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いつか選択肢に辿り着くために  作者: 七香まど
五章 往年の攻略シナリオ
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139旧心春ルート 〈心春〉始まりの日

 “こはる”と“いぶきくん”は真っ黒な喪服を着て、手を強くぎゅっと繋ぎながらわんわん泣いていた。


 もう、小学校五年生にもなるというのに舌足らずで、語尾がよく曖昧になるけども、泣きじゃくる時だけははっきりと、母さん、母さんと叫び続けた。


 これだけ泣いても周りの大人たちはこはるたちのことを鬱陶し気にするのではなく、終始憐みの視線を送ってきていた。


 どこかのこはるたちより小さな子どもが、どうして泣いているの? と母親らしき人に聞いて口を強引に塞がれている。


 でもそんなのどうでもよくて、こはるの左隣で悔し気に、ぶつけようのない拳を膝に何度も叩きつける父さんと、こはると同じにわんわん泣くいぶきくんに挟まれて、こはるは泣いて喚いて、見ていることしか出来なかった。


 大人たちがこはるたちに向かって何かひそひそ話している。聞こえないし意味も分からない。


 さっき見た棺に横たわる母さんの顔は穏やかだった。あんなひどい事があったのに、どうして笑っているの?


 でも苦しそうにしてなくてよかった。こはるじゃ、もう母さんを笑わせてあげることができないもん。


 何か特別? 異例? そんな葬式をしているみたいだけど、母さんの棺の隣にはもう一つ棺があって、そこにいぶきくんの父さんが寝ていた。


 当時、いぶきくんの隣にいたこはるは、おじさんが最後にいぶきくんとおばさんを必死に守ろうとしていたのを見ていたから覚えている。


 だから、目の前で起きて、それが無かったかのように眠っているのが信じられなくて、いぶきくんはこはると同じく泣いている。


 泣いて、泣いて、泣きつかれて、いつの間にか、すとんと憑き物が落ちたみたいに眠っていたのだ。


 目を覚ました時、薄い毛布にいぶきくんと一緒に包まれていた。


 落ち着かない和室の畳から逃げ出すように枕にされていた座布団で“島”を作り、そこに膝を抱えて縮こまり、いぶきくんの寝顔を見ていた。


 でも一人でいるのが怖くなって、そっと手を伸ばしていぶきくんの方を揺すった。


「ねえ、いぶきくん、起きてよぉ、こはるの隣に来てよぉ」


 真っ暗な和室はお化け屋敷みたいに周囲の情報が遮断されていて怖かった。部屋の明かりを点けるスイッチがどこにあるかも分からないし、立ち上がることが出来ずにいる。


 それでも目の前にいるのがいぶきくんだということははっきりと分かる。


「……う、うぅん、こはるちゃん?」

「うん、こはるだよ、ねえ、いぶきくん、……こわいよ」

「ぼくも……こわい。……いやだ」


 手を繋ぎ、より密着できるよう指を絡ませて、こはるの小さな島にいぶきくんを招きいれた。


 ほとんど抱き合うような形で、今度は静かに涙を零した。


 雨が降っているか降っていないか、そんな曖昧な涙を二人で共有する。


 それからお互いに言葉を発した覚えがない。大人たちの誘導に従って島から出たのは覚えている。


 常にいぶきくんとは手を繋ぎ、シャワーやおトイレなんか、どうしたのか覚えていない。そもそも入っていなかったかもしれない。


 すべてが終わって、じいちゃんがこはるたちのことを家まで送ってくれた。


「うっ、……うげぇ!」

「いぶきくん!」


 窓の外を見たいぶきくんが突然吐瀉したときは驚いたけど、こはるも外を見て、遠くに大きなお山があるのが見えて、理解した。


 それから家について、お隣でもいぶきくんと離れるのがイヤだった。一緒にいるとぐずって、父さんを困らせて、こはるはいぶきくんの部屋で呼ばれるまで待機することとなった。


 でもいぶきくんが体調を悪くして、こはるも風邪が移ったみたいに寝込んで、それからは長い時間ずっといぶきくんと一緒にいた。


 いぶきくんの母さんが作ってくれたお料理をもそもそと口にして、一緒の布団で寝て、朝はゾンビみたいにゆっくり起き上がって、……それからはずっと部屋に引きこもっていた。


