171添い寝
部活で寮長も副寮長もいないため、今日の女子寮を担当していた先生に許可を貰って女子の花園こと女子寮に失礼する。
サラの部屋は階段を上がって四階の左側から三つ目に位置している。今年の一年生は実家通いの生徒が多く、ほとんどの部屋の両隣が空き部屋となっているから気楽に過ごせているみたいだ。それにしても寮が広すぎる。
可愛らしいクマのマスコットキーホルダーが付いた鍵で開けると「少し待っていてください」と先に中へと入っていった。
しばらくして出て来たサラは俺を招く。部屋の中は俺が主人公だったときとほとんど変わらず、飾り気のない白い壁に小さなテーブルとシンプルな木製の机、壁際にはベッドと並んで座椅子が鎮座していた。
「お邪魔します。いつ見てもシンプルに……散らかっているな」
飾り気はなくとも床だけは別だった。
「こ、これでも片付けている方なんです! 他人の部屋を片付けるのは好きでも自分のはちょっと苦手なだけで……」
「面倒なだけだろ?」
「はい」
素直に認めたサラの部屋は、家具こそシンプルだがお菓子のゴミや衣服が散乱している。
おそらく下着類も落ちていたんだろうが、流石に見当たらない。……探したわけじゃないぞ?
「座る場所がないので一颯先輩はそこのベッドに腰かけてください。今お菓子を用意しますね」
「綺麗に食べられる自信はないから床でいいぞ? ほら……少し片付ければ余裕で――」
「気にしないでください! どうせ明日洗濯する布団ですから、どうぞそちらで」
「わ、分かった……。そうさせてもらうよ」
俺が部屋を片付けようとするのを全力で阻止される。まだ見られたくないものでも散乱しているのだろうか?
部屋の主がベッドに座っていろと言うのだから仕方ない、従っておこう。
改めてベッドに腰かけて待っていると、サラがお盆に紅茶の入ったカップと、事実ならば賞味期限が間近のロールケーキを乗せて、器用に床の見える場所だけを歩いて運んできた。
テーブルに並んだロールケーキを見て、思ったことをサラに聞いた。
「あれ? これってもしかして、サラの手作りか?」
「はい、言ってませんでしたっけ? 先週の休みに料理部でお菓子作り教室が開かれていたので参加したんです。ちょっと張り切っちゃって作りすぎたので、でもおすそ分けするお友達もいませんから」
「その皮肉はフォロー出来ないからやめてくれよ。……でもどうして友達を作ろうとしないんだ?」
「それは……内緒です」
意外なことでサラは教えてくれなかった。友達を作らないことに深い理由があるとも思えないが、単にいないことが恥ずかしいのかもしれない。これ以上聞くのはやめよう。
ロールケーキをフォークで切り分け、一口食べてみる。
手作り感が窺える優しく甘いクリームと、少し酸味の利いたオレンジやキウイが大きめに入っていて、クリームの甘さとそれらを包むスポンジ生地が日が経っているとは思えないほどにふんわりしている。紅茶も共に頂けば完璧なティータイムだ。
「どうですか? 元カノの手作りお菓子は?」
「元カノの部分はともかく……美味い。さすがお菓子作りは得意なだけあるな。またパンケーキも食べたくなったよ」
「覚えていたんですね。私が一颯先輩に初めて作ったお菓子ですし、それくらいいつでも作ってあげますよ」
紅茶はミルクと砂糖の入った甘いミルクティ。ストレートで嗜んでも美味しいだろうが、これはこれで満足だ。
輪切りのロールケーキを二切れ食べ終わると、そろそろ本題に移ろうと席を外していたサラに声をかける。
「おーい、サラ、ちょっといいか?」
「すみません、少しお待ちください」
着替えでもしているのか脱衣所から衣擦れのスルスルとした音が聞こえる。覗くわけにもいかないのでこのまま座って待っていると、甘いものを食べたせいか眠気が襲ってくる。
眠気のせいか急にまともな思考が働かなくなり、このままでは満足に説明も出来ないから日を改めようと立ち上がると、なぜか目の前がふらついて慌ててベッドに崩れるように座り直した。
「あれ? なんで……」
何か、明らかに体調がおかしい。
「眠いんですか? 一颯先輩」
脱衣所から戻ってきたサラは、……なぜか寝間着姿だった。
