153旧サラルート 恋人の在り方
あれからサラとの嘘の恋人生活は本物のように毎日続いた。
一時、再度ファンクラブの設立が危惧されていたが前会長がこちら側に協力的で再設立を全力で阻止してくれた。
彼は自分の思い人を慕うばかりに周りが一切見えていなかったことを恥じ、誰かがいじめを受けていれば秘密裏に解決させるまでの凄腕の抑止力とまで成りあがっていた。先生方も認めるカウンセラーのような存在だった。
そんな彼が危険を察知したのか、サラのファンクラブは人数が集まる前に瓦解した。
それでもねちっこく付きまとってくる輩はいるもので、それらは俺が適当にあしらって追い払っていた。
別に苦にはならなかったからサラに報告をしていなかったが、俺がそれを五件ほど対処していると知ってサラは申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「一颯さんの迷惑になっているなら私のことなんて気にしなくてもいいんですよ」
「今更だろ? 互いに迷惑を掛けないカップルがどこにいるんだ?」
「だって、まだフリですし……、あ、いえ! 迷惑にも程があるんじゃないかって思いまして」
「心春と一緒に歩いているときの方が面倒は多いぞ。勘違いしている輩は多いし、邪魔しに割り込んでくる奴はいるし、この前は少し喧嘩して寝る前に布団を取られたから床に直で寝る羽目になったよ」
「そう……なんですね」
少し暗い表情を見せたサラに、俺は何か変なことを口にしてしまったのかと背中に冷汗をかいていた。
そして思い出したことがある。あれは高校入学数日後に、カップルの喧嘩の仲裁に入った聖羅が口にしていた言葉を思い出した。『彼女の前で他の女の話を持ち出すとかデリカシーないよね』と、自分には関係ないことだと思って聞き流していたが、よくよく現状を考えれば隙が無いほど自分に当てはまっていた。
「あ、……ごめん、サラにとって不愉快な話だったよな。今後気を付けるよ」
「そんなことないですよ! 一颯さんは私に付き合ってくれているだけですし、本当の恋人気分を味わうなんて私にはもったいないですから」
彼女は作り笑いが下手らしい。不器用に笑う様は思わず吹き出してしまいそうに、そしてこんな顔をさせてしまったのが申し訳なかった。
「なんだかんだこんな嘘の毎日が楽しいからさ、サラも少しは自分の望みを言ってくれていいんだぞ。嘘でもやるならそれなりにやってみないと、つまらないとか嫌だろ?」
「はい、でも何かお願いしようと思ったらいっぱいありまして……」
「じゃあさ、サラの望みを俺が可能な限り答えていくというのが、俺たち恋人同士の在り方でどうだろうか?」
「あ、それいいですね! それなら遠慮なく一颯さんにお願いできます」
誰もいない放課後の中庭。いつもと変わらないと思っていたこの時間に急な変化が訪れ、俺たちはこれからの予定について話し合うこととなった。
主にサラが何をしたいのか、どこかへデートに行きたい。俺の部屋に遊びに行きたい。お弁当を作るから食べて欲しい。そんな普通の大雑把なことから、今度はぎゅっと抱き締めて欲しいとか恋人繋ぎをしてみたいなど、今すぐにでも出来ることも多かった。
そういえばそんなこともしていなかったな、と自分がどれだけ適当にサラと一緒にいたか思い知らされることも多かった。
「あとは……えっと、これは大丈夫です」
「どうした? この際だから全部教えてくれよ」
「あの……キス……したいです」
キスしたい相手は俺かもしれないという期待はわずかでもあったがすぐに捨てた。恋人と何をしたいかを羅列しているから、その中にこういった内容が混ざっていてもおかしくはない。
代理で俺が叶えているだけで、彼女が求めた本当の相手のためにそれは取っておくべきだ。
だから俺はサラの願いをいくつか却下させてもらった。流石にそれは出来ないと、サラの為にも少しだけ冷たく断った。
「そうですか……、あの、やっぱり迷惑じゃないですか?」
「いいや、むしろ楽しいよ」
「それならよかったです……」
またサラの下手な作り笑顔。
