135虚勢
六月二十五日、リスタート地点に立った俺の携帯に着信が入る。
授業中だが現国の田中先生はあまりそれを咎める人ではないため、今回だけはとメールを開くと知らないアドレスではあったが、それがサラさんからというのは瞬時に理解した。
『屋上で話の続きでもどうですか? 何も知らないままでは苦しいでしょう?』
余裕綽々としたメール内容にむかついたから返信をしなかった。それにそんなことをしなくても意思を伝える方法を知っていたから。
授業が終わって、俺はすぐに廊下に飛び出る。そして四階を見上げれば、そこに少女がいつも通り待っていた。
「君はサラさんだったんだな、分かりづらいけど、太陽と重なっていて銀髪だということに気付かなかったよ」
独り言は届かず、しかし彼女の口は笑った気がした。
少女は背中を見せてその場を去った。
教室に入る前に加賀美先生から机と椅子を受け取り、俺の席の隣に唯人の席をセットする。
聞き飽きた先生の過去話を聞き流し、放課後、用事があると言って聖羅に心春のことを任せた。一気に階段を駆け上がる。
誰もいない五階からさらに階段を上り、横に取り付けられた窓から身をくぐらせると、先ほどまでの春の温かさはない。猛暑日のような熱気がぶわっと顔面に襲い掛かってきた。
見渡す限りサラさんはどこにもいなくて、まだホームルームが終わっていないのかと思っていたら、後ろから、それも少し上の方から声が掛かってきた。
「一颯先輩、こんにちは。相変わらず早かったですね。それと女の子からのメールは返信くらいしてくださいよ」
屋上扉の天井部分に座り、スカートでもお構いなしにパタパタと脚を前後に振るサラさんが俺のことを見下ろしていた。
「サラさん、……本当に君は俺の敵なのか?」
「そうですよ。元恋人で今は敵、シナリオ的に面白いじゃないですか? まあそんなことは置いておいて、せっかく私が長年かけて見つけた情報を同業者に話さず終わるのがもったいないと思いまして、……聞きたいですよね? それと、私のことは呼び捨てでいいですよ。むしろそう呼んでくれた方が違和感はないので」
昔はそう呼んでいたのだろう。それにライバルを敬称で呼ぶのはなんか格好がつかないからこれからはそうさせてもらう。
「じゃあ、サラ、改めて聞く、どうしてこのループする世界にこだわる?」
一度聞いた問い、もう一度聞けば俺の望む答えが返ってくるのではと淡い期待を持っていたが、答えは先ほどと変わらなかった。
「私が唯人先輩との永遠の時間を過ごすため、そのためだったらなんだってしてやりますよ。何をしても今日に戻るのですから、誰かを殺めたって、この身を売ったって、痛くもかゆくもない。いろんな角度から唯人先輩が私のことを見てくれるのだったら後ほど自殺してもいいです」
過激な発言の中でも、サラの言葉には何か意味があるように思えた。
「……自殺したらどうなる?」
「自殺したらその瞬間にリセットされますが、うーんと、……細かいことは分かりませんし説明も大変なので簡単に言いますと、情報が再構成されるまでにラグがあるんです」
「ラグ? 俺とサラに違いがあるのか?」
「大ありですよ! 生きてきた時間や持っている情報量に差がありますし、そのラグを極限まで無くそうとタイミングを見計らったんですけど、逃してしまいました」
サラが話していることと、先ほどのリセットの話が繋がった。つまり、真奈美ルートが突然終わって、白い女性、サラが現われたというのは、タイミングを見計らって自らの命を絶ったということ。
その様子を想像して口元を抑えた。
「えっと、そんなに刺激の強い話でしたか? 別に自殺くらい簡単でしょう? 高台の奥にある崖で目隠しして飛び降りたら痛みなんて一瞬です。妙に長く感じられる浮遊感が面白いですよ、今度試してみてください」
「絶対にやらない」
「大丈夫です。いつか絶対にやりたくなりますから」
自信ありげにほほ笑む彼女の言葉を否定できないのが気持ち悪い。幾度の繰り返しに一度は考えたことのある自殺。それを淡々と語る彼女の体験談をスッと心が受け入れてしまった。
「脱線しましたね、今日は唯人先輩の部屋に遊びに行きたいのでさっさと進めます。まず、脳内のファイルを開いてください。一颯先輩にもあるでしょう? シナリオが大雑把に書かれたふざけたものが」
慣れた動作で脳内のファイルを開くと、相変わらず適当なシナリオや設定が出てくる。
「ああ、あるぞ、これがなんだ?」
「これは私たちで共有しています。一颯先輩がシナリオを進行させれば私の脳内のファイルも更新されてシナリオを見ることが出来ます」
「なるほど、だからサラは俺の行動を把握していたのか」
唯人のことは放っておいても勝手に更新されていくから、俺のことを観察していれば見えない穴部分を補えてしまう。
「それで次は、前のゲーム、一颯先輩が主人公だったときのシナリオを開いてください」
「ここには何も書かれていないはずだが?」
「いえ、少しだけですが書いてありますよ。私が消去と編集をしたので分かりづらいですけど」
書いてあると言われども、どこまでも白紙のまま、目を凝らすように探してみても文字の一つも見当たらない。
やっぱり何もないじゃないかとサラのこと睨みつけるが、サラは何も気にする様子はなく、次の説明に進んだ。
「こっちのゲームに移る数分間だけ、実は脳内のファイルを好きに弄ることが出来たんです。今はロックが掛かって手を加えることはできませんが、とりあえずこの白紙のページをパソコンのマウスで左クリックをしたまま画面上から下に動かすみたいにイメージしてみて下さい」
サラに言われた通り、脳内でマウスをイメージし、左側をクリックしたまま上から下へとスライドさせていく。すると……。
「うわっ! なんだこれ?」
真っ白な画面から突然黒文字が飛び出してきた。パソコン画面の文字をコピーなどする際にその対象を定める時にやるあの操作でこんなものが、これは一体……?