透けていないワンピースのようなネグリジェは清楚な若葉色で、これから就寝する気満々のサラは、ぼうっとしてふらつく俺の身体を支えてベッドに寝転がした。身体に力がほとんど入らないほど眠い。
「なにを、した?」
活舌もあやふやにサラを睨むと、俺の頭は共に横になったサラの小ぶりな胸に抱かれ、ゆっくり後頭部を撫でられる。抵抗するだけの力も残されていない。
「ミルクティに私が愛用している睡眠薬を投入しておきました。健康に害はありませんし、明日の朝までぐっすり眠れますから安心してください」
何も安心できるとは思えないが、サラに頭を抱えられて、クーラーの利いた部屋で暖かい毛布を掛けられてしまえば抗うことはできない。
そのまま意識はずぶずぶと沈んでいき、夢の中へ手招きされるようなサラの優しい子守歌に瞼を下ろした。
それからどのくらい寝ていたのか分からない。カーテンは開かれたままで、眩い光がきらきらと星のような瞬きを見せながら部屋に差し込んでいた。
少しばかりの頭痛にこめかみを手で押さえながら上体を起こすと、案の定、胸元にはサラが抱き着いていた。
子猫のように膝を丸めて俺の脚に絡みつき、ネグリジェをわずかにはだけさせながらも寝息は穏やかで俺が安心するほど。丸見えの肩がミルク色で魅惑的だが、俺にそれをどうこうする度胸は持ち合わせていない。
「俺に抱き着くときだけぐっすり寝られる体質は相変わらずか?」
安心しきった寝顔の頬を指先で軽くつつくと、くすぐったそうに手の甲で猫のように擦った。
今更になって思い出したことだが、普段は眠りの浅いサラは翌日が休みの時に睡眠薬を服用している。もちろん医者の診断を受けての服用だ。
ループの末にストレスでまともに睡眠が摂れなくなった弊害で、だけどなぜか俺に抱き着いたときはよく眠れるらしい。ずっと我慢して薬を服用していたのか。
それを耐性の一切ない俺に盛ることで利用したということだ。一緒に寝てくださいなんて言われても断ることは目に見えているから強引な手段を用いたわけか。
抱き着かれたままだから動くことはできないが、ぎりぎり手の届くテーブルの端に取り上げられた俺の携帯と、これは……手紙だろうか? サラから俺当ての手紙が添えてあった。
先に心春か花恋さんの助けを呼ぼうかと思ったけど、手紙の内容が気になってこちらを先に確認する。
二つ折りにされた手紙を開くと、内容は主に謝罪だった。
『一颯先輩を騙すようなことをしてごめんなさい。どうしても最近、夜に眠れないのが辛くて利用してしまいました。心春先輩と二階堂先輩には今回の事情を全てお話し、謝罪して納得してもらっているので安心してください。きっとお腹が空いていると思いますので、食堂の大盛り無料券を机に置いておきます。お好きに持っていってください。
PS:おそらくお昼過ぎまで起きませんので私のことは気にせず、無理やり引きはがして構いません』
机には空のコップの下に挟まれる形で小さな長方形のチケットが三枚ほど敷かれていた。あれが大盛り無料券だろう。昨日の夕方頃から何も食べていないからお腹がペコペコだ。ありがたく貰おう。
「でもなー……、これを引き離すのって勇気がいるよな?」
お気に入りの抱き枕の如く全身で抱き着かれ、ぎゅっと服を掴まれている。離れて欲しくないと言わんばかりに必死に訴えているようにも思えるし、無理やり引き離せばこの穏やかな寝顔が崩れてしまうのではと不安になる。
「……どうして不安になるんだ?」
俺はサラに幸せになって欲しいと願っている。だから満足する睡眠も幸せの一つと考えていいだろうが、それを俺が叶えては意味がない。サラにとって憎き邪魔者として徹底しなくてはならないのに、俺がサラの心配をしている余裕はないはずだ。
サラが気にしないがために、俺はサラの恋人だったあの時の感覚を取り戻しつつある。
「やっぱり動けないな」
答えは出た。だけど正解ではない。間違った答えと分かっていてこれを選ぶ。
今だけはヒロインがサラで、俺が主人公でもいいだろう。だってこの世界の主人公はいつも間違った選択をするのだから。
今章もそろそろ後半となります。
ブックマーク、ポイント評価等、よろしくお願いします。