141旧心春ルート 墓前の誓い
心春の母さんは、あまり笑わない人だったらしい。
らしいというのは、俺が知っているおばさんは朗らかに笑う“お隣のお姉さん”みたいな人だったから、俺の母さんから聞いたおばさんの昔については意外と思わざるを得なかった。
俺の父さんとは幼馴染だったそうだが、ヤンキー崩れだった父さんを制御し続けたおばさんと思えば冷徹な性格はピッタリなような気もした。
俺の母さんと出会い、父さんが落ち着きを取り戻したことで余裕ができたのか、よく笑うようになったと聞く。
冷静さを忘れず、好きな時に笑うことの出来る女性として、心春は子どもの時から憧れていたのだ。
……そんな母が目の前で亡くなったとなれば、この世の終わりとばかりに絶望し、泣き叫ぶのは当然のこと、俺はそんな心春を慰めることすら出来ず、共に心を塞ぎ込んで部屋に籠る以外に選択肢を取れなかった。
「母さん、……私、一颯くんと付き合うことになったよ」
心春がおばさんのお墓の前で手を合わせ、呟いた。
墓前の雑草は綺麗に引き抜かれ、おばさんが好きだった桃を供えてある。心春の後ろでは母方の祖父母が墓石に、遠い、遠い、だけど温かい、生前の娘の姿を思い浮かべているに違いなかった。
唐突な不幸に巻き込まれ、心春は憧れを失い、それでも今は元気に毎日を過ごしている。
それは心春の父さんと、塞ぎ込んだ俺たちの為に再婚までしてくれた俺の母さんのおかげなのだ。
でもこれからは違う。……俺が、最も大切な心春をずっとずっと笑顔にさせていなければならない。決して悲しませたくない。
墓前から立ち上がり、俺のために場所を開けてくれた心春と変わって、今度は俺が手を合わせる。
天国にまで本当に言葉が届いて欲しい。だから、周囲のことは一旦忘れて、目を瞑っておばさんのことを真剣に思い浮かべた。
心春とは違ってきっちり肩で切りそろえられた黒髪と、平均より少し高い身長、怒るときは怖かったけど、笑った時は親子寸分たがわず同じ笑顔。
俺と心春の保護者四人の中で一番的確な意見を出してくれたおばさんに、俺は心春を一生大切にすると報告、そして誓う。
……私なんかを思い出すより、常に心春のことを見ていなさい、……そんな文句で怒られた気がした。
「はい、俺は心春の為に、心春の傍に在り続けます」
ぱっと瞼を押し上げた時にはもう、幻覚に見えていたおばさんの姿は消え、代わりに後ろから心春が声をかけてくる。
「頑張らないとね。もう私たちは一緒に歩くことが出来るようになったんだし」
「そうだな、一緒に待っていただけだったから、今度は前に進まないとな」
心春のことを考えて、亡くなったおばさんのことを思って、もう手は震えなくなった。もう怖くない。
俺が心春を幸せにしたいと思うように、心春が俺のことを幸せにしてくれると信じている。
二人三脚で、何度も転ぶだろうがそれでいい。今までは転ぶことすら出来なかったのだから、大きな一歩は盛大に、それでいて隣には心春がしっかりと支えてくれることを知っている。心春の笑顔に俺は幸せを見出せる。
心春の祖父母とは帰る方向が違うため、昼食を摂った後は車で静かに帰っていった。
俺は背負っていた鞄から水なしで飲めるタイプの酔い止めを取り出して適量口に放り込む。
行きで相当体調を悪くしたから帰りのバスで体調が持つか分からない。ただ、今日のバスでの帰りは今までと違って、心地よく揺られながら寝ていることが出来る気がする。
次に墓参りに来るのは来年かもしれない。でも来年は俺も心春も受験だから、父さんたちに任せてしまうかもしれない。
……一日くらい大丈夫だ。来年は受験合格を祈ってもらうためにお願いに来よう。
「じゃあね、父さん、おばさん。また来るから」
名残惜しいが、俺たちの居場所はここじゃない。最後に遠くから父さんたちの墓石を眺めて、俺たちは霊園を後にした。
たった一時間と少しのこと、それだけなのに、死者との挨拶は済ませてしまえるのがイヤだった。
はっきりと別たれた場所で、互いに干渉することを許されない不思議な力が働いているみたいで寂しい。たった一言でも話せればいいのに。
バスに揺られながら来た道を戻る。なるべく前方の窓際に座った俺と、時折背中を優しく撫でてくれる心春と二人で一つのシートに座り、必死に気持ち悪いと意識しないように目を瞑っていた。
何かに没頭すれば気にしなくなるのかもしれないが、余計に酔うだけの気がして、だったら心春のことを考えていた方が有意義な時間の使い方だと思う。
心春は……やっぱり少しだけ無理をしていたみたいだ。
昨夜はあまり眠れなかったみたいだし、今日はおばさんの前で泣くことなく必死に元気な姿を見せていた。
「俺は大丈夫だから、心春は寝るといいよ、顔が疲れているから」
「うん、……そうさせてもらうかな。ねえ、寝ている間、手を繋いでてくれる?」
「いいよ、それくらいお安い御用だ」
二人の間で温もりを求めて手を重ねて握り、溶けて合わさるように指を絡めた。俺も心春も、この形が一番落ち着く。
不思議とバス酔いが少しだけ収まった気がする。釣られたように俺も眠くなってきて、欠伸が一つ漏れた。
「一颯くんも、疲れてるでしょ? ……ふあーあ」
欠伸が移った心春は目元をこしこしと擦り、力が抜けたみたいにこてんと俺の肩に頭を乗せてきた。
近頃は気温が下がってきたから、身体を密着させることが心地よい温もりに眠気を誘われる。
バスが信号に止まって揺れも一瞬収まる。その間だけあれば、俺たちが夢の中へと旅立つのには十分すぎるのだった。
前に少しだけこの作品を読み返してみたところ誤字脱字がかなり見つかったので、どこかでそこら辺の修正をしたいと思っているのですが、たぶんそんな時間はないんですよね。
追記
ブックマーク、ポイント評価のおかげでモチベーションが保たれているどころかかなり上がっています。
まだしてないという方はどうかしてくれると嬉しいです。よろしくお願いします。