俺はまた何か選択を誤ったらしい。
だけど今回はその過ちが何か分からず、話は流れてしまった。
別の話題に繋ごうにもすぐに途切れてしまって無言が続く。作ってしまった溝はかなり大きかった。
「あの、一颯さんは心春先輩が助けて欲しいって連絡が来たらすぐに助けに行きますか?」
静寂を前触れもなく破ったサラの質問の意図が読めなかった。しかし俺の答えは昔から決まっている。
「当り前だ。心春の為なら俺はどこへでも駆けつけてやる」
「どうしてそんなに心春先輩のために行動できるんですか? 幼馴染という関係だからですか?」
「それだけでも俺には十分な理由にはなるけど、やっぱり俺のことをどん底から救ってくれたからだな。心春がいなかったら、俺は今でも部屋に閉じこもったままだ」
「……何があったか聞いてもいいですか?」
こんなことに興味を持たれても仕方ないのだが、何も話の種がない以上、無言が続くよりは俺の過去をかいつまんで話した方がマシだと思った。
サラが用意してくれていたアイスティで喉を潤し、俺は過ぎ去って思い出と化している灰色な小学生時代のことを話した。
「あの頃は誰よりも力強かった父さんに憧れていて、絶対にワイルドな人間になってやるって息込んでいたんだ。だから毎日身体を動かして、父さんの真似ばかりをしていた。よく話に聞く小学生男児だろ?」
サラは答えない。静かに耳を傾けて、一言一句を聞き逃さないよう真剣な眼差しだった。
「豪雨の翌日は綺麗に晴れたから、予定通り俺の家族と心春の家族でキャンプに行くことになったんだけど、山沿いの道を走っている最中に落石に見舞われてね、回避しきれず俺たちが乗っていたバンに見事命中しちゃったんだ」
悪態を吐きたくなると、つい口調も不謹慎な物言いに変わってしまう。
今でもあの時の光景は鮮明に思い出せるし、その後のことだって何もかも……。
「俺の母さんと心春の父さんは軽い怪我したけど無事で、ドクターヘリに拉致されて見下ろした時が最後に見た父さんの姿だったよ」
それからのことはお葬式で心春と寄り添いながら泣いたとか、気が付いたら全部終わっていたから省く。
サラが聞きたいのはこんなことではない。
「憧れを失って、父さんみたいにはなれないと思い知らされた俺と心春は一緒の部屋で一年近く引きこもり続け、先に元気を取り戻した心春と、当時の担任の先生だった人に外へ連れ出されたんだ。『一人じゃないよ』ってかけてくれた言葉は俺の閉ざした心を開いてくれたんだ」
「そんな……過去があったんですね。一颯さんが心春先輩を大切にする理由が分かりました」
かなり端折って話したが、ずっと一人でいた気持ちに共感してくれたのか、うっすらと涙まで流してくれた。
俺は心春に縋っていないと生きていけない独り者だったけど、サラは誰も縋る相手のいない本当の独り者だった。
だから俺と心春はサラに手を差し伸べたのかもしれない。
だから俺は彼女の恋人のフリを引き受けたのかもしれない。
「適当に話しすぎたし、つまらなかっただろ?」
「いえ、でも……こんなこと、面白いなんて思えるわけないじゃないですか」
「ありがとう。……それじゃ、サラの願いを一つ叶えるとしよう」
背中に荷物を背負い、帰る支度を整えつつ、俺はベンチから立ち上がる。
慌てて荷物を持って立ち上がったサラの右手に俺は左手を伸ばし、その手を握った。
「あ……」
驚いて動けないままのサラの手を優しく開かせ、一本一本指を絡ませた。
「恋人繋ぎ、したかったんだろ? それと明日は腹を空かせてくるから、楽しみにしてるよ」
サラは初めポカーンとしていたが、それらが自分の願ったことであることを思い出し、空いている左手でビシッと敬礼のポーズをとった。
「分かりました! 明日はいっぱい作ってきますから、お残しは許しませんよ」
「ははは、俺は少食だからほどほどにしてくれよ」
湿っぽい話は嫌いだ。
それに今のサラは正真正銘自然な笑顔だ。この笑顔を引き出すためならサラの偽の恋人を続けるのも悪くないと思った。
ブックマーク、ポイント評価をしてくれたら嬉しいです。