「真っ白な画面に真っ白な文字が書かれていたんですよ。あれ、えと、そう! フェイクニュース! フェイクニュースの記事を書いた人がばれた時に言い逃れする方法と同じですよ。いざ詰め寄られた時に『これは嘘ニュースです』て書いてあるって、背景と同じ色で書いておくんです」
「どうしてこんなことをしたんだ? 別に残していてもよかったんじゃ?」
「むしゃくしゃしてやりました。神様に何かしてやりたいと思って、一颯先輩のシナリオ弄ったり、選択肢を消したり、他にもいろいろ暴れていたらバグりまして、……一颯先輩のシナリオがこっち側に一部混入してしまいました」
俺が主人公の時に起きるはずだったイベントが、サラがバグらせたせいで主人公が変わっても進行してしまう訳か、だから心春と花恋さんが俺に対してあんなにも積極的になったり、他にもイベントらしいことが起きたわけか。
サラは後悔はしていないとばかりに清々しい顔で遠い空を見ていた。
「どうして俺の邪魔をするんだ?」
三度目、それでも答えは変わらない。
「はい、一颯先輩は覚えていないでしょうが、今までとっても気持ちいい思いをしてきましたから私にもそういう時間をくださいな。永遠とは言いましたが、百年か二百年後には満足すると思います。私にはやりたいことが山では済まないほどにあるんです」
見ることが叶った“俺のシナリオ”を見ていると、どうもこちらはかなり細かくシナリオが書かれていたみたいだ。
心春や花恋さんの気持ちや、本当に細かいところはセリフまで、ただ……。
「前のゲームも十八歳未満御法度の“あれ”だったんだな」
「そこは消すのが間に合わず残ったままなので、いつかは期待していいかもしれません。なんとか私とのシナリオは消すのが間に合いましたから安心してください。先輩も今の私を知って、私とのあれは苦虫を噛み潰す思いになるでしょうから」
「別に、……俺も男だぞ」
特別恥ずかしいことだと思わなかったから素のまま伝えると、逆にサラは恥ずかしそうにセーターの袖で口元を隠しつつ頬を赤らめた。
「そう……ですか。消さないまま反応を見た方が面白かったかもしません」
嘘みたいな話ではあるが、不自然にそこだけがすっぱり切り抜かれたようにシナリオが存在しない。
心春と花恋さんのところはしっかりと、思春期の男子には刺激の強いシナリオが残されている。
「とりあえず今日はここまでにしましょう。時間は永遠というほどにありますし、聞きたいことがあったらまたどこかで話し合いの場でも設けましょうか。何を話したところで一颯先輩にこの状況は打開できませんし、いつか耐えられなくて絶望した時は一言くらい励ましの言葉を投げかけに行ってあげますよ」
「いらねえよ、今までの努力の上で人を煽りたいだけだろ」
「うふふ、それはどうでしょうか? 一度は身体を重ねた元恋人の本心かもしれませんよ?」
「どうとも思ってないくせに体よく利用するなよ」
「私、誰かさんのせいで清楚じゃないんで好きにやります。このまま私は空を眺めて、もう少ししたら出て行くんで鍵は掛けないでくださいね?」
鍵を掛けない代わりにつっかえ棒でもセットしてやろうかと思ったが、腹いせに事態を深刻化されてもイヤだから放っておく。
校舎に戻り、五階の空き教室に入って埃を被った椅子にどかっと座る。脱力して項垂れると、信じたくもない真実が槍の雨のように俺に降りかかってくる。
寸分違わず俺の全身に全ての槍が刺さり、俺はこの瞬間、死んだ。
精神をズタボロにされて、サラの前では虚勢を張っていたが張りぼてはすぐに壊れる。
死体だけが今から動き始める。
俺は何もやる気を起こす気もなく、帰路に就いた。
なんとか次章の準備が間に合いそうですが、しばらくはこのペースを保たせてもらおうと思います。
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