞いて、その日のうちに私は人気のない女子トイレに連れ込まれた。
他にも金魚の糞みたいに数人の女子が付いて来て、罵詈雑言をいつまでも投げつけられたと思ったら、突然、頭からバケツの水を掛けられた。
冷たくて、最近は体調不良が続いていたから余計に寒気がして、その場に崩れ落ちてもお構いなしにまた水を掛けられた。
汚い上履きで踏みつけられ、吐瀉しても容赦なく踏みつけられた。
嫌いだった銀髪を踏みにじられ、ボスがハサミを取り出した時はホッとしてしまった。
(これで私は解放される)
抵抗せず、なぜか満足している私にむかついたのだろう。ボスは私を殴って捨てた。
後頭部を打ち付け、意識が朦朧とする。誰かがトイレに駆け込んできた。
せっかくのチャンスなのに、ボスたちは何か慌てた様子でトイレから出て行ってしまった。きっと私の髪にはそういう呪いが掛かっている。
やっと解放されると思っていたから、こんな状況でも残念だと思った。だけど、我慢したおかげで証拠は集まった。これを先生に提出すれば間違いなくあの子たちは終わり。私はクラスの腫れものとして一人高校生活を送るのだ。
だから、どうにかして教室に向かわないといけないのに、なんでだろう? 身体が思い通りに動かない。
掃除されていない汚い床を這って、残った体力の全てを使って辿り着いたのは、やっとトイレの入り口だった。
こんな誰も使用しない女子トイレにやってくる人なんているはずがない。私を見つけた時にはもう手遅れなんだ。
もうどうでもいいやと諦めて、寒いのに、熱が籠った頬をリノリウムの床に押し付ける。
……ひんやりしていて気持ちいい。熱が床に吸い込まれていく感覚、それだけで私が意識を手放すのには十分だった。
身体が激しく揺れている気がして少しだけ意識が戻った。でも目は開けられず、聞こえる音もわずか。夢だと思ったけど、誰かに横抱きにされている感覚だけは本物だと分かった。
「一颯くん、鍵開いてたよ! 先生もいるから大丈夫」
「分かった。……せっかく綺麗な銀髪なのに、可哀そうだな。どうにか綺麗にしてあげられないか?」
「今は早く身体を拭いてあげないと、もうこの子、風邪引いちゃってるよ。髪はちゃんと洗ってあげるから、急いで」
男女の声は落ち着いているようで早口だった。
男子の声が私の髪を綺麗だと形容してくれて、それが初めてのことだと思った。
私の銀髪は忌々しいとか、逆に神々しいとか、両極端な形容しか聞いたことがなかった。まっすぐに、ど真ん中な褒めをされたのは初めてだったのだ。
それがどんなに嬉しかったか、だけど意識はすぐに途絶えた。
目を覚ました時、目の前に知らない男子生徒がいたことに少なからず驚いた。でも、この人が私をここまで運んでくれたんだと察して、まずはお礼を述べた。
隣にいる女子生徒は彼女さんだろうか? なんにせよ、私のことを気味悪く思わないで、目が覚めるまで様子を見てくれた二人に、だけどふさわしい感謝の言葉が思い浮かばない。
何があったのか話してくれないか? と聞かれて、どうせ一人の高校生活を送るくらいなら、一縷の望みに掛けてみようと思った。
でも、そんなに期待はしていない。私のために動いてくれた二人なら、もしかしたら私の話し相手になってくれるかもくらいにしか期待していなかった。
私がありのまま話し終えると、予想通り難しい顔をして悩み始めた。こんな面倒な女に関わると碌なことがないって考えているのかな?
