167〈花恋〉勇気
心春からのメールに気付いたのは、わたくしが隣の部屋から舞衣子を呼んで紅茶と甘いお菓子に舌鼓を打っている最中のことだった。
「花恋、メール来てるけど、愛しの霜月兄からじゃないの?」
「そんな毎度の如くからかわないでくださいまし、……あら、舞衣子、ニアピン賞よ」
「ん? ということは妹の方から?」
「ええ、……あら、それはたいへ……ん? え、待って?」
「どしたの? もしかして霜月兄が新しい女でも連れ込んだ?」
今日はやけに感が冴える舞衣子にメールの文面を見せる。そこまで長くないけど真面目に読み込んだ舞衣子は、真顔でティーカップを口元に運んで一度傾ける。そして舌打ち。
「チッ……霜月兄のアホ、バカ、ボケ」
やけにドスの利いた低い声で一颯のことを罵倒した舞衣子は、お菓子を一つ摘まみ、乱雑に包装を解いて口に放り入れた。
「わたくしたち寮長、副寮長としての立場としては行方不明の子が見つかって嬉しい限りだけども、まさか一颯が看病しているとは……」
「どんな関係でこうなっているのかは知らないけどさ、そろそろ拷問でもして無理やり答えを出させようかな?」
「やめなさいな、そんなことをしても一颯の答えは出てこないわよ」
「へー、どうしてそう思うの?」
少し口が滑っちゃったかしら? 舞衣子が揚げ足取りのようにニヤついた表情でカップに口を付ける。
一颯の壮絶な過去を聞かされて、それを信じているわたくしからすれば、一颯はまだ誰かを選ぶなんてことは出来ないことに納得している。
一颯が今までわたくしと心春にしか協力を求めていなかったのは、それだけゲーム進行に矛盾が生じることを恐れていたからに違いない。
主人公やヒロインが突然この世界の真実に触れたりなんかしたら、ゲームの方向性そのものが変化してしまう。
三人のヒロインはすでにクリアしていると聞くから、伏線も無しに突然の変更は一颯にとって致命傷になってしまう。
だからわたくしは舞衣子に相談したくても出来ずにいた。
「一颯にとって心春は切っても離れないかけがえのない存在なのよ。だからわたくしを選ぼうものなら葛藤するでしょうね。逆に心春を選ぶのならわたくしのことなどあっさり忘れられそうで怖いわ」
「なら忘れらないよう霜月兄に強烈な記憶を叩きこんであげないと」
「……具体的には?」
「花恋を霜月兄好みの格好にしてロープで縛って、あとはあの子と二人きりで閉じ込める。ここまですれば流石にあいつの理性も吹き飛ぶでしょ」
背中の冷汗が止まらない。なぜならそれに必要な一颯好みの衣装一式を持ち合わせているから。クローゼットの奥に仕舞ってある真っ白な甘ロリのドレスは万が一にも舞衣子に見つからないように隠しているが、持っていること自体がばれているからこそ、今も舌なめずりをしながらわたくしのことを観察しているように思える。
「下着も特注で作らないとね、せっかく貪り尽くしてもらうんだから、それなりに準備をしておかないと」
「舞衣子、目が本気よ? やめてね、そこまでしたら一颯が悪い方向に壊れるわよ」
目の色変えて部屋から飛び出そうとする舞衣子の背中を掴んで座らせる。
さすがに下着まで特注となれば……一颯はわたくしをどうするのかしら? そもそも見せるつもりはないけども、もし、万が一、そんなことになれば……。
「花恋、鼻血出てるよ」
「え?」
舞衣子にティッシュを鼻に当てられると、鼻奥から鉄の匂いがしていることに気付いた。
いけない。興奮しすぎたみたいね。深呼吸……すう、はあ。
「ねえ、舞衣子、もし一颯が、……何か大事な目的があって、それを優先しているからわたくしのことを後回しにしているとしたら、……どう? 待っているだけのわたくしは弱いかしら」
「強弱の問題じゃないね、待っていることに不安を覚えているのなら今すぐにでも奪い取りなさい。そのサラという子が花恋のライバルとなるかは不明だけど、霜月兄とは親密な関係なのは間違いないわ。男女の友情は脆く、たった一歩踏み出せばそれはもう恋愛よ」
サラという子に関して、一颯からは深く聞いていない。一颯の立場からして敵だということは理解しているけども、一颯自らが看病するほどの関係だから余計に分からない。
心春は知っているのかしら? 一颯の行動に思うところはないのかしら?
