146旧花恋ルート 〈花恋〉朝
部屋のカーテンの隙間からから差し込む朝日に促さるように目が覚めた。
一応はセットしていた目覚ましのタイマーを切り、大きく伸びを一つ。
時間を確認すれば、朝の六時を少し過ぎたあたりで、布団から出て窓を開ければ清々しい秋空が飛び込んでくる。
今日は文化祭、わたくしの高校最後の演劇。
舞衣子の提案でわざわざオーディションまでして、わたくしは審査員だからと辞退したけども押し切られて参加した結果、……わたくしが主役に抜擢されてしまった。
相手役が一颯でないのが少し残念だけれども、高校生として最後のわたくしの演技を一颯たちに、特等席で見せる約束を果たすちょうどいい機会だった。
さんざん後回しにしてきた、中学生の時に一颯と心春に助けてもらったお礼を最高の状態で二人に披露する。
……一颯は気付いていないだろうけども、わたくしはもっと前に一颯と出会っている。
出会っているというか、そのときも違う形で助けてもらったという方が正しいのではあるが、誘拐犯から救ってもらったお礼を何かしらの形で返したい。
今日は中学生の時のお礼、そして、今度のデートは……。
「一颯はなにが一番喜ぶかしら?」
開けた窓から見える秋空に向かって独り言ちる。
目の前を黄色いイチョウが風に乗って過ぎ去っていった。あの方角には一颯の家がある。
「今日も心春と楽しそうに学校に来るのかしら? やっぱり心春には嫉妬してしまうわね」
『一颯』のこととなると、どうしても心春のことを思い起こしてしまう。
わたくしが心春との競争に勝ったはずなのに、まだ真後ろをぴたりと着けられている気分。それは一颯が無意識に心春の手を引いているからに違いない。
「はあ、どうしたらわたくしのことだけを見てくれるようになるのかしら?」
浅ましい女と思われても仕方ない。恋人であるわたくしよりもずっとずっと、今も心春の方が一颯と共に過ごしているのだから、真正面から勝てるはずがないのだ。
だからわたくしから一颯をデートに誘って、他のことを考えられないようにしてあげることが最もわたくしの方を見てくれると思っていた。
でも一颯の頭の中ではきっと、心春もいたらもっと楽しくなるだろうな、とそんなことを考えていたことだろう。
「……はあ」
せっかく最後の晴れ舞台だというのにため息が止まらない。
一颯はわたくしのことを愛してくれる。抱きしめてくれる。キスをしてくれる。ジュリエットのようにロミオを待ち続ける毎日ではないのだ。わたくしが一颯を好きにしていいのだ。
織姫と彦星が、毎日いちゃついても怒られないわたくしたちを、通り過ぎた夏の夜空から羨んでいると思ったらクスリと口元がほころんだ。
「さあ、お寝坊の舞衣子を起こして朝食に行きましょうか。一颯を魅了させる完璧な演技を、絶対に心春には負けないわ」
どこまでも続く澄んだ秋空は答えない。
それでいい。今日ばかりは綺麗に晴れてくれていたら、それだけでいいのだ。
……朝は苦手という舞衣子の部屋の合鍵を使って勝手に扉を開け放つ。
好きな俳優のポスターが壁に所狭しと張られた舞衣子の部屋は、それでも床に物は落ちていない。
こう見えて己で定めた理想の女性を目指す舞衣子は料理も掃除も洗濯も出来る完璧な女子なのだ。
さわやかな笑顔が売りの俳優に憧れて芸能界に踏み入れた舞衣子だが、不純な動機とは裏腹に目の前の仕事には一直線に取り組んでいる。
舞衣子の枕元の立つと同時に、起こす気があるのか疑問に思うほど弱々しい目覚ましが音を鳴らす。これ、壊れているのでは?
