152旧サラルート 偽りの関係
「一颯先輩、よかったら食べてください。この間のお茶会で作ったパンケーキです」
「お、おう、まさか食べる機会があるとは思わなかった……」
皿を覆うラップに挟まれた黄金色のパンケーキはサラのお土産だというが、しかしこの間作ったという割には出来立てのような温かさがあり匂いも腹の虫を刺激する。
まさか『一人になりたい』と思って中庭で空を見上げていたらパンケーキが降ってくるとは思わなかった。
「わざわざ家庭科室で作って持ってきてくれたのか?」
「はい、出来立てですので冷めないうちにどうぞ」
この間のお茶会で作った設定はどこへやら、なんだか上機嫌のサラはパンケーキに持参したバターを塗り、たっぷりのメイプルシロップを円を描くようにかけていた。
「中庭にテーブルがないのって不便ですよね。切り分けようと思ったらベンチに置くしかないですか……」
「いや、ちょっと行儀は悪いけど食べるだけなら」
俺はサラの持つナイフとフォークの内、フォークだけを借りてパンケーキの真ん中から差した。
「え? まさかそのままですか?」
「あいにく俺はお茶会に参加するようなお淑やかな女子でも何でもないからな」
受け皿と共に持ち上げて、パンケーキの端にかぶりつく。普段はパンケーキなんてものを食べないから特別甘くて美味しい。
「ど、どうですか?」
サラが不安気に味を聞いてきたが感想に迷う余地はない。
「美味い。粉っぽくないし生地も柔らかい。上手に焼けたみたいだな、コーヒーか紅茶が欲しくなるな」
お淑やかな女子じゃないとかぶり付いたのに、結局は格好つけがしたくなった。実際、紅茶あたりが欲しくなるが同じ茶ということで水筒の麦茶を飲もうと鞄から取り出すと、サラに止められた。
「待ってください。そんなこともあろうかと思って、アイスティーを持ってきています。紙コップで悪いですけど、これも飲んでください」
「ありがとう、流石にこの暑い中で熱い紅茶は飲みづらいからな」
「あ、……パンケーキも熱かったですけど、他の冷たいモノが良かったですか?」
「いやいや、そうじゃなくて、えっと……、身体の芯から温まるようなモノはつらいけど、このパンケーキはそこまでじゃないし、なにより美味しいから大丈夫」
慌ててしまってあまり上手く伝わらないだろうが、サラにとっては今の言葉で十分だったらしい。
「ならよかったです! ……それと一つ相談があるんですけど」
「ん? なんだ?」
パンケーキにかぶり付き、咀嚼しつつサラが続きを話してくれるのを待つ。
サラは頬を赤らめつつ、指先をちょんちょんと臍の前で突きながらちらちらとこちらの様子を窺っている。
あまり適当に聞いて欲しくなさそうな気がしたので、パンケーキを満足に咀嚼する前に嚥下し、アイスティーで喉から胃に流し落とす。
身体を斜めにサラの方を向けば、覚悟を決めたとばかりにサラは胸の前に両手で拳を作った。
「あの! 私と恋人のフリをしてくれませんか?」
「恋人の……フリ? それはいったいどうして……」
自分で理由を聞いて、ふとねちっこい嫌な視線に気付いた。
顔は向けず目線だけを向けると、おそらく一年生の男子生徒が射抜かんとばかりに鋭い視線を俺に突き刺していた。
「……なるほど」
サラが渋ってあまり口にしたくない理由であったため、俺は手のひらを見せてサラを無言で制止し、どうしようか考える。
正直、気乗りはしないし偽りの関係に落ち着いてしまうのも俺が損をする。
それにサラと恋人になればある程度の問題は解決できるのだが、根本的な解決には至らない。
「期限はいつまでだ?」
隣に座っていたサラとの距離を詰め、耳元で囁くように聞く。むず痒そうに身もだえしているが、ちゃんと答えてくれる。
「い、一颯先輩が卒業するまでです。それにちゃんと許可は取ってます」
「許可? 誰の許可が必要なんだ?」
「えっと……、それは名前を出さない約束なので」
その時点であまり約束の意味を成していない気もするが、まあいいだろう。心春か聖羅にはあとで詳しく聞いておく。
それから三十秒ほど考え込み、答えを出した。
「……いいよ、サラの恋人のフリをしてあげる。期待されても困るけど、せめて学校にいる間くらいはそれなりに頑張らせてもらうよ」
「あ、ありがとうございます! それで……早速で悪いんですけど」
「分かってるよ。あの人は任せてくれ、とりあえず今は……一緒に帰るか?」
「はい!」
手のひらを上に見せ、手を乗せてもらうような形でサラに手を差し出す。
フリとはいえ、恋人になったということで手を差し出してみたが、自分の動きが心春に対する動作と全く同じだったことに気付いて一度手を引っ込めた。
あれ? と一瞬不安そうな表情をしたサラを心配させないために、今度はサラの手を俺から掴んで、無理やり手を繋ぐ。
「一颯先輩、……意外と積極的なんですね?」
「一応年上だからな。これくらいリードさせてくれ」
こういうことに慣れていてよかったと思う。手を繋ぐ程度に戸惑っていては男の恥だ。だけど強引すぎずサラのペースに合わせて歩き出す。
後ろの方で男子生徒が息を鋭く吸った音が聞こえたのは気のせいだったかもしれないが、おそらく後で対峙することになるであろうその男子生徒をどう説得するか策を用意しておく必要がありそうだ。
「あの、これからは一颯先輩のこと、一颯さんって呼んでもいいですか?」
「ああ、その方が自然だろうしな。構わないよ」
「やった! それじゃあ、一颯さん!」
「なんだ?」
「ふふ、呼んだだけです」
「なんだそりゃ?」
恋人のフリというのは本人にとって苦肉の策だっただろうに、今のサラは新しいおもちゃを買ってもらった子どものようにはしゃいでいた。
握った手を離さないとばかりにしっかり握り込み、俺がリードするどころかサラに引っ張られてしまうほど。
中庭を出ようとするタイミングでチラッと男子生徒のいた方を見てみると、下を向いて悔しそうに下唇を噛み締めていた。説得するまでもなくこれで解決したのかもしれない。
サラの過去編はそんなに長くならない予定です。
よろしければブックマーク、ポイント評価の方よろしくお願いします。