159観察
翌日、俺は朝五時に起き、ジャージ姿で男子寮前に待っていた。
唯人の毎朝の日課であるランニングに付き合おうと思って布団への誘いを振り切り、こうして活気よく準備体操を行っている。
「おう、一颯、よく起きられたな、朝は得意なのか」
最後に深呼吸を済ませていると、前の学校指定のジャージだろうか? 燃えるような真っ赤なジャージ姿の唯人が男子寮から出てきた。
「参加させてくれと頼んどいて、遅刻は格好が悪いだろ。だから今日だけは早起きした」
「そうか、オレは慣れているからな、これくらいいつものことだけど、……月宮さんはまだ来てないのか?」
辺りを見渡して、男子寮と隣接している女子寮の方を見ても姿の見えない月宮さんはどうなのか俺にも分からない。
前は唯人と毎日ランニングをしていたほど朝に強いと聞いていたはずだけど……。
「……お、来たよ」
ぱたぱたと申し訳なさそうに駆けてきて、おそらく遅れた原因であろう寝癖の付いた髪をゴムで留めようとしていた。
「そんな慌てなくてよかったんだよ? 女子の身支度は時間がかかるのを知っているし」
「あ、そっか、連絡すればよかったね。……どうかしたの? 唯人君」
「え? あ、あはは、何でもないよ」
こいつ、いま月宮さんに見とれていたな。女子が髪を結ぶところなんて見たことないのだろう。
何かおかしいことをしているわけでもないのに挙動不審な態度をとった唯人を不思議に思っても仕方ないだろうな。月宮さんは男心に疎いから、些細なことで唯人を魅了していることにも気付いていない。
まあ今日はメインヒロインとの出会いということで、存分に惚れてもらおう。それで新しい陽菜ルートとか確立したら本末転倒だが、ここはまだ想定範囲内だ。
このままサラとの勝負に必要な準備を進めていこう。
その後はすでに片付け下手の片鱗を見せつつある唯人の部屋でシャワーを借り、朝食をまだ誰もいない食堂で済ませた俺たちは、そのまま早い時間に登校することにした。
職員室で書類とにらめっこしていた加賀美先生の所へ唯人を案内し、俺と月宮さんは一足先に教室に向かう。これから同じクラスメイトになる生徒として唯人を待つことにした。
昨日の段階で既に聖羅は唯人と出会っているらしく、俺、月宮さん、聖羅の珍しい三人で唯人の印象について話し始める。
他のクラスメイトも興味を持ったが、詳しいことは来てからのお楽しみということでちょうど始業のチャイムが鳴った。
加賀美先生が教室に入ってきても、今回に限ってブーイングは起こらない。それよりも早く転校生を紹介しろとばかりに鋭い眼光を先生に突き刺す。
「な、なんだお前たち、そんなに転校生が気になるか? じゃあ、快く歓迎してやれよ。おい! 入って来て自己紹介しろ」
いつもならおずおずと様子を窺うように入ってくる唯人だが、がらがらと扉をスムーズに開け、つかつかと軽快に教団の横に立った唯人の顔は清々しく晴れていた。これからの新しい高校生活に希望を抱いている顔だ。
「椎崎唯人です。運動だけが得意のバカですが、どうぞよろしくお願いします!」
自虐めいた自己紹介でも俺たちからは拍手の嵐を唯人に降り注がせる。……よかった。事前にこうするようクラスメイトにお願いした甲斐があった。
「じゃあ、霜月の隣の席に座ってくれ。教科書は後日渡すから、それまでは見せてもらうといい。校内の案内も頼んであるから、霜月、よろしくな」
「はーい! そんなこと聞いてないですけど引き受けました!」
聖羅も手伝ってくれるから心春も交えて、今回は月宮さんも手伝ってくれる。
俺は今までにない展開にワクワクしている。シナリオはかわらないのに少しでも景色が違うとこうも面白いのか。
違う景色が見られたことに満足し、適当に授業を受けていればそのまま昼休みへ。
心春も弁当箱を片手にやって来て、俺が月宮さんを誘えば五人での昼食となった。
「霜月心春です。よろしく、唯人くん」
「ああ、よろしく、一颯とは兄妹なのか?」
「そうだよ、義理の兄妹だから結婚も出来るんだよ」
「え? そういう関係なの!?」
心春のいつもの冗談に本当は訂正した方がいいのかもしれないが、唯人がこの時期から楽しそうにしているのを見るとこのままでもいいかと思えてしまう。
聖羅は基本、心春の味方だけど俺のことも考えてくれて代わりに唯人への誤解を解いてくれている。
あくまで今は義兄妹の関係。法律上結婚も可能ということを伝えている。
……さて、そろそろ来る頃だとは思っていたが、予想通り教室の外で銀色が揺れた。
こっそりと教室内を窺う、嫌でも目立つ銀髪の少女サラがやってきた。
後ろに親衛隊らしき一年生の男子が三名ほど、他学年のフロアということで落ち着きなさそうにサラを見守っている。