「舞衣子、起きなさい。今日は文化祭よ」
「あと、……五分だけ」
「今も五分も変わらないわ、すぐ動けるように朝から軽く運動しておくわよ」
「花恋は元気だねぇ、その元気を夜の霜月兄にぶつけてあげればいいのに」
「一生そこで寝ていたいかしら? ちょうどここにガムテープがあるから、布団ときつく貼り合わせてあげるわよ?」
「せめて苦しくないようにお願いします」
「無理ね、嫌なら起きなさい」
「……はい」
しぶしぶとばかりにゆっくり上体を起こした舞衣子は、前日に髪を乾かさずに寝たのか、寝癖が酷いことになっている。どうやら朝の運動は諦めた方がいいのかもしれない。
髪がカチカチになった舞衣子をシャワー室に押し込み、シャワーで強引に梳かして目覚まし代わりに冷水を背中に軽く流した。
当然飛びあがって、半泣きの姿を拝めたがその分また時間を使いそうだった。
夏ではない時期の冷水を掛けられてはたまったものではない。温まり直そうとわたくしはシャワー室を追い出され、そこからたっぷり三十分はシャワーの流れる音が部屋に聞こえてきていた。
「細かい化粧は向こうでやるから、軽くにしておきなさい」
「あ、そっか、今日って舞台当日か」
「……舞衣子?」
「冗談だって! そんな据わった目で私を見ないでよ」
「だったら早く準備なさい。今日が最後なのよ」
舞衣子にとって今日の舞台は通過点に過ぎないのか、それともルーティンなのか、いつも通りのペースでしか動かない。
カーテンと窓を開けて大きく深呼吸、パタパタと風に揺れるカーテンを窓脇の紐で巻き取り、まだ少し湿っている舞衣子の肩口で切りそろえられたショートヘアを手で梳いた。
髪の絡まりが酷いため、洗面所から櫛を持ってきて舞衣子に投げ渡す。その間にわたくしは布団を畳んで脱衣所に舞衣子の寝間着を洗濯籠の中に入れた。
結局、朝一で身体を慣らすための運動は出来ず、着替えたこの運動着も無駄になった。仕方ないから制服に着替え直そう。
舞衣子とは食堂でまたということで部屋に戻り、ぱぱっと制服に着替える。
部屋の鍵を閉め、廊下を歩き出せば舞衣子が廊下で口笛交じりにわたくしを待っていた。
「あら? 舞衣子ったら準備は早いのね」
「制服着るだけだったら花恋のそれよりはさすがにね」
舞衣子がわたくしの全身を眺めた後、制服を指させば納得はする。
たしかにここまでフリフリに改造した制服となれば身だしなみに気を使うし、縫った箇所が解れないよう慎重にもなる。
逆に舞衣子みたいに着こなしともいえる崩したスタイルは無理に見た目を整える必要はないように思えた。
わたくしが突然舞衣子みたいな格好をしたら一颯はどんな反応をするのか気になったが、一颯のことだから変に心配されるかもと思うとあまり気乗りはしない。
「そういえば最近、一颯が朝に会ってくれないのよ」
食堂へと向かう道中、わたくしは最近の悩みを舞衣子に聞いてもらう。
「突然何言いだすかと思ったら霜月兄のことね、惚気話でないだけマシに思うよ」
「そんなわたくしが一颯のことしか話さない女だと思わないでちょうだい」
「実際、ここ最近は口を開けば一颯のことしか話さないじゃない。昨日も今も、そんなに会いたいなら直接家に行けばいいじゃない」
「だってそうしたら心春が……」
「義妹に取り入らないでどうするの、そこはガツンと押し当たりなさいな」
舞衣子は簡単に言うが、そんなすんなり気持ちが追い付いてくれるのなら苦労はしない。
一颯にはわたくしのことだけを見て欲しいと願っておきながら、いまだに心春の姿を見ることに恐れをなしているわたくしがいる。
会えば普通に挨拶をするし世間話や一颯のことで盛り上がる。でも……、わたくしよりも一颯のことを知っている心春と話すことに多少なりとも敗北感を抱いてしまう。
「何か、……きっかけが欲しいわ」
「ん? なんか言った?」
少し先を歩いていた舞衣子がわたくしに振り返った。
「いいえ、何でもないわ」
高校最後の文化祭、わたくしが心春に抱く感情を振り切る機会があるとすれば、今日の舞台でしかありえない。
心の奥底で、不安と期待が葛藤していた。
もう少しで本編らしい展開に戻ります。
気が付けば目標よりもかなり多くのブックマークやポイント評価をいただいていました。本当にありがとうございます!
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