禄でもないならそれはそれで、翌日に意地を張って体調不良のまま登校すると、親衛隊の隊長として部隊を指示いた男子が私に頭を下げて謝罪してきたことに、これは風邪による幻覚と幻聴だと勘違いしてしまった。
まさか昨日の今日で目障りだった親衛隊が解散しているとは夢にも思わなかったのだ。
誰が解散させたのか隊長だった男子に聞くと、霜月兄妹の名前が出てきて、その人たちは校内でそれなりに有名な二人だということを知った。
またお礼をしなければと教室を飛び出すが、私の体調は当然回復していなくて、足をもつれさせてその場に倒れた私は保健の先生に早退を命じられてしまった。
だが、驚くことはまだある。親衛隊が解散して以降、私への嫌がらせはピタリと止んだのだ。
相変わらず多くの女子が視線を合わせてくれないし、無視もされる。だけど、どこかに連れていかれるとか、ノートを破かれるようなことはされなくなった。
これもあの人たちのおかげだ! と気付いた時はもう放課後で、二年生のフロアに顔を出した時には霜月先輩たちは既にいなかった。
「ん? 君は一颯たちが助けた子じゃん、なになに? 一颯と心春に何か用があった?」
教室を覗くと、いかにもな金髪のギャルが声をかけてきた。明るい雰囲気で、染めているのだろうけど、髪色が目立っていても私と違って周りから人気のありそうなこの人は、どうやら霜月先輩のお友達のようだった。
「あの、霜月先輩たちがどこにいるか分かりますか?」
「うわ、声可愛いね。えと、心春は商店街で買い物だったかな? 一颯は今日部活ないし……あ、いた、あそこだよ」
ギャルの方が廊下に出て窓から階下を見下ろして中庭を指さした。そこには霜月先輩が一人ベンチでぼうっとしているのが見えた。
「あ、ありがとうございます!」
「うんうん、行ってらっしゃい」
階段を駆け下りて、乱れた息を整えてから中庭に足を踏み入れる。どうしてか恥ずかしくて、霜月先輩の背後から気付かれないように近づいた。
「あ、あのー、霜月先輩? ……あれ? 寝てる」
そうっと近づいたのは何のためだったのか、一人で何をしているんだろうなと思いつつ、私は、周りに誰もいないのを確認して、えいやっと霜月先輩の隣に座った。
(お、思ったより恥ずかしい)
一つ年上の私を助けてくれた男の先輩の隣にいることがこんなにも恥ずかしくて、嬉しいことだなんて、初めて知った。
私はこの人に初めてなことを貰ってばかりだ。初めての感情、私はどうしてしまったのだろうか?
そして、このまま時間は過ぎていき、校内が静かになった夕暮れ、霜月先輩はやっと目を覚ました。
「んあ? もうこんな時間か……って、三好さん?」
「あ、はい。すみません、どうしてもお礼を言いたくて、隣で勝手に待たせてもらいました」
「いや、それくらいいいんだけど、話があるなら起こしてくれてよかったんだぞ」
「そんな! 気持ちよさそうに眠っていたので、起こすのがもったいないといいますか」
「まあ、ここは暑いけど寝心地のいい場所だからな。えっと、お礼……だっけ? 俺が何かしたっけ?」
本当は分かっているくせに、惚ける霜月先輩は嘘が下手みたいだ。視線は斜め上を向いているし、かなりの棒読みだった。
「私の周りの事、霜月先輩が解決してくれたんですよね? 本当にありがとうございました」
「なんのことだか分からないな。もしかしたら心春が何かやってくれたのかもしれないぞ?」
あくまではぐらかすつもりの霜月先輩には、今後、幾度に渡って感謝の言葉を伝え続け、やっと認めてくれるようになる。
その間には私がお二人と、あのギャルの方に感謝しなくてはならない事が増えて、私の高校生活はどんどん色づいていった。
まさか愛陽ちゃん以外に私に友達が出来るなんて思ってもみなかった。愛陽ちゃんは神出鬼没で、相変わらずどこにいるかも分からないけど、きっと今日もどこかを楽しく駆け回っているのだろうな。
私にもあれだけの勇気があれば独りぼっちも寂しくなかったかもしれないのに。
感謝しなくてはならないことが多すぎて、毎日のように霜月先輩に会っていたら、いつの間にか互いに名前で呼ぶような関係になっていた。
一颯先輩と心春先輩。同じ苗字でも義兄妹の関係と聞いてホッとした。二人が付き合っていないと聞いてもっと安心した。どうして?
