148旧花恋ルート 黒竜の少女 前編
鋭いブザーの音と共に暗闇の体育館ステージの幕が上がる。
全校生徒を収容した体育館には等間隔で並べた椅子に生徒や文化祭に来た親御さんや他校の学生が座っている。小さくひそひそと話し声がステージにまで届くが、わたくしにとってはそれが嬉しかった。
声が聞こえる。わたくしの声と演技でそれらを突き破ることが楽しみなのだ。
わたくしは今、舞台中央でやけに豪奢な漆黒のドレスを身に纏い、背中には作りものの小さな黒い翼を装着した姿で、これまた装飾がこれまでかと施された豪奢な椅子に座って大きく深呼吸をした。
パッと眩しいくらいのライトが暗闇を引き裂き、わたくしを照らす。そう、今のわたくしは主役の『黒竜の少女』。この世に生を受けながらもどこか寂し気な表情を浮かべる。
舞台脇から三年生の女の子がナレーションとして台本を手に持ち、ステージ端で同じくスポットライトを浴びる。
斜め後ろから見える横顔はほころんでいて、緊張を上手くいなしているようだった。
そして、声優志望というだけあって、流麗な口調で台本を読み上げた。
「とある王国に一人の少女がいました。その少女は世にも珍しい黒竜の卵から生まれた女の子でした」
わたくしは椅子から立ち上がり、袖から伸びた細い紐を引っ張って背中の羽をパタパタと動かす。
「王城で人間の姿をして生まれた黒竜の少女は、とてもじゃないですがこの小さな羽では空を飛ぶことが出来ませんでした。毎日、鳥かごのような閉鎖された部屋で気が付けば空に向かって手を伸ばし、赤ん坊ひとり包むこともできない小さな羽を懸命にぱたぱた、ぱたぱたと震わせるばかり」
落胆するように椅子に座り直し、髪で顔を隠す。
「人の姿をした黒竜を一目見ようと民衆は王城へと詰めかけます。奇異の眼で見られる少女はやがて、人々を恐れて部屋に閉じこもるようになりました」
わたくしの後ろに新しくセットされる格子窓の背景、椅子に座ったまま横を向いて黄昏る。
「ああ、どうして私は空を飛べないの? 楽園は目の前にあるというのに、私はそれを見上げることしかできない」
オリジナルのこの舞台は、手を伸ばした先の空に浮かぶ、黒竜の先祖が創造した『楽園』があるという設定。
一旦ここでわたくしは舞台袖に戻り、王子役の翔が相変わらずの自然な輝きを今日はいっそう強く振りまきながらステージの中央に立つ。
「ああ! どうしてボクはこんなにも美しくなってしまったのか、これもすべては呪いのせい。王族にあるまじき醜き面を魔女は美貌に変えてくれた。しかし! それは呪いに違いはなかった! あらゆる女性はボクのことを本質で見てくれることがなくなってしまった!」
大げさなまでの手振り身振りで自身の悲哀を表現する。観客の女子たちは翔のことを本当に呪いにかかった王子の様に見えていることだろう。そのように暗示を自然に掛けられるのが翔のすごいところ。
「王子は毎晩誰もいない広間で女神像に向かって嘆き、魔女の呪いを受け入れたことを後悔していました。王子には国内問わず、国外からのファンも多く、時には過激な集団も現れるほど。……そんな王子がこの世の女性から逃げるように迷い込んだ王城の一室は、黒竜の少女が生活する『鳥かご』と呼ばれる人の寄り付かない部屋でした」
わたくしは舞台の袖から少しだけ姿を現し、作りものの扉をノックする王子を警戒しながら出迎える。
「あなたは誰ですか? ここは空も飛べない竜を押し込める鳥かご、人間が来る場所ではございませんよ」
「あなたはボクの姿を見てもなんとも思わないのですか! いえ、失礼いたしました。初めまして、ボクは……王宮の召使いです」
召使いにしては腰にレイピアを差し、赤いマントを羽織ったイケメンの男。でも、本当の召使いを知らない少女は王子の言葉を真に受ける。
「王子は嘘を吐きました。自分はこの少女を鳥かごに押し込めている関係者とは思われたくなかったのです。王子がとっさに吐いた嘘は少女に大きな影響を与え、そして、王子は自分の美貌に騙されない少女を詳しく知っていきたいと思ったのです。……これは、人間の女の子の姿をした黒竜の少女と、呪いに悩まされ本来出会ってはいけないはずの少女に近づいてしまった王子様の物語。彼女らの数奇な物語をどうぞ最後までお見守り下さい」
ナレーションの子が舞台袖に下がる。
これからしばらくは少女と王子の静かな時間が続く。
