168弱み
変り映えのない普段通りの放課後、心春のクラスは相変わらず先生の話が長いらしく今日も教室で心春がやってくるのを待っていた。
何度も繰り返し聞いて飽きた会話を顔に出ないよう明るく聞き流していると、唯人がふと、何か思い出したかのように俺の腕を突いた。
「なあ、最近サラちゃんと何かあったか?」
「え? ……いや、何もないけど」
この前の看病があったとはいえ、それを唯人に知られてはちょっと不都合だ。若干の間が空いたことに冷汗をかきつつも平常心を保ち惚けた。
「そうか? 今日の昼休みなんか一颯の名前を出したら露骨に表情が暗くなった気がしたからさ、喧嘩でもしたんじゃないかと思って」
「唯人のことを気に入っているのに他のやつの名前なんか出したからだろ、サラにとって俺はどうでもいいやつだからさ、唯人はサラのことを考えてやりな」
「何だよそれ? たしかにサラちゃんはオレと気が合うし一緒にいて楽しいさ、でもそれって一颯と変わんねえよ。むしろ男同士の方が気楽だし、サラちゃんとは一颯の方が仲はいいんじゃないか?」
サラの気持ちに気付こうとしない唯人に少しばかりカチンときてしまった。
「そんなわけないだろ、サラが気に入っているのはたしかに唯人だ、俺は唯人とサラの外側にいる友人Aに過ぎないんだよ」
「なんでだ? 一颯はどうしてサラちゃんのことを遠ざけようとしているんだ? オレがサラちゃんと一緒に飯食ってるから嫉妬してんのか?」
「そんなわけあるかよ! だからさ、サラは――」
「おい! 霜月、椎崎! ホームルーム中だぞ! 静かにしろ!」
今がどういう状況なのか忘れて熱くなってしまった。担任に怒鳴られ、クラスメイトは何事かと俺たちに注目している。
唯人の鈍感さにかなり苛つき、俺は決定的なことを口にしようとした。それを咎めるように少し離れた所で様子を見ていた聖羅が割り込んできた。
「一颯、ちょっとこっちに来なさい。先生、ちょっと一颯が機嫌悪いんで落ち着かせてきます」
「おう、頼んだぞ神楽坂」
「な、なんだよ、聖羅」
聖羅に腕を引っ張られ、廊下に連れ出される。他のクラスはすでにホームルームが終わっているせいか周りには昇降口へと向かう生徒で溢れている。だが俺たちのことを気にした様子はない。
少し離れて、今日は部活のない家庭科室の前に連れられる。部活がないから生徒もいない。
やっと腕を離した聖羅は俺に振り返ると、呆れた顔で俺の頭を撫でた。
どうして頭を撫でられているのか、これまでにこんなことされたことがない。聖羅の考えが何も読めなかった。
「よしよし、……何を苛ついているのさ? 唯人の鈍感さは見ていればすぐに分かるでしょ? 無理に答えを教えたら、唯人は『そんなまさか!』で終わっちゃうよ」
「だったら本人が気づくまで待てってか? あいつは絶対に気付かずに終わる」
絶対の自信を持って断言する。聖羅からしたら本当にそうなるのか未知の領域なのに、俺は構わず断言した。
「どうしてそう言い切れるの? それは本人の口から聞いた話なの?」
「ああ、間違いない、サラは唯人のことが好きなんだ。だから毎日のように唯人の隣で昼食を食べている」
「一目惚れだっけ? 正直怪しいとは思うけどね、唯人のどこを見て一目惚れしたのさ? まさかあの体格と顔つきに惚れたなんてありえると思う?」
正直俺も考えづらいと思っているが、何せ繰り返し唯人を見てきて、なおかつあいつは主人公だ。サラもヒロイン、ならば一目惚れくらいれくらいありえなくもないのだ。
「さあ、どこか内面を見られる瞬間があったかもしれないぞ、あいつ、人助けの精神なら人一倍強いからな」
それは聖羅のことを惚れさせるほどに強いものだ。それを見てサラが惚れていた可能性だって否定できない。
聖羅はまだ唯人のことを詳しく知っているわけではない。まだ出会って一月程度、それで唯人とサラの気持ちを推し量るのは無理があるというものだ。
「うーん、私にはどうしてもあの子が唯人のことを好きだとは思っていないような気がするんだよね」