「ねえ、花恋、ここまでアプローチしてさ、それでも霜月兄が妹か花恋のどちらかを選ばない理由……何か知っているんじゃないの?」
「ええ、知っているわ、だけど簡単に話せるものでもないの」
舞衣子が少し寂しそうに口を尖らせた。そしてわたくしの手を取って包み込んだ。
「それがたとえ私でも? 絶対に誰にも言わないし、花恋の意思を尊重する。だからさ、私にも花恋の恋愛を手伝わせてよ」
舞衣子なら絶対に裏切らないという信頼がある。長い付き合いだし、舞衣子がわたくしの足りない部分を補ってくれる。
だから迷う。舞衣子を信頼して話せば、一颯のことを裏切ってしまう。一颯はわたくしと心春に必要最低限のことしか話していないのだと思う。だからわたくしは知りたい。
わたくしから一颯に踏み込んで、勝ち取りたい。
「……話すわ。でも、このことは誰にも言わないで、絶対に、一颯にも」
「ええ、約束する。花恋のために、私は花恋の全てを尊重するわ」
心の奥で一颯に謝罪し、わたくしは舞衣子に知り得ていることを全て話した。一颯が何度も同じ時間を繰り返していること。サラという子が一颯の目的を阻害していること。普通なら誰も信じてくれない途方もない話を、舞衣子は最後まで真剣に聞いてくれた。
すっかり冷めてしまった紅茶を一気に飲み干した舞衣子が、静かにカップをソーサーに置くと、腕を組んで何か考え始めた。
「うーん、ループかぁ……予想の斜め上な話だし、あんまりピンとこないけど、霜月兄がここまで後回しにし続けている以上それくらいの理由があってもおかしくはないんだよねぇ。だったら早い者勝ちなのかな?」
「一颯の気持ちは尊重しないのかしら?」
「私は花恋の幸せにしか興味がないの。ぶっちゃけどちらを選んでも満足するだろう霜月兄をこのまま放っておくのも時間の無駄だし、一度付き合ってしまえば落ち着くような気もするんだよね」
誰と付き合うといえば、一颯はループの間で誰とも恋人の関係になったことはないのかしら? このわたくしと心春に気付かれることもないだろうし、魔が差して一度……、そう思うと少し悔しい。一颯がわたくしに振り向いてくれていないのだから、アプローチが足りないのかしら?
「舞衣子、一颯って何が好きなのかしら? 趣味嗜好を刺激すれば少しくらい変化が見られると思うのだけども」
「ん? それならいくらでも、霜月兄を脅せるくらいには情報があるよ。たとえば髪の匂いフェチだとか、寂しがりだから女の子をぎゅっと抱き締めたい欲があるとか……」
「待ちなさい、……それ、どこから仕入れた情報かしら?」
「長い事あの子たちを見ていれば分かりやすいわよ。たまに妹以外だったら危ないこともやっているし、それに花恋が混ざりたいのなら簡単よ? まずは――」
舞衣子の言葉が発せられる前に、わたくしはその口を手で塞いだ。これ以上聞いては思考が危ない方向へ転換する換する気がする。
一颯の性癖には踏み込むのをやめ、わたくしでも簡単に出来ることはないだろうかと相談すれば、答えはあっという間に返ってくる。
「後ろから抱き着かせてあげればいいのよ。ゲームでもしながら霜月兄の膝に乗せてもらえばいいね、これだけであの子の欲を刺激してそれなりに満足するはずよ」
「まあ、それくらいならわたくしにも出来そうね、正面から顔を見られるのは恥ずかしくても、後ろから勝手に匂いをかがれるくらいなら」
「でも花恋……本当に耐えられるの? 多分だけど、霜月兄なら花恋の弱点も把握されていると思うよ。だからその程度で済むとは思えないけど……。花恋、なんだかんだいじり甲斐があるし」
「失礼な」
そうか、何度も繰り返しているのなら、わたくしが教えていない秘密だって知られているかもしれない。後ろから抱きしめられて弱点のお腹をまさぐられるピンク色の妄想が脳内を支配する。
舞衣子がわたくしの頭を掴んで強引に揺らすと、思考はやがて現実へと帰ってくる。
「花恋、妄想もいいけど、そこに辿り着くためにはあなたの努力が不可欠なのよ」
「一颯がどれだけの時間をわたくしと過ごしてきたのか分からないけども、今のわたくしはこれまでと違うことを見せつけてあげないといけないわね」
舞衣子にとってわたくしが一颯と二人きりになる状況が不安なのか、手を握られたままだ。
一颯とはきっと二人きりで過ごした時間も豊富なはず。これまで通り間違いは起きないとは思うけど、起きるように誘惑したら一颯はどうするのかしら?
「花恋、不安なの?」
「……ええ、一颯を一度とはいえ裏切ったこと、これは心春をずるい手で出し抜こうとしているのよね、だからこれで上手くいかなかったら、……ふふ、格好悪いだけでは済まないわね」
「そうかな? 女が恋に全力でぶつかって、それで玉砕したら仕方ないんじゃない? それはもうフッた男側が悪いよ」
だからわたくしは全力を尽くす。たとえ心春に涙を流させようとも、わたくしはそれを憐れまない。
「まずは一颯のこれまでについて聞き出そうかしら?」
不安はどこまでも付きまとってくるけども、不思議とそれで恐怖を抱くことはなかった。
よいお年を。