161疑問
六章スタートです。
朝、目が覚めると珍しく義妹の心春が目の前で寝ていた。しかも抱き着かれた態勢で。
いつも俺より圧倒的に早起きで、だけど朝に弱くて、結局そこから三十分ほど寝ぼけた状態が続く心春は早起きを心がけているはずだ。
夏の暑い朝日がカーテンの隙間から漏れて部屋に入ってきている中、俺は穏やかな寝顔を無防備に晒している心春のことをしばらく観察していた。
楽しい夢でも見ているのか頬は緩んでいて、緩んだ頬を摘まむとむにーっと餅みたいに伸びた。しかし、それでも目を覚まさない。
時計を確認すると、どうやら今日は俺が早起きをしていたらしく、朝日は顔を出したばかりの頃らしい。まだ顔を半分だけ見せているだけで、外は若干薄暗い。
たった一日、唯人の朝の時間に合わせただけで早起きしてしまうとは、早朝のランニングが意外と楽しかったのかもしれない。
身体を起こそうかと思ったが、心春に抱き着かれている状態だからあまり動きたくない。しかし二度寝するにはちょっともったいなく思えるし、このまま起きているには時間を持て余す中途半端な時間。平日だから普通に授業もあるからどうしようかなと考えていると、心春が重そうに瞼をゆっくり上げた。
「おはよう……一颯くん」
目の焦点があっていなくて、ほとんど無意識にあいさつをした心春に俺も返す。
「おはよう、心春、いい夢は見られたか?」
「うん、……一颯くんがバスケで宇宙を救う夢……、テニスだったかな?」
「俺はバスケもテニスもやったことないぞ、それで宇宙はスケールがでかすぎだ」
俺の声は心春に届いていないらしく、うー、うー、と唸りながら瞼を下ろした。
……一応これでも起きているのだが、いつもより時間が早いから寝ぼけるのもいつもより長いかもしれない。おそらくこのままいつもの時間まで誰の声も届かず寝ているように起きて寝ぼけているのだろう。
久しぶりに見る心春の朝の姿。小学生だった頃を彷彿させる舌足らずな話し方が懐かしい。
今更ながら、よくあの引きこもりから立ち直れたものだ。立ち直りたいという意思はあったけど、身体が言うことを聞かずに動けなくて、心春が居なくてはやっぱりあのままだったんだろうな、と今でも時々考える。
考えてしまうから、目の前の心春が愛おしくて、腕の中にすっぽり収める。
気持ちよさそうに俺の胸に頭を押し付けて小動物みたいにぐりぐりと顔を擦る。
お互いに信頼し合っている証であり、これ以上の温もりを俺は知らない。
ここまで信頼し合っていて、どうして付き合っていないのだろうと散々周りから言われてきたが、確かにそうなのだ。
いつかは……いつかは……、そうして後回しにして、俺のヘタレはやっとゴールを定めることが出来たのだが、それはまだ遠い先のこと。
俺は二人の女性に恋をして……、いや、三人の女性に恋をしている愚か者。
そして今日はそのうちの一人、三好サラとの関係を清算するため、勝負に出る。
この世界の理をぶち壊し、サラを正しき主人公の元へと送り届けるのだ。
〇
目の前の銀髪が楽しそうに左右に揺れている。
ピンク色の弁当箱に本人の見た目にはそぐわないがしっかり使いこなした箸が幾度も口へ運ばれる。
外面だけなら誰が見ても外国人。だけど祖父の血が色濃く影響しているだけであり、本人は産まれからずっとこの街で過ごしている。
だからそれほどこの街では珍獣扱いされるようなこともなく、ちょっとした有名人程度には存在が知れ渡っている。
そんな銀髪の持ち主、三好サラは昼休みの度に俺たちの教室に訪れては俺のことを席から追い出し、隣に座る椎崎唯人と席をくっ付けて弁当を突いているのだ。
後からやってくる心春が聖羅と机をくっ付け、俺はというとサラを観察しながらクラスの奴から借りた席で一人弁当を口に運んでいた。
いつもなら聖羅たちと混ざっているが、今日は女の子同士の会話がしたいらしく俺が追い出された。寂しい。
きゃっきゃと童女のように笑うサラは誰が見ても愛くるしいほどに可愛い。意図的ではないだろうが、最近は一つ年上な俺たち二学年のアイドルになろうとしていた。
彼女の親衛隊は最初、サラに着いて来ようと教室に踏み込んだこともあったが、唯人の図体のでかさに怖気づき、それ以降は教室まで送り届けたらそのまま姿を消すようになった。
俺が弁当を食べ終わって弁当箱を巾着に仕舞っていると、なぜか聖羅が険しい顔つきで唯人とサラのことを観察していた。
心春は席を外しているのか教室にいない。おそらく水筒を忘れたから自分の教室に取りに戻ったのだろう。
聖羅があのような顔をするのは珍しい。いままで何度もループを重ねてきたが、ここまで真剣に何かを観察している様子は見たことがない。