「またそれか、なんだ、聖羅はサラに嫉妬でもしてんのか?」
「いや、唯人のことはどうでもいいの」
「おい、本人に悪いぞ」
「ただ、目の前で誰かが騙されているのを見て放っておくのが気持ち悪いのよね。確証もないからもっと気持ち悪い。もっと言えば、それに加勢しようとしているのを見て最高に気持ち悪い」
聖羅はまっすぐ俺のことを見て、睨むような顰め面を覗かせた。見下されているようにも思えた。
結局聖羅は自分の気分で俺の行動を止めただけに過ぎない。たしかに少しカッとなって余計なことを口にしようとはしたが、唯人には早くサラの気持ちに気付いてくっ付いてくれないと予定が狂うのだ。
「なんかさ、最近の一颯は何かに焦ってない? なんか恐れているというかさ、話してくれない? あたしらの仲で下手な隠し事は見ていて辛いよ」
「そんな、……隠し事なんて、してないし、焦ってもいない」
「だったらさ、どうして心春があたしに何度も相談に来るわけ?」
「心春が? 相談って何を……?」
聖羅を何度も頼る心春は一体何を悩んでいるのか、俺はサラのことよりもそちらの方が気になってしまう。
近くの柱にもたれかかった聖羅が携帯を取り出して着信履歴を見せてくれる。そこには聖羅の母親や友達の名前がいくつか表示されていたが、ほとんどが心春の名前で埋め尽くされていた。
「『一颯くんが悩んでいるけど力になれなくて辛い』だってさ、他にも心配させまいと隠し事をされている気がしてならないとか、……まさかさ、一颯の背中を支えてくれる人は誰もいないの?」
「俺の……背中?」
聖羅の言葉の意味が分からなかった。だから一つひとつ整理する。そもそも俺の前には誰がいる?
……心春と、花恋さん。そして、サラ。
すんなりと出て来た三名に対して、じゃあ背中側には誰が……?
「誰も……いない?」
すると聖羅が驚いたように右手を口元に当てた。
「あら、意外ね、あたしってあんたの隣くらいには位置していたのね、それとも圏外?」
「少なくとも、聖羅をただの体のいい友達とは思っていない」
そう言われてなんだか嬉しそうな聖羅は恥ずかしそうに頬を掻く。
だけどこうなると俺の後ろには誰もいないというのが答えとなり、俺はなんだかんだ孤独なのだと自覚した。
自覚して、頭を抱えると後ろから知った声がかかった。
「じゃあさ、私はそもそも眼中にない? 霜月兄?」
「え? 城戸先輩……いつからそこに」
いつの間にか俺の後ろに居て、声をかけてきたのは城戸先輩だった。高身長の彼女に上から見下ろされ、先ほどの聖羅とは違ってワシワシと髪を乱暴に撫でられた。
「城戸先輩、家庭科室に何か用ですか? 鍵なら開けますよ」
「料理部の部長さんに手を煩わせるなんて申し訳ないわ、大丈夫、ちょっと裁縫の針を一本刺しに来ただけだから」
そう言って城戸先輩が俺のことを後ろから抱きしめる。高校生にしては大きな胸がしっかり背中に押し当てられ、振りほどこうにもいつも抜け出せないからいつしか慣れてしまった。
演劇部ではいつものことだが、聖羅は初めて見るようで驚きを通り越してフリーズしていた。
「聖羅? これはいつものことだからな」
「あ、あんた、いつもこんなことしてもらっているの? そりゃ心春が心配になるわけだわ」
「んー? これなら妹にもしてあげてるよ、いつも嫌がられるけど」
心春は猫のように城戸先輩の抱擁をすり抜ける。捕まったが最後、全てが終わるとばかりに抱き締められてから抜け出すまで一秒もかからないスゴ技だ。
どうしてそこまで嫌がるのか前に聞いたことがあるが、いつもはぐらかされて教えてくれない。
「霜月兄が隠し事をしているんじゃないかって話が聞こえてね、料理部の部長さんが霜月の妹から相談されているんでしょ? 実は私も花恋から相談をよく受けるの。このヘタレが何を隠しているのか、話すまでずっとこのままでいるからね」
「花恋さん? えっと、演劇部の部長さんのことですよね? なら、やっぱり一颯が隠し事をしているのは間違いないね、……あたしも一颯に抱き着けば話してくれるかな?」
