134敵の策略
やっと話が進みます。
花恋さんの卒業式から、丸一年、今度は俺たちの卒業式を迎えることとなった。
季節が一周して再度花弁を落とす桜にご苦労様とくたびれた声で労い、俺と心春は式会場である体育館に入った。
式典中、唯人は舟をこぎ、クラスは違えどそれなりに目立つ聖羅はこんな時でも背筋を伸ばしてしっかり校長の話を聞いている。
聖羅の隣、三年生で聖羅と同じクラスになった心春は眠気と闘っているのかたまに唯人と同じく船を漕ぎ始めていた。
昨夜はあまり寝られず、夜中に俺の部屋に来て一緒の布団で寝たほどだ、学校にたどり着くまで目尻を何度も擦っていた。
でも俺が心春のことを見ていることに気付いたのか、ピンと目が覚めてこちらを見た。
にこっと笑って軽く手を振ってくれるのが可愛い。
聖羅が心春に何か言っているがここからでは聞こえない。たぶん先生に怒られるよ、だと思う。
そのまま滞りなく卒業式は終わり、クラスの悪友や演劇部の後輩、お世話になった先生方に挨拶をすれば時はすでに夕暮れ、俺たちはそれぞれ両手に花束を抱えて一階昇降口へと向かった。
本来ならば、ここを出ればもう高校生としてここを通ることはない。そう思うと上履きを履き替える動作は気持ちゆっくりに感じられるのかもしれない。
「……あれ? なんか入ってる」
「一颯くん、それって手紙?」
「ああ、多分そうだな、名前は……ないけど、誰だ?」
俺と心春の関係は三年生ともなればそれなりに割れている。後輩の女子から話しかけられることも少なくはなかったが、特別な関係になりたいと思ってこういう手紙をくれた女子はいなかった。
だから卒業の日にこのようなことをしてくる女子は全く思い当たらない。
「せっかく出してくれたから、中は読ませてもらうぞ」
「うん、私は見ないから」
心春が意外という顔で後ろを向いたのを確認し、俺は名前のない手紙を開封する。
中には女の子らしい丸文字で、とてもシンプルに、一息で読み切れる程度のことだけ書かれていた。
『一颯先輩へ、伝えたいことがあるので、よろしければ中庭に来てください。心春先輩も一緒でお願いします。』
文面通りに受け取るのであれば、差出人は一年生か二年生、心春が一緒でもいいというのは玉砕覚悟ということ? とりあえず心春にも見せてあげる。
「えっと……、これって私も一緒のほうがいいということなのかな?」
「相手が来てくれというのであれば一緒の方がいいだろう。“そういう展開”であれば、心春の判断で席を外してくれたらいいよ」
「うん、分かった」
脱ぎかけていた上履きを履き直し、俺たちが中庭に入ると、そこには一人の少女が待っていた。
夕焼けがガラス窓を反射して中庭にステージのようなオレンジ色のスポットライトを作り、少女を照らす。
心春と同じくらいの身長に、少しだけ背伸びしたぶかぶかのセーターが手を半分だけ隠している。
その少女が俺たちの存在に気付いてくるりと身を翻すと、その勢いに合わせて“銀色の髪”がふわりと広がった。
夕焼けの赤に照らされて、きらきらと赤とオレンジのグラデーションを描きながら落ち着いたその銀髪の持ち主に、俺はあり得ないとばかりに首を横に何度も振っていた。
「なんで、……君がここに……!」
「どうしても何も、今日は先輩たちの卒業式じゃないですか、お祝いの言葉くらいかけさせてくださいよ」
首を少し斜めにして微笑む彼女は、いつまで経っても主人公、……唯人の前に姿を現さなかった三好サラだった。
「でも、君は! 去年の夏からずっと不登校だったじゃないか!」
「はい、そのせいで留年して、まだ一年生ですけど、関係ありませんよね? 一颯先輩が卒業しても、次の瞬間には二年生の六月二十五日に戻されるのと同じように、……ですよね?」
「一颯くん、どういうことなの? この子は何者?」
心春の言葉は俺の耳に届かなかった。
サラさんがこの場に突然現れたことには驚いたが、それ以上に、この子が俺のことを知っていることには言葉を失った。俺は間抜けな面で口を半分開けたまま、サラさんが童女のいたずらが成功したときのようにきゃっきゃと笑い出すまで身動き一つ取ることは叶わなかった。
「な、何を言って……」
「ずっと、ずっと会いたかったですよー。探していました。私の邪魔をする神様の手先を、目星は付けていたんですけど確証はなくて、いろいろと準備していたら今日になっていました」
俺が知っているサラさんではない、ゆらゆらと身体を左右に動かし、動きに合わせて左右に揺れる髪とそれに見合ったほわほわとした態度。俺は未だに目の前の少女はサラさんではない、誰かが憑依した別人と思い込んでいた。