あの二人の何が気になるのか俺も疑問に思い、聖羅に尋ねようかと思っていたらちょうど聖羅の方から俺に近づいてきてくれた。
「一颯、ちょっといい?」
「ああ、何か気になることでもあったか?」
「うん、まだはっきりしたわけじゃないから自信ないし曖昧だけど、ちょっとこっちに来て」
聖羅に促されるまま、俺たちはサラと唯人に声が届かない教室の端に移動した。
二人のことをじっと見たまま、聖羅は薄く口を開いた。
「やっぱり……、でも気のせいかな?」
染めた金髪に教本通りのギャルメイク。スカートは幾重にも折って生足を惜しげもなく晒している。
クラスのムードメーカーでもある明るい聖羅が真面目になることに違和感を覚えてしまう。
「何が気になっているんだ?」
「ねえ、一颯、あの子って本当に唯人のことが好きなの?」
「え? ああ、間違いないはずだけど」
「ふーん……そうなんだ……」
「どうしたんだ? そんなに聖羅の目には違和感が映って見えるのか?」
聖羅の訝し気な視線は迷いなくサラを貫いている。だが、サラが唯人を思う気持ちは間違いなく本物だ。そうでなければこの世界に執着して唯人と一緒に過ごしたいとは思わないはず。
今だって楽しそうに弁当のおかずを交換しているほどだ、少なくともサラが唯人に好意を寄せていないとは考えられない。
心春だって俺と同意見だった。恋愛については素人の俺たちであっても、流石にあれが演技には見えない。ましては唯人を悪意で利用しようとしているなんて、それこそありないだろう。
「聖羅、そろそろ教えてくれよ。何がおかしく見えているんだ?」
「確証はないよ。ただ、歴戦の乙女の感というべきなのかな? あの子、何かを偽っているように見えるのよ。あの笑顔や唯人へ向ける感情は偽物ではないだろうね、でもそれが本物の唯人への好意とは限らないし、土台となっている部分で何か混ざりものがあるように思えるの」
「混ざりもの? 何か別の目的があるということか?」
「かもね、まあ、深くは分からないけど、……よく考えてみてよ、何か特別なイベント事も無しに一目惚れされるような奴じゃないでしょ? 図体だけの唯人だよ?」
「…………たしかに?」
誰にも聞こえないよう小声で話す。大変失礼ながらそう思ってしまうのも仕方ないほど、あいつは図体だけなのだ。
この時期はまだ女性に声をかけることすらままならないし、触れることはおろか、近づくことすら緊張するほどなのだ。月宮さんや聖羅とは慣れたみたいだから、経験不足が原因だと分かっている。しかし、聖羅の話を聞くと、一つ疑問に思うことがある。
サラは唯人のどこが好きになったのか?
たしかに唯人は俺と違って誰のことも好きになっていない純情なままだ。しかし、だからといって唯人である必要はないはずだ。純情とはいえ、他三人の女性を好きになる可能性があるのだから、まったくシナリオに関係のないサラ好みの人を選んでも問題なかったのではないだろうか?
本当にサラが唯人に一目惚れをした可能性を否定はできないが、聖羅の言葉を念頭に置いておくなら、まだ俺も知らないサラの思惑が隠されているのかもしれない。
「一筋縄ではいかないか……」
「なに、あんたあの子狙ってるの?」
「もし、そうだと言ったら?」
「今ここで張り倒して心春に看病させる」
「……冗談だよ」
聖羅の目は本気だった。聖羅のビンタは世界を狙えるほどに鋭いことを俺は知っている。あの白い部屋で見ただけとはいえ、錐揉みで飛ばさせるほどには威力がある。冗談ではない。
それに、俺の目的はサラを唯人とくっ付けることであり、俺がサラを奪い去ることではない。
「唯人にも春が来たと考えていいのかな?」
「うーん……、あたしの目には唯人が利用されているように見えてしまうけど、あたしの勘違いな気もするから、やっぱり春かな?」
「もうすぐ夏だけど」
「うるさい、脳みそ疲れているんじゃないの?」
「ひどいな」
心春が戻ってきてからは三人で駄弁って昼休みを終えた。
心春には先ほどのことを話さないが、いずれ答えが分かれば教えることになるだろう。
……聖羅の感は意外と当たる。それだけは何度も繰り返し見てきて確かなことだ。だがそれはいずれもシナリオ内でのこと、今回のようにシナリオの外での感をどれ程信用していいものか。
とにかく、明日の大一番を失敗しない事。明日は久しぶりに愛陽の登場だ。練習も欠かしていない。
「サラに答えられるかな?」
一人怪しく笑う俺を、聖羅が気持ち悪そうな目で見て席を心春の方へと寄せるのだった。
投稿頻度は下がってしまいますが、地道に頑張っていきますのでよろしくお願いします。