160傷痕
これにて五章は完結となります。
一週間ほど時間を頂き、その後六章の『サラルート攻略シナリオ』を投稿していこうと思います。
五章ですでにサラルートは進行しているので、六章は後半となります。
大変お待たせしていますが、よろしければブックマークとポイント評価をよろしくお願いします。
じめじめした質感が残る外の空気は屋上という少しだけ強い風が吹く場所に移しても変わらない。
放課後、サラとの約束通り俺は一人屋上へとやってきた。途中先生に見つかりそうになって誤魔化していたら時間が掛かってしまった。
もう先に来ているだろうなと思って屋上へと通ずるガラス窓に身をくぐらせる。
鬱陶しいほど照り付ける太陽が出迎えてくれて、しかし屋上には誰もいなかった。
遮るものが何もないここで隠れる場所なんてどこにもない……、いや、あるか。
「あ、すぐに見つかっちゃいましたね。流石に二度目は早かったです」
「そこは俺も隠れるのに使ったからな、逆にそこしかないだろ?」
「そうですね、ちょっと高いので見下ろすのが怖いですけど」
サラは扉の上、屋上扉の天井に当たる所で座って待っていた。そこは以前、俺と心春が月宮さんと唯人の話を盗み聞きするときに隠れた場所であり、下から見上げる分には簡単に見つかることはない。
「あの、ちょっと抱き留めてもらえますか?」
上ったはいいけど、降りるには少々面倒なのが難点だ。その気持ちは分かるため、俺はサラが縁に座ったところで正面に立ち、飛び降りてきたところを両手でしっかり抱き留めた。
抱き留めた時にふわっとスカートが膨らむと同時に、柔らかくて女の子らしい甘い匂いに包まれた。
「よっと……、それにしても、敵にこんなことをお願いするなんて余裕だな」
「もう一颯先輩は敵じゃないですよ。私の独壇場ですから、何かあってもやり直すだけです」
「なるほど、サラにとって俺はモブの一人か」
「そこまでは言ってないです……」
「え? なんか言った?」
「何でもないです!」
小声で何か呟いたサラの言葉を聞き逃したが、そこまで重要ではないだろう。
ここに来たからには話し合いだ。今までは俺がサラに情報を求めて誘っていたが、今日は逆。
「一颯先輩、聞きたいことがいっぱいあります。答えてくれますよね?」
「答えられる範囲でならな」
何を聞きたがっているのかは大体想像がつく。この世界に来てすでに何度かおかしな行動を見せているから、それについて気になっているだろう。それと……。
「あの白い部屋は何だったんですか? あそこで何をしていたんですか?」
「もう気にする必要はないぞ。あそこはもう破棄された、戻ることはできない。俺もどうしてあそこにいたのかよく分かってないし、疲れたから映画を見ていただけだ」
あの白い部屋での出来事は特に気になっているだろう。しかし知ったところでサラの得になることはもうない。
あの神と話していたことは隠さねばならないが、サラは俺の同じ答えを繰り返すのに折れて、質問を変えた。
「じゃあ、昨日のあれは何なんですか? 腹いせとばかりに私から唯人先輩を遠ざけて、そういう嫌がらせかと思ったら今日の昼休みはあっさり誘ってくれて、何が目的ですか?」
「別におかしくはないだろ? ゲーム開始直後にメインヒロインと友達ポジションの接触、その友達は顔が広いから後輩を招いての昼食、それが初の出会いでも不自然なことはないだろ?」
「まあ、……シナリオにそんなイベントはありませんけど、私が自分だけ特別なシナリオになるよう書き換えたことに感謝してください。そうじゃないとどこかでバグが生まれていたかもしれませんよ」
「そうだったね、そこまで考えてなかったよ、悪い」
俺の適当加減に愕然とするサラだが、怒っているというよりは呆れている。下手な矛盾はエラーを生み、修正に時間が掛かる。さらにそれを修正するのは俺の役目だ。サラは別に何もしなくてもこの世界の住人として振舞えるのだから。
一歩離れた所から観測し続けなければならない俺とは大違いだ。