別にそれでメンチを切るような厳つい奴はこの二学年にいないが、サラの存在を物珍しそうに観察していれば、それだけで多少なりとも親衛隊にはプレッシャーとなっているようだった。
いつまでも外で観察されていても煩わしいし、俺は席を立ってサラに近寄る。向こうもわずかに警戒したみたいだが、俺と話をすることは好都合のようで、胸を張るように堂々と俺を待ち構えた。
「よう、サラ、何か用か?」
「何か用か? じゃありませんよ! どういうことですか? どうして昨日、唯人先輩が私の前に現れなかったんですか! 一颯先輩が何かしたんでしょう!」
親衛隊のことはお構いなしにシナリオについて怒鳴るサラは、やっぱり俺の仕業だと気付いていたようだ。
どうやら待ち伏せしていたけど唯人が時間通りにやってこず、おそらく探しに行って入れ違いになったのだろう。
「ああ、ちょっと唯人を見かけたからシナリオに支障がない程度に寮まで案内しただけだ。時間を奪って悪かったな、どうだ? お詫びに今からでも昼飯を一緒に食べないか? いつもと違う景色は面白いぞ」
「え? いいんですか? では遠慮なく」
皺を寄せた顔から一転、ぱっと笑顔を咲かせたサラは俺の脇を通り過ぎながら教室へと入っていく。唯人に吸い寄せられたか、違う景色に惹かれたか、なんにせよ、サラルートなのにサラと出会っていないのはまずいからな。今回はこれでいい。
サラはちゃっかり俺の席を奪って唯人の隣に座り、持参していた紅茶を皆に振舞っている。
心春からは、いいの? と目で聞いてきたから俺は笑って、心春とついでに見てきた聖羅に別の意味でいいんだと返した。
今回、勝負のことについては心春と花恋さんに話したが、俺がサラのことを幸せにしてやることは話していない。
いずれ話す事だが、いま話したらちょっと面倒なことになるんじゃないかって思っていて、たったそれだけの理由で話していない。
俺が昼食の続きに戻ろうとしたとき、後ろから親衛隊の三名のうち、眼鏡をかけたやせ気味の男子が困った様子で声をかけてきた。
「あの、霜月先輩、僕たちは……」
名前を呼ばれて、そういえば俺は意外とこの学校で有名な部類の人間だったことを思い出す。
「好きにするといい。ただ席はないからそこら辺は自分でなんとかしてくれ」
有名だからといって、それが善意の有名とは限らない。俺は突っぱねるように親衛隊の三人を放っておく。
こいつらとは話したこともないし名前も知らない。そして俺はこいつらに嫌悪感を抱いている。
こいつらはサラのことを不幸にする。可能なら親衛隊を潰してサラへの誤解を解いてあげたい。
でもサラは今の自分がクラスで上手く立ちまわれるだけの要塞を完成させているから、俺が手を出すまでもない。
俺はクラスメイトに一声かけて借りた席に座ってからは一歩後ろに引いた立ち位置でサラの様子を観察していたが、唯人の好みを把握しているサラだからすでに唯人の心を掴んだみたいだ。
結局親衛隊の三人は先輩たちの好奇の目線に耐えかねて、その場を離れたようだ。
サラはそんなこと気にした様子もなく唯人との会話を楽しんでいる。
唯人のことしか見えていないのかというほど、聖羅の話には適当な相槌を打ち、唯人のこととなると一言一句逃さんとばかりに身を乗り出すほど。
聖羅は、サラが唯人にしか興味を持っていないことに気付き、俺に耳打ちした。
「この子、唯人に一目惚れでもしたの? というか一颯、知り合いだったんだ」
「そうなんだよ、行動力に溢れていて、どうしても唯人と話したいというからここに呼んだけど、邪魔だったか?」
「まあ構わないけど、唯人はあたしとは最初よそよそしかったのに、この子相手なら唯人もまんざらでもなさそうだし」
女性慣れしていない唯人でも、年下の可愛い女の子には格好を付けたいようで、必死に話題の種を探している。
サラはそんな必死な唯人に見惚れて、距離をどんどん近づけていく。
ただ今は昼休み、放課後と違ってタイムリミットがある。
「もう時間ですか……、そうだ、一颯先輩、今日の放課後暇ですよね? 放課後屋上に来てください。お話があります。というか、そろそろ話してください」
「ああ、分かっているよ、放課後は屋上に行くよ」
俺とサラにしか聞こえない程度のボリュームで話す。
ある程度こちらのことも話しておかないとこの後の勝負にも支障をきたすだろうし、そろそろいいだろう。
さて、今日の放課後がサラへ反逆する最初の一手。ぶっちゃけこれが作戦の全てであるといっても過言ではない。
次章の準備に少しだけお時間を頂くことになると思いますが、なるべく早めに投稿できるように頑張ります。
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