「実ははじめから邪魔はしていたんですよ? ほら、ゲームセンターで一颯先輩が新しい選択肢に喜んでいたじゃないですか? でも本当は、元からあった選択肢を私が消したんです。こう、キーボードのバックスペースを長押しするみたいに」
「消した? ……それよりも、君はどうして俺のことを知っている? どうして邪魔をする? 何度も繰り返される世界から脱出したいとは思っていないのか?」
「いいえ」
先ほどの柔らかい雰囲気とは一転して、極寒の地に放り出されたかのような冷めた口調が俺の言葉を否定した。
「永遠に続けばいいんです。私の愛する唯人先輩と共にいられる時間を永遠に出来るんです。そのためだったら唯人先輩との時間を数年捨ててでも、あなたという邪魔を排除します」
背筋がぞくりとして身震いした。俺は怯えている。目の前にはどういうことか俺よりも覚悟を決めた少女が冷めた目で俺の存在を射殺そうとしている。
逃げるように心春の手を握った。瞬き一つ許されなくて、サラさんから目が離せなかった。
「私はあなたのことを恨んでいます」
「…………なぜ?」
やっと口にした言葉でもサラさんを刺激してしまわないか不安だった。
サラさんの顔には温度を感じない。無表情に、淡々と理由を述べた。
「私は元々、一颯先輩の“メインヒロイン”でした。神様とは話したのでしょう? 同じです。心春先輩と二階堂先輩とのシナリオを完成させて、最後に私とのルートが待っていました。でも、よく考えてください。一颯先輩は心春先輩に依存していて、二階堂先輩のことを尊敬の眼差しで見ている。……対して私は何ですか? 幼馴染でなければ出会いすらないモブ、だけど一颯先輩への好感度は操られたように高くて、恋焦がれる先輩を他の女性とくっ付けるゲーム。……どんなクソゲーですか?」
語れば語るほどに苛立ちを露わにするサラさんは、ベンチの底をつま先でゴンと蹴り上げた。女の子らしい弱々しい蹴りだけど、だからこそ彼女の怒りが目に見えていた。
「ノーマルエンドが無いので心春先輩は簡単でした。何もしなければ強制的に心春ルートに突入しますから、一度でクリアです。二階堂先輩も時間はかかりましたがそこまで難しくありませんでした。演劇部の方へととにかく誘導していればすぐ花恋ルートに入ってくれました。……でも私は――」
話に一切ついて行けず、置いていけぼりの心春が俺とサラさんのことを交互に見ては首を傾げている。だけどここで説明しているだけの余裕は俺にない。
時間もないというのに、このままでは心春を悩ませたまま情報の海に放り出されてしまう。
「一颯さんのことが好きでした。だから頑張って私のことを見てもらえるよう努力して、やっとルートに入った時には、……私の心は疲弊していました。好きな人を他の女に譲ることを何度も繰り返して、いつしか一颯さんのことを好きなのに、恋人になれたのに心が躍らなくなったんです」
「……それは唯人も同じことだぞ。あいつだってすでに三人の女子と付き合っている」
「ちゃんと違いがあるじゃないですか。ゲーム開始の六月二十五日、この段階で唯人先輩は“誰のことも好きになっていない”。つまり私が唯人先輩を独占し続ける限り、唯人先輩は私のことしか見ないうえに清いままなんです。素晴らしいじゃないですか!」
調子を取り戻したサラさんがきゃっきゃと妄想に飛び跳ねていた。
脳内でカウントダウンが残り秒数を知らせる。
「一颯くん、大丈夫なの?」
「…………ごめん、最後は心春を笑わせてやりたかったんだけど、無理みたいだ」
「そう、なんだ。……もう、お別れ?」
「ごめんな。俺はもう行かないとダメみたいだ」
「そっか、何もできなくて、悔しいけど、せめて、最後に一颯くんの顔を見せてよ」
心春の手を握っていた俺の手は震えていて、衰弱した心が、心春のほうを向けば泣き顔を見せられるんじゃないかと不安を訴えた。
でもそれが心春の願いだから、俺は勇気を振り絞って心春の顔を窺った。
そこにはこの場の雰囲気にそぐわないほどに美しく可愛らしく、春の桜の花がピッタリな笑顔がそこに咲いていた。
「一颯くんが笑ってと言うのなら、私は笑うよ。だってこれくらいしか私に出来ることはないんだもん」
「……ありがとう、絶対に負けないから」
サラさんは一人でくるくるとその場に回っている。残り時間はきっとサラさんも分かっている。完全勝利に酔いしれているのだ。
今回は譲ってやる。だけど、最後に勝つのは俺たちだ。
「それじゃあ、ばいばい」
「ああ、行ってくる」
暗転していく世界に、俺は心の中で心春に手を振った。
これからも幕間と本編の混ざった今章が続きますが、物語はちゃんと進んでいきますのでよろしければブックマークとポイント評価等、お願いします。