しかし、サラはどうやらすでに自身のシナリオが破棄されていることに気付いていない。これは後々大きな隙が生まれるだろう。
「馬鹿なんですか? それで私を攻略できるんですか? その前に自ら滅んで終わりますよ」
「そうなるつもりは毛頭ない。それにサラ、今回で決着をつけるでいいんだよな?」
「はい。私は逃げませんし、どんな勝負が来ても勝つ自信があります。私はこの世界を知り尽くしていますから」
そうだろうな。前の世界と合わせて、サラの脳内のファイルは膨大な情報が詰まっている。俺とは比較にならないだろう。
だがそれでも俺がサラに勝つための活路は残されている。
「それで、勝負の内容は教えてくれるんですか? あまり先延ばしにされて初めから詰みとか嫌ですし、運要素の強いじゃんけんとかが勝負だったら、流石に断らせてもらいますよ」
「そこら辺は安心しろ。俺が用意した勝負は“謎”だ」
勝負という割には謎という単調なもの。どんなに難しい謎なんだと警戒しているが、その警戒を塗りつぶす。
謎というのはいつも誰かのルートに入るときに現れる少女、愛陽が水晶玉片手に提示するあれ。あれが今回俺から提示する勝負だ。
「謎の中身はもう少し待っててくれ、イベントにあわせて本人から謎を出すから、それを答えられたらサラの勝ちでいい」
「やっぱりあの子とは知り合いだったんですね? まあそれは後ほど調べますが、シナリオ通りの謎は出さないつもりですか……、でも、それでいいんですか? シナリオの都合上、私たちに謎を解き明かして貰わないと先に進めないのに、それだと一颯先輩の負けが確定しているんですよ?」
今ならまだ変更は間に合いますよと、口元が笑っている。だけどこれでいい。これで準備に必要なのは最後の一ピース。
「そういうことならいくらでも準備をしていてください。勝ちが確定した勝負にそれほど興味はありません」
いつまでも余裕を振りまくサラに対し、俺は負けが確定しているなんてこれっぽっちも思っていない。
絶対はない、覆す。
「最後の余興だと思って気楽にやらせていただきますよ。……では最後に、ああ……、別に聞かなくてもよくなりましたけど、せっかくなんで聞いておきます。一颯先輩がこの世界にこだわる理由ってなんなんですか? さっさと諦めて心春先輩と二階堂先輩と永遠にいちゃいちゃしていればいいじゃないですか」
そろそろ唯人が寮へと戻る時間、鉢合わせるために帰る支度をするサラに、俺は普段と変わらぬあっけらかんとした態度で答えた。
「サラ、君ともう一度やり直すためだ」
「…………はい?」
扉へと歩いていたサラの動きがピタリと止んだ。
おふざけはなし、最後の一ピースを強引に押し込む。
これから先は俺のこれまでの人生に数度しかない本気の声音でサラを口説く。
「あの白い部屋で見たのはサラの想像通り、あっちの世界のサラルートだ。それを見て俺はサラに惚れた。どうしようもなく君が好きでどうしようもないんだ。……もう一度だけ、俺と付き合ってくれないか? 絶対に君を幸せにすると約束する」
諦めて、捨て去ってしまったサラのゴール地点。そこに俺が連れていく。
そのために、サラがいつまでも求めていた最後の言葉をいまここで差し渡す。
「俺は……サラを選ぶ」
サラの幸せのために。
「君を幸せに出来るのは俺だけだ。俺を選べ、サラが俺を選ぶまで、サラを……これ以上唯人とは仲良くさせない。サラの望んだあのゴールまで、……俺がサラを本当の意味で幸せにしてやる」
俺が差し伸べた手を見て、サラは恐れるように一歩下がる。大きく見開いた目元には大きな涙が溜まっていて、今にも決壊しそうに膨らんでいる。
「――――ッ!」
荷物も持たずサラは背中を見せて走り出した。壁や窓に何度も体をぶつけながら、校内に戻り、バタバタと階段を下っていく足音が聞こえた。
俺の差し伸べた手は重力に従ってぶらんと垂れ、一人佇んだ。
サラが走り去る際に決壊した涙の粒が、屋上の床に染みとミとなって傷痕を残していた。
「いま俺が見たかったのは、あいつの笑顔だったはずなんだけどな」
いつまでも能天気に明るいだけの太陽が、俺を嘲笑うように傷痕を消した。