王国を物語の舞台にしたにもかかわらず、鳥かごと呼ばれる狭い部屋だけで繰り広げられる、小さいけど願いは壮大な物語。
少女は自分の羽で羽ばたき、空に浮かぶ楽園へと辿り着くことを願い……。
王子は本来の姿を取り戻すために呪いを解くことを願った。
目的はばらばらなのに、それに辿り着くための思いは一緒な二人は毎日のようによく話すようになる。
「君はどうしてあの楽園に行きたいのかな?」
「あそこには夢があるから。私にとってもゴールはあそこなの」
何度目かも分からない空へと手を伸ばす仕草。それだけ少女は楽園に憧れを抱いている。
「あなたはどうして美貌を捨てたいの?」
「ボクのこれは偽り。本当のボクを見て欲しいんだ」
互いに夢を聞いても、自分からそれ以上踏み込むことはない。相手に聞かせ続ける、そんな中途半端な関係をいつまでも続くと思わせる二人は部屋の外に出ることもなく、ただただ仰々しい演技の中、己の夢を相手に語り続ける。
大げさなくらいがちょうどいい。わたくしたちの演劇は大きく見せなくては伝わらない。
たとえ狭い部屋の中の小さな出来事の連続であっても、少女のわたくしと王子の翔は、まるで社交ダンスのような力強さと、フィギュアスケートみたいな美しさを兼ね揃えつつ観客に同情を誘った。
「呪いというのは未熟な者にかけられる呪術。誰かのことを本気で思えば解けるのだと……、しかし、ボクは誰かを本気で愛したいと思ったことがないのだよ」
「私は一人で飛ぶことが出来ない。人々の平穏を脅かす最悪の黒竜でありながら、誰かが翼を与えてくれないと、空を知ることすらできないのよ」
日常のような大げさな演技はしばらく続き、舞台袖からナレーションの子が改めて姿を現した。
「いつまでもこんな平凡な日々が続くと思っていた二人に、突然の転機が訪れます。隣国の王子が黒竜の少女の噂を聞きつけ、訪ねてきたのです」
隣国の王子役である二年生の男の子が服の下に腹巻を何重にも重ねた小太りの悪そうな王子に成り切り、王様に向かって膝を着く。
「王様、わたくしめにあの黒竜の少女をお譲りください。金なら言い値で払いましょう」
それに対し、王様役の男子が。
「ワシらでは扱いに困っておったのじゃ、よかろう、親睦の証として、黒竜の少女をお主に譲り渡そうではないか」
隣国とは懇意にしておきたい設定のこの国にとっては黒竜の少女は交渉材料として最適であり、演劇ゆえ簡単な話し合いの末、形式上の売買はあっさりと決まってしまう。
「隣国の王子は知っていました。この国の王子が黒竜の少女に入れ込んでいることを。そのため隣国の王子はこの国の王子を少女から引き離すため、卑劣な罠に掛けました」
ステージに牢獄を模した鉄格子が現われる。濡れ衣を着せられ、牢屋に閉じ込められた王子は、鉄格子を掴みながら必死な声で少女に呼びかける。
それは召使いとしての彼が、万が一として事前に決めていた『逃げろ』という合図。
「楽園へ向かえ! 君なら辿り着けるはずだ!」
……さあ、ここから先はクライマックスへと続く。わたくしの、一颯をふり向かせるために用意していた一世一代の大魔法を披露しましょう。
少女としてのわたくしは重い足取りで一人ステージの真ん中に辿り着く。
いつまでも部屋の中で過ごしてきた少女が、王子に言われるがまま豪雨の中を走り逃げ、城壁の外に佇んでいた。
「はあ、……はあ、……はあ、どうして、……どうして私は空を飛べないの!」
それは楽園への羨望ではなく、王子を連れて逃げるだけの力を持っていない自分自身への怒り。
「私はこんなにも空を求めているのに、あの人と共に逃げるだけの力がどうしてないの?」
小さなスポットライトがわたくしだけを照らし、激しい雨音のSEに雷光を見立てた黄色いライトをピカッと落とす。
「ああ……、私はあの人と一緒にいたかったのね。ずっと部屋に閉じこもっていたのは、そうすればあの人に毎日会えるから」
いつまで経っても子どものまま、羽は幼く、産声を上げた時からまったく成長していない。
「空ばかり見ている私に歩み寄ってくれた。一緒に空を見上げてくれた。私となら一緒に楽園に行ってもいいと甘い声で囁いてくれた。……ああ、私のこの黒い髪を、ダイヤモンドよりも美しいと撫でてくれたあの人が、今は恋しい……」
少女はここで初めて、王子のことが好きになっていたことに気付く。美貌の呪いではなく、心から、王子の全てが恋しいと気付く。