 学校なんてどうでもよくなって、噂ではクラスがお通夜みたいにずっと静まり返っていたみたい。だってクラスを盛り上げていたの、いぶきくんだもん。


 友達の女の子がお見舞いに来てくれたけど、顔を合わせることすらなかった。部屋の隅で山になっていく二人分のプリントに手を伸ばすこともなく、ずっと暗い部屋に閉じこもった。


 だから学校の行事なんて参加していない。運動会も、音楽会も、修学旅行も、こはるたちのクラスだけはしーんと静まり返った寂しいものだったと、月に一度、家庭訪問に来る担任の先生が話してくれた。


 新任の女性の先生なのに、忙しくてこはるたちに構っている余裕なんて無いはずなのに、先生はどうして何度もこはるたちに会いに来てくれたのかな?


 いぶきくんに一度だけそのことを聞いたことがある。すると。


「……正義感だよ」


 それだけ呟いて、今日もまた黙りこくってしまう。


 月に一度、それがこはるたちに意味をもたらそうと、先生は手書きのノートを二冊、毎回必ず持ってきた。


 こはると、いぶきくんに、先生の手書きで書かれていたのは、その月の授業を簡単に分かりやすくまとめたものだった。


 休みの日に来ては、一言も話さないこはるたちに手元の白いボードにペンで授業をしてくれる。ほとんど頭に入っていない、だって、聞きたくないもん。


 学校側は、先生の作った手書きのノートにこはるたちが空欄を埋めていくことである程度の出席とみなしてくれていたけど、言われたことを適当に書いただけで何も理解していない。


 ……八カ月、それだけの間、こはるといぶきくんは先生のノートに書くだけの作業を繰り返し、寄り添い合って何もせずにいた。


 授業を聞かずに聞き流して、先生が悔しそうな目をして帰っていくと指示されたわけでもなく横になる。


 膝を抱えて丸くなり、何もせずに過ごす毎日。身体が細くなっていくのに、身体がどんどん重くなっていく。


 ある日、背中合わせで座っていると、後ろから紙をぺらっと捲る音が聞こえた。


 何かプリントが落ちていたのかと思ったら、いぶきくんが先生のノートを開いてじっと眺めていたのだ。


「いぶきくん?」


 真似するようにこはるも先生のノートを開いて、授業内容を眺めていると、今度はいぶきくんの背中がこはるから離れて、手にペンを握って戻ってきた。


 戻って来て、そのままカリカリとノートに書き始め、それをこはるは真似た。


 分からないところは飛ばした。ほとんどがそうだったかもしれない。


 何もしないことに慣れていたけど、早く元に戻りたい。心の奥底でそう思っていたのかもしれなくて、こはるはふと、久しぶりに部屋を出て、裸足のまま自分の足と形の合わない靴を履いて玄関を押し開けた。


 後ろでいぶきくんの母さんが驚いた声をこはるに掛けてくるが、それが後押しになったみたいに、つんのめるように足は日差しを遮る屋根の陰を飛び越えた。


 そして恐ろしいほどにやって来る外の情報量に、脚がすくんだ。


 不協和音を奏でる蝉の声と、じりじりと肌を焼く音、陽炎に歪む視界と、……先生の驚いたような、だけど落ち着いた柔らかい声音。


「こんにちは、霜月さん、これからおでかけ?」


 玄関の前には、真夏の休日だというのに、きっちりとしたアイロンのかけられたスーツとタイトスカートの先生がいた。


「ううん、ちがうの、お日様がこはるを呼んだの」

「そう、それじゃあ、少しお散歩でもする?」

「……うん」


 いま思えば、これがこはるの全ての始まりだったのかもしれない。いぶきくんがいないと生きていけない、母さんが亡き今、いぶきくんだけがこはるの心のよりどころ。


 それが今、瓦解した。一時だけどこはるは初めていぶきくんの手を離した。


「先生、こはるに……、私にいぶきくんを元気づける方法を教えてください」


 『こはる』から『私』へ、舌足らずで曖昧だった語尾はいつの間にか治り、先生には人気のない公園で頭を下げた。


 虚ろな目をしたままのいぶきくんは、先に立ち直った私より数か月遅く立ち直るが、それはまた別のお話。







どこかでやりたいなと思っていた幕間が本編としてしばらく続きます。

時間があれば週に三話くらい投稿したいのですが、なかなか難しそうです。モチベーションを維持するためにも、ブックマークやポイント評価等をしてくれたら幸いです。

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