この気持ちの正体を知ったのはこの翌日の放課後、たまに広い空を眺めたくて屋上に忍び込んだ時だった。
「え? だれ?」
この日、私の人生は悲鳴の声をあげながら歪み始めた。
神を名乗る若い男性の声が私を惑わせる。この世界がゲームという情報で構成されていて、私はメインヒロインという役割を与えられた。
心春先輩と、二階堂先輩を一颯先輩の恋人にすれば、最後に私が一颯先輩と付き合うことが出来ると聞いて、初めは戸惑ったものの、最後に勝利するのが私であればと、無理に納得した。
シナリオというモノが存在していて、それになぞらえて毎日を過ごしていけばすぐに終わるものだと、最初はそう楽観視していた。
実際、心春先輩はすぐに一颯先輩と付き合い始め、無難に心春ルートをクリアした。いつも仲良しだった二人がやっとくっついて嬉しいという感情と同時に、ちくりと胸が痛んだ。
ここで初めて時間が巻き戻る感覚に何かを失う感覚が付き纏ったが、それ以上に違和感はなく、勢いそのままに花恋ルートに突入した。
だけど、選択肢の誘導が上手くいかず、花恋ルートではなく、またしても心春ルートへと突入してしまった。
それだけならまたやり直せばいいとなんとかメンタルを保っていたが、このゲームにはバッドエンドが存在していた。
「え? 一颯先輩が、心春先輩と……心中?」
脳内のファイルが更新され、バッドエンドが解放される。正しい手順で心春ルートに突入しない限り、必ずバッドエンドにされてしまう。そんなこと聞いてもないし、知らなかった。
その後、なんとかやり直し一度で花恋ルートを攻略した私は、それだけでかなりメンタルがやられていた。
でも、これでやっと一颯先輩は私を見てくれる。私に触れてくれる。そんな歓喜に夜は眠れない毎日だった。
しかし、私に設定されたシナリオは、鬼畜と言っても過言ではないほど、無理難題が並んでいた。
これを一つひとつ攻略していくことにどれだけの時間を費やしたことか。やがて、いつまで経っても見えないゴールに、私の心は折れてしまった。
求めていた日々の一部を得ることは出来ても、その先がない。一颯さんと女の悦びを何度か経験させてもらったが、それはハッピーエンドへは繋がらない選択だった。私が望んだ未来はもっと先まで二人でずっと一緒にいられる関係。
心が折れ、不登校となって部屋の中で膝を抱えてひたすらに脳内のファイルを漁っていると、ファイルの奥の方に編集ボタンを見つけた。
まさかと思ってそれに意識を集中させるとパソコンのカーソルみたいなものがでてきて、恐る恐る消してみたいと念じてみれば抵抗なく文字が消えた。
「え? これって私がシナリオを変えられる?」
それに気づいた私は一心不乱にシナリオを書き換えた。イヤなシナリオは消去し、自分に都合のいいように書き換えた。
何ページもあるシナリオを流し読みで編集していくと、そこに新たなシナリオを見つけた。
「え? これって、新しいゲームのシナリオ? そ、そんな、また繰り返すの? ……させない! 全部消してやる!」
怒りに任せて各ヒロインのシナリオを全部削除する。共通シナリオとは分かれていたからまとめて消せなくて、次はこっちだ! と目の前の共通シナリオの選択肢一つを消去できた瞬間、ロックがかけられた。
バレた! と思った時にはページを元のこちら側のシナリオに戻し、何を消したのか見られたら困るから、私たちのシナリオをすべて、背景?の黒色で塗りつぶしたのだ。
その瞬間、私の意識はいつもの『数字の海』に放り出され、光が見えて現実に戻ってきた時、その日は六月二十五日、この日最後の授業である理科室での化学の授業だった。
すでに過去編をやったのに、またしても過去に話が飛んでいます。それでも相変わらずの本編です。