「ちょ、聖羅、待て、早まるな!」
聖羅は近づいて来て、動けない俺の肩を抱いた。躊躇いを見せているが今すぐに吹っ切れてもおかしくはないように思える。
「あーあ、霜月兄、こんな光景を二人に見られたらどう思われるかな? 他の生徒にだって見られるかもしれないし、まさかの校内で四股疑惑の裁判が開かれちゃう?」
「さあ、どうするの? あたしはもう覚悟決めたから。一颯が話さないというのなら、十秒後に抱き着くことにする」
「え? ちょ、なんでどうしておかしいでしょ! 待って……」
「待たない。城戸先輩、このまま一颯を引き摺って他の生徒のいる場所まで移動しましょう」
「いいねぇ! さあ、霜月兄よ、これがラストチャンスよ。素直に話すか四股か、話した内容は秘密にしてちゃんと守るわよ、それとも……ハーレム狙っちゃう? あ、もう既にハーレムは完成していたか」
後ろからほとんど羽交い絞めの状態で強引に移動させられる。正面からは聖羅が抑えているから暴れることもままならない。
「心春がいつも一颯に抱き着いているからさ、どれだけ抱き心地がいいのか気になっていたんだよね……、というわけで、とりゃ!」
頑なに話そうとしない俺にしびれを切らした聖羅がついに抱き着いてきた。
聖羅の染めた金髪が顔のすぐ横にあって、発育のいい胸が今度は前から押し当てられる。シャンプーかボディソープか、正面からでは過剰なまでにいい香りが押し寄せてきて目の前がくらくらする。
聖羅の匂いなんて嗅いだことはなかったし、こいつ、ギャルって見た目以外にこんなに気を使っているのか!
「ん? なんか失礼なことを考えてなかった?」
「気のせいだ! いいから離れろ!」
後ろから、前から、心春や花恋さんとは違う、いままでにない新たな幸福が俺のことをどんと押しつぶそうとしてきて、それに流されそうになってしまう。
でもこのままじゃ誰かに見られてしまう! だけど事情を話してしまっていいのか? 城戸先輩はともかく、聖羅はヒロインだぞ。純粋なこの世界のヒロインを演じつつこちら側のことを教えていいのか? 何か矛盾が生じてしまわないか?
そんなことを考えていると、誰かが近づいて来る足音が聞こえる。だめだ! これ以上は別の意味で俺が終わってしまう。
「待って待って待って! 分かったから! 話すから!」
俺がどれだけやばい状況に置かれているのか一瞬で判断し、二人に対して降伏した。
だが、降伏した俺から離れるタイミングが悪かったらしく、足を引っかけて三人でもつれるようにリノリウムの床に倒れ込んだ。
「うぷっ」
「痛って!」
「キャッ」
三者三様の声を出し、下敷きとなった城戸先輩が苦悶の声をあげた。聖羅の可愛らしい声など久しぶりに聞いたな。
足音は変わらず近づいて来る。せめて俺たちのことを知らない生徒であって欲しいと俺たち三人の知名度を呪いながらも必死に祈り、俺たちが倒れ込んだ状態で姿を現したのは……。
「一颯先輩、何やっているんですか? まさか友人ポジションが寝取りハーレムルートですか?」
サラだった。絶対零度の瞳が俺のことを見下ろしていた。
終わった……、完全に弱みを握られた。
どうしよう、このわずかな時間で俺はサラに絶対的な優位性を与えてしまった。ここから逆転する方法はあるのか?
サラが見たくもないとばかりに視線を逸らし、この場を立ち去った後、俺たちは我に返ったかのようにすばやく離れ、女子二人は一心不乱に制服を正していた。
「とりあえず、場所変えません?」
俺が提案すると二人は辺りを見回して、他に誰もいないことに安堵してから頷いた。
(1月1日)あけましておめでとうございます。相も変わらずSSなどなく本編の投稿となりますが、今年もよろしくお願いします。
サブタイトルにこだわりがあるわけではないので、もしかしたら同じサブタイトルの話があるかもしれません。特に意味があるわけでもないので報告か、気にしないでいただけたらと思います。