147旧花恋ルート 前夜
何かきっかけが欲しかった。
いつもと変わらない日常、部屋には心春。
変わったことがあるとすれば、部屋で心春と過ごしながらも考えることは花恋の事ばかりになったことだろう。
この前のデートは楽しかった。
初めて見る銀木犀の花は美しく、匂いが強くて間近で嗅いだのは失敗だったけど、そんな顰め面の俺に花恋の笑みには気恥しさなんてどこかへ消えていった。その後に銀木犀をバックに取った写真は世界で一番可愛い自慢の彼女に間違いない。
同じく観光に来ていた老夫婦が俺たちのことを撮ってくれて、その写真は俺の机の上でポートレートに飾ってある。
他にも気まぐれで撮った写真をボードに貼り付けられていて、俺の部屋はそれだけで景色ががらりと変わった気がした。
でもそれだけでは足りない。
俺が本当に花恋のことだけを見ている証拠を求めていた。
「一颯くん、明日だね、文化祭」
「…………」
声には出さず、静かに頷いた。
「緊張してるの?」
心春の言葉に手を左胸に当ててみると、誰でも分かるほど早く血液を送り出していた。
「まあ、花恋の高校最後の舞台に俺が緊張してどうするって話かもしれないけど、それなりにはな」
「せっかく彼女の最後の舞台なんだから、ちゃんと引き立てられるようにしてよ」
「分かっているさ。そのための準備はしてきた」
舞台裏のリーダーとして、俺は花恋が最も輝けるサポートは何が出来るかを考え続けてきた。
俺がいなくても輝いて見せる花恋を、俺の力でもっと、もっと引き立ててやりたい。
そんな欲を求め、俺は一つの決断をした。
本番で挑むことになるが、城戸先輩も柊木先輩も俺の案に快く乗ってくれた。
当日の舞台は『黒翼の少女』という花恋のためのオリジナルシナリオであり、俺は台本を読んで、……酷く後悔した。
花恋が主人公の『少女』であり、その少女が恋する相手が柊木先輩の演じる『王子』。苦難を乗り越えて結ばれる約束された展開ではあるが、舞台に俺が立てないことが悔しかったのだ。
もっと早くから稽古をしていて、裏方だけでなく演者として、オーディションに参加していればあるいは……、そんな後悔をしたってもう遅い。
だから苦し紛れの案だったはずだ。屁理屈に近かったのかもしれない俺の懸命な言葉を受け入れてくれた先輩たちには感謝しなければならない。
「あーあ、明日緊張するから一颯くんの布団で寝たかったけど、もうそれも出来ないしなー」
「花恋に浮気者と冷めた目で見られたくないから我慢してくれ」
「分かってるよ、もう一颯くんは私と一緒でなくても歩けるようになったもんね?」
「それだと俺が何かに怯える子どもみたいじゃないか」
あながち間違いではない気もするが、幼馴染として、今は義理の兄としてせめてもの格好つけだ。
寄り添っていた幼馴染から、俺が花恋と付き合い始めたことで心春とはやっと兄妹としての関係が芽吹いてきたと思った。
俺と心春の関係は簡易的なテープで留めていただけだったが、ついに混じり合って一つにまとまった、……みたいな? やっと家族になったように思える。
最近の心春は俺の部屋よりも自分の部屋で過ごすことが多くなったし、父さんからお下がりのPCを貰ってからはそっちに夢中になっている時間が増えたように感じた。
もしかしたら花恋に遠慮しているのかもと思ったけど、正直なところどうなのか分からない。
今はたまたま明日の準備と確認で俺の部屋にいるわけだが、それもすぐに終わった。
「ちゃんと部長を引き立ててあげないとだめだよ? 未来のお姉ちゃんが主役なんだから」
「そっか、花恋は心春の姉になるのか。ここまで血が繋がっていない関係ってのは面白いな」
「だけど、誰よりも強い絆で繋がっているって実感はあるんだよね。ちょっと一颯くんを取られたのは悔しいけど、相手が部長でよかったと思ってるんだ。ちゃんと心から祝福できるもん」
「姑みたいなこというなよ、誰であっても祝福してくれ」
たとえ花恋と付き合おうと隣には心春がいる。この事実は変わらないし、変わろうとしない意思が働いている。
俺はそれを変えなくてはならない。自分の力で、不器用でもきっかけを作り、俺は明日、それを実行する。
「……怒られるだろうな」
「そうだね、私も先輩たちも共犯だし、みんな部長にお説教をされるんだろうね」
顧問には話を通してあるとはいえ、花恋には教えていないからな。でもその説教もすべてが上手くいった後だと思えば楽しみになってしまう。
心春と共に笑みをこぼした。
やっぱり考えることは同じ、緊張が混じったぎこちない笑顔。
「早く寝て、朝一で学校に行って最後のチェックだな」
「うん、城戸先輩が部長を少し遅らせてくれるみたいだから、頑張って早起きしないとね」
「だな、……じゃあ、おやすみ。寝る前にPCの画面を見たら寝られなくなるからな」
「わ、分かってるよ! 夕飯前にちゃんとシャットダウンしたから大丈夫」
ちょっとだけ、と考えているのが丸わかりだった心春に釘を刺し、心春は部屋に戻っていった。
一人になれば部屋に残った心春の残り香に意識が向いた。新しくしたというトリートメントで髪に艶が出ていたのを、先ほど髪を梳かしているときに一応は気付いていた。
……やっぱりすぐには変われないんだな、と布団に潜りつつ明かりを消すためリモコンを手に取る。
花恋には通話でお休みと伝えてあるが、聞こえないと分かっていてもう一つ伝えたいことがあった。
「俺は花恋のことだけを見てるよ」
花恋には何度も伝えたが信用してもらえないこの言葉。だから、明日ばかりは絶対に、花恋を惚れ直させてやる。
俺のことしか見えない舞台にしてやる!
旧花恋ルートもそろそろ終わりが近いです。本編らしい展開に戻りますのでもうしばらくお付き合いください。