「もうあの人がいないなら、こんなもの、……いらない!」
懐から取り出したのは果物用のペティナイフ、わたくしは腕を回して膝裏まである長い黒髪を肩あたりから切り落とした。
「もう、私は楽園なんて求めてない!」
ペティナイフはそのまま背中の羽を切り落とす。
突然の真っ赤なライトに包まれて、喉を焼き切らんとばかりに悲鳴をあげた。
「アアァアアアア――――――――!!!!!」
観客のほとんどが、わたくしの迫真の叫びにビクッと身体を震わせた。いままで大人しい少女を演じていたが、急に乱雑な荒々しい怒りを露わにし、そして少女はちゃんと黒竜であり、人の存在を脅かすものだと再認識してもらえたはず。
切り落とした髪を持って舞台袖に引っ込むと、そこで舞衣子が美容院でよく見る銀色のハサミを持って待っていた。
胸元のマイクが切れたのを確認した舞衣子が呆れた顔でわたくしを椅子に座らせて、首元にタオルを巻かれた。
「ウィッグがそこに置きっぱなしだからまさかとは思ったけど、……何か、変われた?」
「ええ、変わったわよ。見た目も、乙女心も。もうただの小さな年上彼女ではなくってよ」
「あっはっは! 霜月兄が今の花恋を見たらどんな反応をすることやら。あいつが今までの子どもっぽい花恋が好きだったらどうするつもりよ?」
「大丈夫よ、別に何もかも捨てるわけじゃないの。これからもわたくしは可愛らしさを追求するつもりよ」
細かいところは美容院でやってもらうとして、乱雑に切られた髪は舞衣子のおかげである程度綺麗に揃えられたみたい。
これがわたくしの魔法。一颯をふり向かせるために大切な物を切り捨てる覚悟。反対側の舞台袖で、一颯はわたくしの魔法に掛かっていたかしら? それだけが気になってしまうわ。
ステージではわたくしと入れ替えに翔が牢獄から一人悲哀な声で演技をしている。
「ボクはあの子を逃がす事しかできなかった。もう、あの子に出会うことはないだろう。……あと、一度だけでいい、一度だけ、あの子の微笑んだ横顔を眺めていたい、何よりも美しい黒髪をこの手で撫でてあげたい。それだけをボクは希う」
牢獄で月日が経っていくように、朝のような明るいライトと、夜を思わせる冷たい青の月明かりを交互に何度も往復させる。
それを何度か繰り返したあと、窓からひらひらと切り落とした黒い髪を模した影のような照明を牢屋へばらばらに落とし入れる。光らせるように、それが呪いを解くカギだと分かるように。
この髪が王子の願いを聞き届けたかのように呪いを吸い取っていく。
「な、なんだこれは! う、うわあああああ!」
翔が下を向いて顔を手で覆い隠す。王子を包む怪しい紫色のライトの中、何かが蒸発していくような演出。
その後、髪は王子の手によって空へ投げ捨てられどこか遠くへと飛んで行く、というナレーションが入る。
これで呪いは吸い取られ王子は昔の醜い顔に戻るのだが、元に戻った顔を見た王様は自分の息子のことを正しく認識できなかった。
「貴様は誰だ! 余の息子をどこへやった!」
「父上、ボクです! ボクがあなたの息子ですよ! どうして気付かないのですか!」
「余の息子がこんな薄汚い下賤な男であるはずがない。……ええい! お主の顔など見たくもないわ! さっさと国外へと追放せよ!」
「そんな! 父上! 父上!」
これは王様なりの下手な情けだったのではないかと思う。拷問するなりして王子の居場所を吐かせるまでもなく、国外への追放。見捨てるという選択ではあるが、これで王子は誰にも気づかれることなく逃げ出すことが叶うのだ。
観客から見て何もないステージの右側から王子が出てくる。王子は一人ポツンとみすぼらしい服装のまま下を向いている。
今回の舞台で一つ問題があったとすれば、翔は何をやっても輝いてしまうということ。美貌の持ち主としては翔ほど似合う人物はいない。しかし、たとえみすぼらしい格好をさせても顔はこれでもかと輝き、この舞台では化粧をする時間もない。だから呪いが解けた王子は最後まで顔を観客から背けつつ演技をする。
わたくしは髪を切った姿で、背中には今までとは打って変わって背丈よりも大きな黒い翼を背負い、ステージの上から手製の黒い羽が舞い散らされる中をゆっくり歩く。
次回、旧花恋ルート、最終話です。
大変長らくお待たせしました。やっと本編に戻ります。といっても幕間感が強めの本編なのでご了承ください。